今日は、重陽の節句(菊の節句)。陽数(奇数)の一番上の数である九が重なるから「重陽」という。五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)の一つである。他の節句は健在だが、この節句だけは、明治時代以降、急激に廃れてしまったので、多くの人は、知識として知っているという程度。大人にアンケートとったら何割の人が知っているだろう? 私は高校時代、漢詩の時間に、こんな節句があることを知った。どの詩で習ったか、誰に習ったか、今では忘却の彼方だが、万年成績最後尾の生徒が、その後、生徒の前に立って、あの時と同じように、次の世代に話をつないでいる。この節句のことを教えるたびに、なんだか不思議な気がする。
今から思うと、おそらく私が習った詩は、この二つのどちらかだったハズ。初唐の王勃か、盛唐の杜甫。
蜀中九日 王勃 九月九日望郷台 九月九日、望郷の台。 他席他郷送客杯 他席他郷、客を送るの杯。 人情已厭南中苦 人情、已に厭ふ南中の苦。 鴻雁那従北地来 鴻雁、那(なん)ぞ北地より来たる。
登高 杜甫 風急天高猿嘯哀 風急に、天高くして猿嘯哀し、 渚清沙白鳥飛廻 渚清く、沙白くして鳥飛廻る。 無辺落木蕭蕭下 無辺の落木、蕭々として下り 不尽長江滾滾来 不尽の長江、滾々として来る。 万里悲秋常作客 万里の悲秋、常に客と作り、 百年多病独登台 百年の多病、独り台に登る。 艱難苦恨繁霜鬢 艱難苦だ恨む、繁霜の鬢。 潦倒新停濁酒杯 潦倒新たに停む、濁酒の杯。
タイトルだけ記そうと思ったけど、一応全文掲載。高校で習う詩だから、「超」が付くくらい有名。どちらも、孤独な中、異郷で重陽の節句を迎えた心境を詠っている。個人的には、杜甫の方が、律詩の分、情景描写が細やかで切々たる思いが伝わる気がして好きである。杜甫の詩の特色が余すところなく出ている。 中国では、九九は久久と同音で、恒久の意味となり目出度い言葉なのだそうだ。他の節句と同様、日本に伝来し、平安時代には宮中行事として定着した。旧暦九月だから、秋も深まりつつある時期。菊も真っ盛り。今も盛んな菊花コンクールなども、元々重陽由来だそうで、また、庶民の生活では、ちょうど収穫を終えた時期と重なり、収穫祭的な意味合いもあったそうだ。綿を入れた冬着への衣替えの日でもあったようで、江戸時代までは、それなりに盛んだったらしい。 廃れた理由は、新暦になったこと。 他の節句は、無理矢理、新暦でしても問題はなかったが、この菊の節句だけは、菊は咲いていないは、収穫はまだだは、寒さどころか、まだ残暑真っ盛りで暑いは、と、行事の内実をそのまま前倒しすることができなかったからである。だからといって、九重なりという日付は動かせない。こうして、ラベルと中身が乖離して、崩壊していったのである。
今日、三年のあるクラスで、重陽の節句は、別名、なんと呼ばれているか聞いた。ヒント。桃の節句みたいに、秋らしい植物だよ、と助け船を出して……。 その女の子の答え。 「いも〜。」 うーん、確かに秋らしい。ちゃんと考えて答えてくれたし、色気より食い気。お化粧が気になって仕方がない色気ねーちゃんではない健全な発想。おそらくいい子である。
ネットで検索して「九月九日は菊の節句」と題されたサイトに行き着いた。分かりやすく説明されていると感心しながら読んでいくと、最後のセンテンスで、あやや、やられた、そんなとこに着地するんだと思いました。 私と同じ気分を味わっていただくために、後半の文章をそのまま掲げます。
「(前略)菊酒とは、盃に菊花を浮かべて飲む酒のことで、その芳香な気高さは邪気を払い、不老長寿を保つといい伝えられています。わが国でも宮中で取り入れられ、(中略)平安時代になると、”菊酒の儀”が恒例化されました。江戸時代には、幕府が五節句を制定し式日としたので、庶民も祝うところとなりました。 旧暦の9月9日は、現在の10月中旬にあたり、各地で菊花展や菊人形など、菊の行事が盛んに催される季節です。菊本番のシーズンであり、日本酒のおいしい時候でもあります。 今宵一献、菊正宗で”菊花の宴”を。」
清酒「菊正宗」(菊正宗酒造(株))のサイトだったのである。いかにも、そこにありそうなページだ。
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