ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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松任弓道協会の高畠有幸先生が逝去された。御年九十五歳。常に溌剌と威厳をもって後進の指導をされ、大長老として皆の尊敬を集めた。昨年6月の野々市市の大会(第31回道場開設記念大会)では、8射7中、同中射詰めの結果、見事優勝を果たし、「九十四歳の優勝」ということで新聞にも取り上げられた。弓道には高齢の部などという枠はなく、若い者を下しての優勝ということで、おそらく他の競技ではありえない事態である。 私も、前任校の折、松任の道場を借りて部の合宿をするに際し、打ち合わせなどで何度か謦咳に接した。八十をとうに過ぎていても颯爽と車を運転されて道場に現れた。何度か模範行射をお願いしたこともある。あのお歳で、背筋がすっと伸びて、弓道をしているとあのお歳でこんなにシャキッとしていられるのかと驚嘆するのが常であった。強い弓をしっかり引く筋力もお歳を考えれば大変なものである。 また、現在の勤務している学校の道場開設に尽力されたというご縁もある。数年前、コーチをお願いしていた老齢の先生が、高畠先生は私の先生だと言っていた。その方はその時八十歳を超えていた。この計算でいくと、今の頑張っている学生さんにとっては、「先生の先生の先生の先生の先生」くらいの人である。 通夜に出席したが、現役の方に負けない大勢の焼香者で、棺の横には弓具一式が立てかけられていた。竹弓に鷹羽根の矢。 ご子息の挨拶によると、死に際しての必要な書類は既に準備してあって、あとは日付けだけを入れればいい状態になっていたそうである。しまいに、定期的に買っていた栄養補助食品を断る手紙もあったそうで、会場からは静かな笑いが起こっていた。 なんといっても大往生。悲しみが会場を覆うのとは違う雰囲気の通夜であった。
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今日は田中好子の三回忌という。午後、NHKアーカイブス「秘蔵映像でつづる田中好子さん〜キャンディーズから女優へ〜」を観た。 懐かしいキャンディーズ時代のお宝映像(中にはピンクレディとの競演まであってびっくり)や、女優として立派な演技をしている名シーンが流れた。仲間やマネージャーの証言などから、彼女がひたむきな頑張り屋さんで、人を愛し、また、多くの関係者から愛されていた様子がよく伝わってきた。震災の打撃が色濃く残る時期に亡くなったので、尚更、多くの国民はあの時の彼女の死をはっきりと覚えている。 人気絶頂の時、私たちにしてみれば、少し年上のお姉さんだったが、今、五十半ばの視点で、二十歳をすぎたばかりの彼女たちを眺めてみると、それぞれ可憐で、はちきれんばかりの若さが何とも眩しかった。軽々と歌っているようにみえるけれど、実に一回の放映のためだけでも、しっかり稽古されていて、立ち位置などの移動もスムーズ。あの時はそんなものと思っていたけれど、彼女たちは、実にしっかりとした「プロ」だったのだと改めて感じた。後年、努力することを歌手時代に身につけたと語っていたというが、女優に転身してからも、そのまま、ひたむきに役に向き合っていったのだろう。死に際しての女優への執着は、アイドル時代のイメージからは考えられない芯の強さを感じた。 当初から予定されていたこの番組の前に、先日亡くなった怪優三國連太郎を偲んだ特別番組が急遽組まれていた。その中に、ドラマ「老いてこそなお」(2004年1月放送)の再放送があって、そこにも田中好子が三國の息子の嫁役で出ていて、結果、二つの追悼番組は、早くから企図して関連をもたせたかのようになっていた。 このドラマは、三國と認知症の老人ホーム仲間(渡辺美佐子)がホームを抜け出し、二人が一番気にしていることを見届けに旅をする物語で、周囲は大騒ぎするが、彼らは、老いの悲しみを実感しつつも、あちらこちらで人生のベテランぶりを発揮し、結果的に、危機を迎えていた息子夫婦はやり直すことを選ぶ。舞台は岐阜県郡上八幡、福井県三國町・東尋坊と、金沢から日帰り圏内のよく知る場所だったので、なおさら親しみが増した。 二つの番組、NHKのブログに、「「スーさんとスーちゃん」をしのんで」と紹介してあるのを見つけて、ちょっと笑った。国民は皆、この愛称を聞いただけで、すっと彼らの顔を思い出す。
