ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
免許更新で戸籍抄本がいるという。忙しくて市の出先機関のサービスステーションまで行く暇がないなあと思っていたら、先の文化財認証式で市役所に行き、なんだ、今、本丸に居るではないかと気がついて、窓口で入手。 野々市のジャズコンサートのチケット、ジャズに力を入れているカレーショップで毎年購入していたので、いずれ外食に行かなくてはと思っていたら、なんのことはない、その夜、そのコンサートがある野々市文化会館に劇を観に行って、なんだここで売っているではないかと購入。しなくてはと思っていた懸案がさっさと解決できてよかったと一瞬喜んだのだけれど、よく考えてみると、そもそも、現地に行くからその時に片付けてしまえばいいと事前に気がつかないこと自体、融通が利かなくなっている証拠だと少々情けなくなった。「いつものところ」以外の選択肢を思い浮かばない。 年寄りになると頑固もんになるのは、こんなのの凝り固まった結果なんだろうなあ、とちょっと嫌な予感。
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一昨日、時間年休を取り、震災のため交付が遅れていた文化庁からの「国登録有形文化財」登録証伝達式に出席した。於市役所二階市長室。認定証書を表彰状よろしく市長より押し戴く。机上には真鍮製のプレート。お隣、富山高岡の産だという。重量級で持つのも大変なくらいである。今回は市内計三軒の認定で、それぞれ数分ずつ軽く物件について市長と話をする。 式後、その足で家に届ける。しばし母とプレートを見ながら雑談。自分の父親が自ら設計し、生まれも育ちも、そして死ぬまでそこですごした自宅がこうして文化財となったのだから、今生きていれば、一番喜んだのは亡き父だろうという話をする。この場に立ち会えなかったのは残念ではあるが、病床で復元修復することになったとは伝えてあり、本人は喜んでいたので、よしとせねばならない。 プレートのあまりの重さに、これは臨時に玄関に飾るにしても脚をどうすればいいか困った。簡単に飾り大皿の受けのようなものでと考えていたのだが……。家の壁に貼り付ければ、はめ板ごとベリッと落ちること必定である。 復元リフォームの際、工業大学に貸し出した各種建築資料は、今秋、展示の運びとなり、パンフレット(案)を戴いた。幾つか出品するのかと思ったら、祖父の名前を冠したタイトルが付けられた単独公開の展覧会の体裁になっていて驚いた。祖母は死んだ夫のものを大事にため込んでいたのだが、死後、その多くは廃棄してしまっている。そのことは父の著作にはっきり書いてあって確認できる。こうした「残」だけでもひとつの展覧会になるのだから、メインの資料が残っていたらとかえすがえすも惜しまれる。 家の遺影に「お父さん、アナタのお父さんは立派な方でした。息子として自慢してもいいお父さんでしたよ。」と報告。 歳をとっっていいオジサンとなったそのまた息子の私の報告が、妙に客観評価的なのが、なんだか我ながら可笑しい。
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目の前に物があるのにそれに気がつかないことを「めとんぼ」と言う。愚妻は特にそうで、冷蔵庫の扉を開けた目の前にそのお漬け物入れはあるのに「ない。ない。」といって騒ぐ。今日もまたそうだったので「めとんぼ!」と言ったのだが、愚妻は、その言葉、あんまり通用していないよという。そこでパソコン検索をかけてみると、確かに、ほとんど使用例がない。金沢方言だということは判ったのだが、金沢人でも若い世代には伝わっていない模様。こちらは標準語だと思っていたくらいなので、意外であった。「目+つんぼ」が訛った差別語ではないかという書き込みもあり、いずれにしろ、人を非難する言葉なので、お上品な言葉とは言えず、金沢言葉として大きく世間にPRするような言葉でないことだけは確かである。 そこで疑問なのは、愚妻のような「おい、ちゃんと見ているのか? 目の前にあるじゃないか!」という状況をなんというかということ。言われてみれば、立派に標準語にあるというようなオチで終わりそうな疑問なのだけれど、田舎者は「めとんぼ」でずっと通してきたので別の言葉が出てこない。 