ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
「陰影礼讃」を教えている。作者紹介で谷崎のことを数分話す。小生の卒論は晩期作品「鍵」。中年夫婦がお互いの日記を盗み読みする話で、表面上は読んでいないふりをする。日記はお互い暗黙の了解のもとで、思ったことやしてほしいことを書くようになる。ある論文で、これはもうひとつ別のコミュニケーションの回路が開かれたということだというのがあって、成る程と思った覚えがある。 昨今の子供たちの人間関係上のトラブルのほとんどすべてはスマホのラインなどコミュニケーションツールを介したものという。心ない書き込みから喧嘩になったりいじめになったり。便利そうな電子上のコミュニケーションのために、実際上の人とのコミュニケーションが疑心暗鬼なものに変質してしていく。 作品は性的な事柄を中心に進むが、夫婦にしろ友達にしろ人付き合いが腹の探り合いのようになる点で、今のスマホと共通しているように感じた。 つまり、今起こっていることは、了解の上の日記の盗み読み合いのようなものだ。そりゃあ、人間関係はドロドロになる。 谷崎のこの作品は後期悪魔主義なんて呼ばれる。若者のほとんどはこの「悪魔主義」を実践しているのだ。さすが文豪、すごく予見的。
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寒いは寒いが例年より雪が少なく、通勤しやすい日々が続く。夕食の買い物をし、料理をつくり、連ドラの録画を観、すぐに眠たくなり、さっさと寝る。その分、昔より早起きになり、明け方なんやかやをする。そんな冬の生活。 去年、鞄を幾つか買った。冬季シーズンになり、革は水濡れ大敵なので、持っていく訳にはいかなくなった。雪、霙、雨、雷、曇天、一時晴れ間と、一日に全天候が味わえるような急激に変化するのがこちらの気候、例の「弁当忘れても傘忘れるな」の土地柄である。 布製も不可。雨しみこんでしまう。時にはシミに。トートバックも不可、口が開いていると中のものが濡れる。ジッパーが基本。滑って転ばないように、手提げより肩掛けタイプがよい。 ということで、結局、ビニールや合皮製で、口のしまる以前から使っているショルダーバッグの出番となって、買った割には活躍していない。愚妻も雪の時はアディダスのスポーツバッグ。 金沢の繁華街に、革鞄専門店がオープンしていたのを去年見つけたが、あのお店、どう冬季間ご商売を続けるのだろう。全国数軒の支店のひとつに金沢を選んだのは失敗ではないのかしらんといらぬ心配。
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所属共済の会報を見ると、収入額の減少等により事業を見直すとして、事業の廃止・統一、給付金の廃止、補助額の減額、自己限度額の引き上げなどの文字が並ぶ。こんなにも一度に……。逆に掛金は増額。 中で「結婚手当金の廃止」の項目に目が止まった。かつて夫婦共々もらったので、足すと結構な額になり、結婚式費用として重宝した覚えがある。今後結婚する人は何もあたらないなんて、おめでたい話なのに世知辛い。周囲の未婚者に、廃止になる来年三月までに結婚した方がお得だから早くしたほうがいいと、廃止をお知らせしようかと思ったが、そんなこと女性に言ったら、今やセクハラである。 我々が結婚式をした共済の会館も、経営不振でもうとっくに取り壊されていて、跡形もない。 こうした福利厚生事業がどんどん無くなっていくのが一番寂しい。この仕事についた時、自分も当然享受するものと思っていた諸制度が、先細りのように無くなっていく。
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ニュースで、詩人の吉野弘の死を知った。八十七歳。「I was born」は教材によく採られた。解説を付した茨木のり子「生まれて」の引用詩という形で触れた方も多いのではないだろうか。「現代詩文庫」(思潮社)という詩人シリーズで「吉野弘」集は容易に手に入る。一冊読んでも、ほとんど一読で言いたいことがわかる。茨木のり子が平明を心がけたのと同様の身近さがある。夫婦関係の機微を詠んだ「祝婚歌」。「夕焼け」も人口に膾炙している。一時期、気に入って、詩の授業をした後、代表作を並べたプリントを配ったりした覚えがある。訳のわからない詩を書く詩人が多い中、本当に「訳のわかる」詩人だった。 「櫂」のメンバーは、川崎洋が二〇〇四年に、茨木のり子は二〇〇六年に亡くなっている。