ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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十年前に金沢芸術村で観た「プロジェクトY企画」企画「月夜の晩の出来事で…武士と呼ばれた侍が。ー金沢・盈進社物語ー」(阿寒弁作・演出)の改稿・再演。於歌劇座(旧金沢観光会館)。今回、演出は作者自身ではなく、菊池准・河田園子。 初演は、作者を中心に、地元演劇メンバーによる手弁当的なノリでの公演であったが、今回は、東京のプロと地元セミプロの混合メンバーによる本格的なもの。石川県高文連文化教室四十周年記念公演で、一般公演も先日あった。 登場人物は、社の代表の名前をはじめとして大幅に違っており、ほとんど別物といっていいほど設定や役割が違っていた。前回、二場で北海道の場面はなかったが、今回、三場となって、北海道の場面が追加されていたのが最大の違い。 第一場の後半あたりまでは、少々つまらなかったが、第二場のつらい北海道開拓の話あたりから、ぐっと話が締まって観客を引きつけた。腑抜けになり零落れた社代表の対比も判りやすく、盈進社がダメになっていった様子がよく描かれていた。 民権、民権といいながら、農民出身の浜野に対して高圧的な態度を崩さず、間違っていても従わなければならないのが武士なのだと、旧弊な武士の精神を今更ながら持ち出す、社の連中は、そんな中途半端な存在であったのだということを、作者は繰り返し描く。 おそらく、維新の激動の中で、出遅れた藩を何とかしようと高邁な理想を持ってあがいたものの、捨てきれないものも多く、結局、挫折していく「だらぶち」(金沢方言、阿呆、馬鹿の類)な奴らなのだと作者は愛惜を込めていいたいのである。 つきまとう警官が、最後につぶやく言葉がある。腑抜けた加賀藩の連中の中で、少しは気概がある奴らかもしれぬとあいつらを期待した俺が間違いだったと。作者の押さえは実に明確である。 そんな「だらぶち」たちの、時代を超えることが出来なかった悲哀がたっぷり感じられ、且つ、それでも蒔いた種はしっかり根付いていると希望も少しは繋がっていて、それなりに後味の深い終わり方になった。 手紙を読む形で進行させて、話にアクセントをつけたり、小道具の簪(かんざし)を絡めた恋物語を入れたりして膨らませたりと、商業演劇的に多層性をもたせたことも台本的によくなった点である。 昨年話題になった映画「武士の家計簿」でも描かれていたが、幕末・維新期、加賀藩は態度をはっきりできず、完全に時流に乗り遅れ、その後の中央での活躍の道が閉ざされた。それこそ、石川県の人間は、学問や算術など自らの技量で道を拓くしかなくなったのである。北海道に移住した者も多く、そんな当時の石川県の辛い状況を、歴史認識のまだかたまっていない子供たちに実感させえたならば、充分、この芝居は成功したと言えるだろう。幕間、ついて行けない感じでざわついていたが、後半はしっかり観ていた様子で、それなりの感動もあったようだ。
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半月程前に観たお芝居の感想文。やっと書き終えてアップ。 リニューアルされた野々市文化会館フォルテに初めて入った。床のタイルが薄ピンクとなるなど、色合いが違っているが、全体はほとんど変わらず、汚れて古ぼけて見えるところを新しくしてリフレッシュしたといった印象。 話は、古い仏蘭西映画を日本に置き換えたもの。昭和十八年に夫が出征したまま戻ってこない女主人公、東田綾子(川口敦子)は、戦後、昔と同じ場所で喫茶店を再開して、夫の帰りを待った。十年以上の月日がたったある日、夫とよく似た記憶喪失の浮浪者(中野誠也、演出も)と出会う。親戚などがはっきり本人かどうか判らないという中、彼女は確信に近いものを感じ、彼の生活を追跡しはじめる。 時代は昭和三十年代前半。映画「三丁目の夕日」と同じ頃のことである。オリンピックの開催が東京に決まったというような時事ネタが時に入ってくる。世は、徐々に上向き傾向。そんな中で、戦争浮浪者は少しずつ珍しい存在になりつつあった頃である。 