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潤一郎・荷風

 この頁は、耽美派の巨匠、永井荷風・谷崎潤一郎研究サイトです。論文、エッセイなどがあります。

・遅々として作業が進まず、過去に書いた論文のアップが遅れていますが、徐々に充実させていくつもりです。申し訳ありません。 

  (論文)永井荷風「狐」検証(下)ー作品の評価ー

(論文)永井荷風『狐』検証(下)
     ー作品の評価ー

 

六 幼児期の記憶

 

 この殺戮の劇は、閉ざされた空間だからこそ成立し得た訳だが、そこに文明開化の合理的精神の矛盾が描かれていたとしても、全体を覆う芝居風の仕立てのせいもあり、鋭利にそれを突くという印象はない。例えば、結末部の、

 

あの人達はどうしてあんなに狐を憎くんだのであらう。鶏を殺したからとて、狐を殺した人々は、それがために更に又鶏を二羽まで殺した。

 

という感慨は、確かに、近代主義に対する批判となっている訳ではあるが、こうした表面に出た文明批評性をのみ抽出、強調しなくとも、幼児の視点による大人社会への素朴な疑問という視点をこの作品は描き得ているという点で、言い換えれば、世の殺伐さによっても、溢れる叙情性、浪漫性とでもいうべきものを失っていない作者の心情が表出されているという点でも見直すことができるのではないだろうか。
 荷風が幼児期の感覚を如何に大切にしているか。『下谷の家』で彼は次のように言う。

 

幼時の記憶は四歳か五歳、それより以前にはどうしても遡る事ができぬものだと云ふ。人間の心の底に初めて記憶の芽生が萌芽でた頃の事を思い返すと霊暗なる灯明の光に奥深い伽藍の内陣を透かし見るやうな心持がする。この如何にも神秘な気高い心持は、現在の身上が浮世の風に浅間しく吹きすさまれて居れば猶更に神秘の度を深くする。「現実」と称する巷の騒を過ぎて、回想と称する寺院の階段に跪くに及んで、人は初めて安息慰撫の空気に触れ得るのである。

 

 現在の境遇が「浮世の風に浅間しく吹きすさまれて居れば猶更に神秘の度を深く」幼児期の記憶が想い出されるとし、幼児期の記憶を「神秘な気高い心持ち」として重要視する考えを述べている。
 他のこの時期の作品を瞥見しても、『伝通院』『楽器』等、下谷の家の記憶を含めて、彼が如何に故郷に拘っているか一目瞭然である。『狐』でも、荷風の記憶にある幼児が興味を示すもの、当時の子供の視野での周辺の様子などが、小説の小道具として、全編に散らされている。例えばそれは、「安藤坂の紅屋の最中」であり、「伝通院の縁日」であり、「しめやかなランプの下に母と乳母とを相手に暖い炬燵にあたりながら絵草紙や錦絵を繰りひろげて遊」んだ記憶等などで、あたかも生家の記憶をこの作品に封じ込めようとしているかのようである。
 彼の幼児の記憶について、『狐』と同時期に書かれた次の文がある。

 

自分はもつと年の行かない子供の時分から、已に夏の毎夜を流して来る新内の三味線や、其の夜始めて感じた尺八の調や、または遠い赤城下の方から風の工合で聞こえて来る祭の夜の太鼓の音などに対しても、われながら解らぬ神秘の感動を覚えた。其の瞬間の心の状態をば今だにはつきり記憶してゐる。それは始めて聞いて感じる耳新しい物音が決して其の時からではなくて、已に自分の生れぬ以前から幾度となく聞いた事のあるやうな心持をさせる事である。幼年時代に経験する諸有る神秘の感動は、太古から今日まで、滔々として尽きぬ人生の流れに泛かぶ人間の霊性の驚きから発するが故であらう。(『楽器』)

 

