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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2011年01月31日
  ひさしぶりのドカ雪

 昨日は、朝夕晩三回、車の雪下ろしをした。今朝も落としたが、徒歩に如くなしと、今冬、はじめて歩いて職場へ。久しぶりのまとまった雪で、鉄道は午前中全面運休、学校も休校になったところが多かったようだ。高速道、国道も福井あたりで完全ストップ。しかし、午後からは晴れ間も見え、峠を越す。
 転勤で近年金沢へ来た人は、ここのところの暖冬しか知らないので、驚いている様子がブログなどで判る。熱心に時間をかけて除雪をしていると、ご近所さんから「あとはおてんと様がしてくれるやろ。」と言われ、その発想に感心したという。転勤族さんが、雪国人として学習し、冬毎に成長している(?)様子が判り、微笑ましかった。
 今日のような日があると大変だが、雪国人は、わあわあ、ぶつぶつと言いながら、自然を受け入れ、やり過ごす術を知っている。
 十年以上前に、一度、ドカ雪があって、ご近所総出で雪すかしがあったが、あれ以来かもしれない。二〇一一年、久しぶりに降ったねえと、後年、話題になるかもしれない。

 

 2011年01月30日
  デパート催事を覗く
 市文化ホールで劇があったので、昼、繁華街へ。雪のため、いつもは待ちのあるデパートの駐車場にすんなり入れた。階上のレストランも混雑しておらず、窓際の席がとれ、雪に埋まった中央公園が水墨画のようになっているのを俯瞰しながらゆっくり食事ができた。
 ちょうど催事場では、駅弁とうまいもの大会をやっていて、よくテレビなどで過熱ぶりが紹介されるデパートの駅弁セールというものを生まれて初めて覗くことができた。お肉や海鮮の美味しそうで豪華なお弁当オンパレードだが、平気で一五〇〇円クラス。美味しくて当然かもしれないという気がしないでもなかった。駅弁とちょっと高価だがウイスキーに合いそうなチーズなどお楽しみの食べ物を少し購入。
 近年話題のロールケーキ「堂島ロール」に並ぶ列が長々とあったが、捌けた頃に再度横を通るとまだ在庫があり、すんなり買うことが出来た。まったく予定にはなかったが、雪のせいで客が少なかった影響で、「出会いがしら」的な買い物となった。
 夜、そのケーキを食す。ふわふわの生クリームが中心部を占めスポンジは外周のみ。ギリギリ自立している感じのやわらか食感で、これを切り身にして寝かせ「スプーンで食べる」と但し書きをつけたのが、最近よく買ってくるローソンのヒット商品「プレミアムロールケーキ」であることを知る。派生のほうを先に食べたので、初発の感激はあまりなかった。普通のロールケーキしかなかった時に、外側だけがスポンジのこの形のを食べたら確かに驚いただろうけど。
 今日は終日雪。外歩きは完全防備で。行って帰るだけで一苦労の一日だったが、こんな日に外出したからこそ出会えたものもあり、面白いお買い物日となった。
 2011年01月28日
  映画「武士の家計簿」を観る
 久しぶりの映画館でロードショーを観た。地元が舞台の「武士の家計簿」(松竹)。本は出版された年に読んで、職場の図書館報に紹介記事を書いた覚えがある。実は我が家の菩提寺に主人公猪山家の墓があることを、今秋、住職が教えてくれ、父の墓参りのついでにお参りを済ましたという縁もあって、気になっていた。既に墓は無縁仏となっていて、墓石上部のみ残っており、そこに急ごしらえの拝台が置かれていた。映画のせいで、お参りに訪れる人がいるという。
 映画館に行ったのは「ALWAYS 三丁目の夕日」以来五年ぶり。急に思い立って出かけたので、通常料金を覚悟していたのだが、行ってみると、夫婦50歳以上ペア二千円とあり、それを利用した。夫婦で映画を観る限り、何時行っても一人千円で観ることができることを発見して喜んだが、人生でシルバー割引を利用したのは、これが初めてだと気づき、多少の感慨があった。館内はほとんど我々より年上のご夫婦ものばかり。
 「家族ゲーム」や「メインテーマ」を若い頃観て以来の森田監督作品。家族ゲームと同様の彼らしい発想やユーモアも多少はあったものの、実にオーソドックスな撮り方で、松竹映画ということもあって小津安二郎を意識しているのではないかと思うようなゆったりとした流れと意図的繰り返しが特色であった。簡単なエピソードを配してうまく家族の一人ひとりの個性を描いていて上手い。
 主人公は愚直な勤めぶりが評価されて出世もし、赤字の家計も倹約に努めて借金返済を果たす。刀のかわりに算盤で武士の矜持を全うした立派な生き方をした人物。子に対しては厳しく武家の精神を教え、お家芸をしっかり身につけさせた。当初、反発した子も、後、その「算用」で身を立てることになるという四代にわたる物語である。
 劇的な展開がないので地味で、少々物足りない感じを受ける人はいるかもしれないが、人間不変のテーマを扱っていて、誰しも心に沁みるいい映画だったように個人的に思ったのだが、帰宅してWEBに載っている感想を観ると、感想がバラバラなのに驚いた。概ね褒める意見だが、その間に退屈で何をいいたいのか判らないとばっさり切り捨てる意見も見受けられ、私と逆に全員低評価だと思って感想を観たら、褒めている者が多くて驚いたというものもあった。意外に思いながら読み進めると、今度は、「悪評を書く人は、若い独身者ではないか、歳を重ねた人なら、色々な場面で自分の人生と照らし合わせて気持ちが動くはずだ」という分析の書き込みがあったりした。若い人の中には周囲の年寄りが時々どっと笑うのだが、なぜそこが可笑しいのかが判らないというのもあったが、この映画のどこが判らないのかが私にはよく判らなかった。