「櫂」の創刊は一九五三年だから、六十年たっていて無理もない。 新聞には指揮者クラウディオ・アバドの死も報じられていた。何十年か前、クラシックを熱心に聴いていた頃、アバドは中堅どころといった感じで、徐々に地位を上げつつあった。私はロンドン交響楽団とのイメージが最初で、後、グラモフォンで新録をどんどん入れて、話題作を連発、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。私が知っているのはそのあたりまで。ウィーン国立歌劇場の音楽監督就任だとか、ベルリン・フィル芸術監督就任とかはニュースで知っている程度。 だから、今回、年齢を見て驚いた。もう八十歳になっていたのである。あの若々しく、無理な解釈のない清新な音楽を作っていた人が、いつの間にか、大ベテランになっていたのだ。年下のムーティあたりは、出たての若手のイメージだったので、あれと、ウイキペディアを見ると、現在七十二歳だそうな……。(ムーティにいたってはアナログ盤しか持っていない)クラシックから遠ざかってだいぶたつ。LP・CDをちょっと探してみなければ……。
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冬には野菜が高くなるものだが、東日本震災以来、特にひどくなったような気がする。料理番組で、蕪を使った和食の一皿を紹介していたので、ではと、スーパーの青果コーナーに行くと、結構なお値段。それにたき合わせるメインのお魚などを入れるともう超高級料理になる。今の時期だから仕方ないのかもしれないが、胡瓜はまとめて幾らではなく一本に値段がついていて、買うのも躊躇するお値段。 鍋に必要な白菜も、一玉四百円ほど。一玉だと野菜室の中で萎びることも多く、昔は少々抵抗があったが、今はその時その時、四分の一に切ったのを買って使い切る。 この頃、コンビニではサラダ用にキャベツを千切りしたものが売っていて、水洗い不要という。これだけ野菜が高いと、四分の一玉買って、それを家で千切りにするのと、手間を考えればあまり変わらないということになって、千切り野菜も買うようになった。これも使い切り。一人二人暮らしならそれで充分である。最近は、同じ商品がスーパーでも並び、結構、売れている。 スーパーの野菜はそれなりのお値段。一個買って食べきれるかという問題はあるけど、一度、足を伸ばし、農協などがやっている直産販売所などへ行ってみるのもいいねと愚妻と話している。 愚妻がうちは食費がかかっているという。昔ほど、外食にはいかなくなったが、共稼ぎなので、安い時に食材を買ってそれを腐らせずうまく調理するということが出来ていない。往々にして半完成品や出来合いを買ってきて並べるだけになりがちで、それでお金がかかる。仕事終了後、買い物に行くので、赤札は店頭に沢山見かけるのだが、いくら二割引のシールが貼ってあるものを買っていても、そもそも出来合いのお総菜などは単価が高いので、食費は専業主婦のやりくり上手に較べると膨れる。 まあ、仕方がない部分もあるんじゃない? と愚妻には答えておいたが、私より早く定年を迎える愚妻が、その瞬間からやりくり上手の主婦になるとは考えにくい。今から頑張れ、愚妻!(と、一応、言っておきたい。) (所帯じみた話題で、申し訳ありません。)
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暦の巡り合わせで例年より長い冬季休暇となって、すぐに三連休。仕事が二日間午前に入ったが、それでも、またエンジンが止まってしまったかのようになり、また今日から仕切り直しのごとくになった。朝、車の温度計でマイナス2度。うっすらと雪が積もったのと、播いた融雪の水が凍って、道路はアイスバーンとなった。普段は圧雪がタイヤでつるつるになって「きんかなまなま」になることが多いので、同じテカテカ道路でも、今日のは放射冷却的・太平洋側的な寒さとなった。 この連休、溜まった録画をみたので、以下、感想。 若い女優が今のベトナムを首都ハノイからホーチミン市(旧サイゴン)へ国道一号線を南下する番組(NHK)があって、興味深く観た。我々夫婦は以前、ホーチミン市を観光し、ほんの少しだけだが、その国道一号線を北上し、郊外に遊んだことがあるので懐かしい。 都市部は近代化が顕著で驚いたが、田舎は以前観た風景とそう変わらない。肥沃な土地、温暖な気候。日本より気候的に恵まれている豊かな国である。昔の日本の田舎みたいで懐かしいねと当時夫婦して親近感を持った覚えがある。