ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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小樽在住の蜂谷涼なる女流が書いた小樽を舞台した作品。二〇〇六年出版され、二〇〇八年に文化座で舞台化されたもの。 士族の嫁にもかかわらず維新で没落し、薩摩出身の官吏の妾となった女、その女を助ける主人思いの女中、その官吏の正妻。この女三人や関係の男達が、小樽を新天地にして「きし屋」なる店を興し、生きていく様子を描く。 男尊女卑、正妻のプライド、妾の立場の辛さや葛藤。当時の女性が置かれたもろもろをうまく表現していて、おそらく女性陣には大好評なのではないだろうか。 しかし、女性が感じ入るようなパーツパーツを手際よくくっつけたかのように見えたし、筋立てに少々現実感がない。時々、当時の女性は本当にそう考えるのが普通だったのだろうかというようなうっすらとした疑問を感じる。今の人が、こうだろうと考えて作りましたという「作り話」感をするのである。 芝居としては、後半、仲間が死んだり、地回りにからまれ立ち退きを要求され、火事の中、大立ち回りがあったりして、劇的で飽きさせない演出がされているが、最後、どういう根拠があって希望を託して前向きに考えているのかよく判らないままの「前向きな」終わり方になっていて、観ているこちらは、単に脳天気な人びととしかしか映らないのであった。 舞台は明治十四年。なんでこの年に設定されているのか、最初、全然考えずに観ていたが、最後の方で、それが絡んできた。すぐに気がつくべきであった。例の黒田清隆の開拓使払い下げ事件、それに伴う明治十四年の政変の年。翌年、開拓使自体が廃止になる。つまり、北海道にとってターニングポイントとなる年だった。ダメだなあ、そんなこともピンと来ないなんてと、最後あたり結構情けない気持ちになっていた。そっちのほうが自分には余程気にかかった。 今回、終了後、作者蜂谷が舞台挨拶した。東日本大震災のことに触れ、このお芝居と重ねて思いを述べていたが、失礼ながら、そんな大層なものだろうかという気持ちが私には強かった。平成二十年度の芸術祭大賞を受賞したということだが、万人が感嘆する出来ではない。私のように感じる方も多いのでは。 (2011・3・27)
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同じ教科でご退職の方がいらっしゃり、仲間内でささやかな送別会があった。挨拶で私は、こうして美味しい料理を戴けるうれしさという話を前振りにした。私は幹事兼記念撮影係。宴会の最後に撮ると真っ赤な顔をしてみっともないので、最初に撮ってしまう。経験に基づくどうでもいい生活の知恵ではあるが、女性陣には好評(のはず)。日本酒の冷やを飲む人があまりいなかったので、私が四合瓶のほとんどを飲んでしまい、さすがに少し酔った。 仕事は徐々に来年度モード。後片付けをしながら、個人的に新年度の仕事を始める。配置などがはっきりしないままの仕事は、なんだが中途半端で気分がのらない。 原発事故。やはり炉が傷んでいて高濃度の放射能洩れを起こしているらしい。先の日誌で私は海水を心配したが、案の定、近隣の海が汚染されていることを示す数値が発表されていた。解説の教授は、魚はすでにヨウ素をたっぷり摂取しているので大量の放射性ヨウ素を取り込むことはなく、ただちには問題にならない、大丈夫だと説明していたが、はたしてどうなのだろう。 最近、計測数値の桁が違ってきた。この頃のニュースでは、人体に影響はないと言う前に「ただちには」という前置きがつくようになった。人も魚も、生活というものは「ただちには」「さしあたり」「当面は」ではない。あの海を根城にしている魚はそこで生活している。今後も出続けると、いずれ放射性ヨウ素も取り込まれる。そして、事情は人も変わらない。 ニュースを見ていると、なだめすかすかのような姿勢の報道が目につき、報道の公正性に疑問を感じたり、最近は、考えれば考えるほど辛くなり、もう、あまり考えないようにしようとしている自分の心の動きを感じたりと、どうも、今までと違った気持ちで情報に向きあっている感覚がある。 言葉についても、最初、「東北地方太平洋沖地震」と聞いていたが、いつの間にか、「東北関東大震災」という言い方が耳に入るようになり、最近は「東日本大震災」という言い方もかなり一般的になってきている。言葉が生まれ、いずれどれかに着地していく、その動きも商売柄興味深い。 今日、住宅地の中にある某大学女子寮の近くを通ったら、地図を片手に、こちらのほうに歩いてきた親子連れとすれ違った。入居の下見に来たのだろう。この時期らしくて、ちょっと心和んだ。
