ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。
エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
昨年三月中旬、愚妻の右耳の聴力が突然落ちて医者にかかるようになった。薬や療法を変えて色々治療したが、はかばかしくなく、現在も低音が聞きにくい。 私はと言えば、数年前、精密検査して高音の聞き取りが落ちていることが分かっている。「年齢からくることです。気にせず明るく生きていきましょう。」と言われて、老化による聴力低下は治療のしようがないのだということを知った。考えてみれば当たり前のこと。直るのだったら、お年寄りは耳で苦労しない。 お互い高音・低音、得意分野が別々。炊事の水しぶきの音が手元でしていたり、テレビでもついていようものなら、お互い何を言っているのかよく分からなくなる。 ちょっと離れて、隣の部屋から言っているような場合も、お互い、何か喋っているのはわかるが、内容が聞きとれない。食卓に座ってもう一度話直す。滑舌の悪いドラマの台詞も同様。 この四月、愚妻は左耳がまた突発性難聴になった。今度はなった時点ですぐに医者に行き、点滴を受けて、これは数日後から徐々に回復した。 結局、ぐずぐずして病院に行くのが遅れた去年の右耳の低音が落ちたままになっている(現在も加療中)。 私の病気ではなく配偶者の病気のことだから、ここで書くのを控えていたが、愚妻が、多くの人が見ているから、どうせ書くのなら、私のような失敗はしないように、「なったら、すぐに専門医に行く」のがもっとも大事だと伝えて。と言われたので、ここに書きます。
|
|
若い頃の恋愛を素通りして後ろにずれても、社会性は大人としてちゃんと身につけるから、自我や自己の社会的立場がはっきりし、どんどん「勢いでする結婚」からは遠くなっていく。そのため、結婚は自分をわかってくれる大人の異性と大人の付き合いをして、条件の良い相手を選択するという形になる。婚活という新造語が市民権を得るようになるのはそういう流れがあるからで、いい歳の男女の結婚は、なんとも面倒なことになっている。 晩婚化が引き起こす諸問題は、先月のNHKの「クローズアップ現代」などでも特集されていて、純粋に母体の問題に限っても、卵子の劣化、流産の危険性、障害児出産の危険性などが指摘されていた。高学歴等による晩婚化は、生物としての生命サイクルと齟齬をきたしていて、女性の生き方は、その狭間で苦しい辻褄合わせを強いられているのが現代だということが、鈍感な男の私でもよくわかった。四十歳を越しての初産の流産率は三十五パーセントを超えるという統計もある。女性にとって、今は大変なリスクを抱える時代になっている。
ということで、その隙間を埋めるべく流行るのが「婚活ビジネス」ということになる。このドラマは、婚活業界のやり口を我々に紹介しているようなドラマで、婚活のコンサルタントをしている男はある種の心理カウンセラーのように見えた。このドラマを観ると、申し込んだ客は、常に商品価値評価の対象として相手から値踏みされる。条件の悪い人にとっては、なかなか辛そうである。 キャリアを続けて会社人間だった彼女(観月ありさ)が、この婚活サイトで婚活に励むようになり、これまでの生き方と違う自分を探しはじめる。結局、最後の自営業の彼とも、どうなるか分からないといった状況で話は終わってしまうが、変にハッピーエンドで終わるよりリアリティを感じて、悪い結末ではない。
それにしても、これを観て、いい歳同士のお付き合いのきっかけ作りって、なんて面倒なのだというのが偽らざる心境である。やはり、生き物として順当なあたりの年齢で恋愛して結婚するのが一番いい。後先考えない勢いが大事。
|
|
