ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2007年01月28日 :: 吉村昭『回り灯籠』(筑摩書房)を読む |
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新刊故、あっという間に手元に届いた。 この本も彼がタッチしていない死後編集だと思われる。PR誌「ちくま」連載のエッセイを中心に、新潟の新聞に連載された新潟礼讃、城山三郎との対談とバラエティに富むが、寄せ集め感はなく、到着した夜、一気に読了した。 なぜ彼のエッセイがいいと感ずるのだろうと考えたが、理屈ばかりの受験評論文読解に少々食傷している折り、事実を、それ以上でもそれ以下でもない、そのままの描写と感慨で綴った文章に、透明な爽やかさ、潔さを感じるからなのだろう。過剰な色がついていない。大げさな気持ちの装飾がない。読んでいて、すべてがよく判る。経験の事実だけを淡々と語り、それについてのコメントがなく、さっと終わってしまうだけのものも散見され、あっさりしすぎていると感じる人がいても不思議ではないくらいである。だが、それゆえ、彼が触れた、取材で関わった人物・出来事などが鮮やかに読者の脳裏に刻まれることになる。 腰帯に「最後の連作随筆」と銘打ち、死に関する文章を引用して、特別に死について深く沈潜した文章が多いかのような印象を与えるが、それはごく一部で、全編、いつもの彼らしいエッセイである。「死去=遺作」という図式を強調することで、手にとってもらおうという編集上の戦略だが、少々中身との乖離を感じた。特に、巻末の対談は、九年前と少々古いこともあり、元気一杯、全然「老いって感じない」と発言しているくらいで、編集者が誘導したい方向性とは違っている。 お酒が入っているのか、対談の吉村は饒舌で、最近の芥川賞を批判してみたり、城山の受賞辞退に突っ込みを入れたりと結構言いたい放題で、サービス精神旺盛なところをみせ、意外な一面を知る。
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