ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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ペリカンの特別生産品M101Nトータスブラウン万年筆を誕生日記念として購入。戦前からの人気モデルM100を復刻したもの。大きさはM400クラス。厳密には「復刻」というより、テイストそのままに現代に入手容易な素材を用いて雰囲気を再現したモデル。値段は高価だが、ベラボーに高い訳ではなく、手の届く範囲。茶柄、金一色のペン先、茶色の主軸とレトロな外観が万年筆という筆記具自体の歴史を感じさせる。ペン先はBを選択。入れたインクは茶柄ボディということで、ダークブラウン色のアテナ・インキ。 所有せるパーカーのデュオフォールドも戦前モデルのデザインそのままだし、毛細管現象の利用という面では発明以来まったく変わっていない。万年筆自体は普及して百何十年ほどの歴史だが、流れが早い昨今のプロダクトの中で、まるで時代が止まっているかのような世界である。というより、自身の歴史を何度も何度もなぞることで伝統を培っているといったほうがいいのかもしれない。 同じデザインの万年筆を一体何人の人がいとおしみながら、それで字を書いてきたのだろう。これを使っていると、それらの人の末端に座した気持ちがする。 この万年筆、キャップの縁にリンクの枠がついておらず、リンクは少し上部に装飾的に二本ついているだけ。落としたら欠けること必定。限定品なので、壊れたら部品交換は難しく、胸に挿してがガシガシ使うものではなさそうだ。 このオールドファッション・デザインの万年筆を、北海道大学研究林のミズナラで作ったペン置きに入れ、横にはラベルの文字からして右から左に読む丸善のレトロな瓶を置く。 机のそこだけを見ると、明治・大正時代のまま時代が止まったよう。人の命は短くて、私があとこれらの文具を使えるのは長くてせいぜい長くて二、三十年。落としたりしなければ、ものとして私の命よりずっと長く生きる。主がいなくなっても「もの」は残る。五十歳すぎて長くもつものを買うとこういうことになる。 それなりに高価ゆえ、捨てられることはあるまい。次の主はいったい誰なのだろう。 歴史の中の私の前と後。滔々たる流れの中に、ほんの一点触れるが程度の個人的な係わり。何百年後、同じ機構、同じ形で、万年筆は机上に置かれているだろうか。
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早いもので、義父の四十九日の法要があった。お経の後、お坊さんの法話。 我が実家のほうは浄土宗で、父の時は当然そのやり方で事を進めた。その時思ったのは、さすがに鎌倉仏教、それ以前に成立している宗派に較べて庶民的になっているなというもの。しかし、今回は真宗さんで、やり方や考え方を聞くにつけ、もっと現代的、実にシンプルで驚いた。位牌や写真に故人の霊がのりうつっているわけではないのだから、今後、白木の位牌や写真は処分してもらっても結構、ゴミ箱に捨てるのが忍びないなら、お引き受けし、こちらで捨てます。塗り位牌も不要、だから御霊を移す経もないという。 信心が厚いとは言えない一家なので、満中陰までのお経の省略もお願いし、この四十九日法要が唯一の行事となった。 昼は一族で会食。身内だけなので、気の張らない和食屋さん。忌明けの進物も既にカタログ販売で発注済みとかで、もろもろ恙なく一段落した。 夏の初盆、納骨が次の行事。
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カメラ館の帰り、旧福岡町の物産館で買ってきた地元養鶏場産の赤卵、割ってみると殻が固い。フライパンに落とすと、卵臭い匂いが漂った。この匂いが嫌いで卵嫌いな人もいるかもしれないという濃い香り。味もこくがある。生産機械のように毎日産卵を繰り返すゲージの中の鶏と違って、ゆったりと育てられたのだろう。忘れていた、本当の卵はこんなのだったとちょっと感激する。 先日、地元焼肉屋チェーン店が食中毒で四名の死亡事故を起こした。情報誌などに盛んに広告を出し、安さを売りにしていた有名店で、我々夫婦も何度か使ったことがある。