ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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六月、NHK「日曜美術館」で宮本三郎の特集をやっていたが、一部しか見られなかったので、七月の休日、まだ行ったことのない小松の「宮本三郎美術館」を目指して夫婦でプチ・ドライブ。小松市に職場がある愚妻は、今一歩気乗り薄のご様子。ご尤も。 館は倉を改造した上に近代的な建築をドッキングさせたかのようなコの字型の外観。湯涌温泉白雲楼に掲げられていた終戦直後の復帰の大作がメイン作品。日本の四季をテーマにした淡い色調で、描き方は判りやすいリアリズム。戦争画時代の続きの平和題材版といった趣きであった。作風を色々変えた画家で、昔はちょっと迷いのある画家というイメージだったが、戦後の抽象画全盛時代に、抽象画を消化しつつ具象画を守る決意をしていく過程などを見るにつけ、天才的なデッサン力を持つ画家が、何でもどのようにも描ける天賦の才をどのように発揮するか、その時代時代で悩んだ結果だと思うと納得できるように思った。この理解が今回の収穫。もうひとつの小松空港近く「宮本三郎ふるさと館」には二十年近く前行ったことがあるが今回はパス。 近くの本陣美術館も見学。若尾文子の旦那の設計で、ユニークな円形の建物だが、内部は少々黴くさく、展示物も地元の資産家の焼き物コレクションと地味で、興味の湧くものではなかった。両館とも、見学中、見学者は我々のみ。館前の芦城公園もひさびさに散策。市役所前のこの周辺は景観保存地区のような雰囲気になっていた。 それにしても、暑い日中ということがあったからかもしれないが、旧市街は人っ子一人いないと形容したいくらいに人影がなく、淋しいものであった。郊外の旧国道八号線周辺は車が行き交い賑やかだったので、聞いてはいたが、小松は中心部の地盤沈下がはっきり目立っている町であることを再認識した。 帰りに寄った寺井の九谷陶芸村も、休日にもかかわらず、昔の賑わいなく、客は我々以外あと一組という淋しさ。何年かに一度訪れるペースのところに出かけたので、以前との差に、尚更、活気を無くした日本を実感することとなった。
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気候のいい時期は私が乗っている軽自動車プレオ。ご時世もあり、車検を通すか乗り換えるか迷っていたが、もう一度通すことにした。決めた以上、延命策を講ずることにし、バッテリーは自分で交換、待ってもらっていたミッションオイルも自動車屋さんで交換。壊れて動かないCDプレーヤーのかわりにデジタル・ウォークマンと車載用アームを購入して取り付けた。秋には冬タイヤを新規購入予定。先の休日、涼しい明け方を利用して、車も洗車・ワックスがけして、見た目もリフレッシュさせた。 車好きのサイトを眺めると、もう作らないスバルの軽を哀惜する人が多く、直しながら壊れるまで乗ると宣言している人も多い。皆、かなりの距離を乗っているので、それなら私もという気になった。シャフトの摩耗という劣化は致し方ないが、さしあたり問題ないということだったし、経年による安全性の低下もまだあまり感じられないので、大丈夫と判断した。 さて、問題は初めてのデジタル・ポータブル・オーディオ。音の面で、流行のアップル社製でなくこっちにしたのだが、いずれにせよ、おっさんは最新式に弱くて、おっかなびっくり状態である。それに、こんなに暑いと車内に放置する訳にもいかず、いちいち外しているので、なかなか面倒。しかし、導入した以上、食わず嫌いを廃し、少しずつ、今の世の音楽受容に慣れていきたい(若干、年寄りの冷や水?)。 車にもう少しお楽しみを加えようと、オートショップに行って、リラックマのサンシェードを買ってきて、停車時にフロントガラスにつけることにした。 ということで、ここのところ、色々と手間をかけた。あと最低二年、元気に走って欲しいものである。