 立派だと思う主人公の生き方についても、柔軟性に欠け、子供に対する厳しさには慈愛のかけらもなく実に厄介な父親だと完全否定する女性の意見もあって驚いた。そこを否定するとこの映画は嫌な映画になる。
 こんな判りやすい映画でも、人によって評価はばらばら。そこが人間的で面白いとも言えるが、「人倫」さえばらばらになっているとしたらならば悲しいことだと思わずにはいられなかった。WEBの感想は読まない方が良かったと思うことがしばしばある。
 観賞後しばらくして、幸田文の「おふゆさんの鯖」という短随筆の問題を読解した。彼女は小さい頃から腐ったものを捨てたら怒られたという。ただ捨てるのではなく、腐りかけのものを舌などの五感を使って覚え、「正しい味」を知っておけと教えられたそうだ。露伴が女子だからという隔てなく厳しく子を育てたことは有名。露伴の父は幕臣で、文の倫理観はまさにこの映画と同じく下級武家層の発想だとすぐピンと来た。そういう大きなところから文章を読むと読みに間違いがない。だから、一番最初にこの映画の話をして、解説に入った。
 2011年01月23日
  雪の話題
 今冬は雪の日が続く。平均気温も低い。救いはドカ雪にならないこと。朝や帰りに車の雪落としは必須だが、前輪駆動の車が動かなくなって町が大混乱ということはない。
 朝は早めに起きて、外を確認する。愚妻も遠距離通勤なので余裕を見て家を出る。その上、ここのところ我が職業の繁忙期なので、疲れて帰ることが多く、まずはしっかり睡眠をとっておかねば風邪をひくと、早々に床についていたので、なんとも、夫婦どもども「家に寝に帰る」状態が続いている。
 職場で雪の話題が出る。五六豪雪の時は大変だったねなどなど。確かにあの時は北陸線が延々と不通となって動きがとれなくなった。その話を聞きながら、だけど、三八豪雪の時のほうがもっと酷かったよねと話を継ごうとして、知っている世代が職場の小部屋でほどんといないことに気がついた。同世代でも地元でない人は知らない。
 年寄りというものは、家族や周囲の知らない古い話をくどくど話して嫌われるものだ。そう思って、私は三八豪雪の話は振らなかった。歳をとると無口になるほうがよいかもしれない。お喋り者にはちょっと残念な気持ち。
 2011年01月22日
  地方の中学生も
 NHKの番組でサラリーマンに本を読んでいるかというインタビューをしていた。読んでいる人のほとんどがビジネス書。経営者の信念を述べたものや人付き合いのノウハウ本など。時に司馬遼太郎などという名前を聞くとほっとする。そして思う。大人たちは自分の勤め人人生に役に立ちそうなことを直接書いてあるものしか読んでいないののだろう。こちらも似たり寄ったりの読書で文句は言えない。読んでいるだけでも素晴らしい。
 問題は子供。今の子供たちに「十五少年漂流記」や「海底二万里」、女の子なら「赤毛のアン」などの「子供の古典」を、ちゃんと読んだことがある人手を上げてといっても、ほどんどいないのではないだろうか。高校生に聞いても近代文学の名作を教科書以外で読んでいる人は稀である。
  先の正月休み、書店を巡っていると、地元高校の入試問題集が並んでいた。県下のすべての昨年問題が一冊本になっているもの、高校別に過去問数年分が封筒に入っているものなど各種あった。リスニング用CDまで付いている。地元新聞社発行のものが十数年程前からあるのは知っていたが、地方の高校入試にも大学入試並に業者が幾社も参入していることに驚いた。私たちの時代は、公立の前年問題をやってみた程度、私立はどんな問題なのか全然知らないまま受けたものだが、今、現物がある以上は買ってせねばならぬ。
 そういえば、WEB上では模試の分析などを逐一報告する業者のサイトもあって、端から見ていると競争を煽っているように見えるものもある。かつて都心有名私学の「お受験」として聴いていた話は、今や地方にも波及していて、中学生は大忙しの様子が想像できる。過去問演習、模試の受験とてんてこ舞い、読書などしている暇などないのは当然である。
 そんな経験が、三年後、大学入試でも繰り返される。子供は最早ヨレヨレ、うんざりなのではないか。そうして、そんな子が大人になったら、今度は信念として原本など特に読まなくても良いと考えようになるのではないか。現に私はそれで受験を勝ち抜いてきた。エッセンスだけまとめたものやノウハウ本を読めばそれでよい。それを能率的に使いこなす人こそ能力のある人だ、という認識となる。最近では、受験勉強風の国語読解こそ国語の授業ですべきことと信じて実践している若手国語教師も出現していると聞く。
 しかし、それでは、直接的なことには参考になるが、いつまででも借り物で自分なりの信念や実感にまでは行き着かない。全体として、日の本の行くべき姿が見えている真の知恵者がいなくなるという悪循環が出来上がる。忙しくさせているお先棒を担いでいるので偉そうなことは言えないが、読書至上主義は今や風前の灯火である。
 月並みな結論だが、受験の「戦争」面は本当に弊害が多い。試験である以上、能力が測られ、差がつくのは当然で、そのための努力は必要だが、「競争」のための努力はあまりかけさせないほうが人として歪まないのだがと、書店の派手な「高校受験コーナー」の平積みを見て、ちょっと暗くなったというお話でした。
 2011年01月16日
  泉麻人の講演会を楽しむ