今、経済的にも伸び盛りで、この豊饒の国が、かつて東西冷戦の犠牲となって戦場になったとは想像できないくらいである。騒擾に巻き込まれなければ第二次大戦後、本当に飛躍的に発展していたであろうと思われた。 番組は、新たに開通したトンネル、滅んだ王朝、急速に世界に普及しつつあるベトナムコーヒーなどを紹介しつつ、バスを乗り継ぎ、夜行列車を使ったりして一八〇〇キロの行程を紹介していた。大動脈といっても片道1車線さえあやしいところも多い。南のホーチミン市は毎年二十万人の人口増加があるそうで、いずれ一千万都市になるらしい。首都ハノイより自由な雰囲気で、国民はこの街に憧れをもっているそうである。バイクの大群は、あの頃以上で、ライトの点光が通り一杯に動いていく夜の俯瞰風景は美しかった。 先頃、池上彰の解説本でもう一度ベトナム戦争をおさらいしたせいもあって、番組を観ながら自分の六〇年代後半から七〇年代前半あたりを思い出し、漠然とした当時の「世界」に対する自分の受け止め方なども思い出していた。前回の文章もそれに触発されて。 池上氏は、稲穂垂れる田圃を米の戦車が踏み散らして進んでいる映像を観て、どんなに大義名分を並べても、現地の民に支持されないだろうと当時高校生ながら直感したという。北が統一する形で終結したので、同じ資本主義側としてどうなんだろうとあのころ思ったが、国民がどちらを支持したのかは明らかである。
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この年末、男と女の双子が生まれてお父さんになった方がいて、生まれる前に伺った話。 準備ということで、今主流の量販型ベビーストアに行ったところ、店内は左右男女別に分かれていたという。そのため、ひとつのものを買おうにも、巨大な店内の隅から隅へ大移動しないと同じものが買えなかったらしい。今後もずっとそうなんだと思うと、ただでさえ双子で大変なのに、性が違う大変さも思い知らされれて「あれあれ」と思ったそう。 確かに、お古のお下がりという訳にもいかず、ピンクと青で共用もできず、すべて同時に二人前買わねばならず、他人事ながら大変そうである。 これも。前回のドラッグストアの話と同様、個人営業の小売店がなくなり、巨大量販店中心になったため。今は一人っ子ばかり。赤ちゃん一人の場合、それは合理的配列だが、ちょっとでもイレギュラーになると、その「合理」の範疇から外れて、一気に不便になる。 名前も、性が違うから、「茉奈・佳奈」のようなペア風にもいかないだろうねえと、人の赤ちゃんの名前で、その場はちょっと盛り上がった。四字熟語の上下分割なんかがいいのではないかという案が出、それなら「やきにく」ちゃんと「ていしょく」ちゃんがいいではないかなどと、もう、メチャクチャであった(笑) 私もちょっと考えたが、なかなか難しい。「公明」君と「正大」君とか、やはり両方男名前になってしまう。無理矢理、「古今」ちゃんと「無双」君なんてのを考えたけど、やっぱり無理。 ちょうど、年末仕事が一段落したところだったので、気持ちに余裕があって、ちょっと和気藹々とした雰囲気になって和んだ。健やかなご成長を。
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昨夏、タンゴ好きの方と高速で車をご一緒した。今は華道家をなさっているが、一九七〇年、大阪万博でアルゼンチン館に勤務したという。レストラン部門の出し物のタンゴ演奏の司会を頼まれ、一日八回も公演のMCを担当、一流どころの奏者と親しくなったそうだ。タンゴ音楽の蘊蓄が素晴らしく、私はお隣のブラジルのボサノバなら少しは知っているので、その辺りの知識を使ってなんやかやと音楽談義。 彼はピアソラとも交友があり、来日時は「おっかけ」だったという。オールドタンゴの愛好者の多い日本では、革新者ピアソラは当時人気がなく、来日公演はガラガラだったという伝説について聞くと、ちょっと違う、満席ではなかったが、ガラガラではなかったという。エレキギターの音ががどうにも合わないという私のかねてからの疑問を彼にぶつけたところ、その質問は彼自身が本人にして、哀しい顔をされたという。彼の演奏仲間とも交友があり、プライベートに遊びに行ったりしたらしい。 「リベルタンゴ」がヨーヨーマの演奏で有名になったが、彼に言わせれば、彼は色々なジャンルに挑戦しているひとつとしてピアソラをやったというイメージがつよく、本当にタンゴの心を理解しているかは疑問であるとのこと。クラシックなら、ギドン・クレーメルのほうが理解しているかもしれないという評価であった。 私は「セルジオメンデス&ブラジル66」の万博公演のライブ盤を持っているので(結構マニアックな盤です)、その話をしたところ、その時、彼は生で聞いていたという。 音楽ファンにとって刺激的な話ばかりで、すごい人がお知り合いにいたことに驚いた。文学愛好つながりの方なので、向こうも、こちらが南米音楽好きであることを初めて知って驚いていた。 彼は働いているアルゼンチン館に当時付き合っていた彼女をつれていったそうで、会期終了後、すぐに結婚したという。彼の青春は、この一九七〇年にあったのである。