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先日、高校野球の応援に行った。プロ野球ではまず高くて座れないバックネット裏席に陣取って観戦。途中畳みかける攻撃で六点差をつけたが、九回、三点差二死から一挙に大逆転されてまさかの敗戦となった。三塁手が遊撃手の前で捕ろう横動きをしてはじいたり、外野が打球を取り損なったりと、慌てて浮き足だった面が見られ、崩れていった。考えてみれば、中盤は相手のほうが浮き足立っていた訳で、野球はいつ見ても、押されはじめた時の冷静さがものを言う。 見ながら、ワールド・サッカーで優勝した「なでしこジャパン」の粘り強さの凄さを思っていた。先行されていながら追いついて逆転やPKに持ち込む。体格的な差をものともしないあの粘り強さこそスポーツで最も大切なものだ。 今の時期、生徒に勉強のことを聞くと、どうせ俺は下位で入ってきたのだからと、成績不良のいい訳をする。シャッフルされ入って、初めての成績。確かに、これまでこんな悪い順位をとったこともない生徒さん達がはじめてとる番数。 どうして下位合格だと判るのかと聞くと、情報開示で自分の点数が判るから、業者の示す「合格最低点」と照らすと自分の立ち位置が判るという。 せっかく合格したのに、それではうれしさも半減だったろう。もしかしたら、胸膨らませて入学というのは大人の幻想なのかもしれない。自分の立ち位置をまざまざと突きつけられると、やる気が削がれ、必要以上に冷淡になるか、必要以上に不安になるかである。大人は子供の夢を奪っているのではないか。知らない方が良いことも世の中には沢山ある。 勿論、問題はこれから。自分はこんな程度、この位置でいいやと本心から思っている生徒はほとんどいまい。自分を慰め納得させる理由付け、あるいは怒られる前の保身の発言であろう。内心は静かな闘志がみなぎっていると解したい。 どんなに上位で入ってきた人も地道にしなかったら成績落ちていく。逆に目立たなかった人も、粘り強くやった人はちゃんと追いつき逆転する。PKまでもつれても勝つ。あの粘り強さこそ勉強にも求められているもの。 急がなくてもいい、じっくり時間をかけて逆転させてほしい。
と、今日発行した「クラス通信」に書きました。説教臭いのはそのためです。あしからず。
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昨日正午、デジタル放送移行に伴い、地上波アナログ放送が終了した。我が家は、食卓に卓上ラジオが置いてあり、テレビ放送をラジオで聞くことが多かった。耳だけラジオ音声で、身体は雑用をこなしていて、これは映像で見たいと思った時だけテレビをつけていた。デジタル・テレビとアナログ・ラジオとでは音声が二秒ほどずれていて、ラジオ音声のほうが早い。だから、テレビをつけると、ラジオの音はいちいち絞らねばならなかった。 以後、テレビはテレビ、ラジオはラジオとなる。音だけでいいのに画面がついていて、その画面は誰も見ていないという状態になることも多くなるかもしれない。全然、エコでない。 我が家はその程度だから不便とも言えないくらいだが、視覚障害者は大変ではないかと思う。彼らはラジオが生命線。亡父も肌身離さずラジオを携帯していて、時に服に安全ピンでくくりつけていた。多くの視覚障害者は情報源が減って困るだろうと思っていたら、案の定、最近、そのことを指摘する新聞記事を時々見かけるようになった。中にはしかたなくラジオにデジタルチューナーをつけた方もおられたそうだ。聞くからに大仰しい。 記事によると、この問題の質問に答えた某大臣が、デジタルを受信できるラジオの開発をメーカーに促していきたいと答弁したようだが、確か、ポケットに入る薄型で、AM放送とデジタルFMとが相互干渉せずに小さな箱に入れるのはなかなか技術的コスト的に困難を伴うという話を聴いたことがある。 ネット・ダウンロードで済ます時代。先日、ソニーがMDウオークマン生産終了のアナウンスをした。二十年前、若者はバックに大抵あの四角いシガレットケースのような箱を持ち歩いていたものだ。音楽録音も、今やテープやCDなどの「モノ」におとすのではなく、デジタル・ファイル保存に移行しつつある。その反面、最新デジタル機器に不案内なお年寄りは、録音しようと思ってもどう保存すればいいか判らず、未だにラジカセでやっているはずである。 今回のデジタル移行、テレビの画面が綺麗になったというメリットはあるものの、逆に不便になった人も多い。新幹線と引き替えに在来線が大幅縮小となり、お近くに行くのに不便になったのとよく似ている。 視覚障害者にとっては、カーソル操作からウインドウズのマウス操作になってコンピューターの敷居がぐっと高くなったのに続く大きな受難。進歩は弱者切り捨てを是とするものであってはならない。それは誰も理屈では判っているはずなのだが……。 今朝、ラジオのNHK総合に合わせてあったボタンを押し、ザーという砂嵐音しか聞こえなくっているのを確認してから、他のAM放送にプリセットしなおした。実はマンションは電磁波があちこちで発生しているらしく、AMはブーンという雑音が入って聞きづらいのだが仕方がない。最近、自分がもう世の中では古い人間の部類に入りつつあることをよく感ずるようになってきたが、これもその一つ。