事故は富山・福井だが、本社や店舗のほとんどは金沢にあり、全国ニュースの嵐が終わった後でも、ローカルでは取り上げられることが多かった。ここのところ、金沢の店舗も順次立ち入り検査を受けているようだ。 おそらく韓国では、ユッケは我々のお刺身のような扱いをしているから問題が起きないのだろう。お刺身は調理当日に食べねばならないのが当たり前で、スーパーでも夕方からは赤札を貼る。日本には、生肉に関して、そうした常識もシステムも存在しない。そもそも基準に則った生食用の肉を出荷した実績が近年ないというのだから、店は各自判断で提供しているに過ぎない。うやむやにしたままの中で事故が起こると、卸は「うちでは生食用は扱っていない。」と杓子定規の返答をするのが当たり前である。最安価な肉が得意な卸と、安全意識の低い業者が手を組めば、いずれ起きる事故だったのではないかという印象である。 筍、蕨、地卵と新鮮で安全な「じわもん」(地元もの)を味わえる地方都市の環境を有り難く思う反面、出来合い食品や外食などでは氏素性の判らぬものを平気で食べているかもしれず、現代人の食環境の振幅の大きさに驚く。
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GWの加賀行きの際、道の駅木場潟に寄った。愚妻は何度も利用したことがあり、野菜やお米を買ってきていたが、私は定休日で空振りだったことがあって、今回が最初。なんといっても新鮮野菜が売りだが、一泊だったので買えず、現地生産のトマトカレー、筍ご飯の素などレトルトものを購った。 道の駅小矢部では旬の蕨を購った。お浸しにしてから酢をかけて酢の物との中間の味付けにして美味しくいただく。最近は道の駅が地元農産物販売所の役割をしていて、寄る楽しみがある。 日曜の夕食は、朝いただいた筍を料理して筍づくし。愚妻は、とぎ汁や糠を使わずお湯だけで灰汁抜きをしたが、何のえぐみも残らなかった。新鮮な野菜が手に入るからこそ。 今年も好物にありつけた。ありがたや、ありがたやの心境。
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昨年、東京品川のキャノンギャラリーで開催されたものの巡回展(らしい)。売り場に置いてあって知ったが、同名の写真集も出ている。 「砲艦リエンタール号マゼラン海峡をいく」「タクラマカン砂漠『楼蘭』探検記」「チベットの聖山カイラス巡礼記」「ロシアの極北狩猟民族イーゴリさんと犬の話」「チャーリーのイッカククジラ狩り」の辺境への五つの旅の写真と、昨年撮られた青森行きの写真からなり、それぞれに達者な短文が添えられている。彼の愛読者には周知の旅行のようで、本を先に読み、今回、実際の画像を観たという人も多いらしい。ほとんど彼の著作を読んだことのない私は、五つとも初めて見聞きする話で、新鮮に観ることができた。 描かれているのは、厳しい自然であり、そのなかで暮らす人の営み。写真は旅の時間経過順に並んでいて、その時の状況や体験を語る物語的なキャプションが実に効果的であった。観る者は一緒に旅をしている気持ちになる。作家で写真家で旅人であるという彼だからこその個性。 五つの中では、私も敦煌まで行ったので中国西域旅行が興味深かった。最終的に中国政府から写真を撮るのを拒否され途中で終わっているのだが、それは政府がこの地で核実験を行っていたからだと後で知ったというコメントがついている。また、チリ旅行では、漁夫たちがやっているのは密漁で、私たちを歓迎してくれていないというコメントもあって、大自然の中、人の都合とは一番縁遠い生活をしているような彼らの生活の背後にも、人の都合の最たるものと言える「政治」が色濃く影を落としていることに気づかされた。 愚妻は、アザラシ猟の写真を観ながら、かつてグリーンランドで現地のイヌイットから捌きたてのアザラシの生肉を振る舞われたことを懐かしく思い出していた。 最初の旅の画像はひどく荒れていたが、機材を観て納得した。ミノックスだという。他もごく普通の人が使うカメラばかりで、中に銀塩一眼レフのペンタックスMZ-3、コンパクトカメラのコンタックスT3など、我が愛機の名があってちょっとうれしくなった。