彼女の思いは、ほとんど「思いこみ」に近く、これまでの彼女らしさをなくして、この男の記憶をなんとか戻そうと躍起になる。 この物語に、我々は、夫を思うひたむきな女の愛を感じればいいのだろうか。あるいは、戦争が終わっても、出征した男、待つ女、それぞれに戦争の傷跡は深いのだというのがテーマなのだろうか。 また、あるいは、女の独走を、喫茶店に集う常連客などは客観的に見ており、のめり込んでいく異常さを浮き彫りにしているようにも見えるので、昔にこだわってはいけない、元の生活に早く戻るべきだと言っているようにも感じて、どうもそのあたりは判然としなかった。 それにしても、彼女はどこが似ているから夫だと思ったのだろう。そのあたりの説明はなかったように思う。人は似ていると思った時、どこそこの面影が似ていると特徴を言うものである。その点、何にも言わないのは、些か不自然だったように感じた。 喫茶店に集まるメンバーがワイワイやっている様子は、何とも楽しげで、実にうまく描かれる。それに反して、彼が浮浪者ながら規則正しい生活をしているということを示す場面は、ずっと無言の演技が続き、且つ、たいした演技でもないので、かなり退屈であった。 舞台装置はよく出来ており、また、舞台転換もよく考えられてる。効果音もなかなかよい。演技で見せようという心意気も感じられ、総じて、演出は演劇として正攻法そのものだった。しかし、今言ったように、ちょっと間延びした感あり。ただ、その箇所が演出家自身の演技なので、誰もそこを刈り込もうとは言えないのだろう。演出を兼ねる芝居によくあるパターン。 戦災から免れた鳥越地区。こちら石川県では白山麓の村の名前なので、言われる度にちょっと戸惑った人も多かろう。後でどこか場所を確認した。 東京、JR浅草橋駅の北、蔵前橋通り。橋向こうの関東大震災復興記念公園。その付近に以前、通勤していたことがあるので、本当に目と鼻の先を毎日うろうろしていたのだが、残念ながらその辺りには行ったことがない。鳥越神社は都内最大の重量級御神輿が有名らしい。 この物語のクライマックスに設定されるその神社の例大祭は、まさにこの芝居を観た六月前半に行われるという。三社祭に並ぶ下町のお祭りということで、どんなお祭りだろうとパソコン検索を続けると、今年は、東日本大震災の影響で中止になったとのこと。 戦争が人と人とを引き離したお話を調べていると、人と人とを引き離した現実の大地震が絡んでくる。昔、復興記念館で被災して親を亡くした子供の作文を読んで胸がつまった覚えもあって、関東大震災、戦争、そして今度の震災と、私の心の中でそれらが糸のようにつながって、人が人として恙なく一生を送る幸せに思いを致した。
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某日、今年も一泊の人間ドックへ。行く毎にこの病院は人員が少なくなって、簡単な項目は機械でこちらが測るものが多くなっている。高額医療機器はもちろん職員が扱うが、なんだが医療従事者というより機械のオペレーターの如し。 先だっての亡義父の診察時にも感じたことだが、近年の医師は、パソコンに向き合って仕事をしている。たまに患者のほうを向く程度。それと同じ流れなので、驚きはしないが、医療が機械に使われている感がますます強まっている。 今回は、脳検査をオプションで入れた。我々くらいの年齢で脳疾患で亡くなる方もぽつぽつおられ、そろそろ一度と思ったからである。腰のMRIは何度もやったが、頭ははじめて。 後日郵送された結果は、老化に伴う「要観察」事項も増え、持病の内臓疾患も微妙に進行、メタボ診断は下りなかったが、はっきり書類に「肥満」と書いてあるはで、「やっぱりなあ。」の感想。 少々時間があったので、二十年ぶりで小矢部市稲葉山山頂展望台へミニドライブをして帰った。夫婦の日帰りドライブでやって来て、フイルム一眼レフカメラで秋のコスモスを撮った思い出がある。今は巨大な風力発電機のプロペラが三台ぐるぐる回って、動物舎も整備され、景色が違っていた。眼下に広がる散居村風景を眺めながら背伸びをひとつ。これがこの二日一番の健康療法であった。