ちょっとアップが遅れた。この四月、全三回の婚活ドラマ「ご縁ハンター」(主演 観月ありさ)を観た。 私の子供の頃、女性は二十二歳ごろが結婚適齢期と思われていた。女性が四年制大学に行くのが少数派だった時代である。高校か短大を出て、数年社会に出て、彼氏を見つけて結婚というのが大勢で、二十五歳はお肌の曲がり角、二十も後半になると、焦り出すというのが当時の「常識」だった。 嘉門達夫に「二十六歳」というコミックソングがあって、女が会話の端々に結婚後の話を織り交ぜ、男に結婚を迫るという内容であった。今はこの年齢でこの話は少々そぐわない感じだ。 私が大学の頃も、前の世代のそうした雰囲気は残っていて、大学出た途端結婚したり、学生結婚も珍しくはあったが、ないでもなかった。この「学生結婚」なんていうのは、今やほとんど考えられない習俗(?)なのではないか。 女性も今や大学や大学院を出ている。不況下、就活もせなければならず、すんなりと正社員になるのも厳しい。社会人になるのが年々遅くなり、今や二十五歳前後でようやく落ち着く。大人社会に慣れてくるのが三十歳ちょっと前、あっという間に三十代突入である。 現在、女性の初婚年齢は28.8歳。私世代の三十年前と較べると、3.6歳の上昇で、晩婚化にともなって、初産年齢も29.9歳と30歳をこえるのは時間の問題となっている(30年前は26.4歳)。現在、女性の生涯未婚率は約一割で、三十年前の約二倍になっている。(以上、「こども子育て白書」による) なお、「人口統計資料集2012」(国立社会保障・人口問題研究所)によると、2010年の女性の平均初婚年齢は29.69歳。1980年は25.11歳で、三十年の間に4.58歳上昇したという数値となっていている。1980年にはアラフォー女性の約9割、アラサー女性の約8割が結婚していたが、2010年になるとアラフォーは約7割、アラサーになると、ほぼ5割と大きく減少している。
先日のGW中の夕刻、浅野川界隈を車で通った。ラッシュで、あのあたりで車が長く止まったので、観光しているカップルを十何組か眺めた。皆、仲良く手をつないでいる。微笑ましくもあるのだが、よくよくご両人を眺めてみると、若いには若いが、そんなに若くないというくらいの年齢の人たちばかりであった。中にはアラフォーに近いのではないかと思われるカップルまで……。手をつないでデートなどというと高校生から二十歳代前半くらいまでのイメージなので、どうみても老けて見えるのだった。これは、上記の統計がそのまま反映され、二人の蜜月期もそのまま後ろにズレている現実を、見た目ではっきりと示している出来事のように思えた。(つづく)
|
|
教員は土曜日・日曜日が埋まる。昨日の土曜日は、午前、補習・保護者関係の会合・午後、武道館で部活の監督、夜、保護者との懇親会と大車輪。なんとか無事完走、夜、我が家に辿りついたが、さすがにヨレヨレ。こういう日が連日あると、おそらく体がもたなくなる。 次の日も部活で、結局、2日休みは半日のみの休み。だいたい、こんなペースで休みが潰れていく。これを読んでる教員希望の人はそのつもりでいて下さい(笑い。但し、ちょっと引きつりながら……。) 暑い日も入るようになり、かといって、寒い日も急に入る、そんな日々である。午後、量販衣料品店(別名をユニクロ)に行って、夏に備えて薄物を買う。入り口で生徒とすれ違う。ここに行くと衣服のグレードが生徒と一緒だと知らされ、ちょっと微妙な気持ちになる……。
|
|
胃痛が続いたので、通院して薬を飲んだが、はかばかしく痛みが取れず、胃カメラ飲みましょうとということになった。 某日、絶食して医院へ。私は過敏な人なので、麻酔を使って無痛でお願いした。口にマウスピースをはめたところまでは覚えているが、その次見えた景色は安静椅子。一瞬、術後なのか今からなのかわからず、混乱した。外していた時計をはめ直して、すべては終わっていた事を知る。それにしても、七十キログラムの私をどうやってベッドから椅子に下ろしたのだろう。ちょっと聞いてみたい気もしたが、「重たかったです」と言われるのがオチだなと思い、やめにした。胃の中は、若い人のとは違って、全然ピンク色ではなく、年寄りの胃然としていた。 重症でもないが、問題なしでもない、それなりの診断で、一週間、特別な薬を飲み続けることになった。アルコール厳禁、薬の飲み忘れ厳禁。サボると効かなくなるという。錠剤のパッケージ自体に朝夕の指示が書いてあって便利になっている。 一回、これで胃の中が空っぽになった。それに乗じて、不摂生を控えて、できれば減量も。転んでもただ起きぬ精神を発揮しようと、今は思っているのだが……。