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選挙で議員を選んでいるのに、ストやデモなど直接行動をするのは何事かという批判に対して、議員は、利害が対立し調整が必要な時の法的権威付けの専門家としてあるのであって、私たちは、生活や生き甲斐までも議員に託している訳ではないのだから、憲法ではそれが判っていて直接行動が保障されているだという高橋和巳の文章(「孤独の憂愁の中で」)を授業で読解した。あの時代の匂いのするかなり昔の文章で、定番使いの問題集に載っている。 生徒に「歴史上存在した不幸な一時期の残像によって、直接行動の権利が当然のものとしてあるのだということを帳消しにしてしまってはいけない」とあるが、この「不幸な一時期」とは具体的に何時のことか? と聞いたが、どのクラスも答えることが出来なかった。 言うまでもなくこれは、「これまでの非民主主義体制が、第二次世界大戦での大量の死という大きな痛みを経て崩れ去り、国民はようやく民主主義を手に入れ、この直接行動を認める憲法を得ることができたのだ。このことを我々は忘れてはならない」という意味である。 日本人が今の民主主義を手に入れる前に「不幸な一時期」があったということを、言われなければ気がつかない子供たち。戦争があって、ポツダム宣言はいつ誰が会議に出席したか、などということはしっかり習って知っているが、それとこれとが繋がっていないのだろう。 当たり前のこととしか思えないこんな認識さえ欠落している世代が、どんどん多数派になっていく。 しかし、今度の原発事故で、こうした新しい世代にとって、はじめて新たな「歴史上存在した不幸な一時期」を経験し、且つ認識することになった。 もし、高橋の時代だったら、原発反対の市民集会があちこちで開かれ、何十万人が参加しただろう。そしてそれはひとつの輿論として動かせない意味をもつことになったかもしれぬ。 しかし、学生集会も、市民集会も、デモやストも、ほぼ私たちが若い頃くらいで姿を消した。我々は、あの頃のことを一抹の寂しさ苦さとともに懐かしむ「『いちご白書』をもう一度」を、そのまた年若の高校時代に聞いた「三無主義」世代である。我々の大学時代、何回か交通機関が賃金要求でストをしたのにぶつかって、移動に困ったのがほぼ最後の出来事かもしれない。 高橋の危惧は現実となり、飼い慣らされた日本人は直接行動をしなくなった。何万人規模の集会で国民が意思を示すということもなくなった。国民がパワーを発揮せずに沈黙している以上、高橋の定義でいう「利害が対立し調整が必要な時の法的権威付けの専門家」が「思惑」と「利権」を基に、世論調査の結果も少しは考慮して、粛々と仕事をしていくだけということなる。そこには思想も長期的ビジョンも希薄である。 新しい「不幸な時期」を、不本意にも得てしまった我々が、嘗ての「不幸な時期」を経て手に入れた権利やら正義への力やら熱意などもろもろをすっかり忘れて放棄同様にしている現状に、草葉の陰の彼は切歯扼腕していることだろう。 あの不幸から民主主義を得た我々は、今度の不幸から何を得るのだろうか。我々日本人の叡智が今試されている。
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節電要請のため、真面目なお年寄りが無理をして死亡する事例が急増しているらしい。ヒートアイランド東京では、すでにクーラーの設定温度上昇の影響で涼む場所がなくなり、苦労している外回り営業サラリーマンの様子がブログにアップされたりしてあって、それが、また、面白可笑しく書いてあるだけに、尚更、大変さが伝わってきて、可哀想であった。 こちらも、先週、梅雨が明け、三十度を超える日々が続いている。職場のデマンド計(電力使用量計)は、電気の使いすぎを知らせるフラッシュ光を朝の九時ごろから放ちはじめ、照明を落としたり、蛍光灯を間引きしたりしてその都度大わらわ。 電力不足がこちらより深刻な関東圏。この暑さで各家庭エアコンを入れざるを得ず、消費が発電量を超え、大規模停電が起こる可能性が指摘されている。子供が夏休みに入ってからが危ないらしい。 会う人会う人、暑さと節電話題。「お宅は寝る時、クーラーどうしてますか?」などなど。 例年にない早い梅雨明けで、過酷な夏になりそうな雰囲気に、皆人、気が重い。
