我々は高度成長経済とともに育ってきた世代だが、それでも、幼児期は、本当に戦前と変わらないような生活を体験している。親のお里帰りで田舎に行けば、水は井戸ポンプで汲んだりしていた。田圃一面、蛍の乱舞を見て綺麗だったこともよく覚えている。 では、生まれも育ちも高層マンションというような、現代っ子はどうなのだろう。
奥野卓司は、蛍狩りや焼き芋など、大人の過去にはあって子供にはないにもかかわらず、大人の勝手な郷愁に充分付き合って、ちゃんと懐かしがってくれるという事実に着目し、ないものを「あたかも在るかのようにふるまえる感性こそ、彼らの才能である」と評価する。現代っ子の、大人には太刀打ちできない「感性」や「想像力」の部分で、ちゃんと「現代文明の暴走を制御」できるのではないかと期待をかけているのである。(「朝日新聞」S60.7.10) ゲーム遊びばかりしてと、いつも否定的な評価しか受けない子供たちを、だからこそ、我々と違った形で、しっかり未来に対応していくにちがいないとする論旨は、初めて読んだ時、なかなか新鮮であった。 確かに、前述の昭和三、四十年代テーマパークなど、大人だけのノスタルジーだけで流行っているとも思えない。親と一緒に懐かしがってくれる子供たちの存在は大きいようにも思う。 とすると、発表後十五年近く、今も大人気の映画「となりのトトロ」。あの懐かしい田舎の光景を観ている子供たちの感覚って、どうなのだろう。 ちょっと、四つほど考えてみた。
1、農耕民族である日本人のDNAに、ああした田園風景が、懐かしいものとしてインプットされており、どんなに実生活の環境がサイバー化しようとも、本能として、懐かしく思うように日本人はできているに違いない。
2、奥野が言うように、子供には、体験したこともないことを在るかのように対処できるコンピュータ世代ならではの感性があり、大人の郷愁に付き合うことが可能、それで、一緒に楽しむこともできる。トトロではそんな楽しみ方をしているのだ。
3、見たこともない田園風景は、まるで異国のように見えており、ノスタルジーというより、エキゾチズムのような感覚で観て、新鮮さを感じている。
4、大人は、あの昔の風景が懐かしく、そこに惹かれるが、子供は、そんなところは観ていない。ぷっくり図体のトトロやまっくろくろすけなどという可愛いキャラクターが好きなだけである。保育園・幼稚園で永遠のスターになったのは、それと、教える大人側のノスタルジーとが一致したからである。
昔は、1だと思っていたのだが、今は、ちょっと自信がない。
(職場で、手を拭こうとしたら、ヨレたタオルにいた。)
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