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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

  2005年10月20日 ::  金沢21世紀美術館は大繁盛(その四 体験編ーゲルハルト・リヒター展を観る)

 10月15日は金沢市民の日で、金沢21世紀博物館の入場料が無料になった。それを狙って朝からでかけた。以前、無料ゾーンを散策したことはあるが、中央ゾーンは初めてである。
 腰痛持ちでも、美術展は、時に休憩を入れながら自分のペースで動ける。椅子に縛られる芝居や音楽会よりも早く鑑賞を再開できた所以である。
  開催中なのは「ゲルハルト・リヒター展」。ゲルハルトといえば、F1運転手ゲルハルト・ベルガー、リヒターといえば、指揮者のカール・リヒターを思い出すのが私の背負っている文化である。美術に疎い私は、浅学にして彼を知らない。だから、愚妻に「ベルガー展」と何度も言って、その都度、間違いを訂正された。そんな知識だから、作風も解らず、勝手に訳の分からない抽象画を想像しながら入場した。

 写真にペイントする手法から出発した人らしく、作品に写真的発想が強く感じられる。作品は一種の「画像」であるというのが基本姿勢とでも言えばいいか。鑑賞者がどうその画像を受容するかということを強く意識しており、鏡やガラスを素材に選ぶことで、鑑賞者の観る視点を加えて、はじめて作品が完成するという思想が顕著であった。
 例えば、鏡一枚だけの作品。単に木枠に入れてあるだけ。どこが作品なのかと訝ったが、前に立つと、すぐに意図が理解できた。反対側に高く掲げてある女性のポートレートの列が上部に映り、その下に我々鑑賞者が立っている絵になっている。鑑賞者は次々移ろい、それぞれの顔や装いが絵柄になる。
 例えば、ガラスを11枚重ねただけの作品。観る本人は正面だからフラットに見えるが、傍らの人はと観ると、こちらからは視線が斜めになるので、何枚ものガラスに反射して、影の如き幾層ものグラデーション画像になる。
 絵の具を使ったものは、多くが横縞のヘアラインが入り、ぼやけて印象派的印象。絵描きとしても手堅い技量の持ち主である。
 作品は、小難しくなくトリックに満ちて楽しかった。解りやすい部類の人だ。
 現代芸術家一人に焦点をあてた大規模な作品展を観ることはほとんどなかったので、作家の発想全体を感じられ、統一的に理解できた。いつも観ているのがコンピレーションCDなら、こちらはベスト盤といったところである。

  コレクション展示「アナザー・ストーリー」も初めて入場し、堪能した。全体として、現代アートは、ギミック(gimmick 巧妙な仕掛け)とイリュージョン(illusion 錯覚)を本質としているという印象を持った。エッシャー、ダリ、マグリットの思想の一部が拡大増幅されていった流れである。ぱっと観た瞬間の感興が命というところがある。そうした意味で「知」の部分がなくても大いに楽しめるので、子供に大人気なのはよくわかる。
 無料常設コーナーに、人間の目と口の映像が顔の輪郭をした球体に投影されている作品があって、ベビーカーに乗った、まだ喋れない幼児がウーウーとその顔に語りかけているのに遭遇して微笑ましかった。作品と鑑賞者の交感が、人間のプリミティブな部分でおこわれている証拠で、これこそ現代アートの一特質である。
 でも、飽きないかなあ。ぱっと見は楽しいが、持続性に乏しい。歴史や文化など、自己の持っている知識を総動員して、知と感性との統合的理解をするという楽しみに欠けているような気がする。それがないと、何度観ても新しい発見をするというような深みに到らない。細部に目を凝らしたり、作品と対座し会話する楽しみがない。
 コレクション展示の中に、女の子の左右に広げている両手の掌がラズベリーの赤色で染まっている画像作品があった。若い女の二人連れは、「掌が赤いよね。」と事実を確認しただけで、さっさと次の絵に移ってしまったのだが、勿論、これは基督の磔をモチーフにしている。そうした意味でオーソドックスなテーマなのだが、全然気づいていないようだった。
 多くの作品を観たり、じっくり観ることによって、芸術のモチーフを知り、「知」が深まっていくはずなのに、第一印象勝負にこだわって、鑑賞者のそうした積み重ねを現代作品は重視していないようである。知識や感性がある人に理解してください、出来ない人はそれで終わりですというような突き放し感を感じないでもなかった。
 現代美術は、美の享楽主義・刹那主義に陥っていると直感的に思ったのだが、それがどうした何が悪いと開き直られたら、こちらとしては返す言葉がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(無料ゾーンに吊されているモビール。「デススターの最後」と勝手に命名。)

 

 
 

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