あの頃は粉末ジュース扇風機
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ペンタックスのカメラにお金を投資している身にとって、大きなニュースが先日あった。 買収時から、欲しいのはペンタックスの医療機器部門だけ、早晩、カメラ部門は手放すだろうと憶測されていたHOYA株式会社。案の定、数年でリコーに売却した。美味しいところだけ食い散らかして芯だけ捨てたと揶揄する人もおり、HOYAの企業イメージは大幅ダウンかと思えば、さにあらず、株価は急進、リコーは下落という。商売としてどちらが賢いかという判断なのだろう。今やカメラ部門はお荷物一歩手前である。 「ペンタックス」ブランドは、今後、この二つの会社が使用することとなるようだが、それでは方向性もなにもあったものでなく、「ブランド」というものを形成している諸々な要素のうち、幾つかがはがれ落ち、名前がやせ細ってしまう感じがする。 新しい親会社リコーは、同じKマウント仲間として、かつて安価な一眼レフを作っていたので、「お嫁にきてもらった」という表現は、言い得て妙、なかなか微笑ましかった。 今後、リコーはペンタックスを独立の会社として運営させるという。リコーのブランドも残しつつ、カメラ部門を統合させるということだろうから、資本を集中して収益悪化を食い止めようということだろう。カメラ一台あたりの単価が、近頃、急激に下って、コンデジなど行き着くところまで行き着いた感がある。素人目にも収益を出すに苦しい環境である。今後、これが吉と出て、両ブランドとも盛り上がるかもしれないが、二つとも消滅する可能性もある。まさに今後次第である。 リコーの経営者側からすると、大枚はたいて、ちょっと年老いてはいるがいいお嫁さんを見つけてきてあげたから、あとは、おまえらカメラ部門、夫婦で頑張れよと、長旅に出したようなもの。リコー社長は、我が社のカメラ部門の人間はカメラ好きだが、もっとビジネス面も考えなければならないと発言していた。リコーのカメラ部門にとって。今度の買収は、手放しに喜べない動きであるだろうと推測される。口さがないスズメは「コミカミノルタの二の舞」と囁いているようだが、それだけは踏んで欲しくないものである。 カメラ好きは、下手な海外資本に弄くられるより、国内資本、カメラをよく知っているリコーさんでよかったと胸を撫で下ろしている人が多い。一眼レフはペンタ、コンデジはリコーの私にとってもまったく同様。商売上手を心がけつつ、夢のある機械を出し続けて欲しいものである。 ブログで検索していると、リコーの名玉リノケン28mmのKマウントレンズ希望なんて、早速、所望している人があって、いやあ、マニアは賢くて逞しい。
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午後、部会に出席のため、市内の研修施設に移動。昼に生徒と面談していて、弁当を食べ損ね、現地で会議が始まる前に、少しでも口に入れようと弁当を持って行った。 休憩場所で広げたところ、箸がない。いつもは抽斗の中からマイ箸を取り出して使っていたので、持ってこなければならないのを、そこまで気が回らなかったのである。はて、困った。 結局、人目を憚りながら、こっそり人差し指一本で掻き込んだ。 ちゃんとものがあっても、ひとつ不備があると、全体が停止する。 従兄弟は内臓の一つが不全になって亡くなった。他は健康でもひとつ悪くなると死に至る。人の身体はか弱い。 昨日墓参りをしたからであろうか、弁当を目の前にしながら、病気で亡くなった身内や知人の顔が急に脳裏に湧きだしてきて困った。自分でも結構強引なつながりなのにと不思議な感覚だった。
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ちょっと早いが、午前中、実父の墓参りをし、午後、義父の初盆があった。初盆と言っても、骨は八月に出身の九州の墓におさめることになっているので、通常の御経とさほど変わらない。 これまで、三十年以上前に祖母を亡くして以来、不幸がなかった上に、その祖母の供養も父方の実家にお任せだったので、特に盆の行事とは無縁な生活をしていた。父が亡くなって、こちらでも執り行うようになったが、それに今年は義父も加わって、結構忙しくなった。来週は父が懇意にしていた方が住職のお寺で盆の法要があり、そちらに出席予定。 数日前、ニュースで「お墓に避難」という見出しを見つけ、読んでみると、震災で避難を余儀なくされ、一時期、家族バラバラだったりした御高齢の女性が、「お墓にひなんします」と遺書に書いて自殺したという。淋しかったのやもしれず、足手まといになるのを厭ったのかもしれず、事故の終息見えぬ国の行く末を憂えたのかもしれず、はっきりしたことは判らないが、いずれにしても、どんな災難がふりかかっても、生きていくことこそ素晴らしいと思うことができなかった気持ちに思いを致して胸がつまった。 炎天下、父の墓に手を合わせ,読経を聞きながら、この遺書のフレーズが頭をかすめた。