|
|
同じ釜の飯を食った親友の音楽界での成功が羨ましく思うままに、今は音楽を捨て、家庭人に収まった遠藤奈津美(板谷由夏)と、クラシックの世界で成功はしたものの、浮沈厳しく、奈津実の夫となった一登(谷原章介)への思いも断ち切れない白瀬茉莉(羽田美智子)の二人の女性の友情を描いたNHK火曜夜のドラマ「第二楽章」(全九回)を、現在、第五回まで観た。 夫を挟んだ三角関係的な人間関係も二人の関係に陰影を与えるが、それ以上に、独身で音楽だけに身を捧げ、キャリアを歩む女性と、主婦として夫や家族を支え、母として娘を育てている女性の考え方の違い、あるいは、若い頃の小さな裏切りと、そのことへの長年のこだわり。無二の親友だからこそ渦巻く愛憎の心の内などが幾重にも重なって、すんなりといかない二人の気持ちのやりとりが繊細に描かれていた。 茉莉は多少の障害があっても自分の思いを通す性格で、奈津美夫婦に波風をもたらす。基本的な彼女の立場や考え方はキャリアを重ねる女性の雛型で、反対に奈津美のほうは、キャリアを目指したが、妊娠を機に、納得の上、そこから離脱して、女としての幸せを掴むことに転向した女性の雛型である。台本作家は、今多い、この二つのタイプの女性を、各々の生活の中に近づけたらどう火花が飛ぶかという発想で作り始めたにちがいない。 茉莉は、外国のキャリアを失い不安定な状態で、だらしない独り身の母親も気にかかる。他のことを切り捨ててでもひとつのことを信じてやってきた自分に対する懐疑や、端から見ると輝かしいが、そこには自分の欠落している部分への空しさもあって、茉莉なりの悲しみを抱えているし、主婦の奈津美には、納得はしているものの、時間を止めてしまった挫折感がある。その気持ちで、夫を取られかかったと思ったり、娘の気持ちも茉莉に取られてしまうのではないかと焦りと不安な気持ちも加わって、精神が動揺する。 どちらも 自分にない部分を持つ相手に憧れを持ち、且つ相手への敗北感を抱え込む。第五回では、お互い取っ組み合いの大喧嘩をして、言いたいこと言って絆を繋ぎ直したが、さて後半はどう展開するか。 女の人の生き方は、今、本当に多様化している。出産と子育てという大事を自分の人生のどこに定位させるか。そもそもそういう人生を歩むかどうか。それに決断した自分をどう納得させ、懐疑せずに生きていけるか。現代の女の人の生き方は、本当に難しい。
|
|
これまで、映画の評判をリサーチするため、ネットで感想を調べたことはあるが、テレビ番組までそんなことをしたことはなかった。今年、公式サイトや感想サイトも見て、その物語を副次的にも楽しむようになった。人の感想を読むと、へえ、そんな意見もあるのだという、考えたこともないような感想があって驚く。 夫婦二人のお茶の間テレビ鑑賞なので、愚妻と感想を言い合いながら観ている。これも、個人で勝手に思っているより見方が広がり、愚妻の意見になるほどと思うこともある。 今、熱心に観ているNHKドラマ「第二楽章」(火曜ドラマ10)。三角関係になりかった状況を断ち切るため、貴方とは軽い気持ちだったと嘘をついた彼女(羽田美智子)に、妻子持ちの彼(谷原章介)は「ありがとう」というメールを送る(第四話)。そのメールを見て、彼女は泣き崩れるのだが、男の私は、「貴方の嘘はわかっているよ、でも、その心がうれしい。ありがとう。」