ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2008年10月07日 :: (つづき) |
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奥書冒頭には「文暦二年」(一二三五年)の文字。老境、目が不自由となるも、感興堪えずして、二日間で写し終えたと書かれてある。自筆原本の様子にも触れられていて、二十六枚の冊子だったという。(この頁は複写での展示。) 定家が紀貫之の筆跡を数行「臨模」(書体ごと模写すること)した頁もあり、貫之が著した「土佐日記」がどういう字で書いてあったのかもそれでおおよそ伺い知れる。美しい水茎の跡。それがかなりのびやかな筆致で書かれてある。後の時代と変わらない影印本などでお馴染みの仮名書きである。(この頁も複写で展示。) 「古今集仮名序」が九〇〇年代初頭、「土佐日記」が九三五年頃の成立なので、この頃には平仮名が書き文字の一体系として定着していたことが判る仮名史の上でも意義のあるものなのだという。貫之と定家、二人の間には、ちょうど三〇〇年の月日が流れている。 学者でもない小生、これが善本中の善本なのだろうと勝手に思いこんでいたが、帰宅後、調べたところ、定家の写本は、仮名遣いに手を入れ、文章を整えた「定家仮名遣い」を施しており、元本に最も近いのは為家の写本であるらしい。池田亀鑑ら先達の業績により、ほぼ原本校訂も終わっているようで、自筆本は、室町時代までは現存していたが、応仁の乱頃に失われたようだ。 以上は、この作品に関して常識的な部類のことなのだろうが、有名本文箇所を教えるだけで汲々としている我が身、学問的なところはすっかりご無沙汰していたので、今回、現物を見て、久しぶりに刺激を受け、勉強になった。 (註……展示は5日で終了)
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