ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年08月11日 :: (つづき) |
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私のボロ下宿は目黒にあったけれど、漫画家たちの揺籃の地、有名なトキワ荘はどこにあったのか、ちょっと気になって、この本に書いてあった住所を地図検索してみた。 現豊島区南長崎3丁目(旧椎名町)。目白通りを少し入ったところに、それはあった。当時の最寄り駅は、西武池袋線椎名町駅。 私は、1978年、上京して数ヶ月、西武新宿線下落合駅前にある学生寮に住んでいたことがあり、一度、そこから北上して、椎名町駅まで歩いたことがある。別の路線なのだが、あの辺りは、かなり両線が寄っていて、意外に近いので驚いた。かたや豊島区で池袋線、かたや新宿区で新宿線。全然別の地域のようなイメージだったからである。 椎名町へ行く時には、下落合から、一度、高田馬場まで出て、山手線で池袋へ行き、再度、西武に乗り換えて椎名町までへ行かなければならないものだと思いこんでいた。それなのに、徒歩で簡単に行けてしまって、びっくりしたのである。 今、地図上で測ると、豊島区のトキワ荘は、新宿区の我が寮から北西へ八百米ほどしか離れていない。取り壊しは、昭和57年(1982)なので、現存していたはず。あの時、見に行っておけばよかったと、今頃になって後悔したけど、でも、当時は、まだ、このアパートのことは、一部マニア以外、そんなに知られていなかった。全国的に有名になったのは、80年代に入ってからである。
ここまで書いて、そういえば……と、急に、懐かしい昔話を思い出した。 あの当時、寮の仲間から、赤塚不二夫がこの近所に住んでいて、よく行く近所のラーメン屋に食べに来ると聞いたことがあった。確か、寮の一人は、そこで赤塚にラーメンをおごられたという話も伝わっていた。 トキワ荘の住人たちは、近くの中華食堂「松葉」のラーメンをこよなく愛していた(ご存じのラーメン好きの小池さんというキャラクターまで作っちゃっているくらいだ)から、彼も、もちろん、ラーメン大好きだったのだろう。 「おそ松くん」が私の小学校低学年頃に大ヒットしたから、赤塚は、売れっ子時代を少し過ぎたくらいの時期だったはず。その時は、ふうん、近くに有名人がいるんだ程度に聞いていただけだったが、今から考えると、そんな時代になっても、彼は、トキワ荘から程遠からぬところに住んでいたことになる。 おそらく、東京のあの周辺は、赤塚にとって、青春の思い出、離れ難きホームグラウンドだったのだろう。そして、私も、生まれて初めての東京。観るもの聞くもの新鮮だった頃の、あの辺り。
漫画史の一コマに、私自身の懐かしい思い出が色々絡まってくる。 この本を読み、トキワ荘のことを調べながら、私は、なんだか、しばらく不思議な懐かしい感覚に浸っていた。
(番組販促用フリー画像より)
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