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プリンターのヘッドがインク漏れを起こして印刷できなくなった。心臓部で、修理をしても高くつくと踏んで、新機種を購入。買ってそんなにたっていないのに、パソコン関係の寿命サイクルは異常に早い。 調べると今は複合機が主流らしい。スキャナは不要なので単体機を選んだが、今は一万円ちょっと出すといい機種が買える。以前に比べてえらく値下がりしていることに驚いたが、その代わり、インクカートリッジの尋常ならざる高額にも驚いた。 前の機種だと、全色揃いで二千円程度だったが、今回のは五千円を超える。その上、ひとつひとつのタンクの容量が減っている。ユーザーレビューでもあっという間に無くなると大不評。 結局、一時期の携帯電話商売の如く、維持費で稼ごうとしているようだ。あの頃、携帯電話の機械はタダだった。 インク二回買えたら本体値段を超す。今やパソコンの家庭用印刷機は事実上、キャノンとエプソンの寡占状態。いやらしいことになっている。
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一時期ほどの人気はなくなっているようだが、多機能ペンのシャーボX(緑革調、ボールペン2本+シャープ)は私のお気に入りで、いつも鞄に差して携行している。鞄付きペンの扱い。 今回、万年筆と多機能ペンを2本差しのペンケースに入れたら、携帯用としてコンパクトに収まり、なおかつ、すべてが揃っていて最強なのではないかと妄想しはじめ、名入れサービスにつられて、上位機種(プレミアム、赤色、ボールペン3本+シャープ)を購入した。 名入れは出来上がるまでに半月ほどかかった。ローマ字のイタリック体で書かれた自分の名前を見ながら、こうして名前が彫られた筆記具を持つなんて久しぶりなのではいかと気がついた。高校の頃、新竪町の文具屋さんで万年筆を購って、そこのご主人に名前を刻んでもらって以来。当時は町の文具店どこにでも万年筆が置いてあり、ご主人に頼めば、その場で彫ってくれるところが多かった。今は、どこかに持って行って機械彫り。
小学校低学年の頃のこと。 毎冬、サンタクロースのプレゼントを楽しみにしていた。お菓子が入った紙製の長靴のことが多かったが、ある年、日用品が色々入っていた。その中に、万年筆があった。しかし、キャップをとると主軸には知らない人の名前が彫られていた。サンタの正体に漠とした疑問をもちはじめる頃だったのだろう、その時思ったのは、誰も気づいていないのかも知れないが、サンタクロースは実は泥棒にちがいない。これは、誰かから盗んだものだ。そうでなければ、あんな全世界の子供にプレゼントを配れるはずはない、という理屈。 結構悩んで、ついに親に告げ口(?)した。親はそれがサンタのプレゼントの中にあったことを確認して、慌てて私から取り上げた。以来、そのペンは私のもとに戻ってこなかった。 大きくなって聞いた話だったかどうか、今ではそれさえも判然としないが、真相は、我が家にペンを忘れた方がいて、誰のものか判らず、そのまま放置されていたのを、親がサンタの靴のなかに「嵩増やし」として入れたのだ。その年は、文具などを入れたので問題ないと思ったらしい。ものが豊富にある時代ではない。使い回しが当たり前だった。
あのペンは持ち主に返っただろうか。 今、まじまじと自分の名前が書かれた軸を見ながら、忘れていた遠い昔のエピソードを思い出す。
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某日、我が国指折りの大会社トップの、高校生になったばかりの生徒対象講演会を聴く。正味五十分。会社の概要を説明し、次に自己紹介して子供の頃の夢を押さえた上で、自社が力を入れている素材の優秀性を説明し、それが今後の、地球に優しい世界作りに不可欠と説く。その後、個人的な話に戻り、近年、夢が叶ってガラパゴス諸島に行って昔の夢を実現したこと、好きだったダーウィンの言葉が今の企業経営の指針にも当てはまることを述べる。そして最後に、聴衆者に夢を持つことが大事だと結ぶ。 全体として、環境について真剣に考えなければならないと若者を鼓舞する役割を忘れず、且つ環境社会実現に中心的な役割をなす企業であると自社イメージアップを聴衆者に自然に植え付けていく流れで、最後にそれが国連から表彰を受けるところまでいっていると押さえのPRも抜かりない。起承転結整って、各話題の過不足もなく、実に国語的に文句のない模範的なお話。