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休日の朝、朝堀りのタケノコのお裾分けをいただく。その方が連れていた愛犬はお腹の締まった小型種。あんまり愛嬌を振りまかないという。小さな動物は警戒心が強い。生き物の習いである。 せっかくの好天、家にいるのはもったいないと、昼、高岡のミッゼふくおかカメラ館で開催中の写真展を観に行く。高速は久しぶりだが、やはりコンパクトカーでは百キロを超えると、エンジン自体はまだ余力はあるが、挙動はちょっとバンピーになり無理している感じになる。 会場近くのレストランでランチの後、見学(後述)。高速を利用するのも、いつもと違うところで食べる外食も、単調な生活をしている勤め人にとっては、大切な「行楽」である。 帰り、道の駅小矢部は大混雑だった。後ろにまわるとドッグランの施設があり、多くの人がそこで犬を遊ばせていた。犬好きの方々のオフ会のよう。大きな犬用と小さな犬用の二つのゲージがあって、本当に猫のようにチョコマカした小さな犬がいるかと思えば、人間並の大型犬もいて、そうしたよく知らぬ犬種の犬たちをしばらく眺めていた。 そう言えば、今日観た写真の中で、チリ海軍では犬を同道させるそうで、上陸ボートの舳先に犬が写っていたし、ロシア・イヌイットの統率を欠いた犬ぞりの話もあって、なんだか今日は犬に縁のある一日だなと気づいた。 戻ってから聞いたニュースによると、原発被災地では、生き残った家畜やペットの安楽死作業を進めるという。瞬間、今日の平和な光景が脳裏をよぎり、ちょっと胸がつまった。 人の勝手に付き合わされる命。
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旧市街地に美味しいお店があるというので、ご一緒した。江戸時代以来変わっていない細い道が入り組んでいて、地元民の私でさえ場所が判りにくい地域。案内されたその建物は、見るからに由緒ある武家屋敷で、表札もあがっている一般のお宅。まず、門をくぐり、裏庭に続く横の木戸を開け、クネクネしたコンクリ打ちの小道を歩んで、妙にエスニックな扉を開けると、そこにようやくお店があった。知った人に案内されないとまず行き着かない。 中は、庭に面した部分を和のテイストそのままに、一部、コンクリの壁にしたりとミスマッチ感をわざと演出したかのようなインテリアで、摩訶不思議な空間。隠れ家的な雰囲気が横溢する。話によると、最初は頼めるメニューが限定され、通う毎に進級してメニューや待遇がよくなるという。基本はタイ料理。しっかり手を入れた丁寧な仕事で、癖がなく万人向けの美味しいお味。 それにしてもと、私は連れてきてもらった人に話しかけた。「このお店、ネットで話題になっていそうだね?」 その通りだという。だったら少々判りにくくてもいい。いや、それどころか、このお店の場合、わざわざ「万客招来」と逆のことをする。つまり、障壁を自ら設けて敷居を高くする。 ネットの世界は情報が一人歩きする。それで、小さな路地のお店も口コミで大繁盛することが最近では珍しくない。この店は、それを逆手にとって、わざとラビリンス風に仕立てて客の興味を喚起し、その障害自体を楽しんでもらおうという趣向。いつかは常連になって最終メニューに行き着きたいという探求心みたいなものも刺激される。 今のご時世、色々なご商売のやり方があるものである。
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花の季節である。歩道の植え込みの躑躅が満開を迎えている。白い花は花水木。今年、あちこちで咲いているのを確認し、金沢の街路樹に、いつの間にか、この木が多く採用されていることを知る。これは今年の発見。 教科書に、研究対象の現地民が花を詳しく説明してくれるのに、その人類学者はダリアとペチュニアとの区別すらつかないので困ったという記述があった。興味関心がないと知ることに行き着かないという話の中で出てくる。いくらなんでも、それはオーバー表現だろうが、現代日本人も似たり寄ったり。 これにひっかけて、「この前、遠足に行ったけど、ゼンマイとか山菜の見分けがつくかい? 家族と山菜採りに行ったことのある人は?」