ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2011年02月09日 :: つながりながら |
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この秋、本居宣長の「もののあはれ」論の本文を授業でしたら、冬、模試の問題で和辻哲郎の本居宣長論が出ていて、断片とはいえ、本文を習ったうちの生徒は何を踏まえているか判ってラッキーと思っただろう。本番もこうした偶然があるとよいのだがと願いながら、確か、職場の自分のロッカーに小林秀雄の「本居宣長」があったはずだと、出してきて机の前に置き、パラパラ読んでいたら、次の入試問題演習は小林秀雄の「批評」の態度を述べたエッセイだった。何だか、しりとりのようなつながり具合で、不思議な感じだった。 最近、吉田秀和のジョージ・セル論の問題を解説した。ジョージ・セルのレコードは何枚か持っていて、お気に入りである。彼の音楽は、磨き上げられた厳格さを信条とする。音は芳醇とは反対の方向だが、痩せている訳ではなく、透明感もある。厳格な古めかしさと現代性が同居するところが、彼の特色だと私は思っているので、吉田の論は興味深く読み、生徒に熱弁を振るった。一九七〇年、彼は手勢のクリーブランド管弦楽団を率いて大坂万博に来て、名演を聴かせたのは、今や日本音楽界の歴史的事項になっている。 そんな折り、テレビをつけたらNHKのアーカイブスの番組で、カール・ベーム〜ウイーンフィルの来日公演をやっていて興味深く観た。一九七〇年代後半、ベームが来るということは日本クラシック界で大きな話題となった。まだ高校生だった私も、夜遅くテレビで観て大感激したことを今でもよく覚えている。高齢のベームが指揮を終えた後、ほっとため息をつく表情やその後にくる観客の怒濤のような熱狂の嵐が懐かしい。映像から感じられるのは、ベームがオケのメンバーから先生として尊敬されているということ。その敬意を以てベームはオケを彫琢していったのだろう。昨今のスター指揮者が入れ替わり立ち替わり振るというのとは違う教師的側面を強く感じた。おそらくセルとクリーブランドとの関係もそういう風だったに違いない。 おそらく七〇年代は、空の交通も整備され、これまでレコードでしか聴くことが出来なかった一流オーケストラが来日できるようになり、日本の音楽ファンは生音が聴けて大感激を続けていた幸福な時代だったのだ。あの頃、私のまわりはカラヤン派が多かったが、私はベーム派。それと、バーンスタインのニューヨークフィルをはじめとする米国オケが好きだった。 そんなこんな、あの頃の自分を懐かしみながら聴いたが、それにしても、江戸の国学のことや七〇年代の音楽界のことなど、今生きているこの時と何の脈絡もないまま、昔の話がぽっと自分の目の前に出てくる。そして、まったく世間や他人とは関係ない個人的な心の流れが起こる。いちいち人様に説明しても面白くも何ともない小さなことだけど、私としては意味がある。端から見ると浮世離れしてぼんやりているように見えるかもしれないが、そんな心の動きを大事にしたいと思う。
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この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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