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終電車の風景 鈴木志郎康
千葉行の終電車に乗った 踏み汚れた新聞紙が床一面に散っている 座席に坐ると 隣りの勤め帰りの婆さんが足元の汚れ新聞紙を私の足元にけった 新聞紙の山が私の足元に来たので私もけった 前の座席の人も足を動かして新聞紙を押しやった みんなで汚れ新聞紙の山をけったり押したり きたないから誰も手で拾わない それを立って見ている人もいる 車内の床一面汚れた新聞紙だ こんな眺めはいいなァと思った これは素直な光景だ そんなことを思っているうちに 電車は動き出して私は眠ってしまった 亀戸駅に着いた 目を開けた私はあわてて汚れ新聞紙を踏んで降りた (「やわらかい闇の夢」(昭和49)思潮社)
この詩の授業をされた方がいて、それで、この作品を知った。一見、車内の荒廃を嘆いた詩のように見えたが、「こんな眺めはいいなァと思った」「これは素直な光景だ」といっているのだから、モラルを嘆いた詩であるはずはない。それに、「私」自身も、最後、わざわざ「新聞紙を踏ん」で降りている。 では、一体何をいいのたいのか? 最初、よく判らなかった。 その方の解説によると、この詩は、新聞批判の詩なのだという。そういえば、話の中心は、車内での様子というより新聞紙そのものだ。短い詩のなかで、七回も「新聞紙」という言葉が出てきて、踏んだり蹴ったりされている。 今の新聞はそう扱われてしかるべき、現代人の新聞に対する気持ちなんてこんなものだよ、今や社会の木鐸たる役目などどこかに行ってしまって、ニュースの顔して実は裏に営業がくっついていたり、政府発表鵜呑み丸呑みだったり、検証不足のままの記事だったり、訳知り顔の分析で、提言のないままの優等生的結論だったりと、みんなその程度にしか新聞を見ていないよという意識が「素直な光景」という表現になった。新聞なんぞ、蹴飛ばして踏みつける程度のものでしかない。自分だけでなくて、皆、どうやらそう思っている。彼はそれを確認して、スカッとした気持ちになって下車している。 作者の、現代の新聞に対する嫌悪感がこの詩になった。率直に詩を読めば、まさにそのままの詩。ただ、「終電車の風景」というタイトルが、ちょっとモラル方向の結論へ迷わすだましの一翼を担っているので、ちょっとひっかかりやすい。 ちょっと、そうしたフェイクを隠しているが、そんなに難しい訳でもない詩が判らなかったので、「私ってセンスないなあ。」と残念な気持ちになった。忙しく立ち働き、人様に変だと思わないよう常識的行動や常識的判断を下すのに腐心し続けて、心が硬直化しているのかもしれない。 詩を読むと、いつも心に反省の気持ちが湧く。
(数年前に書きかけて放置していた文章を見つけ、手直しの上、掲載。)
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今年三月、遅ればせながらハードディスク内蔵ブルーレイレコーダーを購入した。型落ち特価の安物。愚妻が限定数台を、朝、並んで購入。 これまでのVHSビデオ機はリモコンが壊れていて事実上録画が出来くなっていた。ないではないでそんなものだったが、やはりあると、ちょっと興味のある映画などが録画できて便利ではある。 今年のNHK大河ドラマ「江(ごう)」は、歴史上の重要会議や決定に悉く浅井家三女の主人公江が覗き見して絡んでいるかのような設定で、まるで市原悦子の「家政婦は見た」状態。無理矢理の喜劇仕立ても興を削ぎ、次第に熱心に見なくなって、録画のまとめ視聴と相成った。 古い映画「シャレード」は、テレビで映画を放映する先がけ、前田武彦解説の「金曜ゴールデン劇場」で観て以来、何度目かのはずだが、謎解きは切手だよとか、ケーリー・グラントは味方で、犯人が大使館員に化けることができたのは、ちょうどお昼休みで館に人がいなかったからだよとか、細部は覚えているのだが、中盤までのストーリー展開はほどんど忘れていた。洒落たラブ・サスペンスといった案配で、オードリーはジバンシーの衣装を纏って美しい。ジェームス・コバーンもお若い。 愚妻は、ケーリーが歯を磨くシーンで、粉の歯磨きを使っているのに注目し、そういえば、昔のお父さんは、チューブでなくて缶に入っている粉にブラシをちょっとつけて磨いていたよねえと懐かしがっていた。一九六三年の作。まさに我々の子供時代である。時代が下がると、当時当たり前だったことが、注目の対象となる。
