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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

  2006年04月25日 :: グラデーション的人間関係

 新入生が部活動に正式に入った日、大所帯のある運動部は、中庭で大きな円陣を組んでいた。一年生が外、上級生が内の輪を作って、その内の輪が一定の間隔で隣りに隣りにと動いている。まるで歯車。何か儀式のように見える。
 何をしているのだろうとよく見ると、皆の手にはケータイが。どうやら連絡網を作るために、入部生全員のメールアドレスの交換をしているのであった。
  新しい風俗。中学出たての子でも百パーセントケータイ持っていないと出来ないやり方である。名刺交換会の今時版。
 それにしても、なんと能率のいい。

 

 アドレスといえば、住所録を使ったあざとい勧誘電話や詐欺まがい電話が頻発し始めて、住所録を発行しなくなったところが多くなった。県内の高校でも、数年前から止めている。
 今年、ある高校では、事務係と騙って、電話で元生徒の親から個人情報を聞き出す事件があって、地元新聞に大きく出ていた。旧住所録を使って名簿の頭から片っ端に電話をかけまくっていたらしい。
 そういうことが起こるにつけ、発行停止は妥当な方策だと思う。
 でも、失うものもあるのではないか。
 人の関係には、親密ではないが、顔くらいは知っている。あるいは、まったく知らないが、同じ組織の中の仲間であるという、赤の他人とは違う緩い関係がある。
 今はさしあたり連絡するような相手ではない。でも、もしかしたら、連絡しなければならないことがおこるかもしれない。それで人間関係が広がるきっかけになるかも知れない。そういう可能性を秘めた淡いゾーンが、このことで切断されてしまったように感じる。
 大人の人間関係はグラデーションのようなものである。濃密な関係から袖すり合うも他生の縁くらいまでさまざまな濃さがある。その間合いの中で大人は生活している。人間関係の狭い幼児に名簿など必要ない。名簿を有効に使えるということは正常な大人への成長において必要なことだったのではないだろうか。それを大人は切ってしまった。生活が固定している大人はたいした問題ではない。問題が出てくるのは、今から大人になる子供たちのほうである。
 今の子供たち。親しい友人か、あるいは赤の他人。それで終わりというような人付き合いにならなければよいが。
 
  昔は高校入試の合格者は新聞に名前が出ていたが、これもプライバシーということで、最近は載せなくなった。
 新聞で、あの家の子はどこそこの高校に行ったんだねと判る。特にお祝いをするような相手でなくても、それで、遠くて通学に大変だとか、その家のことがだいたい判るので、その後、その方と話をしていても、そのつもりで話ができる。知らないと相手方の話から推測するしかない。
 親戚の子が今年受験だった。ところが、公に情報が出ないので、合格したのかわからない。もちろん、こちらから、わざわざどうでしたかとはちょっと聞けない。先方は先方で、吹聴することでもなしと奥ゆかしくしている。その結果、どうなったのか判らないまま三月末を迎え、もう、いくら何でも進路決まっただろう、もう聞いても失礼ではないないんじゃないかという家族の会話を経て、ようやく電話したということがあった。
 新聞見たよ、合格おめでとうという電話がかけられなくなった。歓びはその一家のみのこと。つまり、人として「歓びの共有」が出来なくなってしまったのである。
 
 プライバシー意識が高まると、失うことも多そうだ。
 ケータイメールは、こちらの主体に土足で入り込まない細い糸のようなものだ。部という同じ組織の人間になった証としてアドレスを交換する。それで、先輩後輩という緩い人間関係を構築する。親友よりはずっと疎遠だが、今後、口を交わし連絡をとりあわなければならないような人間関係の成立である。
 名簿なき時代に、あの円陣はグラデーション的人間関係構築のための正しいあり方なのかもしれない。

 

 
 

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 この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。

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