ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』な らぬ「ものぐさ」です。
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2009年01月12日 :: 加藤と吉本 |
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昨年暮れ、加藤周一が亡くなった。八十九歳。その昔、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の休憩ベンチで岩波新書の「羊の歌」を読んで、あの圧迫された時代に、よくこれだけの広い視野と自由な精神を失わなかったものだと感嘆した覚えがある。一九七八年、加藤周一著作集が平凡社から出た時も、配本毎に買い続けた。場合分けのはっきりした明晰な文章を書く人で、いかにも理系の人の文章という気がしたものだ。 彼の「文学とは何か」(角川書店)も、当時、それこそ文学とは何なのだろうと文学論や文学史論をさかんに読みあさった中の一冊として懐かしい。そういえば、その頃読んで勉強になった「古代文学史」(岩波書店)の著者西郷信綱も昨年九月に亡くなっている。 液晶テレビが我が家にやってきた日の夜、もの珍しいので、テレビのチャンネルをぐるぐるまわしていたら、吉本隆明が講演をしている映像にあたった。第一印象は「お爺さんになったなあ。」というもの。車椅子で、手振り大きく話している。収録時は八三歳だったという。饒舌だが、声が年相応に弱い上、内容が「芸術の価値」についての論考で、ぼんやり聞くには難しく、見た目の印象ばかりが記憶に残った。 全共闘世代の理論的な支柱として活躍したイメージがあるので、加藤周一と五歳ほどしか違わないことを意外に思った。下って、我々の世代になると、共同幻想論やマス・イメージ論の印象が強い。 テレビでは、糸井重里に、講演時間の超過をたしなめられていたが、吉本は、ここ五十年考えてきたことを話しているのだからと言い訳をしていた。本人としても総決算のような気持ちで話していたのだろう。 新しいテレビが我が家にやってきた日の吉本隆明。私は長く覚えているだろうか。
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