単に幼児の記憶が神秘的であるというばかりでなく、そこに「神秘の感動」を覚えるのは、「已に自分の生れぬ以前から幾度となく聞いた事のある」「人間の霊性の驚きから発する」ものだからであるといった未生以前からの無意識的な文化的伝承を認める考えを披瀝、矢張り、幼児期の感動の体験を重要視している。
 同様に、自分自身の現在の芸術的立場についても、

 

現代の或批評家は私が芸術を愛するのは巴里を見て来た為めだと思つてゐるかも知れぬ。然しそもそも私が巴里の芸術を愛し得た其のPassion其のEnthousiasmeの根本の力を私に授けてくれたものは、仏蘭西人がSarah Bernhardtに対し伊太利亜人がEleonora Duseに対するやうに、板東美津江や常盤津金蔵を崇拝した当時の若衆の溢れ漲る熱情の感化に他ならない。歌沢節を産んだ江戸衰亡期の唯美主義は私をして二十世紀の象徴主義を味はしむるに余りある芸術的素質をつくつてくれたのである。(『伝通院』)

 

と、自らの趣味の出自が、留学して体得した西洋的感覚ではなく、幼児期に馴染んだ「歌沢節を産んだ江戸衰亡期の唯美主義」であることを明らかにしている。自分にとって「若衆の溢れ漲る熱情の感化」に影響を受けた幼心の「神秘の感動」こそ自らの美の基準だったのだと<自己規定>しているのである。
 しかし現実には、そうしたものの温床であった故郷は、前述の如く殺伐たる街に変わり果てており、また、洋行帰りという周囲の期待に対し、新しい日本に馴染めない断絶感が彼の心を占めている。「僕はどうしても人生が淋しい」(明治四十二年三月十日書簡 井上唖々宛)、「閣下よ。冬の来ぬ中是非一度おいで下さい。私は淋しい……。」(『監獄署の裏』)等、再三漏らす<淋しい>という言葉。こうした孤独感の中、身の処し方に行き場を失っていた当時の荷風の心情が、冒頭の「ひとり淋しく」読書をしているという大人の「私」に投影されているのであり、これが幼児の古庭の恐怖感と響きあっているのは諸家の指摘の通りである。『監獄所の裏』等でははっきりと文章として訴えているが、この作品では幼児の恐怖という変節した形で表現されており、曖昧な分、押し付けがましさはない。読者はこの作品を一連の近況を基にした作品と同じ感覚で読み進めることに躊躇しないだろう。
 こうした心境の、そして、江戸文化が出自と自己規定した彼にとって、『狐』を書くというのは、極めて自然なことのように思われる。つまり、自己の出自の確認作業を、<故郷>という実に具体的で卑近なところから始めたのであり、前田は、彼の『狐』論を「『母なるもの』の原像に重ね合わされた江戸空間の記憶を探る荷風の長い遍歴はようやくはじまったばかりなのである」という魅惑的な文章で閉じているが、より散文的に繰り返せば、『狐』を書くことは、砲兵工廠の雑踏に象徴される<近代>に蹂躙された故郷小石川を、江戸空間として定置させることで、幼児期の故郷へ遡行する旅立ちの確認作業をしたとでも言えばより分かりやすいであろうか。

 

七 作品の評価

 

 作品のエピローグに、

 

ああ、ツルゲネエフは蛇と蛙の争ひから幼心に神の慈悲心を疑つた。私はすこしく書物を読むやうになるが早いか、世に裁判と云ひ懲罰と云ふものの意味を疑うやうになつたのも、或は遠い昔の狐退治。其等の記憶が知らず知らず其原因となつたのかもしれない。

という裁判批判のコメントがある。冒頭部で触れたツルゲーネフに再度触れることで、構成的には<額縁>になっている訳で、この作品の文明批評性を直接表現している重要な一文ではある。
 この部分について、坂上博一は、

 

ツルゲーネフは神の慈悲心を疑うというようにヨーロッパ社会を支える根本理念に関わる問題に迫ったのに対し、荷風は人間社会の運用に関する約束事に疑念をいだいたという相違がある。ツルゲーネフの場合にはこうした体験が思想的なニヒリストを育てたのに対し、荷風の場合は因襲的社会に対する反抗者ないしは逃避者への道を開くに至らせたといえよう。すなわち荷風の場合はツルゲーネフのような哲学的宗教的深みに乏しくとも、より直接に社会に関わりを持つ文明批評的意識を形成させる意義を持ったのである。