(注……原発話題は、素人談義故、一歩間違うと煽りにもなりかねない。また政治的主義主張も絡んで難しい問題である。今回の一連の記述について、愚妻の知識の範囲で物理学的に間違った言い方をしていないか確認してもらった。厳密に言うと違っているが一般的にそうも言うので許容範囲というところもあるらしい。また、当然のことながら、立場によって違うと感じる方もおられるはずである。あくまでも素人の個人的感想としてお読みいただきたい。)
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仕事を終えて集配郵便局の窓口へ手紙を出しに行ったら、前の客は天然水の段ボール箱を送る客だった。気にもとめず、マンションに戻ると、エレベーター前にはミネラルウォーターやお茶の箱が……。マンションの住人の誰かが運んでいるらしい。買いだめかな、沢山買うな、くらいの気持ちで家に着き、テレビをつけると、首都圏の水から放射性物質が検出されたので乳幼児は軟水のミネラルウォーターで対処してほしいというニュースをやっていた。 そこで、もろもろのことが繋がる。エレベーター前のペットも首都圏在住の親戚にでも送るために用意中のものだったのだろう。葉物畑と同じように浄水場は青空の下。関東地方はうっすらと汚染されている。だが、だからといってどうすることもできない。何もマスコミは取り上げていないが、魚も心配。原発直近で泳いでいた魚は、高濃度で体内被曝したはずで、そんな魚が影響のない魚たちに混じって水揚げされても、誰もストップできない。遠く離れた人がまるで宝くじに当たったかのように体内被曝することも考えられるが、これもどうすることもできない。愚妻は、葉物野菜など計測しえた特定のものばかりを取り上げて云々言う愚をさかんに指摘する。すべてのものに放射性物質は降りかかっている。今後、思わぬところにボディブロウのように影響が出る。 原発のニュースで、情報がなく避難地区に今までいた住人がいたという。観ながら、愚妻は十何年も前の、放射能汚染から取り残された老夫婦を描いたアニメ映画を思い出すと言った。何の連絡もないまま生活を続けて、どんどん体が悪くなって死んでいく話である。 放射能と放射線、放射性物質などよく似た言葉の違いを質問した私に、愚妻は判りやすく説明しながら、「原子力開発とは人類の叡智を結集しての愚行かもしれない。余程注意して扱わなければならないのに……。」と呟いた。聞けば聞くほど、なんて「扱いにくい」ものに人類は手を出したのだろうと感ずる。元々、地下で天然放射性元素が崩壊する時に出す熱を人間の住む地球表面で利用しようとしたのが原子力なのだという。それが今回扱いに失敗した訳で、見せ物としてニューヨークに運ばれ、鎖を切って暴れ回る「キングコング」を思い出す。 今後、日本は原発政策の再策定を迫られることになるだろう。「美しい日本の私」と川端は言ったが、広島、長崎、東海村。それに今度の事故と、狭い国土でこれだけの放射線を約半世紀という短いスパンで浴び続けた国はいない。産業発展の絡みで「これに懲りて」という単純なことにはならないだろうことも予測され、不透明である。そもそも救援に来た米軍の空母が原子力船というのも、悲しいくらいに今の世界のエネルギー事情を象徴している。
今日、津波で子供三人と老親を失った家族の焼き場の場面をテレビで流していた。先日は、母親を亡くした女の子が「お母さ〜ん」と泣き叫ぶシーンが流れた。事態がよく判っている小学校中学年くらいの子だけに、尚更痛々しく胸が詰まった。卒業式を中止し、来た者だけに証書を渡す学校の場面もあった。 仕事場は、今日は新入生が物品を買いに来る日。初々しい子供たちが教科書や辞書を買い求めている。こちらは、何事もないかのように年度末の行事が進む。