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八日九日の嵐で桜は散ってしまうと思っていたら、頑張って、ほとんど花が残った。多少色は褪せたが、今年は短い年だと諦めていた分、うれしい誤算であった。 職場には「江戸彼岸八重紅桜枝垂」という珍しい桜がある。要するに彼岸桜系の桜で、花びらは八重、真っ赤に近いピンク色をしていて、枝は枝垂れているという木。これでもかと珍し路線満載で、染井吉野と比べると別の花のように見える。派手で美しく、なんだか中国系美人の印象の花だが、植えられているのは少し奥まった場所で、衆人目をひくというところではないのが、いじらしくもある。主役をはれる女優が脇に甘んじている、そんな感じである。 木蓮も見頃。枯れ木のように見える寒々とした枝から、大ぶりの白い花が枝に止まっているかのようにぽっこりと咲く。葉の芽は後で。考えてみれば桜もこの順番だが、葉がないところにまず花が咲くのは、植物として珍しい部類なのではなかろうかと、今更ながら気づく。 サイデンステッカーは晩年のエッセイの中で、定年後、日本の下町に移り住んだのは、次々と咲く春の花を愛でたいからだと書いているが、なんだかわかるような気がする。雪国人も春を実感するのはそうした開花の連鎖からだから。 歳をとると、あと何回桜見物ができるかなという思いが脳裏をよぎるようになるが、桜だけでなく、私の場合、ハナミズキあたりまでの花の流れ全体が愛おしい。
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「つづき」というよりオマケの話。 芭子役の上戸彩は、昨秋、私でさえ知っている黒っぽい恰好の男性ボーカル集団のリーダーHIROと結婚した。その際のコメントには、 「今の私は沢山の方に支えられているため、様々な責任を考慮し、本日まで皆様へのご報告を控えさせていただきました。」 「おかれている状況を考えながら、ありのままの私を支えてくださるHIROさん」 「12歳で芸能界に入った私は、プライベートが何なのか、ありのままの自分がどんな自分なのかわからないくらいにずっと日々の忙しさに戸惑いながら生きてきたような気がします。普通に経験するであろう生活、青春がなかった私……」 というような記述があった。彼側のコメントにも、 「幼い頃から仕事に青春を捧げ、ひたむきに頑張ってきた彼女」 というフレーズがある。 上戸彩の心持ちとしては、自分は多くのスタッフに支えられているから我が儘は言えないのだと周囲への配慮や我慢を続けた人生であったこと、自分には普通の女の子が味わうような青春時代が全然なかったという痛みがあって、彼はそれがわかって「寄り添ってくれ」たということなのだろう。芭子が前科という痛みを抱えていたように、上戸本人も華やかな女優ならではの痛みを抱えていた。 彼女は「いつか〜」の台本を読んで号泣したという。ドラマ収録中はその役になりきるタイプだそうで、明るい役なら口数も多くなり、暗い役なら暗い印象の子になると語っている。 ドラマの収録は夏、彼女の入籍は秋。芭子の再生の物語、特に前述した芭子のエピローグの独白台詞は、もしかしたら上戸本人の背中を押したのではないかと私は想像したのだが、どうだろう。
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一月からテレビで観て、三月に最終回をむかえ、下旬から四月上旬にかけて原作となった二冊、原作とはならなかったが最新刊でシリーズ完結編の三冊目も読んだせいで、綾香と芭子の二人の物語が脳裏から離れない。頭の中でずっとテーマ音楽や効果音楽が鳴っていて、心の半分が物語の中にいるような気分ですごした今年上四半期であった。 小説の芭子の性格はドラマと比較的似ていたが、綾香のほうは違っていた。前向きなのは変わらないが、小説では少々脳天気な中年女性の匂いが強い。後半、主張にも揺れがみられる。私はドラマを観てから原作を読んだので、基本のイメージはドラマのほうで、ドラマに使われていない話は、二人のサイドストーリー的な感覚で読んでいった。谷中の人達との関わりは小説のほうが遙かに深く、ドラマは大石夫婦と巡査、或いは勤め先の人々と限られている。芭子の彼氏も、ドラマではパフォーマー、小説では弁護士とまったく別人だし、関係が止まってしまったドラマと成就しそうな小説、恋の結末がまったく違う。 しかし、そうしたもろもろの違いも含めて、芭子と綾香の二人の世界が私の心の中でふくれていったような気がする。ドラマと原作を較べて読むということは、そう珍しくもないのだが、それは、どちらかをメインとして比較検討するというニュアンスだったりする。