ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2007年01月16日 :: 論語知らずの論語読み |
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教科書に「論語読みの論語知らず」という諺が載っていた。この言葉、いつも「論語知らずの論語読み」と逆さに言ってしまう。意味はほとんど変わらないが、体言止めになって人物にウエイトがかかる。授業の時、気をつけなければならない。 なぜ間違うのだろうと思っていたが、今日、思い当たった。阿川弘之『論語知らずの論語読み』(講談社)のせいである。 この本、最初に章句が掲げられ、関連ありそうでなさそうな身辺のことや文学仲間との交友を面白おかしく書いてある名エッセイ。 私自身、大学時代、授業の必須単位「論語」があり、一年間、みっちり習った。漢学に力を入れている学校だったので、老子、孟子、王陽明など、一講座ずつ専門の先生がいて手厚かった。授業では、朱子『論語集註』の翻刻を使い、古注と新注を訓読で習ったが、現代人なら誰でも感じるように、朱子の解釈は堅苦しくてあんまり好きではなかった。人間的に書いてあるものを、わざわざ堅苦しくしようと努力しているような考えだと思ったものだ。 授業は勉強だからそうそう面白くない。予習かたがた楽しく読んだのは、渋沢栄一『論語講義』(講談社学術文庫)。明治の経済人から見た座右の書の解説と年寄りの言いたい放題といった内容。かつて自分が関わった政治的回顧談あり、封建時代の教育を受けた人らしい気概の表明ありで、脱線ばかりだが、実感的にその章句をどう捉えてどう解釈しているかがよく判った。学者でないゆえの好き勝手流の楽しさがある。今から思うと、阿川さんの本は、この渋沢論語の換骨奪胎バージョンである。 ということで、わたくし、ちょっとは囓ったけれど、それ以来、蘊蓄が深まっているわけでもないというレベル。でも、立場上、一応、生徒には知ったかぶりをして教えている。その立場が、文字通り「論語知らずの論語読み」なのであった。間違えるわけである。自分のことをそうだと思っていたのだ。 阿川さんと大きく違うのは、彼は謙遜、私は実態。
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