 

と注釈している(註16)。確かに神の概念は、荷風に限らず日本人には希薄である。この意味で、この説明は間違ってはいない。ただ、荷風に西洋的な神の概念がないから深みに欠け、その分、文明批評性が強まったというのであれば方向性が逆だろう。当初から神の無慈悲を主題にしたかったからではなく、父親批判に連動させ、裁判批判という形にして、この滑稽な狐退治の物語に額縁をつけるために、彼の教養からツルゲーネフの一挿話が思い出されたということなのだろう。
 このモチーフが狐退治の物語とうまく馴染んでいるかというと批判的な評も多く、唐突の感を読者に抱かせるようだ(註17)。それは、このモチーフのみが作品の根幹を形成しているとは言い難く、読者がこの物語に受ける感銘が、この一文に集約されている訳ではないからである。他の要素としては、例えば、「屋敷の恐ろしい古庭のさま」、特に「私が忘れやうとしても忘れられぬ最も恐ろしい当時の記念」ある古井戸にまつわる描写、

 

障子に映る黄い夕陽の影の見る見る消えて、西風の音樹木に響き、座敷の床間の黒い壁が真先に暗くなつて行く。母さまお手水にと立つて障子を明けると、夕闇の庭つづき、崖の下はもう真暗である。私は屋敷中で一番早く夜になるのは古井戸のある彼の崖下……否、夜は古井戸の其底から湧出るのではないかと云ふやうな心持が久しい後まで私の心を去らなかつた。

 

等、子供の目で見た恐怖の感覚が、漸層的に、且つ繊細に描写されている部分の方に、物語として劇的に展開する訳ではないが、読者は滋味を感じているからと言えはしまいか。吉田精一が「随筆的小説」(註18)と言う所以もそこにあろう。後年、故郷に触れる作品からは、こうしたみずみずしい感覚は薄まり、知的な理解が深まって、別の味わいのものになっており、『狐』は、帰朝直後のこの時期の作品ならではの美点が発揮されている。
 荷風は、この時期、『春のおとずれ』や『花より雨に』等、季節感溢れる短い随筆を発表している。これらは、海外を見た目で、再度見る日本の自然や季節に対する喜びが、耽美派作家らしい新鮮な感覚的把握で表現されている点に意義がある作品群である。その根底には帰朝者特有の日本に対する郷愁がある。『狐』の描写の繊細さもこの延長線上に把握される。この、当時として新鮮な感覚こそが、一連の作品と共に読者に歓迎されたのであったことを勘案すると、『狐』は、<淋しさ>の表白や感覚的な描写面で随筆的な要素を持ちつつ、小品ながら物語としての結構を持っており、且つ、モチーフの一つとして文明批評が感じられる、こうした諸要素がうまく均衡を保っているところに完成度の高さがあるように稿者には思われる。追懐記の枠を超えた作品という認識には賛同するが、かといって、この作品の文明批評性ばかりを強調するとしたならば、その当時の読者の感覚を無視した、その後の荷風の軌跡に引きずられた解釈と言わざるを得ないだろう。
 荷風生涯を貫く文明批評の観点から見ると、前述したように、この時期は、『監獄署の裏』『新帰朝者日記』、そして『冷笑』にいたる過渡期の作品の一つということになるが、文明批評性が明確になるに従って、その口吻に飽いた読者が、その批評の趣味性を西洋帰りの生意気口と感じていったという経緯を考慮に入れると、再度述べるが、この時期に見られる<淋しさ>の感情を表出した作品の流れを汲みつつ、新鮮な描写の随筆の要素を持ち、且つ、文明批評のモチーフをも添えるというバランスのよさにこそ、この作品の生命があるといってよかろう。既に評価が定着しているかとも思われるが、荷風初期の名品として再度強調して置きたい(註19)。             

