ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2008年09月17日 :: 君をのせて夜の海を渡る舟になろう |
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疲れて帰った夜、短い自分の時間に、万年筆の調子を見ながらぬらぬらと試し書きをしていた。ラジオ(テレビ音声、NHKの歌番組「SONGS」)から懐かしい沢田研二の声が聞こえる。その歌詞を、いつの間にか、追うようにメモ帳に書き連ねていった。バラードなので、なんとか字が追いつく。 「♪ 風に向かいながら、革の靴をはいて、肩と肩をぶつけながら、遠い道を歩く……」 書きながらその情景を脳裏に描いた。 「僕の地図はやぶれ、くれる人もいない。だから、僕ら、肩を抱いて、二人だけで歩く。」 歩いているのは都会の舗道だろうか。この二人は大人の男と女だろう。 「君の心ふさぐ時には、粋な粋な歌をうたい、君をのせて夜の海を渡る舟になろう。」 なんてダンディなのだろう。男だねえという気がしてくる。 最後のフレーズが何度もリフレインされる。 「君をのせて夜の海を渡る舟になろう。」 僕がもっともっと若くて、格好良くて、ダンディで、気障なことを平気で言える人だったら、彼女に言ってみたいものだ。 僕は、君を乗せて夜の海を渡る船になりたいんだ。なんてね……(照)。 そんな気障なことを言う青春などついぞなかったけれど、言ってしまっても許される若い時を過ごしたかったという気も今頃になってすごくする。 なんでも出来た青春。でも、結局、何も出来なかった青春。この歳になって、多少の悔恨と共に、あの頃を思い出す。もっともっといろんなことをすればよかった。 ペンを動かしながら、急に胸が締めつけられる気がした。久しぶりの、妙に懐かしく、でも、ちょっと息苦しい気持ちだった。
(この歌は、ジュリーのソロデビュー作「君をのせて」。作詞岩谷時子、作曲宮川泰。1971年。今更になって名曲だと気づく。 おそらく描かれている二人は、心傷ついた男同士というのが本当は正しいのだろう。「人の言葉、夢のむなしさ、どうせどうせ知った時には」とあるので、岩谷は全共闘退潮期の空虚感を表現したかったのかもしれない。歌謡史的にもグループサウンズが下火になってきた時期。沢田自身、一時期、謡いたくない歌だったというのも、その時の心情が重なってくるからかもしれない。宮川泰さんは亡くなったが、岩谷時子さんは九十歳を越えてご健在のご様子。昭和の香り濃い名歌である。)
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