しかし今回は、違いにあちこち気づきつつも、相乗的に綾香・芭子像が膨れ上がっていくという今までにない心理的経験をしたように思う。 ドラマを観ながら、多くの視聴者は、自分の過去を思い出し、それが時に思い出したくなかったものが、封印を解かれたかのように浮かび上がったりしたのではないだろうか。私も自分の若い頃のあれこれを思い出し、今の感覚で、それをいちいち点検し、ああ、あの時、こうすればよかったとか、相手に申し訳ないことをしたなどと、自分の情けない行状を洗い出しては、自分をちくちく刺し、心が痛かった。 このドラマの根幹、一度切れてしまった「親と子の絆」の再生のモチーフも、忘れかけていた私個人の過去の記憶を引き出して、当時の心情をまざまざと思い出させることとなり、芭子を不憫に思って切なくなっているのか、子供だったあの頃の自分に対して切なくなっているのかわからなくなってしまった。 その上、いい歳の私は、切り捨てられた芭子ばかりでなく、子供と縁を切った母親妙子のほうの心情にも思いが至り、両方の痛みがわかって、切なさが倍増した。 ドラマで芭子は、何度も、自分のようなものは幸せになってはいけないのだと自分に言いきかせている。自分は人を好きになってはいけないのだと。これは、自分を卑下することで心を安定させ、自分を納得させようとしているのだが、その度に私は「それは違うよ、芭子ちゃん。」と言いたくて仕方がなかった。自分で自分をいじめても悲しみしか生まない。過去がばれて落ち込んでいる彼女に大石老人が言う、「あんまり下ばかり向くな。地面なんか見たって面白くもなかろう。上を向いて深呼吸のひとつもすれば、まあ、なんとかなると思え。」(第八話)
という言葉は、実に判りやすい彼女への励ましであった。
「人は誰でも心の中に孤独を抱えて生きている。その闇に飲み込まれ、一筋の光さえ見出せない日もあるかもしれない。けれど、寄り添ってくれる人が一人でもいる限り、きっといつの日か私たちは見つけられる。それぞれの陽のあたる場所を。」
このドラマは最後(エピローグ)にそう言って閉じられる。 人は様々な過去を背負って生きている。しかし、そんな辛い気持ちも、だれか一人、理解し支えてくれる人がいれば乗り越えられる。それは綾香のような同性の友人であっても、岩瀬君のような異性であっても、妙子のような親であっても構わない、それが家族だと台本作家は言っているようである。(つづく)
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先月下旬、職場の吹奏楽部の定期公演があり、聴きに行く。指導者が替わって一年、ステージ構成は例年と同じながら、選曲の傾向や出てくる音の質はかなり違っていた。メンバーは半数同じはずなのに面白いものである。 合唱部のコンサートも聴きに行った。少人数なのでワンステージもつのか心配したが、さすが、海千山千の指導者、OBを補強したり、ゲストコーナーを設けたりし、その上で、お楽しみ曲と難曲とをうまく混ぜ、最後まで飽きさせなかった。 月末、職場の送別会があって、同僚の何人かが別れていったのも例年通り。 また、この土日には、義父の三回忌法要があった。お寺での法要の後、辰口の温泉に場所を移してのお泊まり宴席があって、親族の親睦を深めた。 職場の忘年会と同じ旅館で、食事場所も同じ大宴会場。そこを、今度は我々たった十六人が使った。広々しすぎで居心地が悪いのではないかと思ったが、六人いる子供たちが所狭しと走り回り、まるで体育館状態になり、全然、変な感じはしなかった。子供が混じると、空間認識も違ってくる。 年端のいかない幼児ばかりだが、法事の時など静かにしていなければいけないという雰囲気があって、二年前の葬儀の時より、みんなちょっぴり成長したようだった。 昼頃、帰宅。午後には金沢市民劇場の観劇。長崎で被爆した四姉妹の悲しみを目の当たりにし、多くの観客は感銘を受けた。 年度末年度初めの忙しさの合間に、こうした行事やお出かけが挿入された。仕事が以前より前に前にとずれていって、まとまった春休みがとれなくなった昨今だが、いつもの単調生活とは違うというあたりがこの時期の特徴か。
いよいよ今日、新入生がやって来た。