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後期試験の発表があり、悲喜こもごもの結果となった。なかなか難しいかなと思っていた生徒が合格しているのは、自分の子供のようにうれしいものである。反面、落ちた生徒は電話の声で悲しみが伝わってきて、こちらも辛くなる。前期なら、まだまだ後期があるぞと励ませるが、後期はこれで終わりなので、喜怒哀楽の振幅が大きい。落ちた子には今後の事を打ち合わせ、受かった子には笑顔で握手する。今日一日、こちらも微妙にいつもより感情が動いた。 それでも、今年、全体的には比較的良好な結果で、我が仕事場の同僚たちは、皆明るい。 我々の仕事は人相手。それ故に辛いこともあるが、それ故にうれしいこともある。そんな仕事である。 夜、病院見舞いの後、仕事に一区切りついたということで、夫婦でゆっくり外食した。カレー専門店のコース料理。のびのびになっていた私の誕生日祝いも兼ねて……。
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連休初日の夜、職場の吹奏楽部の定期演奏会を聴きに行く。帰り、香林坊あたりは閑散とし、デパートのウインドウ・ディスプレーも電気を消していて、地震の影響だろうと推察できたが、片町スクランブル交差点あたりまで行くと、客引きの黒服イケメンたちがたむろし、それなりに混んでいた。でも、本来なら、もっと人出があるはずである。バス停で、着物を着たクラブのママやホステスさんが募金箱を持って地震募金を呼びかけていた。 春分の日の今日は、菩提寺で春の彼岸法要があった。我が家は、祖母の時代にお世話になったお寺が代替わりして疎遠になり、父の葬儀の折り、私が以前お世話になったご住職にお願いしたため、そこが新たに菩提寺になった。今回は私が出席の担当。はじめての参加だったが、住職を含め九人の僧侶が二時間かけて御経を唱える。浄土宗は真宗に較べ鳴り物も入って結構派手。檀家の出席者も八十人近くいたが、案の定、皆ご老人ばかりであった。これと病院へのお見舞いなど、すべきことをしてこの連休は終わった。 放射能は群馬県あたりまで影響を及ぼしているようで、葉物野菜から放射性ヨウ素が検出されたりしている。福島の牛乳にも検出されていて、牛乳が野外に長く晒されている訳はないから、乳牛たちは体内被曝していることになる。現場近くの場所では雨に直接あたらないようになど注意点がテレビで流されている。原爆の黒い雨のことが想起される。
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事故の現地では、ヘリによる散水、特殊放水車による水まきと自衛隊主導で事にあたりはじめたが、時間の猶予がないことは相変わらずである。特に三号炉は素人目にも危険。三号炉の横のプールにも使用済み燃料が置いてあったなんて、最近急に出てきた情報で、不安がらせないようにするため東電か政府が情報を小出しにしていたとしか思えない。避難や待機の範囲も狭すぎるように思う。 なんの被害もなかったこちら金沢でも、ポリタンクやペットの水、電池など、買い占めによって多少の品薄が出ているようだ。 知識のある愚妻は毎夜事細かに新聞を見て長嘆息する。私も寝ていて、ふと夜中目を覚ますと、最悪な事態ばかり脳裏に浮かび、眠られなくなる。仕事終了後の病院見舞いも続いており、早め早めの就寝だけを常に心がけている。昨日あたりからまた冷え込んで、雪も交じる。燃料が底をつき始めた被災地はさぞ寒かろう。 津波被害の死者の冥福と、被災された方々の一刻も早い安寧を祈り、原発が大爆発まき散らしに至らないことを願うばかり。
(余録) 震災前、仕事の打ち上げで西の茶屋街で小宴があった。金沢には三つの茶屋街があるが、これまで実際に宴をはったことはなかった。料理も手が込んでいて美味しい。おそらく、一見さんお断りの格式ばったことを止め、料亭形式でお客を受け入れているお店なのだろう。隣室では日本髪姿の芸妓さんが、歌舞音曲こそ聞こえなかったけれどお酌をしているのが垣間見られ、実に日本的な雰囲気だった。仕事も一段落感があって、皆で楽しく歓談した。忘れないうちにそのことを書いておかねばと思っていた矢先の大地震。日本の先行きが一気に不透明感を増して、たった二週間前のことなのに、今、こうして書いていても、何だか遠い昔の出来事のような気がする。
