ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』な らぬ「ものぐさ」です。
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2005年10月01日 :: 『志賀直哉対話集』(大和書房1969.2)を読む。 |
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図書室の書架にこの本を見つけた。教科書で習う以外、大正の作家を読むなんて行動をする生徒さんは、今や皆無に近くなってきたので、まあ、私が読んであげようという気分で借りてきた。 志賀を敬して拝聴する体の後輩作家との対話より、谷崎潤一郎ら同輩作家とのやり取りのほうが断然面白い。そこで、興味のある対談相手のものだけつまみ読むことにする。
谷崎と志賀は同世代。当時の二人の読書遍歴が面白い。志賀は明治十六年、谷崎は十九年生まれである。 彼らの幼児期から青年期、いかにまともな本がなかったかということがよくわかる。時は近代文学の揺籃期である。文学史に残る有名な作品を、子供ながら同時代人として読んだことに感慨が湧くが、逆に言うと、子供が『雪中梅』や『佳人之奇遇』とかいう作品読んでいたことに、選択のバリエーションが全然なかった当時の出版界の状況が垣間見えて面白い。今では埋もれて、現代の我々が聞いたこともない作家・作品も多く話題に上がる。あの作品は全然駄目だったという話も結構あって、当時、手に入る本は、子供用であろうがなかろうが、面白かろうがなかろうが、片っ端から読んでいくしかなかった様子が彷彿とされた。 本当に、日本文学は、小さな世界で、玉石混淆の時代だったようだ。 戦後に生き残った大家が、明治時代の自分の読書体験をざっくばらんに語る、生き証人的発言。 その他、興味を持ったのは、「白樺派」の内部事情の話。各学年でバラバラにやっていた回覧雑誌を統合する形で発足したので、当初、人道主義的ニュアンスはほとんどなかったらしい。それは、やはり武者小路実篤の影響が大きく、後期、そういう作品ばかりが紙面を飾るようになって、志賀自身は距離を置き始め、わざわざ紙面に馴染まぬ作品を載せたりもしたようだ。最後まで僚友武者小路との交友は続くが、倉田百三あたりは、志賀の眼鏡にはかなわなかったらしい。若い頃は、ちょっとした年齢差も人間関係に重大な影響があり、全員同等の立場で、大の仲良しだったということではなかったようだ。言われてみれば、当たり前のことである。
福田蘭堂が、志賀のお宅に出入りして、その様子を語った『随筆 志賀先生の台所』(現代企画室)は、晩年の志賀の、洒脱だが好悪のはっきりした一家の長らしい人柄が生き生きと描かれていて、私の好きな本のひとつだ。この本も対話集なので、そうしたさっぱりとした一面がほの見えて、そこも楽しんだ。
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