                          (了)

《註》
(16)「永井荷風集」(日本近代文学大系29)角川書店(昭四

    五・一〇)
(17)裁判のモチーフが少々唐突な感じを与えるのは、註11で

    述べたように、初出では父に対する批評性が現在よりはっ

    きりしていたものを削除したために、特にこの記述が目立

    ったということはあるだろう。
(18)吉田精一著作集 第五巻『永井荷風』桜楓社(昭五四・一

    二)
(19)『狐』という作品は、戦前は初期短編の一つという程度の

    評価でしかなかったようだ。代表作を集めた選集である昭

    和十一年六月発行、佐藤春夫編著「永井荷風読本」(読本

    現代日本文学8 三笠書房)などを見ても、分量的には短

    編でもあり、適切にも拘らず、集録されていない。


《補説》

〔三章〕砲兵工廠が当時の浅薄な近代化を如何に象徴していたかについては、夏目漱石にも次の発言がある。

 

砲兵工廠の高い煙突から黒烟がむやみにむくむく立ち騰るのをみて、一種の感を得ました。考えると煙烟などは俗なものであります。世の中に何が汚ないと云って石炭たきほどきたないものは滅多にない。そうして、あの黒いものはみんな金がとりたいとりたいと云って煙突が吐く呼吸だと思うとなおいやです。(明治四十年『文芸の哲学的基礎』)

 

また、『それから』では、この目撃を活かし、

坂を上って伝通院の横へ出ると、(稿者註ー砲兵工廠の)細く高い煙突が、寺と寺の間から、汚ない烟を、雲の多い空に吐いていた。代助はそれを見て、貧弱な工業が、生存のために無理に吐く呼吸を見苦しいものと思った。

 

と描写されている。敷衍すれば、伝通院前の安藤坂を少々下って右に小道を入る小石川生家の場所には「金がとりたいとりたいと云って」「貧弱な工業が、生存のために吐く呼吸」が覆っていたことになる。

 

〔五章〕本論では、幼い「私」は、男達の心情を理解できず、女達の側に添った存在として論じたが、無論、完全に「含包」された存在として描かれている訳ではない。下女が「お家に不吉な兆し」と水浴びをして「風邪を引いた」という記述や、「恐る恐る訊く私が智識の若葉を乳母はいろいろな迷信の鋏で切り摘んだ」、「半ば世にはさう云ふ不思議もあるのか知らと疑ひもした」と、女達が信じている迷信について、その非近代性から離れた所にいる。男達の似非近代性と女達の前近代性、その間に立ち、自己の立場を見極められない「私」に、荷風の当時の「ひとり淋しい」立場が象徴されているとも言える。『狐』執筆時の荷風のスタンスは、より母性側ではあるが、確信犯的なまでに至っていないという、正にこの物語の描く幼い「私」の立場そのものと言えよう。その後の荷風の江戸韜晦は、似非近代弾糾のために積極的に前近代へすり寄っていくことへの<覚悟>の過程ということになる。

 

附記
 本稿は、石川県教育委員会「平成四年度 石川県教職員研究奨励」に提出した拙稿「永井荷風『狐』の教材化」のうち、<鑑賞篇>を独立、改稿したもので、今回、活字にはしなかったが、別に<教材研究篇>がある。
 『狐』という小品は、前田愛の論文が出て以来、その存在がクローズアップされたと言ってよい。このため、彼の論文を避けて通れない。今回、立論してみて、前田の論を超える事はなかなか難しいかと思われた。本稿も確認作業に終始している部分も多く、特に新見を提出しているとは言い難い。現地走査を踏まえての私なりの理解のまとめとでも御理解戴ければ幸いである。今後は、別の視点からのアプローチが必要となろう。稚拙な論とて勘違い思い込み等も多いかと思われる。御海容を乞うと共に、御叱正を御願いしたい。
                  (平成六年一月十日擱筆)

                      (「イミタチオ」第23号所収)
                                       (1994・5)

    [1] 
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