と素直にメールを送ったと理解し、察しのいいのに感心しただけだったが、愚妻は、「嘘だとわかっても、あんなメール送ったらダメでしょ。」と否定的だった。確かに言われてみれば、そんなのいらぬ優しさかもしれない。嘘を言った彼女は、尚更、辛くせつなくなるだけで、終わるものも終わらなくなる。 先日、この番組のアラフォー限定トーク会があったそうで、模様がネットで紹介されていた。そこで、このシーンをどう思うか、ゲストの谷原章介が観客に聞いたところ、過半数が「ダメでしょ。」という意見だったという。愚妻の意見は女性として標準的なものらしいということがそれでわかったが、男の私は、言われてみれば確かにそうだよね、といったレベルで、見たその場で、そんなことまで全然気が回らなかったし、逆に、男の優しさとして格好いい行為のようにみえたくらいであった。やはり、男は男の視点でしかものを見ていない。仕方ないことなのだろうけれど、こうした細部の行き違いが男女の間で積み重なっていくのだろう。 録画機が活躍しだして、まず、録画。余裕のある時に観る。耳が遠くなり、よく台詞が聞こえない時はリピート再生で聞き直す。印象に残ったシーンは何度も観る。そんなズルズルな視聴をやっている。
|
|
インターネット質問コーナーで、その回答の多数意見が、私個人の意見と往々にして違う結論となっているということを以前書いた。その時、私が考えた結論は、回答をしている人は多くが私よりも下の世代で、その世代の考え方を元に結論づけていることが多いので、モラルの「世代間ギャップ」がそこにあるというものであった。 先日見つけた相談。
「主人の姉に子どもが産まれ、親戚一同で集まった時のことです。 主人の叔母に当たる方(60代後半)が、その子どもに対しておっぱいを飲ませようと、親戚一同の前でおっぱいを出し、ホラホラ、と詰め寄っていました。」
これって普通のことですか。というのが質問(yahoo知恵袋)。答えた人は、全員、否定的見解で、「はじめて聞いた」「衝撃」「変態行為」「鳥肌もの」などの厳しい見解が並んでいた。 私はそうは思わない。 私の子供の頃は、赤ちゃんが泣いた場合、その場でお母さんが胸をはだけ、授乳するということはそう珍しいことではなかった。親戚の叔母さんだったら家の中ではかなり平気で人前で授乳していたし、当時走っていた路面電車の対面椅子で、平気でやっていたのを見ていた覚えもある。 おっぱいも、赤子が泣き止まなかったら、母親でなくても、とりあえず乳房を含ませてみて、泣き止まないかやってみたりしていた。私など、祖母の萎びた乳首にそれなりの年齢まで吸い付いていた覚えもある。さすがに大きくなって、回りからもうお兄ちゃんだからと冷やかされ自然にやめたが、祖母は、最後まで、いやそうでもなかった。 おそらく、当時は授乳に対して、今よりかなり大らかで、相談のように、親戚レベルの女性が、赤ちゃんに(出ないにしろ)おっぱいを与えようとする行為は、そう目くじらたてるほどのことではなく、むしろ、微笑ましいとさえ思われていたのではないだろうか。田舎では特にその傾向が強かった。 おそらく、その行動をした女性は、赤ちゃんをみて、遠い昔の自分を思い出し、母性として授乳行為のまねごとをしたくなっただけなのだ。この行動を取った女性が六十歳代後半ということなので、育った時代は戦前の文化をたっぷり残している頃。質問者は「親戚中がおっぱいを出す行為をおかしいと思っていない」ことに戸惑っているようだが、それが逆に証拠となる。みんな古い感覚の田舎の人たちなのである。 だから、おそらく、彼女の行為は「インモラル」であるということではなく、「今のモラルには適合しない。」ということにつきるのではないかと思われる。 頭ごなしにその親族一同の常識を否定するのではなく、ある程度は許容した上で、昔はそうだったかもしれないけれど、今はそういう行動は 慎むのが常識になっていますよと遠回しにわかってもらうくらいがいいのではないかと思った。 いずれにしろ、五十歳代半ばの私が読んでいて、「変態行為」などという言葉が並んでいるのは、違和感が強く、そんなコメントをみるにつけ、「今の常識」に囚われることの危うさと、すこしでも逸脱すると「ありえん」と全否定してしまう、狭苦しい「常識純粋主義」とでもいうべき最近の精神傾向の怖さを感じた。