と手を挙げさせたら、一クラス数人程度であった。すぐ近くにミドリのある田舎の都市でさえこの割合。 私はといえば、子供の頃、近所の大乗寺山に家族で山菜を取りに行った。今でも鬼ゼンマイと食べられるゼンマイの区別くらいはつく。でも、もう大半は忘れてしまって、全然である。 先日、蕗(ふき)を頂いた。冷蔵庫に入れていたら萎びてきたので、今朝早起きして料理にかかった。細い茎なので調べたら、石蕗(つわぶき)という種類とのこと。「きゃらぶき(佃煮)」にするのがよかろうと、下茹でにかかったが、アクがかなり出た。レシピによると、流水で一時間つけ置けとのこと、それから煮詰はじめたから、ゆうに二時間仕事になった。黒々と醤油色になって嵩もぐっと減る。なかなか手間のかかる食材である。昔ほど食卓に上らない理由もそのためだろう。 その昔、自宅の庭にたくさんの蕗が出ていて、スジをとるのを手伝わされた。青っぽい独特の風味なので子供が好きな野菜ではない。私も、正直、嫌いだったが、味よりも、庭で時々隠れてオシッコをし、蕗の葉にもかかっていたので、それで嫌いだったような気もする。おしっこの養分を吸って成長したような気がして、子供心に気色悪かったのである。茗荷もそうだった。今から考えると、家でなる野菜はたいがい嫌いだったような……。おそらく商品として売っている野菜のほうが高級に見えたのだろう。 甘辛い手間のかかったきゃらぶきを弁当に詰めながら、ちょっと昔を思い出した。
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ホテル話のつづき。ホテルの部屋のキー、カードでした。ドアに差し込みました。開きません。赤いランプがつきました。何度も試したのですが、開きません。廊下でオロオロ五分ばかり。仕方なく、眼鏡をおでこにあげて、暗い中、細かいカードの字を読みました。なになに。入れたら抜いてくれか。挿しっぱなしではダメらしい。それで、ようやくやり方が判って一件落着。 それにしても、歳をとるとこんなのが全然ダメになる。五十歳代でこれだから、あと二十年もしたらどうなるのかとちょっと心配。 実は一番困ったのはカメラの電池の充電。宴会中に充電したかったのだが、カードを抜いてしまうとコンセントの通電さえ止まり、出来なかった。安全や節電にはいいシステムなんだろうけれど、不便だなあ。 ちゃんとしたホテルなんて久しぶりだったので、結構、オロオロしたり困ったりした新鮮な一泊でした。
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所属の研究会を主宰されている先生の退官記念の会が加賀温泉郷のホテルであった。温泉場だからホテルとつくけれど和風だろうと勝手にイメージしていたら、プールやテニス場、チャペルも附設するリゾート型ホテルで、イメージが全然違った。こんなタイプのホテルが加賀温泉にあるのだという素朴な印象。会自体は東京や京都などから駆けつけた方もいらして、アットホームな会となった。幹事の尽力に感謝。 その一泊二日の中で、ちょっとしたトラブルがあった。宴会までに一風呂浴びようと大浴場に行ったら、「ボイラーが壊れたので風呂の温度が低いが宜しいか。」とのこと。もうその気でいたので、了解の上、入った。 確かにぬるい。係員が温度を測っているので聞いたら、三十七度だという。もうギリギリである。蛇口からは水。あがってしばらくしてから部屋に連絡があり、復旧したので、少しずつ温度が上がりつつありますとのこと。でも、後で入った方に聞いても、あまり上がっていなかったそうで、一番の入り込み中にこれでは温泉ホテルとして少々失態であると思った。 朝はさすがに浴槽の温度は上がっていたが、今度はお湯の量が少なく、湯船の喫水線が低かった。それに蛇口からのお湯もかなりぬるい。 それで、どうもこれは故障というより節約しているのではないかという話になった。時期が時期だけにそうしているのかもしれないが、スポーツ施設を思う存分使う訳でも無し、温泉と食事だけが楽しみの年寄りには、ちょっと残念なことであった。 温泉場はどこも客の減少で汲々としていると聞く。地元なればこそ嫌な気になるということはなかったが、大丈夫かな、GW中なのにそんなに多くもない客数だったしと、他人事ながら心配になった。 仕事場には、もろもろ自粛するのではなく、通常の消費行動を取るようにというお達しが来ている。経済が冷え切るのも心配だし、こんな世の中、浪費を慎み、不測の事態に備えたいというこれも真っ当な心理もあり、日本人は困っている。