金沢弁を紹介するサイトを覗いてみると、現役ばりばりの言葉もあり、そういえば昔年寄りが話していた死語に近いものもあり、そもそも聞いたことがないものもあった。金沢生まれ金沢育ち金沢在住で、もういいお歳のおっさんが知らない金沢弁は、1、私の子供の頃にはもう死語になっているよほど古いものか、2、一部地域限定バージョンのもの、ということになる。口能登に近い、あるいは加賀に近いというだけで同じ金沢弁でも多少の違いがある。 観光用に紹介されている金沢弁は、金沢市内のお上品な階層の年寄りが使うものが多く、普段遣いの金沢弁とは違っているものもある。 年寄り言葉といっても、山口から金沢に移り住んだ私の祖母の言葉は、今になって思うとコテコテの金沢弁ではなかった。 サイトに投稿される金沢言葉を見てみると、確かに金沢弁だけど、汚い言葉遣いで取り上げるまでもないといったレベルのものも混じる。また、最近はあまりポピュラーではないけれどこれは全国で通用する言葉のはずという間違いもたまにはあって、例えば、湯茶をいう「おぶう」という言葉が出ていたが これはおそらく全国区。辞書にもあった。ああ、そんな言葉あったなあと一瞬懐かく思ったけれど、それもそのはず、「幼児語」とある。最近は使われていないようなので、方言というより「死語」に近い。 地域も、本当に小さな地区しか通用しないものから、広範囲に西日本で通用するといったようなものまであるはずで、一口に方言と言っても、なかなか難しいそうである。
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ある人が腕が痛いという。あ、それ、四十肩だよというと、もう数ヶ月で五十歳だという。「その時も痛かったら五十肩に名称変更です。経験者として言うと、もっと痛くなるかも知れませんよ。」と脅かした(笑)。 ところで、四十肩になった人は五十肩にならないのでしょうかねえ。 誰もが知っている病気。だけど、痛くなると何か重い病気になったのかと心配になる。どうやら、これが有名な四十肩なのだと、途中からどことなく判ってきて、ちょっと納得する。なって初めてこんな症状の病気なのかと思う。 通過儀礼のようなある時期特有の症状。通過はするが、みな自分の人生では初めて。考えてみれば、人生のベテランで八十歳のばあちゃんをやっている人でも、八十歳自体は、それがお初の出来事。みんなそれぞれの時期において人生の初心者である。○○歳代になるとこんな感じなのだと初めて判る。 七月、実父をなくした方の通夜に口能登まで行った。お盆にも実母を亡くされた方が。これは気がづかず、失礼ながら後になって香奠を郵送した。今月上旬には、同じく実父が逝去された方があり、こちらは加賀の小松まで。 皆、親を亡くされたのは四十歳代後半から五十歳代前半の方ばかり。親の死もちょうどこの時期に訪れる人生の通過ポイント。もちろん、みな自分のこととして初めての出来事。積み重なって蓄積され、軽減されることではない。 人間、どんなに偉そうにしていてもいつもお初の新人。人類は、未来永劫、ルーキーでしかいない。
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数年前、高畑正幸他著「筆箱採集帳」(ロコモーションパブリッシング)なる文具本を買った。ただただ人の筆箱を紹介する内容で、よくこれで本になるものだと思った覚えがある(そう言って、結局、買っているんですが……)。 人の筆箱を覗くのは面白い。色々な職種の人が、如何にもそれらしい種類の文房具や仕事道具を入れている。この本を買った当時は万年筆とペンケースが気になっていたので、そればかり見ていたのだけれど、今回、シャープペンシルや鉛筆に興味を持って、その目でもう一度見ると、前回気がつかないその人なりの「こだわり」(!)が感じられて面白かった。0.5mm芯でない人が多いのがその証拠。日本人はほとんど何の考えもなく0.5のはずだから。 見れば見るほど一本一本吟味し尽くされているものばかりで、それが各頁バラエティ豊かに並んでいるので、ちょっと普通ではない特殊な人たちに固執しすぎているようにも感じていた折も折、今度は「趣味の文具箱」第23号に、銀座の路上で貴方の筆箱見せて下さいという企画があり、それで、ごく普通の人が外出中にどんな筆記具を携帯しているのかが判って面白かった。