ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年10月15日 :: 篠原一他訳「現代語訳樋口一葉☆十三夜他」(河出書房新社)を読む。 |
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今日は十三夜(旧暦9月13日)。栗名月である。 醍醐天皇の御代の観月の宴が発端とも、長月の方が空気が澄んで美しいからとも言われているが、いずれにしろ、中国にはない日本独自の風習。左上が少し欠けている満月手前の月を、十五夜(旧暦8月15日)と並んで愛でるのは、完璧を嫌う、いかにも日本人らしい感性だ。ちなみに、今年の月齢は12.1である。 そこで、それにちなみ、現代語訳の樋口一葉「十三夜」を読んだ。 実は、一昨年まで使っていた現国入試問題集に、「十三夜」が載っていて、父が、夫との離縁を申し出る娘のお関を説得する有名な場面が出題されていた。私は、問題の解説をする毎に、「大昔に読んだきりで、ほとんど忘れているなあ、もう一度、ちゃんと読まないと、生徒に申し訳ないなあ。」と、ずっと思っていたのであった。 選んだ本は、作品ごとに訳者を変えて載せてあるシリーズの一冊。若い人に一葉を読んでもらいたいという意図がはっきりみえる、どちらかというと若者向けの本である。 「十三夜」の訳担当は、篠原一。1976年生まれ。この本、1997年3月初版だから 二十歳そこそこの若輩小説家の訳業ということになる。 現代的な言いまわしの会話文があるかと思うと、「わたしで御座んす。」といった、古めかしい原文の言い方がそのまま混在していて、最初、ちょっと違和感があった。 また、問題集に抜かれていた部分は、この訳では地の文になっていたのだが、確か会話文ではなかったかと疑問を持った。 そこで、日本近代文学大系「樋口一葉集」(角川書店)で確認してみる。原文は、ご存じのように、カギ括弧がなく、地の文と会話とが渾然となった擬古文。なるほど、これのどこからどこまでを会話文とし、どこからを地の文とするかは、難しい問題だ。問題集の方は、適宜、カギ括弧を挿入して、読みやすくしてあるので、何の疑問もなく会話文だと思っていたのであった。 地の文と会話文では、動作主の言い方が違ってくる。会話なら「私は〜」となるし、地の文なら三人称にして、例えば「お関は〜」となる。それだけで文章の印象は全然違ったものになる。 無理な原文尊重主義に陥らず、現代の言葉に融通無碍に当て嵌める柔軟性もある。他の小説「やみ夜」(藤沢周訳)「わかれ道」(阿部和重訳)の訳が、あのくねくねした擬古文の雰囲気をそのまま残して、逆に読みにくくなっているのに比べると、物語世界に入りやすく、これはこれで、若い人向けとしていい訳なのではないかと、途中から思い直した。(つづく)
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