機械が新しくなっても、ようやく人並みになっただけで取り立てて感激もない。電源入れて機械が立ち上がるのに数分もかかるのに驚いたが、録画しても画質が落ちないことに時代の進歩を感じた。
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頂いたボディに付いていたのは標準レンズF1.4。それにもう一本、スクリュー式レンズもアダプター付きでいただいたので、今度はそれをデジタル・ボディにつけて楽しんだりもしている。MFレンズでも、半シャッターしながらピントリングをまわすと、合焦した時点でピッと合図してくれるので、オートとほどんど変わらない。 名機の誉れ高い機種だが、飾っていては意味がない。ここのところ、黒革のネックストラップに取り替え、手持ちのアイキャップやシューカバーをつけ、レンズキャップを実践的な中央つまみ式のものに交換して、実働用に仕立てた。久しぶりにフイルムに復帰しようという欲が出て、カメラ店で、今、フイルムはどんなものが生き残っているのかもリサーチした。売り場は当然ながら今や片隅。 ペンタ使いとして、LX持ってますといったら、それでなんだか一人前のようで、ちょっと箔が付いた感じ。フイルム代や現像代が昔より値上がりしており、同時プリント代を含めると結構お高くなる。トータルでみると、アナログ遊びは贅沢な趣味である。
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ペンタックス使い憧れの的、名機LXを、義父の葬儀の際、親戚の方からいただいた。何十台とカメラ・コレクションがあるという方で、私がペンタ使いだと知ってわざわざ持参いただいたもの。 ファインダー交換式というマニアックなシステム。ずっしりとした金属ボディの質感。雑誌付録の復刻取扱説明書もつけていただき、操作で判らないところはそれですべて調べられる。もう至れり尽くせりの心遣い。長く販売されていた機種なので、小変更があるはずだったと、何型ですかとお聞きすると、後期型とのこと。どこが違っているかもしっかりご存じで、こちらがペンタ党ですなどというのが恥ずかしいくらいである。 フィルムも持参していただき、その場で入れたが、久しぶりのアナログ機、葬儀写真で失敗してはいけないと思い、その場では撮らなかった。季節がよくなり、花など被写体も増えて、ようやくフィルム一本撮り終わって現像に出した。 出来上がった写真を見ると、露出もドンピシャで、何の問題もない。中古はシャッター動作が渋く露出オーバーになっていたり、弛みが出て無限大が出ない症状が一般的に知られているが、それらは一切無し。外見の傷みもなく、中古店では「極上品」と札がつくこと必定である。 所有するレンズのうちデジタル専用以外は全部つくので、取っ替え引っ替えして一挙にお楽しみが広がった。FAリミテッド77mm黒もよく似合う。 このカメラ、機構的には機械式と電子式のハイブリッドというのが特色で、今の目から見ると初歩的な電子部品が組み込まれている絞り優先AE機である。中を開いた写真を見たことがあるが、ビニール皮膜された電線が行き交いハンダ付けされている基板が組み込まれている昔懐かしい景色だった。 撮る際は、ファインダー右側に表示が出るので露出はお任せでよく、ピントの山も上下合致式で見やすく、今のカメラに慣れきって楽をしている私には使いづらいのではないかと危惧していたが、全然、敷居が低かった。シャッター切ったらすぐにフイルムを巻き上げる動作もちゃんと無意識にやっている自分を発見し、「三つ子の魂」だと微苦笑。 もちろん、ピント合わせに少し余分な時間はかかるが、そもそも無駄撮りはできない。慎重に構図を決めてシャッターを切るので、そのテンポの一環としての作業といった感じで、苦にならなかった。(つづく)
