ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2007年03月15日 :: 年男の誕生日 |
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今年は年男である。新年話題で、亥年は中国などでは豚を指し、今年、丁亥(テイガイ・ひのとい)(二十四番目)は、亥年の中でも最も目出度い金運の年とされているのだそうである。自分の年なのに、この歳になるまで知らなかった。 先月も、地元女性アナウンサーが、「百年に一度」といって、この話をしていた。あとで聴いていた人から指摘があったようで「六十年に一度」と訂正していた。若い子なので「どっちでもいいじゃん。」みたいな軽いノリで言い直していたが、どうやら「十干十二支」を知らないようだ。高校で習ったはずだが、身についていないのだろう。 今、干支の原則をちゃんと判っている人はどのくらいにいるのだろう。以前よりぐっと低下しているのは間違いない。しかし、戊辰戦争(ボシン・つちのえたつ)(五番目)、壬申の乱(ジンシン・みずのえさる)(九番目)、庚申塚(コウシン・かのえさる)(五十七番目)など、いろいろ残っている。 と言って、国語教員をやっていても、「五行十干」のほうはかなり怪しい。例えば「庚」を「かのえ」と読むとはすぐには出てこない。紙に「木火土金水」と書いて、兄(エ)弟(ト)と書き、その下に「甲乙丙丁」と書いて、当てはめて判る。ただ、それ以後の「戊己庚辛壬癸(ボキコウシンジンキ)」がさっさと出てこないので、結局、「国語便覧」の干支表のやっかいにならねばならぬという体たらくなのである。 もちろん、すっと読めるのもある。甲子園は「きのえね」(一番目)の年に出来たとか、「ひのえうま」を「丙午」と書くから、「丙」を「ひのえ」(四十三番目)と読むとか。 大昔、女子校で古典を教えていた時、この丙午の話をし、この年生まれの女性は男を喰い殺すとコメントした時、教室の空気が急に冷ややかになった。あっと思ったが後の祭り。彼女たちこそ丙午生まれだったのである。何ともフォローのしようがなく、這々の体で職員室に逃げ帰った。後で聞くと、彼女たちは小さい頃から何度も何度も聞かされてウンザリなのだという。この事件以来、否が応でも一九六六年が丙午だと身についた。私は、だから、干支が判らなくなると、この一九六六年から数え直すことにしている。 これが隠すことなき現代の教員の実力である。恥ずべきことなのか、今の世では仕方がないことなのか、そのあたりはよく判らない(一応、古典は専門ではありませんからと小声で言い訳はしておこう……)。 還暦は、言葉も風習もしっかり残っている。でも、この六十年周期という感覚は現代では希薄になっている。寿命が八十五歳(女性)の世の中、百年周期が合理主義からも生理的な部分からもしっくりくるのだろう。アナウンサーの間違いもあながち故なしとはしないようだ。
半月ほど前、イタリアンレストランで誕生日のランチをした。実際の誕生日は仕事が忙しい日なので、ちょっと早めの夫婦二人の誕生会。予約特典で、コース最後のケーキの皿に「ハッピーバースデー」とチョコレートクリームで書いてくれた。書いたシェフは若いカップルを想像していたのかもしれないが、いやいや、二人合わせると百歳直前のオジサンオバサンである。ケーキに花火が刺さっていてパチパチいって、派手なこと派手なこと。周りの注目を浴びて、結構、恥ずかしかった。ただ、慣れぬイタリアン。帰ってから、案の定、お腹がもたれた。やっぱり、若者行動すると、かなり無理が出るなあ。
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