 二ヶ月前にあった講演会の感想。遅ればせながら。
 二十年ほど前、番組「テレビ探偵団」(TBS系)の「私だけが知っている」というコーナーで、マニアックな昔テレビネタを披露して一気に人気者となった泉麻人の学生向け講演会を聴いた。私より数歳年上だが、まったくもって同世代。「エイトマン」シールを集めるためお菓子を食って肥満児となり、肥満児ばかりを集めてグループサウンズを作ったり、麻雀で補導されたり、ストリップ小屋に行って、そこであらぬことか担任を見つけて驚いたりと、聴いた生徒たちは、ちょっと不良っぽく聞こえる体験の豊富さに着目していたようだが、我々同じ世代の人間からみると、そう驚くような話ではなく、大人も子供も、今から考えると大雑把で大らか時代だったから、多かれ少なかれ「俺もやっていたなあ。」というくらいの受け止め方となる。「子供には絶対言わないけれど、俺の学生時代には、こんな事をしでかしてねえ……」といった話は酒の席でよく出る。
 子供の頃、自分独自の歌謡曲週別ベストテンを作って、架空の得票数も表に記していたエピソードは、今の子には思いもよらぬ遊びだったらしい。しかし、私にしてからが、一九七三年頃、「オール・ジャパン・ポップス・ベストテン」なるラジオ番組を聴いて、その週のランキングを当てるクラス仲間の遊びに参加していたくちで、彼と似たようなもの。その楽しさはよく判る。テクノロジーの発達がそうした手作り的な遊びを奪ったのかもしれないという感想文を書いた子がいて、なかなかしっかり分析できていると感心した。
 ただ、「鉄腕アトム」のスポンサーは明治製菓一社だけだったとか、完全に忘れているような微細な情報をすっと出してくるところなど如何にも彼らしいが、その時代を知らない世代には、その情報のマニアック度が高いのかそうでもないのかさえ判然としないかもしれない。
 「ためになることを話すのは好きではありません。」と話の途中で断言しているのだから、この講話に「実益」や「教訓」を求めても無駄である。まさに、そこに、それまで捨てられていたサブカルチャアを掬いとって仕事にしてきた彼ならではのアイデンティティがあると私は思ったのだが、聴いた大人の中には、呆れるくらい中身のない話だと思った方も大勢いたようだ。昔の記憶を微に入り細に入り、ついさっき経験してきたことのように語ることができる能力はそのまま「物書き」の資質の豊かさにつながっている。私は大いに楽しんだのだが、後で聞くと、私はまったくの少数派だった。
 生徒たちは愉しく聴き、感想文では、「面と向かって教訓は何にも言わなかったけれど、こんな生き方があるよと言ってくれているみたいだ。」というのがあった。ちゃんと受けとるべき点は受け取っている。それでよい。