裸一本の人、高級路線の人、てんこ盛り路線の人……。その人の趣味がはっきり出る。 移動の際は鞄に一本だけの私だが、もしも取材を受けたらと仮定して、手持ちのもので筆箱の中身を想像してみた。まず、筆箱自体はノックスブレインの革物で。万年筆はいくつも候補はあるが、最古参に敬意を表し、年代物のパイロット・エリート、それに、現在激務中のゼブラ・シャーボX。これで黒ボールペン、色ペン、シャープペンシル単体を代替させる。あと、カートリッジ式で長く使える三菱鉛筆製の黄色マーカー、ぺんてるあたりの油性お名前ペンの計四本。それに定規と消しゴム。これで充分。 考え中に、減らそう減らそうという意識が湧くので、どうやら、自分はあんまりじゃらじゃらと持ち歩くのは好きでないタイプのようだと気づく。これを基本にして、TPOに応じて多機能ペンの代わりに単体もの数本にしたり、鉛筆フォルダーを加えたりすればいい。 いずれにしろ、色々想像するのは楽しかった。 ということで、現在、筆記具知識再度増殖中。ますますテレビチャンピオン「文具王」の高畑氏に近づいている?(笑)
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一家でお世話になっていた父の友人が突然亡くなった。直前までお元気でいたとのこと。亡父と同年。母とともに通夜に出席した。 その方は僧侶だったので、通夜は一般的なものと大きく違っていた。祭壇には豪華な「宮」がなく、「南無阿弥陀仏」の掛け軸と、法名が書かれた掛け軸の計二本が下げられ、左右には最小限の花が置かれただけ。遺影もなし。聞くと、写真を飾るのはたかだが百年前からの風習。古式に則ったとのこと。法名も一般人の「居士」ではなく「〜法師(ほっす)」とあった。驚いたのは導師が二十人近く参加して読経があったこと。こんなに多くの僧侶が並ぶのははじめて見た。友人葬ならぬ同業葬のような趣きである。 一昨日の祝日は実家に集まって母の敬老を祝う食事会。といっていも特別なことをするわけでもなく豪華な夕食をいただくといったもの。母には市から饅頭が来ていた。実家の町会はお年寄りだらけ。町会長さんは全戸に配らねばならないのではないかと冗談が出るほど。 「敬老の日おめでとう。」というのは、本人も違和感があるだろうし特に言わなかった。愚妻の母など、敬老のお祝いなんてイヤだイヤだ路線の人。でも、そのほうが元気があっていい。新聞によると、最近は個性の多様化で、老人クラブもうまく人が集まっていらないらしい。 日程を確認するために見たお悔やみ欄で、尾張町の老舗料理旅館三代目ご亭主が六十二歳の若さで逝去されたのを知る。昔、「フードピア」なる食談会でそこを利用したことがあり、その時、色々お店や料理の話をお聞きした。お会いしたのはこの一回だけだが、人なつっこい感じの方だった印象がある。地元活性化に尽力され、ブログも活発で、つい先日もオリンピック金メダリスト松本薫氏のパレードを見てきたと写真入りで出ていた。活動的にアップされていたブログが、主不在となって、パッタリと途切れているのも悲しい。 前に書いたが、昨年、同じ尾張町の老舗のご主人で、はやり活発に地域振興に尽力されていた方が還暦すぎに突然亡くなっている。 還暦過ぎは危ない。若い頃からそれは知っていた。同業の大先輩もそのあたりで亡くなる方が多かったから。平均寿命男子八十歳。あと二十年あったはずの活躍の時間を突然削り落とされた本人は、「あれれ、ええっ、なんで?」といった気持ちが湧きながら亡くなったのではないだろうか。 父の友人も一人減り二人減り。母をよく見知っていて、気にかけてくれる人が減っていくのは彼女にとっても心細かろう。