花もハナミズキが盛りをすぎ、街路樹下の躑躅も満開、遠目よく分からない色とりどりの花が咲いて、春真っ盛り。
|
|
NHKの平成二十四年度後半の朝の連続ドラマ「純と愛」の総集編(前編・後編)をGWの一日、一気に観た。朝の連ドラ総集編を観るのは「ゲゲゲの女房」以来。基本、朝、家を出てからの放送なので、最近、全然観たことはない。 笑い向けの間延びしたシーンはほとんどオミットされ、物語の根幹だけが取られているので、下手に毎日観るより、一気に感情移入でき、映画一本観たような気分になって、逆に好都合であった。 放送されている時から、人の心を読める超能力を持つ彼氏が出てくるということくらいは知っていて、伝統の朝ドラ系列の中で、珍しい非現実的設定だと思っていた。書いたのは、あの奇妙なドラマ「家政婦のミタ」を書いた脚本家らしい。 その能力を持つ彼氏の愛(いとし)は、なよなよと軟弱。逆にヒロイン純のほうは、えらく元気いっぱいで、時に配慮が足りないガサツ系。恋愛も彼女ペースで進む。しかし、彼の知力・洞察力があるから彼女に根っこが出来て、元気に前向きに生きていけるという設定が、この二人の恋愛をイマドキのものにしている。接吻も彼女から。同衾も彼女が彼を抱きかかえるかたちで。 彼を庇護する男勝りの人物設定に、夏菜という女優さんのボーイッシュな容貌はとてもよく似合っているように感じた。結構、二人は抱きついていたり、くっついていたりして、朝ドラにしては、(爽やかではあるが)色っぽい。 勤務先のホテルは乗っ取られ、沖縄の実家のホテルは人出に渡り、身を置いた大阪の木賃宿は火事で燃え、再起を期した別荘風のリゾートは台風で被害と同趣向を繰り返しながら、活躍の舞台が変わっていく。母は認知症になり、妨害ばかりしていた父は死亡。最後は、彼氏が脳腫瘍で植物人間状態。ちょっとやりすぎで、彼女をどんどん不幸にして、視聴者を泣かせる場面を作るための楽をした設定のようにみえる。あまりに慌ただしすぎて、違和感を持った視聴者も多いらしく、世間の評判は芳しくなかったようだ。 その上、前半、性格が周囲に迷惑をかけることが多い「お騒がせ」系人物設定だったせいで、主人公の彼女を嫌いになって、作品全体を評価しなくなったということもあったのではないか。 しかし、成功・失敗はともかく、私は地味な日常が続く従来型よりもインパクトがあって、ちょっと破天荒だが、こういう試みもあってよいと思った。主役の若い女優さん(夏菜)の一生懸命さが伝わる体当たりの演技は魅力的であった。
|
|
4月の下旬、職場で外国の方を迎えての交流会があった。前日悪天候だったが、当日は好天、次の日は崩れたので。実に間がよかった。同週、春の遠足もあったが、これもまったく同様で、前後日は雨だが、当日は好天に恵まれ、春の日を浴びて、ゆっくり太陽にあたることができた。いい遠足だった。 GW前半は春季の弓道大会。これも前日の練習は雨でうすら寒かったが、大会当日は晴れて、大会日和。GW後半は恒例の練習合宿。これも、好天に恵まれ、気持ちのいい合宿になった。 ということで、ここのところ見事なまでに天候と行事がシンクロして、いい感じだった。こんなに間のいい巡り合わせは、そうあるものではない。 利用した富山県大島町の弓道場は、木の作りが落ち着いた雰囲気で、感じのよい道場なので、久しぶりに一眼レフと明るい単焦点レンズを持参して、練習風景を頑張って撮った。 悪天候で残念というのはよくある話だが、あまりにうまくいってびっくりというのはちゃんと覚えているだろうか。
|
|