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レイ・ブライアントが2日に亡くなっていたことを知る。黒人ピアノ奏者では、故ケニー・ドリューとならんで、マイ・フェイバリット・ピアニストの一人であった。 初期の頃、ブレスティッジ他に好盤があるが、彼を一躍有名にしたのは、一九七二年のモントルーでのソロ・パフォーマンス。オスカー・ピーターソンの代役だったが、聴衆をぐいぐいと乗せて、一躍、人気ピアニストの仲間入りを果たしたのは有名な話。私はその二年後からジャズを聞き始めたから、オンタイムでは知らない。 彼の奏法は、なんといっても左手が強力。しっかり安定したリズムキープができるので、長いソロでもビクともしない。ストライド奏法も得意。ソウルフルでゴスペルの影響も強く、彼のアーシーで骨太の演奏を聞くと、瞬間、黒人奏者だと判る。 個人的には、当時、小山氏がプロデュースしていたエマーシー・レーベル時代の「トリオ・トゥディ87」がお気に入り。「100フィンガーズ・コンサート」で生演奏も聴いたことがある。日本にファンが多く、来日もかなりの回数になるはずである。 曲作りも巧み。「グバノチャント」など印象深いメロディで、誰でもすぐに耳に馴染む。古いスタンダード「ゴールデン・イヤリングス」は彼の十八番。最近、活動を聞かないなと思っていた。記事に「病気療養中のところ」とあるが、詳細は書かれていない。どんなご病気だったのか。 そういえば、ジョージ・シアリングが今年2月に死去したばかり。彼作の「バードランドの子守歌」は好きな曲トップテンに入る愛聴曲だった。メル・トーメとのライブ・アルバム(コンコード)は二枚ともお気に入り。 モダン・ジャズの歴史を飾るピアニストがここ十年ほどで相次いで亡くなっている。スリーサウンズのジーン・ハリスは2000年1月、ジョン・ルイスは2001年3月、トミー・フラナガンは同年11月、ローランド・ハナは2002年11月、マル・ウォドロンが同年12月。このあたりで相次いで有名どころが亡くなっていることがわかる。 デューク・ジョーダンは2006年8月、オスカー・ピーターソンは翌年12月、ハンク・ジョーンズが昨年5月亡くなったのは記憶に新しいところ。 七〇年代、若手のホープはキース・チック・ハービーの御三家、マッコイあたりだった。今や、キース六十六歳、チック七十歳、ハービー七十一歳、マッコイ七十三歳。最早、大ベテランの域である。六十年代から活躍していたドン・フリードマンになると既に御年七十六歳、中堅のイメージの強いケニー・バロンでさえもう六十八歳である。 新作を楽しみにするピアニストがどんどん減って寂しい限り。今は、チックが、ポール・モチアン、エディ・ゴメスを従えたエバンス・トリビュートのライブ・アルバムを予約中。
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県の大会で男子団体が優勝した。今年度のメンバー、実力はあったのだが、本番で実力を出し切れず、あと少しで入賞を逃していた。しかし、ここのところの練習では二〇射十五中が出るようになり、一度、練習試合で十八中も経験し、私ががこれまで顧問をしていた中で、一二を争うレベルに達していた。試合前日、別の顧問と「これだけ頑張っているのだから、何か神様からいいプレゼントはないかねえ。」と言い合って別れたのだが、それが現実になった。 決勝の四校による総当たり戦でのくじ運もよく、僅差で競り勝ち、二勝一分け、負けなかったということで優勝した。勝負ごとに的中が落ちてきており、最後は引き分け。総的中数では負けていたので、最後の試合を落としたら一気に三位になるところだった。 十年以上前、前任校で女子団体が優勝し、可児市の全国大会に引率したことがある。顧問人生であの時がハイライトだったなあと思っていたら、神様はもう一回ご褒美を下さったみたいで、うれしい限り。職場に優勝旗を持ち帰る。 翌日の夜、愚妻と市北部のフレンチ・レストランに行き、極私的にお祝い。