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ストリートジャズ聴き歩きで、現在の中央小学校界隈、旧市街地を久しぶりに歩いた。意外というくらいに、長町武家屋敷の観光区画以外のところでも江戸・明治の古い門や住居が残っている。町屋保存再生の取り組みが功を奏しているのかもしれない。いい感じで昭和三十年代あたりから変わっていない懐かしい感じが残っている。 知らない間に屋敷跡として保存公開されているところも見つけた(旧加賀藩士高田家跡)。ちょうど通りかかった時、観光ボランティアが観光客に説明していて、しばしこちらも寄り道。 旧市街はドーナツ化しているので、老いた住人がいなくなってからの扱いなど色々難しい面もあろうが、うまく「生きた」かたちで古い住居が利用され続けるのが金沢の行き方として正しいように思う。なにも無理矢理古い意匠に衣替えしなくてもよい、隣がモダンな建物でも問題はない。まわりの環境に配慮し、古いものと新しいものとが違和感なく共存していく町並みこそ、金沢の生きる道のような気がする。 逆に、洒落た町になったかにみえる竪町商店街が、本当に若者の街になっているのが疑問を持った。途中、昔ながらの店がセットバックせずに残っているし、肝心のお店がうまく若者を集客しているか疑問だった。 今、ネットで話題になっているのは、その奥の新竪町商店街。さびれていた古い商店を改装して、雑貨などを売っている店が混在するようになり、古い商店もそのままで地元民が利用している。そんな生活感溢れる中で、こっそり自分が見つけた趣味性溢れる小さなお店がお気に入りというのが、今の若い女性の買い物のしかたである。アーバンな雰囲気のショーウインドウの商品は高価そうで、身の丈に合わず敷居が高いのだろう。 香林坊下の用水の通り「せせらぎ通り」も、そんな感じで人を集めている。今や中央小学校近くまで動線が伸びているようである。大規模ホテル主義で失敗した片山津温泉と、さびれて個人商店が残ったせいで逆に町全体で活性化した山中温泉の明暗と似ているような気がした。町が生きているのは、今のやり方のほう。後は伸びた動線をどう周回させ、利便性をよくさせるかという課題が残る。
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今年四回目となったストリートジャズのイベント。毎年のお楽しみになりつつある。今回、大阪から帰省中の友人から声かけがあり、一部を一緒に廻った。初めての彼は、いいイベントだと気に入ってくれたようだった。昨年の雨の混乱が生かされ、プログラムに荒天時の変更場所が明記されている。しいのき迎賓館会場がなくなり、代わりに中央公園がメイン会場のひとつになっていたのが大きな変化。以下、演奏寸感。 「THNーTownBounce」はドラムピアノレスで、ソロとリズムの二本ギター。「佐藤洋祐+MIKAZUKI」のリーダー佐藤は熟達のアルト。テイクファイブやジャイアントステップなどジャズ曲は複雑で大胆アレンジ。反面、ビージーズの「愛はきらめきの中に」は、「哀愁の」という言葉がぴったりのムーディーな吹奏。未成年の中道みさき(ds)は手慣れてきてプロが板についてきた(ただ、もっと愛想良くね)。「FUNKITO」は私と同世代のオジサンバンド。大ファンク大会。「古川奈キ子+5」はニューオーリンズ風でブギウギなども披露、大いに盛り上がる。古川はちょっと綾戸智絵っぽいかも? 「マイクブライス+東京3+後藤洋子」は秋吉のところにいたトランペッターのグループに地元女性ピアニストが加わったもの。ハイノートもヒットし、エバンスの「ブルー・イン・グリーン」のような静謐な曲も完璧にコントロール。行くところまで行き着いた技の持ち主。ベテランの上手さを堪能。 今年は真夏のような暑さで、聴衆は日陰を探して椅子を移動しながら聴いていた。何度も暑さ対策、健康に留意のアナウンスが……。「Jazz’Nmo」なる新潟のグループの時、定刻過ぎても始まらないと思っていたら救急車のサイレンが近づき、メンバーが運ばれていった。演奏は6人のはずが4人編成で。その分、ギターソロが大活躍なんて、まずあり得ないようなアクシデントも目にした。「jaja」は新譜発売のプロモーションで来沢したメジャーバンド。ケニーGに和風歌謡曲を加えてハードにしたようなサックスが心地よい。循環奏法と思われるロングトーンで喝采を浴びていた。最終日の夕方、残照厳しい会場と悪条件が重なって観客は多くはなかったが、さすがの安定感で、聴いてよかったバントの筆頭。ブルースバンドなど断片的に聴いたグループは他に少しあるが、省略。 今年は、ビッグバンドは二校聴いた。「国立音大ニュータイドオーケストラ」は、各人のソロパフォーマンスのレベルの高さが目立った。