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(もう一去年の春の話。とっくにアップしてあるかと思っていたが、していないようなので今頃アップ。) 入門単元「児の空寝」。この「空寝」の意味がわからないようなので、「空耳」とか、「そらぞらしい」とかいくつかヒントを出したのだけれど、ダメだった。「そらぞらしい」は既に多くの生徒が知らない言葉だった。 「こともなげに」を「こともなにげに」と生徒が読んだので、もう一回読んでと促したが、直らない。何度読ませても、「こともなにげに」という。この生徒、「こともなげ」という言葉を聞いたことがないのだろう。「何気に」が大手を振って使われているので、こっちのほうが自然に感じるのだろう。「何気に」の普及ペースからして、いずれ、この「こともなにげに」も頻繁に使われるようになるかもしれない。 本来は、もちろん、「何ごともないかのように平気で」の意味だが、いずれ、「ことも」が接頭語として頭についた今時言葉「何気に」のバリエーションとして、「はっきりした考えもなく」の意味に収斂してしまうのでないかしら。
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我が職場で使っている人はいないが、「採点ペン」というのがある。大昔からあり、私の小学校の時の女先生はそれで丸をつけていた。子供には見たことがないペンで、インクを注ぎ足しながら長く使える。いかにもプロ用という感じがして、使っている様子を子供心によく覚えている。 まだプラチナ万年筆社が作っていて、その名前もずばりの商品名で売っている。ちょっと興味があったが、ここのところ、採点はペリカンの「ペリカーノ・ジュニア」を使っているので、買わなかった。 昨年末、生命会社のアンケート抽選でこれが当たった。最近、モデルチェンジして、プラチナの人気ペンシリーズ「プレピー」と共通部品だらけになっている。それで、プレピーの金属軸版「プレジール」が流用できることに気づき、首軸を換装。ぱっと見、高級万年筆風、キャップをとると中は採点ペンというオリジナル筆記具が出来上がった。 で、だから何なんだと言われれば、それだけですというしかないのだけれど、採点業務の苦行が、この遊び心でちょっとは軽くなる。 こんな感じの文具お楽しみはちょくちょくある。お気に入りで肌身離さず持っているゼブラ社のシャーボX。油性インクの出だけがちょっと難点だと思っていたら、同社から書きやすいエマルジョンタイプの替芯(4Cタイプ)が追加され、それで一件落着していた。ところが、今度、三菱鉛筆社から、人気のジェットストリーム・インクの4C芯が出てたので、それに差し替えた。書き心地が向上、ますます使いやすくなった。 ちなみに私は持っていないが、コアな文具ファンの間では、この芯をバウハウス・デザインのロングセラー、紡錘型デザインで有名な多色ペン「ラミー2000」に挿すというのが流行っているそうだ。これで、このペン唯一の欠点の書き味が解消され、いい感じになるらしい。 これもちょっとしたこと。だからなんなんだということになるが、お気に入りのものの瑕瑾は気になって仕方がないもの。それが解消できるのは、お気に入りだからこそ他人には判らない喜びがある。
