ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2010年04月02日 :: 漱石の万年筆 |
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夏目漱石の筆記具遍歴は「余と万年筆」に詳しく書かれている。明治四十五年、丸善では、日に百本も万年筆が売れているという話題からこの文章は始まる。どうやら、この当時、万年筆は最新式の筆記具として、急速に日本に普及しつつあったらしい。そんなブームの中で、著述を生業にしている者として、自分と筆記具の関わりを披瀝したのがこの随筆ということになる。つまり、「流行もの」に対するコメントで、文豪の文章というとちょっと身構えでしまうが、ごくごく普通の「文具エッセイ」である。 万年筆の歴史を繙くと、ウォーターマンによって万年筆が発明されたのが明治十六年のこと。日本には翌十七年に入ってきた。しかし、一般的になるのは、やはり、輸入用品店丸善の功績のようで、明治末期、そのウォーターマンやオノトを大きく宣伝して売り上げを伸ばしたらしい。 漱石は留学に行く時に餞別として親戚から一本もらったとある。彼の洋行は明治三十三年のことだから、本格的普及以前の段階で、かなり貴重な餞別だったのではなかったかと思われる。それなのに、彼はそれで器械体操の真似をして、イギリスに着く前に壊してしまったという。このため、現地で本格的に万年筆で字を書くということにはならなかった。もし、この時、壊さずに使い続けていたら、その後の展開は違ってきただろう。 彼が再度、万年筆を使いはじめたのは「三四年前」とあるから、明治四十一、二年頃のこと。教職を辞して、朝日新聞に入社したのが、明治四十年のことだから、筆一本の生活に入ってほど遠からぬ頃である。必要に迫られてというところだろう。とすると、「三四郎」、「それから」あたりは万年筆での執筆であったろうか。(つづく)
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