トロンボーン奏者などほとんどプロ顔負け。「洗足学園音楽大学シンギンエクスプレス」はベイシーなどオーソドックスな選曲。しっかり習っていますといった端正なサウンド。その分、ちょっと地味であった。 香林坊ラモーダなるケーブルテレビサテライトスタジオ兼カフェに入り、アイスコーヒーを飲みながら韓国の「Park館長」なるグループを聴いたのが今回初めてした行動。冷房で涼めて一息ついた。 今年は、無理をせず、ひとところで腰を落ち着けて聴くようにした。去年の雨よりも「なんぼかまし」だが、暑すぎて客足に影響があったのではないだろうか。昨夜のコンサートも含めジャズ三昧の連休終了。
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平賀マリカ(vo)とトロンボーン四人ユニット早川隆章TーSlidigをゲストにした地元ジャズオーケストラ・ピラミッドの公演を、金沢市民芸術村パフォーミングスクエアで聴く。知人がメンバーにいて、一週間ほど前、夕飯買い物中のスーパーマーケットでばったり会い、このコンサートの話になって、レジに並びながら、即、チケット代金を払っていたというなんとも地元チックなご縁。 第一部はピラミッドオンリー。スタンダードを交え、モンクやパット・メセニーの難曲。第二部から登場したトロンボーン隊は、「スペイン」の例の早いパッセージを楽々こなし、さすがプロと冒頭から観客を唸らせる。「ムーンライトセレナーデ」も軽快で巧妙なアレンジ。この楽器特有のもたつきがない。 このトロンボーン+ピラミッドのリズム隊にのせて平賀が登場。曲は自家薬籠中の「シナモン+グローブ」「イパネマ」などラテンフレーバーなナンバーや「NYステイト・オブ・マインド」など。 第三部は、フルバンドに戻る。今年、平賀がデュークエリントン楽団との競演アルバムを発表したので、その縁で現地楽団をバックにエリントン・ナンバーを並べるという趣向。曲は「イン・ア・センチメンタルムード」など超有名曲が並ぶ。彼女の生は二回目。前回はカーペンターズ中心だったので、ジャズとしては物足りなかった。今回はビッグバンド伴奏の大スタンダード大会で、彼女の持ち味発揮といったところ。油がのりきって今や日本の女性ジャズボーカルのトップランナーである。アンコールは勿論これ!といった感じで、総出の「A列車で行こう」。 盛り沢山な内容で、譜面など東京〜金沢間の打ち合わせに労力がかかったろう。練習を欠かさず、低音から高音まできっちり出ているこの楽団の美点が感じられて好ましく、高校まで金沢だったという早川の独走爆裂トークも会場の笑いを誘い、和やかさ満点のコンサートだった。
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マンション専門を謳う不動産屋さんのチラシ。「私たちの好きなことば」というのを真ん中にして。周囲に言葉が並んでいる。 「スペシャリスト」「断トツ」「一番」……うんうん。 「ナンバーワン」……「一番」と重なっているけど、ま、いいか。業界トップになりたいのね。志や良し。 「徹頭徹尾」……えっ? この四字熟語、頭(はじめ)から尾っぽ(終わり)まで一貫してという意味。徹頭徹尾の後に「どうした」があってはじめて意味をなす言葉。だから、好きとか嫌いとかいう範疇の言葉ではないような気がする。広辞苑には「どこまでも」「押し通して」とあり、例文も「徹頭徹尾、反対する」とあって、人の言うことに耳を貸さない、融通の利かぬ頑固者のイメージもある。 しかし、好きな言葉にあげているのだから、このチラシの会社は、いい意味で使っているのだろう。「こだわる」が「差し障る」「些細なことにとらわれる」「難癖をつける」と悪い意味で使っていたことが多かったのに、近年「シェフこだわりの素材」などと「妥協しないで追求する」意味で使うことが多くなり、今やいい感触の言葉になっているのと同じような語感なのだろう。私は「徹頭徹尾」の態度をとる人とは、あんまりお付き合いしたくないと思うけれども……。 さて,最後に、赤抜きで書いてあったのは、「一極集中」。 ???。 好きな言葉が「一極集中」……訳判りません。権力の一極集中、東京一極集中問題、この言葉が使われる時、いいニュアンスはないように思えるのですが……。 大丈夫でしょうか、この不動産屋さん。
