ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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今日は初射会。思ったほど天候は悪くならず、まずまずの日和。通常の競射の後、扇的競射を行う。扇を的にして射貫く正月らしい行事。まったく広げないところからスタートして、中らずに一回りする毎に広げて中りやすくするのだが、去年同様、中らないこと中らないこと。扇的だけで二時間近くかかった。 扇を的にするというのはもちろん那須与一の故事にちなむ。弓道には、絵的、干支的、板割りなど変わり的がある。 弓道は周知のように神事と関係が深い。 例えば、正月に頂くお屠蘇。この「屠」は「ほふる」の意。邪気を払うことをいう。「蘇」は心身をよみがえらせること。おめでたい正月の飲み物に一見縁起の悪い漢字が充てられているのはそういう理由で、外においては悪を退散させ、内においては心を充実させる、この両者がかみ合って安寧となる。弓道が神事と習合したのは、この二つのうち、邪鬼を追い払うほうの担当として選ばれたからである。 例えば、今でも、道場開きでは天地祓いの儀といって、天地に大声をかけ邪鬼を払う儀式を行う。私も二度ばかり観たことがあり、この日記にも触れたことがある(二〇〇六年三月二五日)。最初は、天地の神を脅かしてもいいのだろうかとちょっと驚いたが、つまりは、その場所に巣くう悪神の退散を表象化していると判って一安心した覚えがある。 先日、ある教員が道具の発達順を問う問題を出したそうだ。打製石器、磨製石器、手斧、弓の順番を理由とともに答えさせるもの。そのなかに、弓よりも手斧が後とする誤答が数人いて驚いたという。その理由は「弓より手斧のほうが狩猟などの際に確実性があるから」。なるほど、なんだか一見理屈にはなっているような。 弓は斧に較べて身を安全なところに置いて、そこから戦いを挑むことができる。斧では自分のほうがやられる可能性がある そういった意味で、進んだ武器、昔のハイテクだったのである。鉄砲伝来まで遠距離担当として主役であった。 今日、扇的が長くかかったのは、欲が出て気持ちが扇的のほうにいき、射儀が疎かになったから。明日からは心して精進してほしいと顧問団は締めくくった。
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