ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2010年04月08日 :: (つづき) |
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実は、日本における万年筆のことを調べていると、丸善の歴史に触れざるを得ず、その流れで、梶井の「檸檬」が出てきて、それでこの店の閉店を知ったのである。インターネットの横ズレ芋蔓式検索の結果。 あの時、長くもない道のりを歩いて丸善京都河原町店に行き着いた。これも果物店同様、コンクリで出来た何の変哲もないちょっと大きな書籍文具店といったたたずまい(当時と場所が少し違っているという)。この京都店が閉店したのは二〇〇五年一〇月。たしか経営が苦しい丸善の店舗集約の一つとして閉店したはずで、この時は全国ニュースに取り上げられ、私も感慨を持って聞いた覚えがある。八百卯の閉店を知らなかったのは、こちらの情報収集能力が低下してきたからだろうか。 ご存じのように、丸善は日本で本格的に万年筆を輸入して定着させた老舗輸入洋品店。「平常あんなに避けていた」とあるので、主人公「私」と等身大の作者は、当時の丸善のお高い舶来ものや洋書が並ぶ威高い雰囲気が苦手だったのだろう。周知のように、この小説では、「憂鬱が立て罩(こ)めて来る」場所、「気詰まりな」この場所が「粉葉みじん」になる想像をすることで、陰鬱な気分をはねのけようとする。 かといって、梶井は丸善が本当に嫌いだった訳ではない。この日も、香水の壜が並んだコーナーや煙管コーナーを巡っているし、アングルの橙色の重い本を手に取ったのは「日頃から大好きだった」からだ。「以前にはあんなに私をひきつけた画本」ともあるので、彼はここでしか手に入らない画集や洋書の立ち読みをするために、結構、ここに通っていたことが判る。 手元にある「檸檬」の原型となった詩稿「密やかな楽しみ」の複製(「複製近代文学手稿100選」(二玄社))で筆跡を見ると、横罫ノート断片に万年筆で書かれている。これは大正十一年の書き物だから、三高の学生時代には既に万年筆を使っていたことになる。 梶井の万年筆は、この丸善で買ったのだろうか。
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