(このチラシ全体をじっくり眺めて、どうやら地元専門にやっているという意味で使っているらしいと気がついた。ちなみに、広辞苑にこの言葉はありませんでした。)
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鉛筆をあまり使わなくなって、シャーペン中心になったのは多くの方と同じ。ボキボキ折れるので、シェープペンシルについて色々調べ、プラチナの「オレーヌ」というのを愛用しているというのは昔書いたことがある。力を入れてもクッション性があるので折れない。 一本だけ挿してある鞄にはゼブラ「シャーボX」革調。そのシャープ部は0.7mm芯をチョイスして、2B以上の芯を入れている。太い方が折れず、黒々書きたいので。 今回、答案用にステッドラー製図用の0.7mm芯を購入した話も書いた。これは握りにローレット加工があって、筆箱では他の筆記具を傷ませるので机用にしている。胸挿し用には、キャップ付きが必須なので、ぺんてるの「ケリー」か三菱鉛筆の「ピュアモルト」のステンレスキャップ版のほうを愛用。このあたりがシャーペンシルの私の実働部隊。 子供たちは、芯がクルクル回って先が常に尖っている「クルトガ」が大人気。高級軸バージョンを使っている子も多くて、彼らの商売道具とはいえイマドキの子たちは贅沢である。普及タイプも含め半数といっていいほどの割合。次は、握りが柔らかい「ドクターグリップ」。製図用シャープの中級クラスがその次くらいにランクイン。いずれにしろ、ちゃんと吟味して買ってきたもので、配り物のありあわせを使っている人はほとんどいない。鉛筆はマークシート以外での使用は皆無。今や死に絶えつつあるアイテムである。 シャープ芯。世間流布しているところの0.5mm径HBは自分には合わないということが判ってきて、径を大きくし、濃いB系を選ぶようになって久しい。黒々、ぐりぐりと動かす書き心地を楽しみながら、最近、結局、これは鉛筆の感触と同じだということに気がついた。そこで、ステッドラーの鉛筆補助軸と、2mm芯のシャープペンシル(芯フォルダー)を買った。芯フォルダーなら木も削らない。 そういえば、私の子供の頃、軸尾に金環を配したハイユニが出て、それを持っている子はお金持ちの子で、羨ましかったことを思い出した。今でも鉛筆売り場には、スタンダードタイプ、ユニ、ハイユニと3タイプあって、昔と同じだった。 ネットで、鉛筆とシャープペンシル、どちらがエコかという話題を見つけた。鉛筆は木の部分を削るからシャープに決まっているという意見に対して、間伐材を利用しているし、シダー材はしっかり植林して循環が出来ているので問題ないという意見もあった。炭ベースの鉛筆に較べ、シャープ芯は樹脂を混入して強度を上げているから、自然素材でないというのもあり、圧倒的にシャープが有利とは言い難い。 私の場合、結構芯を折るし、そもそもシャープの芯は最後まで使えない。連続筆記可能距離の公称値は、シャープに軍配が上がるようだが、補助軸を使って最後まで大事に使用すれば、私の使い方ではあまり差はないようにも思う。削る手間はかかるが、それは万年筆のインク注入の手間と変わらない。 個人的に「鉛筆復権」である。
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絶対的な温度は下がってきているが、蒸して梅雨の季節のようである。いつもは百円のビール風味発泡酒で済ましているが、一昨日、スーパーの酒類コーナーで、プレミアビールがビアジョッキをおまけに背負って売っていた。よくある小さいものでなく、居酒屋の中ジョッキ並の背の高さ。買ってきてなみなみ注いでグビっと飲んだが、この入れ物でぐっと美味しさが増した感じがする。黄金色が強い「秋」なんとかといったネーミングの美味しい限定ビールも、今、店頭に並んでいる。 夏バテを何とか夕食のアルコールで凌いでいるといった日々。こちらが疲れ切る前に、北陸特有の「ぐっと冷えて、今日から秋です」といった日が早くこないものかしら。
暑気疲れこれでも喰らえ!黒麦酒
ビールの俳句はあまりに卑近ゆえ、逆に良句がないそうだ。おそらく居酒屋での光景を詠んだ次の句は愛らしい佳作の一つではあるまいか。