 

 2011年01月14日
  いろいろなことがぐずぐずに
 珈琲を横に置いてパソコンに向かい、時々カップを口にするとあっという間に珈琲はぬるくなっている。思っている以上に間があいているのだろうし、冬とて冷めも早い。でも、気に入らなかったら電子レンジでチンしてまた飲めばいい。大きなカップの時はそれを数回する時も……。今はそれで問題を感じる人はいないだろうが、昔の感覚でいうと、ちょっとズルズルとしただらしなさを感じて後ろめたい。便利なものがあるとそれに頼ってしまう。ケータイが普及して、約束時間までにきっちり落ち合うのがいい加減になったのと同じような感じ。
 職場の同僚が、最近、正式な書類になのに記入漏れのままもってくる人が多くなったとこぼしていた。大人ですらそういう傾向だという。「この空欄は何書けばいいかよく判らないからそっちでやっておいて。」といったニュアンスを感ずる。自分のことなのに人任せ。ちょっと色々なことが「ぐずぐず」になってきている。
 ネットの言語などもぐずぐず。わざと崩しているうちに、厳密感がなくなって、「細かいことどうでもいいじゃん。意味が判ればいいんじゃネ。」というノリになっている。わざとやっているのか間違って覚えているのか自体が判らない。
 ツイッターが流行り、短くいわなければいけないので、「今〜しているところ」が「なう」となった。例えば、「夕食なう」は「今、夕飯食べているいるところ」の意。元は英語の「NOW」で、いちいち英字モードに切り替える手間を惜しみ、カタカナ変換するのも惜しんで平仮名になったという。ここまでは判る。でも、この前、「今ごはん中なう」というのを見つけた。もはや「なう」は合いの手、言葉の意味が消えて、ぐずぐず。
 提出する問題集には名前を書く。当たり前のことをしていない人が増えた。提出のない教科書に名前を書いていない人なぞはぞろぞろ。
 あれだけ何度も練習しているのにマークミスや教科選択ミスも最後までぞろぞろ。こちらとしてはなんで学習して改善されないかが不思議。
 本番が心配である。この種の話、最早、個人の資質やうっかりの問題ではない気がする。
 2011年01月11日
  「東京物語」を買う

  評論問題で小津安二郎の映画は「反映画」だという文章があって解説した。小津映画を観たことがある生徒は皆無。どんな映像かというところから解説しなければならない。
 そんな折り、書店で小津の代表作をDVD付きにした選集「小津安二郎名作映画10+10」(小学館)の初回配本「東京物語」を見つけた。購い、この休みに鑑賞した。何度も観ているのでよく知っているつもりでいたが、そうでもない。覚えていないシーンが幾つもあった。
 東山千恵子が
死んでから、もっとさっさと話が終っていたように記憶していたが、思いのほか長く、娘の杉村春子が形見分けの話を切り出すなど、この作品に与えた実子の立場をこれでもかと強調したり、笠智衆や原節子にテーマを語らせたりして、ちょっと間延びがし、底が浅くなっている気がした。
 私が、今回、気になったのは、連絡手段。尾道とのやりとりは電報。長男山村聰と杉村春子との間は電話。映画上映の昭和二十八年で自宅に電話があるのは珍しかった。都会で且つ医院と美容院という客商売だからこそ。我が家に電話が入ったのは昭和三十年代後半だったから、十年も後のことである。あの当時、田舎であの映画を観た人たちは、都会の連絡事情を知って羨ましかったのではないだろうか。「遠地コミュニケーションとしての「東京物語」」なんて論文がありそうである。家の造り、日々の生活、町の様子。高度成長経済で日本が安普請をし始める前の、私の微かな記憶に残っている日本があちこち出てきて懐かしかった。
 上演時、原は三十三歳。お嬢さん役は香川のほうで、戦争で夫を亡くした未亡人役に適年齢。彼女に合わせての台本なのだろう。
 お懐かしい人が沢山出ている。東野英二郎、中村伸郎、大坂志郎、十朱久雄……。あの人もいない、この人もいないと思いながら映画を観ていたら、今、生きているのは末子役の香川京子とヒロイン原節子だけだと気づいた。原は今年九十一歳、香川は八十歳。
 学生時代、池袋の映画館で小津映画オールナイト一挙上映で観てからも既に三十年近い。ちょっとここのところ故人を偲ぶことが続いたので、尚更、感慨が深かったということもあるかもしれない。

