ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2007年01月19日 :: 吉村昭『死顔』(新潮社)を読む |
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入院中、彼の随筆を読み、ああ、吉村さんがいたではないかと、鉱脈を見つけたような気持ちになっていた時、彼はすでに癌に冒されつつあった。 巻末、妻津村節子の報告記によると、最期は自宅に戻って死を迎えたようだ。前もって延命処置は望まないと遺書にしたためており、ニュースで伝えられているように、管を自分から外して自然死を選んだという。 本人は、意識がなくなり自分の判断がつかない状態になって延命治療をされることを懸念していた。このことは作品の中にもはっきり書かれている。この作品、主人公「私」が関われる範囲で関わった兄の死に臨んでの一連の行動を淡々と描いたもので、所収の平成十五年作「二人」という作品と内容的にほとんど同一である。同じ題材がたった五編の短編集に重複して載っていることに当初違和感を持った。死後、本人のあずかり知らぬところでなされた編集なので、本人が生きていたら許していたかは疑問が残る。 ただ、彼の最期の仕事が、この短編「死顔」の執筆と校正であったことを思えば、同じ話でも、もう一回書きたかった内的動機には納得がいく。彼は兄の死に仮託し、その死を反芻することで、自分が早晩迎える死のイメージを固める作業をしていたのだ。ここでは、死の迎え方についての自分の流儀や、自分がかつて病人だったことを踏まえ、周りの者の病人に対する配慮の仕方についての考えを表明している。みんなに、私はこう死を考え、こうしてほしいと伝えているのだ。 若い頃、湯治に行った温泉場での出来事を記した「ひとすじの煙」、夫殺しの女を保護観察司の目から描いた「山茶花」、ともに佳品。それに対して「クレイスロック号遭難」は未定稿で掲載すべきものではなかったと考える また、彼の最後の小説単行本がハードカバーながら安価な角背なのは残念である。若干定価が上がっても、糸綴じ丸背にしてほしかった。 ちょっと残念なところがあるが、総じて、過剰を排したした彼らしい高潔な印象の作品集で、次の創作がもう紡がれないのことが惜しくてならない。 読了後、最期の随筆集が十二月に出ていることを知る。それを今日注文した。
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