ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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2010年04月18日 :: 堀多恵子氏死去 |
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堀辰雄の妻多恵子さんが亡くなったと新聞に出ていた。八十歳をすぎて矍鑠(かくしゃく)とされていることを知っていたが、それからだいぶたつ。享年は九十六歳。住所は信濃追分。追分教会で葬儀とあるので、ずっとあの家のお近くに住んでおられたのだろう。 その昔、大学のゼミの勉強合宿が近くの民宿であって、夕刻、自由時間に旧北国街道を歩いて油屋旅館まで行った。その近くに堀さんの家の入り口があって、ここがあの堀辰雄の家だよ、今も奥さんが住んでいるという話を聞いた。 後年、研究会のメンバーと軽井沢旅行に行き、公開されたこの家を見学して、その時のことを懐かしく思い出した。誰も訪れぬ山間の昔ながらの小道といった最初の印象と較べ、立て札などもあって観光に配慮した雰囲気に変わっていて、年月を感じた。 後、このあたり、愚妻と再訪もしている。 最初の、この向こうに多恵子さんが生活されているんだなと思った時、彼女はおそらく六十歳代、辰雄との日々からは三十年近くたっていたはず。若い盛りの私は、随分昔の話のように感じていたが、それからさらにだいぶたつ。 活躍が戦前で、歴史の中にあると思っていた小説家と、今を生き、一昨日亡くなった妻。ご夫婦だけど、別の時代を生きたかのような、私の心の中で微妙に整合性がとれない印象を持ったが、無理もない、旦那が亡くなったのは昭和二十八年。それから五十七年の月日を彼女は生きてきた。 若い弟子筋だった立原、中村、福永ももういない。ゆかり深い犀星の、その娘の朝子さんさえもうこの世の人はでない。 戦前作家で奥様がご存命だった唯一の方だったのではないだろうか。合掌。
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