一人置いて好きな人ゐるビールかな 安田畝風
菊酒ならぬビール話題の重陽の日
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紛失していたと思っていた多機能ペンが見つかった。使っていなかったクラッチバッグを久しぶりにクローゼットから出してきて、サイドのファスナーから発見。頂き物の舶来品だったので気にかかっていた。何だかその日一日嬉しかった。 というのは、その反対があるという話題の序奏。 国産多機能ペン、国産のちょっと高価なシャープペン、鉄製の重いテープ台などが最近だけでなくなっている。皆、仕事場で紛失。名前も書いてあったのに……。私の仕事は「じっと机の前にかじりつく」だけではないので、なくなりやすい。持って行った部屋に忘れたままになって、後で気がついて探しにいっても、もうなくなっていたというパターンが多い。出てこないかな、誰か見つけないかなでだいぶたつ。自業自得といえばそれまでだが、ずっと気にかかったまま。高級な文具を無くすと残念な気持ちを長くひきずる。 安物ボールペンなら床に落としても何にも思わなかったが、お高いものは重いものが多く、まず破損する。この前、キャップをはずしたままの万年筆を落とした時なんぞ、「ギャッ!」と叫んでしまった。慎重に扱っているつもりだが、じっくり文章を書いている訳でもなし、仕事中はどうしても扱いがざつになる。 こんな心配がいるなんて。人間、これまで思ってもいなかったところで心配の種を抱える。
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古典は仕事をしながら覚えていったくち。例えば「大鏡」。兄伊周が妹中宮定子を亡くす場面があった。肉親愛と、唯一の頼みの綱となっていたものを失った嫡流としての悲哀が、読んでいてよく判って、テスト問題だというのに大感動したりした。私は古典も素敵だなあと徐々に感じてきたというレベルの人間である。本居宣長も模試や問題集で見かけ、少しずつ彼の立場が判ってきたといった程度。今回の生徒に出した問題集の範囲にも「玉勝間」が出ている。 そんなレベルの私が彼について漠然と思っていること。 「源氏物語」が日本最高峰の物語であることは江戸時代の人々にもよく判っていたが、儒教的道徳観でかたまっていた当時の知識層の男性たちにとって、その魅力をどう説明したらいいかはなかなか難しい問題だった。因果応報、勧善懲悪の物語であるとか、非道徳の反面教師的意義があるとかいった、今考えるとかなり屈折した言い方でしか価値を認めることができなかった。何とも「贔屓の引き倒し」的な説明。 そうした中で、本居宣長はそうした固定観念からはまったく自由であった。物語は「もののあはれ」を我々に感じさせるためにある。不道徳な関係も含め、人としてのどうにもならない人間性を描くものだと考えた。今から考えるとただただ真っ当な意見であるが、当時、この自由な発想は画期的で、それ以外の彼の文章を読んでも、彼の思想には強くて自由な「近代」的要素が感じられる。例えば、師の意見は絶対であるというのが常識であったこの時代に、彼は、いくら師の学説だからといって墨守する必要はないと主張する。実際、師賀茂真淵に常識的には怒られて当然という手紙を出して、案の定、勘気に触れている。 これは、彼が商人の子であり、武家の窮屈さからは自由であったこと。彼の勉強は独学に近く、師とは手紙のやりとりが主で、直接謦咳に接したことは一度だけ、人間関係的な遠慮を気にかけなくてもよかったこと、官的なエリートではなく民間的な立場に近かったなどが影響していると思われる。 反面、「古事記伝」をはじめとする古代研究においては、後の皇国史観に通じる絶対主義的なかたくなさが強くあって、自由さが影を潜める。これには、学者としての矜持、松阪という伊勢神宮に近い出身であったということ、遺書に自分の墓のことを指示するというような性格の几帳面さ、京都時代に培われたであろう古代文化への強い憧憬などが影響しているであろうが、なぜあれだけ柔軟な人が、妙な思い込みのようなかたさがあるのか、今の感覚ではどうにも納得出来かねる部分を持っている。 よく試験で取り上げられるのは「玉の御櫛」「玉勝間」他。物語論や国文法の話、研究余滴的なエッセイなど現代でも納得できる判りやすいものばかり。学者として立派だと感嘆するしかないし、私の仕事上はそのレベルで充分通用するのだけれど、どうも私の中で宣長像は分裂したままになっているのが気にかかっている。本当はどんな人だったのだろう。例の講習で本居宣長の講義を聴いたが、ついに謎は解けなかった。 以上、よく判ってない人の、ピントはずれかもしれない雑感ひとくさり。