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愚妻は理系で、三十年以上前の古いものだが、多少放射能の知識があり、色々判らないことを聞く。連日報道される事柄は、徐々に事態が悪い方向に向かっていることを示しており、最悪の場合、プルトニウムなどの放射性物質が辺り一面飛び散ることとなる。地球汚染、国土の一部放棄、電力不足、経済的混乱、国際的信用の失墜など日本は長期的且つ壊滅的な痛手を受けるのは必至で、考えれば考えるほど暗澹とした気持ちになる。職場の理科の教員にも色々聞くが、やはり悲観的な説明であった。家族に入院中の者をかかえながら、日々、何とも悲惨なニュースを聞き続ける辛さは筆舌に尽くし難い。 地震で後期試験に影響を受けた生徒が一人いて心配していたが、後実施された追試が終わり、無事受けることができたと連絡が入った。しかし、依然として東北方面へ進学が決定した生徒の今後が不透明である。
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11日(金)午後二時四十六分、職場で小さな地震に気づいた人がいた。パソコンを覗くと大津波警報が。10m級という。仕事をしている部屋にはテレビがないので、ウェブ情報に頼るが、思ったより情報や映像はすぐにアップされず、歯がゆい思いをする。 ちょっとずつ入ってくる情報で、大変なことになっていることを知る。ちょうど大学後期試験の前日で、受験生は関東・東北地方に移動中のはずで、職場は安否確認に追われた。電話はかかりづらかったが、メールは比較的生きていた。その仕事を終え、夜、義父の見舞いに行った病院の休憩室で、はじめて津波が町や田畑を飲み込む映像を目の当たりにする。首都圏の交通が麻痺し帰宅できない人が続出しているという。 翌12日(土)、先日傷めたワイパーゴムを買いに行ったり雑用をこなしながら、テレビをつけっぱなしにして状況を見守る。太平洋側では大変なことになっていて気になりながらも、こちらは日々の野暮用を淡々とこなしている。その落差の違和感を感じる。 一夜明けて、被害の状況がようやく判ってくる。津波で更地のように潰滅した町も映し出される。相当数の死者が出ていることが予想される。 また、昨夜から気になっていた福島原発の冷却不全が、どんどん悪い方向に向かっていって、一号機が爆発した。炉心溶融によって放射能がまき散らされたのではと心臓が高鳴ったが、水素爆発で原子炉は今のところ無事だという。 昨夜は繋がらなかった関東方面の親戚などとも連絡が取れる。 13日(日)、弓道の大会引率で終日報道とは無関係の生活をおくる。帰りの車で3号機も不安定な状態が進行していることを知る。晴天だったが、ビル陰の道場は寒く、ホッカイロを使う。夜もずっとテレビ視聴。死者万単位になるという。惨状直視し難し。
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朝夕、未だに雪の積もることあり。しかし、日中、春らしい光のもれることもあり、少しずつ春に向かって動いている今日この頃。しかし、寒かった朝、それでも、もうワイパーに凍りつかないだろうと、リヤワイパーを動かしたら、見事にゴムがべろべろになってしまった。まだまだ冬の心構えで生きていかねばならぬ。 ここのところ、卒業式、入試業務などで忙しい日々が続いている。私生活でも心配事が重なって、ここのところ、体調を崩さず生活していくだけで精一杯の毎日。 自分の担当した生徒たちは概ね善戦し、劣勢をはね返して喜びを勝ち取った者が多く、それだけは明るい話題。部活の三年生お別れ会も、下級生がスライドや替え歌を披露して手間のかかった温かい会だった。
冬の道場にて(射法訓より) 軒つらら弓手(ゆんで)三分の二弦を推す
医王山を望みて 奥山の白まだらにて春近し
休みの我が家にて 春来たりサッシの露の消え去りぬ
ローソンにて 日々我に情報くれし子卒業すリラックマフェアの春となりぬる
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家族に引き続き義父が先月末に入院した。当初、順調に恢復していたが、合併症が出て体調が悪化した。仕事後、病院二つ掛け持ちでお見舞いに行っている。父の例があったので、いくつかその時の体験やアイディアが役に立っている。病室に連絡帳を置いておくのもそのひとつ。お見舞いに来た家族や、時に病院の方が連絡に使って重宝している。 夜、病院の夜間通用口から人気の少ない病院の中に入る度に三年前のことを思い出す。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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