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最近はこの手のビジュアル本が気楽でよいと時々買う。前作「作家と家」(コロナブックス)というのがあったが、今度は「作家と住まい」。中に挟まっていた新刊案内には「作家と家2」と書いてあった。急遽変えたののだろう。 何人もの文芸・絵画系の作家の住まいが紹介されている。最初の北杜夫宅はエッセイでもよく出てきて親しく、マブセ共和国設立の時の写真も懐かしい。 一番印象に残ったのは安井かずみ。記事によると、私が最初にその前を通って、これが有名な川口アパートかと思った頃、彼女はそこに住んでいたようだ。 このアパート、名の通り、川口松太郎夫妻が建てたアパートメントで、有名人が多く住んでいたことと斬新な設計で話題になった。今回、実際に内部の間取り図と写真が載っていたので、内部の様子がイメージができた。安井が壁を取っ払ってリフォームをしたので、設計当初の形とは若干違うようだが、センターコア・レイアウトが目新しく未来的。水回りを真ん中に置いて、動線はそこを一周する。居間は中庭を臨む奥にあり、おそらく採光的にもいい感じの場所である。ただ、トイレは玄関口まで回り込まねばならず、そこだけちょっとめんどくさそうだ。 職場の三十歳代の女性にこのアパートのことを話したが、知らないとのことで、それどころか、彼女の存在自体知らなかった。 写真の彼女は、ニットの上着にニットのスカート。愚妻によると当時流行っていたそうで、あの頃を若者として過ごした世代の雰囲気が色濃く漂う(1939年生まれ)。浅川マキ(1942年生まれ)とか、あのあたりの女性と同じ雰囲気。 添えられた妹さんの回想も興味深い。安井の死後、旦那の加藤和彦は、彼女の遺品を処分し、住まいをイギリス風に一変させたという。加藤は彼女にずっとあわせてきたのだというのが妹の見解である。 個性が際立ったあの時代の女性。今の女性たちはよく言えば女らしく落ち着いていて、悪く言えばアグレッシブさが足りなくて保守的である。 もし、今流行の言葉「女子力」なんていうのを彼女が聞いたら今とは違う意味で受け取るだろう。
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何年かにわたり断続的に放送されていた京都大原在住ベニシア・スタンリー・スミスさんの生活ぶりを紹介するNHKの番組「猫のしっぽ かえるの手」が、今年、一年を通して毎週連続放送されていた。これまで単発的には見ていたが、見ていない回も多く、収録年は異なるものの、うまく、一年間、四季を通しての大原の暮らしぶりが連続して取材されたかのように流れて、もともと、こうして完成させようとして作られた番組だったのかと感心した。そうだとしたら長期的計画が素晴らしい。視聴率とれなかったら途中で打ち切ってしまう民放とは大違い。 この番組、彼女がナビゲーター的な立場で、日本の文化を紹介するというニュアンスがあり、古来、手間をかけて作られていた日本の手仕事のいろいろが出てきて、日本人からみても勉強になったし、イギリスの有産階級の血をうけつぎ、世界放浪の末、日本に滞留することになった彼女の人生の歴史も興味をひいた。 しかし、やはり、最大の特色は庭に栽培した植物を使った「ハーブのある暮らし」である。本が出ているようだから、買ってやってみようかと思ったが、世話をする余裕はなさそうで、マンション暮らしで何かとハードルも高い。こちらは、月桂樹の葉の乾燥したのをもらって西洋煮物に入れたり、多めに入手した果物をジャムにしたりするのが関の山。 彼女の台所は、古い日本のそれなのだけれど、後ろに瓶詰めが並んでいたり、調理器具がぶら下がっていたりして、なんだかまるでイギリスの古い農家のよう。冬の土鍋料理にハーブが入っていたり、〆は饂飩ではなくパスタだったり、和の文化の中に彼女の西洋風の発想がさらりと溶け込んで、それが新鮮である。
観るにつけ、年配の女性から共感が得られる要素が満載で、今流行のナチュラル生活への憧憬のひとつのモデルになっているところもある。老後は彼女みたいな生活をしたいと思っている女性も多いのではないかしらん? 私はゴルフとかの運動番組はほとんど興味がない。こんなほうが生活に直結していて観ていて楽しい。NHKの「美の壺」も同様、勉強になって素敵。
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音沙汰がなく、突然、何本もいっぺんにアップという気まぐれな間合いの日誌ではありますが、今年もお付き合い下さい。宜しくお願いします。 元旦は実家。二日は鶴来の白山さんに初詣と、例年通りの動きでした。恒例のテレビの演芸物やたまっていた連続物ドラマの録画を一挙に視聴。おっさんのお正月。 追記……あまちゃん、予想外れましたね(^_^;)
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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