ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2007年07月13日 :: (つづき) |
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この作品、三年前の芸術祭大賞作だという。台本自体は色々配慮された悪くないものだと思ったが、その時その時で空間を造り上げていくのが舞台。役者の高齢化、金沢という物静かなお国柄など、色々な要素が絡んで、今回、笑いの渦にもっていけなかったのだろう。雰囲気の出来上がった会場でもう一度観たら、印象が全然違ってみえる芝居のような気がする。ちょっと残念だった。 気になったのは、お金の工面が中心のこの話で、出てくる金融制度が古めかしいこと。これは七十年前の話だから、こういうことが当時は大事だったのだろうと、いちいち頭の中で時代に配慮しなければならなかった。こうした、こちらが側の変換意識も、打てば響く反応にならなかった一因かもしれない。ただ、これは勝手に原作を崩せないところで、どうしようもない。 さて、先頃、文学座の重鎮北村和夫が亡くなった。近年、劇団を背負ってきた看板俳優が、どんどん鬼籍に入られている。 では、次やその次の世代に、名前だけで人が呼べる大看板が育っているかといったら、答は否である。昔はテレビなどで、舞台出身の堅実な若手・中堅が飛躍するチャンスがあったが、今はほとんどない。芝居好きの間で実力が認められているだけで、広く名が行き渡らない。その上、不況で劇にお金を落とす人口自体が減っている。いい脚本にも恵まれていない。素人考えながら、新劇の置かれた状況はかなり厳しそうだ。下手をすると、芸能人寄せ集め興行ばかりが生き残るのではないか。 御大北村の死亡記事が思いのほか小さかったのに驚いたが、それが、今の新劇の状況を表しているかのようで、心痛んだ。 昭和が終わって二十年。あの頃を支えた人たちが舞台から降りようとしている。それを観ている私も、つまりは、否応なく齢を重ねている。今回、お元気なお姿をチラリと拝見できて、安心した反面、一抹の淋しさも感じた一夜だった。 以下、オマケ。 この文章を書いていて、「物知り博士」を見ている子供の頃の自分をまざまざと思い出した。白黒テレビに齧り付いて楽しみにしていたものだ。 あの時、確か、「サンタクロースは本当にいるの?」という質問に、あれは大人の作ったものだと博士は答えて、「へえ、そうなんだ。」と驚いた覚えがある。後に、子供の夢をこわすと視聴者から批判が集まったはずである。我ながら、細かいことを本当によく覚えている。 今から考えてみると、あれで初めて知ったのではなく、うすうすわかっていたことを、物知り博士が断言してしまって、「やっぱりそうなんだ!」と確信したのが、あの時だったのだろう。 私達の世代は、博士に色々なことを教えてもらった。だから、我々は、皆、熊倉さんのユーモラスなお声が大好きである。 (2007.5)
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