ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。
エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
|
2008年07月22日 :: 昔話を聞く |
|
|
ほぼ毎夜、老父の病院に行き、歩行介助など身辺の世話をする。そこで、しばし雑談。よく昔話が出る。自分のこと、家族のこと、世の中のこと……。 父の若い頃のことは、私が実体験として知るところではないが、途中から私の記憶とも重なってくる。それは知らないなあ、ああ、それはもう私が生まれていて知っているよなどと答えている。 しかし、知らないといっても、このくらいの歳になると、少しは現代史の知識もあり、当時の世相も判っているので、昔話にもついていける。父の話に、それは戦後何年くらいの話だねなどと相づちも打てる。 この前、待合室のテレビから「港の見える丘」の歌が聞こえてきた。父は昭和二三年頃の歌だと言いながら、歌い出した。自分の若い頃に流行った歌は、年数まで言えるらしい。父二十歳頃のことである。(後、調べると昭和二十二年、平野愛子のヒット曲とあった。) この前は、懐メロ番組で軍歌が流れ、父はそれも歌っていた。でも、この歌は父の歳では実感がないはず。「この歌、もう少し上の世代の歌ではないかい?」と突っ込むと、「そうだ。」とのこと。自分が戦地に行かずとも、子供はその頃流行した歌をさっさと覚えてしまう。おそらくその類である。この手の微妙な違いも、なんだか判ってしまう。 父に細かいつっこみができるのも、こっちが歳をとってきたから。若い看護士には皆目判るまい。 医学的な知識や介護のノウハウなどは何もないが、そんな昔話ができる相手としての役割が息子にはあるよなという気持ちで、今日も病院に行く。
|
|
|
|
|
|
お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
感想をお寄せください。この「ものぐさ」のフォームは、コメントやトラックバックがあるブログ形式を採っておりません。ご面倒でも、左の運営者紹介BOXにあるアドレスを利用下さい。
(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
|