ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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2007年02月17日 :: 捨てる決心 |
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若いころから溜め込むタイプだった。本・レコードはもとより、アルバイトでマルつけをした模試の試験問題さえとってあったくらいの猛者である。 結婚して2DKの小さなアパートに住んだ。十年以上いるうちに、物で部屋が溢れかえった。引っ越しすることになり、意を決して持ち物の処分をしはじめた。 まず、旅行のパンフ類。旅行中お世話になったパンフは、その旅の印象と密着しているからと、チケット半券などと一緒に保存してあって、いずれアルバムに整理しようと思っていたが、どうやら、一生そんなことはしないと踏ん切りをつけた。 次にPR誌。長年、「図書」(岩波書店)と「波」(新潮社)を講読していた。有益な文章も多く、何かに引用したりすることもあるかもしれないと大切にとっておいたが、したためしがない。尊敬する先輩から、目次だけを切り取ってファイルしているという話も聞いたが、私にはそこまでの几帳面さに欠けている。 愚妻から強く言われていた、もう着なくなった服も大量に捨てた。体型が変ったことを直視せよというのである。ハイ。わかりました。 そんなこんなで、引っ越し前の数ヶ月、ゴミの日に毎回十袋近くのゴミを出し続けた。よくこんな狭い部屋にこれだけのものが入っていたなと呆れたものだ。 少しは身軽になって今の住まいに移ったが、広さに余裕があるわけでもない。懲りて、以前ほど溜め込まないよう気をつけるようになった。 そうこうしているうちに腰を悪くした。以来、思った。一人では重いものを動かせない。重いものを後生大事にとってあったらダメだ。 マンションに住むお年寄りが、古新聞回収の日、新聞の束を地面に引きずらせているのを目撃した。重いものを持つ壮年の者がいないのだろう。手伝ってあげたかったが、私もできない。新聞の束でさえ難渋する。今のうちに捨てるものは捨てておかないと、老いてから、捨てようにも捨てられず、すべて放置されたまま、古ぼけた物が溢れかえった中で小汚く死んでいくことになる。今まで考えもしなかった現実をまざまざと想像して、ちょっと恐怖感が湧いた。 よく考えて、愛読していた「スイングジャーナル」を処分した。あの分厚い月刊誌を三十年間分とってあって、バックナンバーを読むのを老いの楽しみにしようと思っていたのだが、そのささやかな夢を諦めることにした。一年分一括り、三十括りを集積場所に出すだけで大変だった。 ものを捨てると言うことは、過去の自分を切り捨てることである。生き方を変えることでもある。また、将来こうしようと思っていたことを止めることでもある。身を削ぐ思いである。しかし、死ぬ時は手ぶら、畳一枚のスペースがあればいいという宗教的真理の前には、すべてが色褪せる。 と、偉そうなことを言ってはみたものの、我が家のトランクルームには、ブームの時買っただけでほとんど使っていないアウトドア用品一式が放置されている。さすがにこれはポンとゴミに出す決心がつかない。 やっぱり、全然、悟り切れていない。どうしよう。
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