ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』な らぬ「ものぐさ」です。
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2009年01月17日 :: 木槌と金槌 |
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漱石のことだから、もうとっくに指摘されていると思うが、自分としてはちょっとした発見だったので、書いておきたい。 「夢十夜」の中の「第六夜」を授業でした。運慶が明治の世まで生きていて仁王制作に鑿を振るうという例の話である。主題は明治の表層性を嗤う文明批評。木の中に仁王を隠しているのなら、簡単だと自分も彫ってみたが、ついに明治の木にはないと悟るという結末で、それまで芸術を解する側にいたかに見えた作者の分身「自分」が、実は、他の明治の人間同様、何も判っていない人であるとボロを出すところで終わる。少々韜晦気味で、そのあたりも漱石らしい。 そこで、何に気がついたかというと、運慶は鑿と槌(つまりは木槌)で彫っている。ところが、「自分」は金槌で鑿を振るうのである。重い金槌は繊細な木工細工には適さない。明治はぴょんぴょんと飛び飛びに外発的発展を遂げてきたと漱石は指摘しているが、その明治の蛮勇を象徴しているような小道具が面白い。効いているなあと感心。 あれ、どこからか、そんなことも気がつかずに人に教えていたのですかと呆れられそうだ。
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