 2011年01月10日
  ご法事

 五日、従兄弟の七回忌の法事があり、休みをとって列席。金沢在の一番近くに住む従兄弟だった。お経の後、近くの料亭に。通されたのは三回忌の時と同じ部屋。その時は亡父が開宴の挨拶をした。座った場所がその父の座った座席。挨拶も頼まれてしたのだが、なんだか、すっぽり代替わりした気がして、月日の移り変わりを感じ、挨拶中にちょっと胸が詰まった。
 昨日はそのお宅のお嬢さんが成人式。愚妻や母が着付けの時に押しかけていって、写真を撮ったり楽しい時をすごしたという。あんなに小さかったのに、親戚の子はあっという間に大人になる。
 夜、東京に住む伯母から電話。近況報告をしあう。高齢の横浜の叔父もお元気という。
 昨日中に振り袖写真もできあがり、夜、手紙をそえて発送。叔父他にも近況報告をしたためた。正月時期のゆっくりさがあるからこそ、そのあたりまで気がまわる。なんだか、いつもになく親戚とのお付き合いが濃い一週間だった。
 さあて、明日より最も多忙な二か月間が始まる。
 

 

 2011年01月06日
  OEKニューイヤーコンサートを聴く
  石川県立音楽堂コンサートホールにて、OEKの「第二九三回定期公演 ニューイヤーコンサート2011」を聴く。舞台端には花が飾られ、出迎えの女性が振り袖姿だったりと、全体が新年らしい装い。指揮井上道義、独奏は元OEKのマイケル・ダウス(ヴァイオリン)。
 曲は、前半、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」。ダウスの弾き振り。この曲の生ははじめてで、今回の収穫。オーケストラ用の編曲が巧妙で、ピアソラ独特のタンゴリズムも弦合奏などでうまく表現されている。ソロバイオリンのフレーズ末尾に装飾的技巧が加えられ、色彩的なアレンジが素晴らしい。まさにビバルディ「四季」のタンゴ版。
 後半は井上の指揮。華やかに「こうもり序曲」で幕開き。バルトークの「ルーマニア民族舞曲」は最近メディアで一部分が使われたりしているようで、聴き覚えのあるメロディが出てきた。次のリスト「メフィスト・ワルツ 第1番」はハープやトロンボーンが増強され色彩豊か。定番「ピッツィカート・ポルカ」の後、喜歌劇「パガニーニ」第1幕より「カプリッチョ」、ワルツ「金と銀」、アンコール「メリー・ウィドウ」とハレールものが続いた。華やかで親しみやすいメロディとリズム、万人受けするリリシズムで聴く者を楽しくうっとりさせて、魅力的な曲々であった。
 井上の指揮は、いつも以上にメリハリをつけたエネルギッシュなもので、リズムに乗って今にもワルツを踊り出さんばかり。皆さんもドンドン乗って下さいといった感じで、最初静かだった観客を徐々に引き込んでいき、プログラム最後の「金と銀」に到って、大拍手を受けていた。彼は、しまいにはダウスに「アイ・ラブ・ユー」なんて告白して、二人べったり寄り添うなど、エンターティナーぶりを発揮していた。もう大はしゃぎの部類。
 今回の定演。短い曲ばかりが並んだお正月らしい華やかなプログラムで、肩の凝らない楽しい演奏会だった。タンゴやワルツなどリズミックな曲は人をウキウキさせる。ニューイヤー恒例の曲も少し入れ、超有名というわけではないが心地よい曲を並べた選曲も秀逸。帰りにはOEKの烙印を押したどら焼きまで配られ、「お正月のお楽しみ」を大いに楽しんだ気分になった。チケットを融通してくれたN君に感謝。
 2011年01月04日
  初射会

