ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2007年03月31日 :: 村上春樹『村上ラヂオ』(マガジンハウス)を読む |
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六年ほど前に女性誌に連載されたエッセイ。大橋歩の画つき。 気軽に頁を開いたら、「「さあ、今日から変わろう!」と強く決心したところで、(中略)おおかたの場合、まるで形状記憶合金みたいに(中略)ずるずるともとのかたちに戻ってしまう。」「決心なんて所詮、人生のエネルギーの無駄遣いでしかない。」といきなり書いてあった。 愚妻から変革を強要されている身としては、ちょっとその気になって、変わらなきゃモードだったんだけれど、あれあれ、村上さんはそう断言している、そうだよなあ、そう都合よく変わりなどしないものだと、急に脱力モードに戻ってしまった。なんて間がいいんでしょう。 私は、『風の歌を聴け』に呆れ、『蛍・納屋を焼く』でちょっと感心し、ソニー・クリス(as)のライナーノートで大笑いした程度の読者。『風の〜』が賛否両論あって、出版社のエラ様にかなり問題のある小説だと批評された話や、『国境の南、太陽の西』が、外国の高名な文芸評論家からこき下ろされた話を読んでも、まあ、そうだろうなと思ってしまう傍観者でしかない。 ただ、彼は元ジャズ喫茶のオヤジである。作品のタイトルを見ても洋楽好きとすぐ判る。趣味が重なっているから、エッセイは楽しかろう、一度読んでみたいものだと思っていた。今回、はじめて読んで、世界各地に行っても、観光そっちのけで中古レコード屋巡りをしているようなので、やっぱり、そんな人だったと親近感を持った。庄司薫描く大学紛争世代のノンポリ学生をもっとノンシャランとさせ、アメリカを中心とした外国文化の教養をまぶし、そのまま年をとったような人だ。日本の伝統文化や古典の教養といったバックボーンをほんとんど感じさせない(ない?)のが、どうやら、この人の特徴で、あの世代の、戦後日本の文化受容の典型的雛型の人ではあるまいか。 このエッセイ、なかなか、うまい。女性誌ということもあってか、押しつけ的要素を神経質なまでに排除している。もちろん、神経質と思われないような優しい言い方で。誰にも嫌われない文章である。文章も易しく、丸谷才一のエッセイのようなおかしみがうまく配置されている。 本の中に、嫌われない嘘はついてもいいというようなことが書いてあったが、その通り、あちこちで嘘が書いてある。それが、小説家らしい想像をきかした嘘なので、読んでいて、見事に騙されて楽しい。いい読者ではないので、見当違いかもしれれないが、この「嘘つき」というのは、村上文学のキーワードではないだろうか。亡くなったジョージ川口(ds)さんも大ホラ吹きだったし、ジャズ屋サンは、嘘がとびきり上手いのだ。
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