ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2007年02月08日 :: さようなら剣持先生 |
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5日朝、K君よりメールを受け取る。大学の恩師のお一人、論文主査をして頂いた剣持武彦先生の死(2日逝去)を告げていた。よく同窓会通信などでお元気なご様子が載っていたので、急なことのように感じ、驚いた。そういえば、今年、賀状を出したがご返事がなかった。一回りお歳の別の恩師の方々がご存命なので、お早い死という感を持った。慌てて読んだ全国紙によると七十八歳という。肩書きは「元島崎藤村学会会長」となっている。その記事で、私が習った時は五十歳代前半の働き盛りだったことを知る。 私たちは先生から比較文学の方法を学んだ。先生は、日本文学を読んでいて、外国文学の影を見つけ、それを論証していく経過を、種明かしのように語って下さった。事実としてこうだと成果だけを提示するよりも、判りやすく比較文学を理解してもらえると思われたからだろう。単なる「似たもの探し」ではないというお話も、よく力説しておられた。 受講した当初、外国文学との比較ということで、外国語にご堪能な方なのだろうと想像していたが、先生が仰るには、イタリア語の原典をすらすらと読むほどの語学力はない。原文と翻訳を横に置いて、二つを照らして論文を書いているとのことだった。そんな舞台裏も気どりなく話され、一層、親しみがわいた。華麗な語学力で二つをくっつけているのなら、凡人の及びもつかないことで、さっさと諦めるほかないが、先生はあくまでも我々と同じ国漢の基礎に立ち、その上で語学のご努力をされて、ご自分の方法論を身につけられているのだとわかって、この学問が縁遠い存在ではないという気持ちがしたものだ。 日頃、冗談を仰るような方ではない。その先生が、授業中、ご自分の名前の話になり、「まあ、私の名前は珍しいですが、イタリア風に言えば「ケンモビッチ」となりましょうかね。」とぽろりと言われ、生徒一同、どう反応したらいいかわからず、ひきつった笑いが起こったことを覚えている。二十七年前に発した、おそらく、考えに考えた挙げ句の先生の軽口である。そんな些細なことばかりよく覚えている。 もう数年で、私はあの頃の先生の歳になる。世代が一つ廻って、習った先生がこの世から退場していく。 さようなら先生。先生のゼミはいつも大人気で、毎年、大勢の生徒を抱えていました。女の子が多かった。その多くの教え子が、訃報を聞いて、今、先生のことを、あの頃の思い出とともに懐かしく思い出していることでしょう。葬儀には行けませんでしたが、田舎にてご冥福をお祈り致します。
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