 今日は初射会。思ったほど天候は悪くならず、まずまずの日和。通常の競射の後、扇的競射を行う。扇を的にして射貫く正月らしい行事。まったく広げないところからスタートして、中らずに一回りする毎に広げて中りやすくするのだが、去年同様、中らないこと中らないこと。扇的だけで二時間近くかかった。
 扇を的にするというのはもちろん那須与一の故事にちなむ。弓道には、絵的、干支的、板割りなど変わり的がある。
 弓道は周知のように神事と関係が深い。
 例えば、正月に頂くお屠蘇。この「屠」は「ほふる」の意。邪気を払うことをいう。「蘇」は心身をよみがえらせること。おめでたい正月の飲み物に一見縁起の悪い漢字が充てられているのはそういう理由で、外においては悪を退散させ、内においては心を充実させる、この両者がかみ合って安寧となる。弓道が神事と習合したのは、この二つのうち、邪鬼を追い払うほうの担当として選ばれたからである。
 例えば、今でも、道場開きでは天地祓いの儀といって、天地に大声をかけ邪鬼を払う儀式を行う。私も二度ばかり観たことがあり、この日記にも触れたことがある(二〇〇六年三月二五日)。最初は、天地の神を脅かしてもいいのだろうかとちょっと驚いたが、つまりは、その場所に巣くう悪神の退散を表象化していると判って一安心した覚えがある。
 先日、ある教員が道具の発達順を問う問題を出したそうだ。打製石器、磨製石器、手斧、弓の順番を理由とともに答えさせるもの。そのなかに、弓よりも手斧が後とする誤答が数人いて驚いたという。その理由は「弓より手斧のほうが狩猟などの際に確実性があるから」。なるほど、なんだか一見理屈にはなっているような。
 弓は斧に較べて身を安全なところに置いて、そこから戦いを挑むことができる。斧では自分のほうがやられる可能性がある そういった意味で、進んだ武器、昔のハイテクだったのである。鉄砲伝来まで遠距離担当として主役であった。
 今日、扇的が長くかかったのは、欲が出て気持ちが扇的のほうにいき、射儀が疎かになったから。明日からは心して精進してほしいと顧問団は締めくくった。

 

 2011年01月02日
  謹賀新年

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 小生、仕事では、今年度、忙しいセクションにあたっており、後三ヶ月、心労が積み重ならないようにうまく散らしていかなければと思っています。
 
 さて、新年早々言葉話題。
 元日の日中、実家で観ていたテレビ。若手無名芸人のショートコントのあまりの面白なさに、帰宅後、チャンネルをBSにかえて昭和期に放映された懐かしい落語・漫才を観て過ごした。
 若手番組の方は、まず踏まえている事象自体が判らないことが多く、それは世間の流行を知らないこちらの問題もあるのだろうから仕方がない気もするが、言っている言葉が判らないのに閉口した。テレビやお笑い界の業界用語や符丁のことが多く、類推できるものも多いが、全然判らないのも結構あって、愚妻も判らず、私同様困っていたようだ。また、受けを狙って、男が裸同然で出てきても「正月なのに」と思うだけで逆効果。
 若手の芸が面白くないのは、三十年ほど前の漫才ブームの頃、すでにぼんちやB&Bがさっぱり面白くなくて何が受けているか判らず不思議に思ったことがあったので、そんなものである。今のがよく判らないのは、あながち私の歳のせいばかりではない。
 途中から観たBSの生放送「昭和なつかし亭」では、かしまし娘やお笑い三人組の一人金馬さんがお元気そうで、懐かしかった。VTRでのてんやわんや、いとしこいし、比較的新しいところではやすきよ、地下鉄漫才など、どれもお話自体が面白く、何度も舞台にかかって手直しされ、計算され尽くした「芸」を感じた。一つ一つが「演目」として大切に扱われている。テンポの早いやすきよでさえ、しっかり言葉を聞き取ることが出来、「何をいっているのか?」という事態を招いていない。
 BSのほうに出ていた若手売れっ子芸人さんのトークの中に、昔は使わなかったカタカナ語が混じっていた。それは彼らの言葉としては自然なのだが、その言葉を言っても高齢のご老人には通じなかっただろうなと思うことが何回かあった。自分の年齢がちょうど中間に位置しているので、そうした意志疎通の微妙な齟齬がよく判る。言葉の専門家なのだから万人が判る言葉をチョイスするのも大事な「芸」のひとつなのにと思った。そうした意識を持って喋っているタレントさんの数はそう多くないのではないか。


 今日の日記は、つまりはテレビ批評で、家でだらだら寝正月を決め込んでいるのが透けて見える、あまり高品位な話ではありませんでしたねえ。
 

[1] 

お願い

 この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。

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