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この前まで教生の先生が来ていた。朝礼で挨拶。「○大学から来ました○○です。体育をさせていただきます。」 また、「させていただく」である。一人が言うと後も続く。 敬語を言おうとするとこればかりになる人を、最近では「させていただく症候群」というらしい。ネットに出ていた。面白い茶化しである。 この言葉、何度も言っているが、上の人に了解してもらう場合や誰かに代わって行う場合などに使うへりくだりの語。お願い的な要素の強い言葉である。だから、既定の事実を言う時や意志がはっきり決まっている時に使うと違和感が残る。 私は一人一人言う度に「いやです。」「不許可。」「体育でなくて英語をして下さい。」などと心の中で返事をしていた。天の邪鬼? 国語の人の番。「○○です。担当教科は国語です。宜しくお願いします。」 さすが国語教師のタマゴ、ちょっと安心。後の人が急に使わなくなったのも可笑しい。 数日後、職場のイントラ掲示板に「書類を担当の棚へ入れさせていただきました。」との書き込みが……。同僚間の事務連絡にこんな言葉を使う必要はない。若者ばかりでなくあちこちで病気が伝染している。 よくない傾向だねえと話をしていたら、教生の授業を参観していた方から、「そういえば、授業の冒頭、『では、授業を始めさせていただきます』と言った子がいたよ。」とご報告。 もう、みんな営業マンである。
さて、この日記には、まるで「「させていだたく」撲滅キャンペーン」の如くこの話題出てくるが、個人的に大変気になるので仕方がない。今後もお付き合い願いたい。 今、奥秋義信「残念な日本語」(講談社)という本を読んでいる。私自身気がつかずに使っている誤用がいくつも指摘されていて、この私の日記の中にもそんな「残念な日本語」がいっぱいあるのではないかと急に不安になった。偉そうに嘆いている資格などないかもしれない。
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四月に大手量販店で背広を買った。二着で幾らのつり下げ品。その値段で一着としても充分安い部類。 我が商売、背広は作業着のようなもの。安物で充分と割り切って購入。同じものを着続けるのもなんだから、枚数を増やしただけ。 家でまじまじと見るにつけ、もうギリギリという代物である。これ以上縫製を省略すると崩れるのではないかという程。襟もしっかり折ってないので下ボタンあたりで浮く。何にもまして生地の薄いこと薄いこと。よく言えば、クールビズ? 「安物買いの銭失い」という言葉がある。おそらくこの背広はその部類。そんなにもつまい。着ている時間をトータルすると、コストパフォーマンスはよくないかもしれない。 それぞれの製品に、ここまでは銭失い、これ以上になると、必要充分となって長くもつようになるという閾値がある気がする。 例えば、ズボンのベルト。表面が皮革でも、裏が人工皮革だと、結局そこから傷んできて早く捨てねばならなくなる。せっかくの表がまだ大丈夫でも使えない。それに気づいてからは、少しばかりお金を出して裏地もしっかりしているものを買うことにした。それで、一気に長持ちするはず(?)である。 具体的に言うと、千円ものはダメだが、裏地も皮革なら三千円〜四千円くらいだせば、それなりのものが手に入る。上を見ればきりがないが、上は大抵ブランド代が入ってくる。そんなものも、リッチ気分用として一本持っていればいいが、あとは必要充分・質実剛健のものがいい。 つり下げ背広は、一万円台のものはすぐにみすぼらしくなるが、三万円だせば、生地や縫製もそれなりのものが手に入る。そのあたりが仕切り値か。 贅沢したい訳でなし、かといって銭失いになりたくもなし。それぞれの品物別の傷み具合が判ってくると、どれほどのものを買えば、一番いいか、どことなく判ってくる。どうでもいいようなことだけど、こんなのも歳をとったから判ること。 それにしても、大の男は、ネクタイ、タイピン、ベルト、平均どのくらい持っているものだろう。ネクタイは従兄弟・父の形見分けで結構手元にある。ネクタイピンも十個以上ある。多いのやらそんなものなのやら。面倒くさい嫌な服飾で、仕事をリタイヤしたら使わなくなる忌まわしいものだけど、もう少し、首を絞め(?)ねばならぬ。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
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