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昔の教え子、四方健二君の第四詩集発刊の祝賀会が自然食レストランを貸し切って行われ、夫婦で参加した。 四方君によると、泉鏡花市民文学賞受賞以来、詩想が湧いてこないスランプに陥り、脱出まで時間がかかったとのこと。今度の装丁は色使いが派手な軽装版でこれまでとちょっと変化をもたせた感じに仕上がっていた。 挨拶にたった出版社社長、新聞支局長、病院長など、みんな各々の立場で、よく彼を知っての心温まるスピーチがなされ、日頃の彼の人とのつながり、あるいは彼の人柄が偲ばれて気持ちよかった。多くの支援者に囲まれて、前進している姿がよく判り、何十年も前のお付き合いの我々教員たちはうれしい限り。
この会、あの頃の同僚たち勢揃いとなって、何十年ぶりにお会いした方もいらっしゃり、うれしい同窓会となった。これも彼の人徳。 さて、肝心の詩集、じっくり読まねば。
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某量販店のカウンターで耳に入ってきた女店員の言葉。 「しばらくお待ちしていただいて〜。」 「して」が何とも余分。変な言葉だと気がつかないのだろうか。「お待ちする」というのは自分の行動、人に使ってどうする。 私に対応していた男店員は、私が出したお札に対して、例の「一万円からいただきます。」 最早、あちこちで使われ、諦め気味なこの言葉だが、さっきのと合わせ技で、言葉遣いが変ですと注意を言ってしまった。すると、途端にその店員は固まり、一気にクレーマー対応モードに。これも最近流行のマニュアル遵守行動。でも、それをやられると、私、そんなに変な人ですか。という気分になって、言ったこっちの方が、結構、落ち込む。 後日、気になって、この「して」付き言葉、変だと思わないかと生徒に聞いてみた。クラス四十人中、半数がおかしいとは思わないというほうに挙手。どうやら、あの店員さん、言い間違えたのではなく、疑いもせず正しい敬語を使っているつもりなのだと推察される。
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愚妻、長距離通勤となった昨年当初は、早く寝て、朝早く起きて出て行ったが、次第に夜更かしになり、就寝が日をまたぐようになった。地金である。 朝、「ごはん出来たよ。」とこちらが声をかけてもすぐに起きてこず、家を出るのもどんどん遅くなって、「仕事に間に合うのかい?」と、こちらが心配するほどの時間に出ていく。朝は気が張っているからいいが、睡眠不足で、帰りの居眠り運転が心配である。 本人は、いたって暢気。「大丈夫、大丈夫。安全運転しています。」と繰り返す。 でも、だいだい、「大丈夫」を連発するということは、すでにして危なっかしい。 それ、原子力発電と同じ。
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今日はサラダ記念日。例の俵万智の短歌から制定された。この日付けの設定が意図的であったことは、以前書いた通りで、七夕だとあまりにあざといので前日にしたとのことだった。芭蕉にもそうした前日の気持ちを詠んだ句があり、踏まえた訳ではないが期せずして同じになったという。 いつもなら気にもとめず通り過ぎてしまうのだが、今年は、なぜがそれを思い出してしまい、せっかくだから「サラダ記念日」で一句作ろうとちょっと頭をひねった。 しかし、俳句ではなかなか無理がある。七文字あるので二句目に置かざるを得ず、前後五文字では情報が分断されて、上手くつながらない。 知人が金沢の六月の大きなイベント、「百万石祭り」を入れて句を作ろうとしたが、この祭りの名自体が五七五の枠に入りきれず断念したという話をしていた。いくら季節もの得意な俳句とはいえども、向き不向きがあるようである。
「サラダ記念日」はやはり短歌向き、「百万石祭り」にいたっては、九文字扱いでリズムが悪く、短歌でも難しそうである。 ということで、一日、結構考えたわりには、一句もできませんでしたという情けないご報告。