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本の寸感は久しぶり。決して読書をしていなかったのではありませんよ。 前作の「村上ラジオ2」がえらく間があいて発刊されたので、そういうスパンで出るのかと思っていたら、引き続き「アンアン」に連載されていたらしく、一年後、すぐに出た。既に連載は終わっているらしい。 このシリーズ、楽しみにしていました。まず、読みやすい。内容も肩の凝らないもの。かといって、お気軽に書いているのではなく、文章に藝がある。技といってもいい。さすがプロの文章です。うまい。おそらく全てを決めてから書きはじめるタイプの文章です。語りかけるような文体もいい感じ。あっという間に読んでしまいました。 いつものように大橋歩さんの絵も素敵。しおりも彼女の作品があしらわれています。最後に一口メモみたいなのが付きますが、昔の「ぴあ」の「はみ出し」みたいな感じですね。お勧めです。
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八月、暑くて手の込んだ料理をしなかったので、200V系の電気代は安かった。ただ、これは例年のことで、IHヒーターになったからといって特に煮炊き代が安くなったということはないようだ。 では、二重窓にした効果はどうだったといったら、こちらは若干あった模様。これまでは、日中、窓際は暑くて近寄れなかったが、今夏はなんとかなる。その分、部屋を広く使えるという便利さは間違いなくあった。肝心の電気代は微妙なところだが、それだけでも意味があったとせねばなるまい。 だた、一間の掃き出し窓にガラスが計4枚はまっているので、外側のサッシの鍵を閉める時に、戸をあっちにやったりこっちにやったりしなければならず、それが朝夕毎日のことなので、ちょっと面倒。 この時期、台風(熱帯低気圧)が順番に通過したりしている。暑さも末期で、夜蒸していて寝苦しく、夏の疲れを感じる。それでも、夜鳴いている蝉と秋の虫の音が混在して聞こえるのが今の季節らしい。遠く上から聞こえる蝉と、近く地面から聞こえる虫たち。方向が違うのが季節のテリトリーをせめぎ合っているかのようで面白い。
烈日の赫々たるも夜半の虫
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昨日と同じ言葉話題。某番組。津波に襲われ一面更地となった三陸の光景を見て、十代の女の子が言った言葉。 「見渡しがよい。」 おそらく、これは「見渡す限り」と「見通しがよい」を混同した言い方。 「復興に進む。」とも。これは「に」を「が」にして「復興が進む」とするか、「復興に向かう」にするか。この女の子はこんな言い方を平気でしていた。字幕もそのままの言い方が出ていた。 ただ、どちらも文法としては間違っていると言えない。例えば、最初のは、「見渡し」を名詞ととってカギ括弧にすれば成立はする。つまり、「見渡し」というものが「よい」。次の「復興に進む」は、過程ではなく目的ととると理解できなくもない。「復興」という最終目標に向かって「進む」。ただ、通常言わない言い方。 ここ十年、ネットなどでどんどん崩した言い方をする。意味が分かればよい、わざわざやっているからよい、そんなレベルで言葉と付き合っていた、あるいは、普通の言い方の語彙に触れる経験の蓄積が圧倒的に少ない、が理由か。 最近、今回のように「てにをは」が微妙にいい加減だったり、間違っているというほどではないが、妙に自分流の言い方で済ましているのを目撃(?)する。今回のも、まさにそんな今どきの若者の言葉だと思いました。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
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