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今年の桜は早くて今日満開を迎えた。明日明後日は暴風雨が襲来という予報なので、お花見するなら今しかないと、昨夜、愚妻と兼六園にむかった。 皆思うことは同じで、道は渋滞、駐車場へ入る車の列も長い。石川門のほうから入る口はただでさえ狭い上に、両サイドに露店が並び、その順番待ちの人で尚更狭くなっており、押し競饅頭(おしくらまんじゅう)状態。 その上、段差があったり、車止めの杭が立っていたりと、一つ間違うと折り重なって倒れ、けが人が出ても不思議でない雰囲気であった。腰痛持ちで歩行に自信のない私にはちょっと不安な状況で、身体の保持と、離ればなれになる危険性も高いので、愚妻が腕を掴んで、それでなんとかそこを通過した。くっついて歩くなんて、いやはや、何十年かぶりのデート状態であったが、実態はというと「老老介護」に近い。 金沢人の正統お花見、兼六園の夜桜は、本当に久しぶりである。地元民ゆえ、どこに桜が多いかを知っているので、そこを中心に園内を半周した。城内の河北門も初めて見学。天気にせかされて、つかの間の「非日常」のひとときを過ごした。
薄暮さえ白地に染めし桜かな
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テレビドラマ「いつか陽のあたる場所で」(NHK「ドラマ10」)に感銘を受けて、その原作「いつか陽のあたる場所で」「すれ違う背中を」「いちばん長い夜に」(いずも新潮社)を順番に読みすすめた。全体的にテレビより軽いタッチで描かれている印象で、若い人を意識した書きぶりである。 話の中心は、一回り離れていて性格も大きく違う二人が、前科持ちという痛みを共有し、前向きに生きようとする「女の友情物語」で、テレビドラマの根幹をなしていた「親と子の絆」は大きく取り上げられていない。そこが一番の違い。だから、芭子の母も綾香の父も出てこない。 基本的には谷中での日々の生活が淡々と描かれている。行きつけの居酒屋の女が旦那にDVを受けながらついに美人局も働いた話、パンの耳ばかり買う男の話、商店街の店の家族喧嘩の話など、袖すり合う谷中の人々の人間模様が描かれ、二人の関係に大きな変化はない。 原作の大枠は、ドラマでは第一回放映分に大きく反映されていて、ドラマは後半にいくに従い脚本のオリジナリティが発揮され、かなり違った物語になっている。小説を読んでも、こちらがイメージする二人は上戸彩と飯島直子だが、小説とドラマはかなり別人格である。この小説からあのドラマを作ったというのだから、ほとんど換骨奪胎の世界で、脚本家のオリジナリティをもっと称揚されてしかるべきだろう。 最新作で完結編の三作目は、東日本大震災に芭子が遭遇する話が中心で、非日常性の強い、テイストの異なったものとなっている。それは作者自身が、この物語執筆のために訪れた仙台で実際に地震に遭遇したからで、その実体験が色濃く反映されていることは「あとがき」に書かれている。作者は、こうした大震災が絡む物語になるとは思いもよらなかったと書いているが、それだけ彼女の体験の重さを感ずるし、それがこの前科持ち二人の物語の取材旅行中のことだったことをなにか宿縁のように感じて、この物語の結末に深く関わりをもたせようと思ったのだろう。 作者自身が「あとがき」で彼女たちの今後の人生の展開を期待し、「私がこのシリーズを終えた後も、彼女たちはさらにあらたな道を探して、歩んでくれるものと信じている」と、まるで実際に生きている人のようなコメントをしている。小説家は時にこうした書き方をするが、震災に遭遇したことにした主人公だからこそ、なおさら、そう書きたかったのではないか。 ドラマでも触れていたが、原作では後半、殺人罪と強盗罪の背負っている罪の違いがクローズアップされ、綾香は迷走する。その代わり、芭子には南という弁護士の彼が出来、すべてを受け入れてくれて、彼女の心は安定する。確かに、彼女にとって一番いい職業の男性で、作者の工夫が光る。 ドラマと違うのは彼女自身が自分の口から真実を言うことができた点。泣きじゃくりながら告白するシーンはこの小説のクライマックスであった。ばれる形になったドラマも展開として観る者をどきっとさせ、引きつけたが、こちらも彼女の勇気と切ない気持ちがうまく表現されていて読む者の気持ちを揺さぶった。 1月からはじまった綾香&芭子の物語。テレビが終わり、そして昨夜本を読み終わった。もう彼女たちの物語がなくて、新しい彼女たちに会えないのがひどく残念な今日の朝である。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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