GW最終日、金沢の繁華街を遠足しようということで、歩いて新竪町〜竪町〜片町〜香林坊界隈の散策を楽しんだ。街は数年前と大きく変わっているわけではないが、よく見るとお店お店は結構違っている。ぶらぶら歩きのせいで、ネットで見知った皮革製品が置いてある店を発見したり、新しい鞄屋さんを開拓したりした。 街は思ったほどの人出でもなく、ゆったりとウインドウ・ショッピング。車でないので、駐車の時間制限がなく、普段よりもゆったりと観てまわることができた。 デパートでは、置いてある商品よりも訪れているお客のファッションをちらちら観察した。男客はやはり少ない。各階の休憩スペースで、奥さんの買い物を待って時間つぶしをしているオッサンがいる反面、紳士もの売り場で、自分のものを熱心に選んでいる男性もいる。面白かったのは、自分でシャツを選んでいる人の身なりは、それなりに気を遣っている人が多いのに較べて、ウエイティング中のオッサンは、なんともオッサン臭いドブ色スタイル。おそらく自分の服も妻任せ。服などどうでもいいのだろう。そんな気持ちがそのまま反映しているという感じであった。 女性は、年の老若はあるものの、みんなそれなりに気を遣って着飾っている。高齢の方はもちろん高齢に合わせた地味な服にはちがいないが、地味な格好の中に、やはり、お洒落に気を遣った形跡がはっきりあって、女性はどんなにいい歳になっても、身なりに神経を使いたいのだろう。しわくちゃ婆さんになっても、せめて格好だけでも若々しくしておきたいといいう乙女心を感じて、なんだか、そんな老齢のご婦人たちを、可愛いらしく思った。 ということで、こんな人間観察がちょっと目新しかった今年の小さな小さなGWの行楽。
|
|
松任弓道協会の高畠有幸先生が逝去された。御年九十五歳。常に溌剌と威厳をもって後進の指導をされ、大長老として皆の尊敬を集めた。昨年6月の野々市市の大会(第31回道場開設記念大会)では、8射7中、同中射詰めの結果、見事優勝を果たし、「九十四歳の優勝」ということで新聞にも取り上げられた。弓道には高齢の部などという枠はなく、若い者を下しての優勝ということで、おそらく他の競技ではありえない事態である。 私も、前任校の折、松任の道場を借りて部の合宿をするに際し、打ち合わせなどで何度か謦咳に接した。八十をとうに過ぎていても颯爽と車を運転されて道場に現れた。何度か模範行射をお願いしたこともある。あのお歳で、背筋がすっと伸びて、弓道をしているとあのお歳でこんなにシャキッとしていられるのかと驚嘆するのが常であった。強い弓をしっかり引く筋力もお歳を考えれば大変なものである。 また、現在の勤務している学校の道場開設に尽力されたというご縁もある。数年前、コーチをお願いしていた老齢の先生が、高畠先生は私の先生だと言っていた。その方はその時八十歳を超えていた。この計算でいくと、今の頑張っている学生さんにとっては、「先生の先生の先生の先生の先生」くらいの人である。 通夜に出席したが、現役の方に負けない大勢の焼香者で、棺の横には弓具一式が立てかけられていた。竹弓に鷹羽根の矢。 ご子息の挨拶によると、死に際しての必要な書類は既に準備してあって、あとは日付けだけを入れればいい状態になっていたそうである。しまいに、定期的に買っていた栄養補助食品を断る手紙もあったそうで、会場からは静かな笑いが起こっていた。 なんといっても大往生。悲しみが会場を覆うのとは違う雰囲気の通夜であった。
|
|
お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
感想をお寄せください。この「ものぐさ」のフォームは、コメントやトラックバックがあるブログ形式を採っておりません。ご面倒でも、左の運営者紹介BOXにあるアドレスを利用下さい。
(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
|