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花水木が終わってしばらくすると、また同じような白い花が咲く木があちらこちらに見かけられた。山法師と言うらしい。夫婦で、これまでも咲いていただろうに気がつかないものだねえと話をする。 恒例の富樫バラ園にも六月上旬の休みの休日に行って、ペンタックスLXでフイルム写真を撮ったし、半月前頃からは紫陽花も咲き出した。はじめて紫陽花の開花を確認したのは職場の敷地内。時々しか通らない小径を歩いていて、突然、目に入ってきて、季節の移ろいを感じた。西洋紫陽花と並んで額紫陽花も横に。この場所に二種類植えてあったなんて、花をつけない限りまったく気がつかなかった。 今はジメジメと梅雨の真っ最中。今はその紫陽花も盛りを少し過ぎた。 テレビは夏の節電話題で持ちきり。先の日曜日、暑苦しかった蒲団にゴザを敷き、窓に簾を掛ける。半月前には出していた扇風機、もう一台も物置から出してきて夏体制となった。 そろそろ長い長い夏の季節に入る。バテないように乗り切らねば……。 昨年のような暑い夏になりませんように。
地味ながら凛として咲け額紫陽花
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時々行く大型書店の本棚の最上部に配されているのを見つけ、可動式梯子を登って手にとる。二〇〇七年八月の刊。 万年筆コレクターとして著名なすなみ氏の文章。イラストに、これも万年筆画で有名な古山浩一氏。万年筆は古山氏の筆で描かれ、貴重な広告やポスターなどはそのままカラー刷りで紹介されている。「クロニクル(chronicle)」とあるように、本文は、万年筆の成立から筆を起こし、外国のメーカーの歴史、日本の受容、日本メーカーの歴史と続き、最後に普及に功績のあった外国人を紹介している。日本の万年筆関係の有名人については、すでに古山氏に「万年筆の達人」(エイ出版)があるので避けた格好である。 万年筆の普及に戦争が深く関係していて、当時、液体のインクのかわりに、インクの固形タブレットがあったことなどが書かれてあって、そんなものがあったこと自体初耳で、興味深かった。 古い万年筆に興味のある人にとっては、これまで断片的に知っていた知識が読みながら色々と繋がっていく感じで興味深い。正直、専門的過ぎてよく判らないところもあるにはあるし、文章に癖があり、意味のとりにくいところがあるのがちょっと気にかかったが、まあ、それは「重箱の隅」である。 ここのところ、「趣味の文具箱vol19」「ステーショナリーマガジンvol.007」の各ムックも購入。テイク・フリーの情報誌「BUN2」も楽しんで読んでいる。
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震災から4か月近く。原発問題の覚え・記録として、以下、メモ的に箇条書きする。 1 原発は被災から数日にしてメルトダウンし、圧力容器を落ちてメルトスルー状態になっていたという。証拠のデータを持ちながら、はっきりと確認がとれないという理由で、発表はずっと後になった。愚妻が、三千度近くの高温を持ち堪える金属はこの世に存在しない、既に容器が傷んでいる可能性のほうが余程高いと早くから言っていた。おそらく多くの者が感づいていたこと。パニック防止の観点で情報を遅らせたのだろう。昔の大本営発表は嘘の情報を垂れ流した。今は、情報を隠蔽し後から小出しする。かたちの違いこそあれ、結局、昔と同じである。 2 風評被害の防止という話をよく聞く。確かに、福岡は福島の隣ではないかというような当初の韓国国民の誤解などは風評被害の最たるものではある。しかし、放射性物質に汚染されているが、基準値以内だから大丈夫というレベルの商品に対する消費回避行動まで、十把一絡げで風評被害だというのはちょっと違っているのではないか。ニュースなどでよく聞く「風評被害」にも、いくつかの場合分けがあるような気がしている。 また、局地的に値の高い高い「ホットスポット」なる現象も確認されて、遠く離れた地域の農産物にも基準値を超えたものがあるという。測定の専門家も足りていない。当然、すべてのものを測りまくるという訳にもいかず、多少放射性物質が付着していても特定できないまま、何年もたつとどうでもよくなり、うやむやに流通していくというパターンになりそうである。 3 汚染された冷却水がどんどんたまり、その放射能除去装置が事故続きで順調ではない。