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問題の遠足は、最後尾からもかなり遅れ、一人とぼとぼ歩くこととなった。何とか歩ききれそうであったが、本隊が現地へ到着しているのが見えたので、急がねばならず最後の最後で救護車の厄介になった。距離の問題ではなくスピードの問題ということになる。 その遠足に引き続き、担当ブロックのスタート会、大会引率が二日間、一泊二日の合宿引率と慌ただしく行事が続いた。GWが吹っ飛ぶのもいつものこと。恒例のたけのこの会はスケジュールが重なったので欠席、愚妻のみが参加することに。明日は午前仕事の後、加賀温泉郷で退官を記念する会があり、そちらに出席予定。
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デパート催事の上記写真展を観る。以前、ミッゼふくおかカメラ館で北極グマをテーマにした写真展を観たことがある。その時は、パイパーなビデオ機材で撮って、一瞬をコマから抜き出して作品にしたものも多かったので、ビデオ機器も駆使して力業で画像作品化していく新しいタイプの写真家かと思っていた。しかし、最近、マスコミで名前を聞く時は、身近な猫や犬をテーマにしたものがほとんど。動物写真家としてガラパゴスで驚異の動物たちに触れたのがこの道に入るきっかけというのだから、もともと世界を飛び回り日本にいないような珍しい生き物を撮るのが専門だが、もうひとつ、身近な小動物を撮り歩くもの専門のひとつといったスタンスなのであろうか。 展覧会では、可愛い猫の様子を動作のテーマ毎にうまく集めて並べている。黒い鉄の格子から顔を出している今回の展覧会のイメージリーダー写真は、てっきり日本のどこかの下町で撮った写真だと思い込んでいたら、エジプト、カイロの美術館横で撮ったものだという。猫の顔も日本の雑種と変わらず、へえ、そんな国際的な写真なんだと驚いた。何気ない猫写真を撮るために、彼は世界各国を回っていることになる。 店内でパンフレットを手に取ったところ、偶然に彼のギャラリートークがあることを知り、時間を合わせて入り、話を聞くことができた。石川では初めての個展になるという。猫をじっと観ていると、次にどんな行動をするのかが見えてくるそうで、ギャラリーから「いつもシャターチャンスを逃すのですが、どうしているのですか?」という質問に、彼は「年期が違いますから。」と答えていて、ちょっと笑いが起こっていた。 こちらが観察するというより、動物園では、人間があちらから観察されているという意識で観ると新しい発見があるという話。猫は人の反映であるという認識。「待つ」ことについて質問した人に、待つという意識は持たないようにしている、風を感じたりして過ごしていると答えていたことなどが印象に残った。 猫は文句なく可愛いが、可愛い写真ばかりではない。そこが猫好きに媚びる営業写真と違うところで、こちらを睨んでいる写真、無視している写真など、様々な表情を捉えている。世界各国の生活に合わせて生きる猫を、文化を感じさせるものと合わせて撮っているものが多く、素人写真が猫の顔のアップばかりなのには苦言を呈していた。あとで、会場の外に貼ってあった素人持ち込み写真をざっと観たが、確かにその通りだった。 このデパート行きが唯一のGWの娯楽。昼食は窓際の席がとれて、明るい日差しの中、車が行き交う眼下の景色を見ながら和食弁当。つい二か月前の雪の景色が嘘のようであった。見学後、一階ずづ粗々と売り場を観ながら降りていき、最後はデパ地下を冷やかして、美味しそうな林檎チップ燻製のベーコンを購った。夜はそれでカルボナーラ。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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