一歩間違うと、垂れ流しになる危険性をはらんでいるという。終息は見えないまま。愚妻に、いったい、いつまで冷却し続けなくてはならないかと聞くと、半減期、短いものもあるが、長いものだと天文学的数値になるという。厳密な基準に従うと、日本人は、日本人という種族が存続しているかぎり延々と冷却管理し続けなくてはならないらしい。下手をすると、今後もずっと被曝人間を輩出し続けなければならないことになるやもしれぬ。愚妻は、致命傷を負って血がどくどく噴き出しているのに、人はなんとかしようと手を傷口にあてて押さえようとする、そんな絵柄が原発のニュースを聞く度に脳裏に浮かぶという。 4 これだけのことになり、原発反対の大合唱になるのかと思っていたら、そうならないことに、当初、意外な感を持った。新聞のアンケートなどによると、「原発いらない」派、あるいは「原発は徐々に縮小すべきだ」派が数としては多いにもかかわらず、「原発は止めよう」が輿論になっていない。西ドイツは路線を転換したし、イタリアも仏蘭西にオンブにだっこの批判はあるにしても、国民投票で要らないという態度をはっきりさせた。 経済大国を維持していくためには原発の存在は欠かせない、現実の選択肢として、それ以外を選ぶ者はヒステリックな人たちだと批判した保守政治家もいた。多くの利権が絡むこの問題。政治の動きは、容認・早期再開に「草木も靡(なび)く」状態である。日本は当事者。世界に態度をはっきり示さねばならないのに、輿論も一枚岩にならず、現首相は段階的エネルギー移行を考えているらしいが、政権全体では再開路線らしいし、そもそも政権基盤自体が盤石でない。今後、政局がどう動くかも不透明だし、これもうやむやなまま、国民は夏の節電に閉口し、「背に腹は代えられない」という国民感情が醸成され、それに政治が乗っかる形で、これもなし崩し的に「原発大国維持」路線で落ち着きそうな気配である。 戦争の時もそうだったが、日本人は本当に賢い国民なのだろうか。
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毎年楽しみにしている所属共済主催のOEKコンサート。今年はTV「題名のない音楽会」などでおなじみの青島広志の指揮とお話。 開演前にはパイプオルガンを披露し、休憩と終了後には、ロビーでサイン会と、闊達な指揮ぶりとともに、エネルギッシュに三時間フル活動されていたという印象。一九五五年生まれの五十六歳。意外にお若い。 全体を緩やかながら音楽史の流れに沿うように選曲し、有名どころの短い曲を次々に演奏していった。ヘンデルから始まり、古典、ロマン、後期ロマン、アンコールは戦後の曲。曲目は「フィガロ」、「女心の歌」、「ハンガリー舞曲5番6番」、荒川静香で一躍有名になった「誰も寝てはならぬ」など。 毎回入るお話は爆笑の連続で、作曲家の裏話から曲の聞き所まで、実に楽しく判りやすく解説され、大学での講義の一端を垣間見る思いがした。音楽史上のエピソードを、すっと我々観客に当てはめて、笑いをとるジョークが彼のパターン。芸大で朝のお茶係を何十年も続けているというのは、ネタかもしれないし、若い頃の体験の「針小棒大」かもしれない。でも、糖尿の先生には砂糖を入れないとか、女性の先生の飲み散らかしたカップには口紅がついているとか、妙にディティールが生々しい。 指揮は基本に忠実で、失礼ながら思いの外しっかりしている。エッジを効かすタイプで、行進曲や急速調の曲がお得意のようであった。特に後半そういう曲を並べて、聴衆の心を盛り上げていた。 こう有名曲を立て続けに生音で聴いていくと、やはり、有名になるだけに、どこかにしっかり聴かせどころを持っていると実感する。ここで聴衆はぐっとくるよなあというところがある。「威風堂々」なんて、行進曲なのに、そして耳タコで聴いているはずなのに、中間部のあの優しいメロディが出てくると、やっぱりいいなあと思う。 こんなに笑い一杯のクラシックコンサートも珍しい。けれど、欲を言えば、ちょっと青島さんはせわしすぎて落ち着きがない。もっと間を保たせて進行しても充分楽しいのに。そこがちょっと残念なのと、同道したテノールの小野勉なる方は、うまいのだが少々声量がなく、オケに声が埋没することがたびたびあったのが惜しまれる。 土曜日。午前中仕事で、午後、駆けつけた格好。湿気った暑い一日だったので、帰り、駅の中華料理店でジョッキ・ビール。 今日は、久しぶりに「生」を楽しんだ。
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