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潤一郎・荷風

 この頁は、耽美派の巨匠、永井荷風・谷崎潤一郎研究サイトです。論文、エッセイなどがあります。

・遅々として作業が進まず、過去に書いた論文のアップが遅れていますが、徐々に充実させていくつもりです。申し訳ありません。 

  (教材研究)永井荷風「狐」の教材化

(教材研究)永井荷風『狐』の教材化

 

一 教材としての扱い

 

 高校の教材として、教科書に耽美派の文章が載ることは少ない。管見に入ったものとしては、谷崎潤一郎『含蓄について』(『文章読本』)、永井荷風『断腸亭日乗』などがあるが、谷崎潤一郎のものは文章表現の教材として、永井荷風のものは日記文学としての扱いで、彼等の小説を正面から、小説教材として扱っているものは見あたらないようだ。これは耽美派の文学観が、高校生の教材としてふさわしくないと判断されたためであろうか。しかし、耽美派作家の作品がすべて悪魔主義的作品や、娼婦を主人公にしたものばかりでないのは無論のことである。特に荷風は初期、ゾライズムから出発、『あめりか物語』などの情緒的な作品も多く、不適とするに当たらないと思われる。思うに、これは荷風の作品が従来のような主題重視の読解では、はみ出す部分が多く、また、その文明批評を理解するには、時代状況等の基礎知識が不可欠で、教授し難いと判断されているからではないだろうか。
  今回、永井荷風『狐』の教材化を企図した。例えば、筑摩書房「現代文 二訂版」(猪野謙二 分銅惇作編)では、「明治文学」「大正文学」「昭和文学」「戦後文学」の四期に分け概説を施した、近代文学の流れの則った教材配列となっている。本校では、「日本文学史」のテキストが与えられ、定期試験に組み込む等の方法で出題され、一応、目は通したことにはなっているが、どうしても暗記に偏って面白さに欠け、順序だてた指導が足りない現状であると思われる。これを補うには、テキストの流れを生かし、近代文学史の潮流を再度確認しながら、その折々に作品を組み込んで行く方法が考えられる。文学史の流れとして作品を位置づけることで、時代状況などの説明も、ある程度、事前に学習することが出来、有効に作品読解できるのではないかと考えた。
 以下、教科書の指導資料に準じ項目を設定、若干の解説を付す。

 

二 作品の解説

  この作品については、前田愛に「廃園の精霊」(『都市空間のなかの文学』筑摩書房 昭五七・一二 )なる論考があり、必読のものである。以下の若干の解説も、彼の認識を踏まえている。私見は、別誌に発表済であるが、ここに要約して置きたい。

<1>明治初期、東京は未だ開けた土地ではなく、稲荷伝説を素朴に信ずる世界が日常であった。生地小石川金富町の近隣には「金杉稲荷別当玄性院」という社が確認でき、伝通院横には「沢蔵稲荷」が近隣の庶民の信仰を集めていた。伝通院の存在は小石川の象徴で、「私の幼い時の幸福なる記憶も此の伝通院の古刹を中心として、常にその周囲を離れぬ」と、自らの江戸の名残りの記憶が、この家康の母堂の菩提寺に収斂していると述べている。荷風が留学に出発した明治三十六年は「市区改正新設計」が公示された年であった。五年後、帰朝した荷風の目に映ったのは、江戸の景観破壊の姿であった。荷風の江戸趣味への韜晦の直接的契機は、この江戸崩壊の痛恨の感懐からと考えることができる。特に、砲兵工廠が、近隣の旧水戸藩邸の地に移転し、軍需の伸びを背景に事業拡大をはかったため、労働者が急増、閑静な屋敷地は、労働者が大挙働く雑踏の街に変貌した。この落差が、留学の地で夢想した懐かしき故郷の夢を如何に打ち砕いたかは想像に難くない。

<2>前田愛はこの作品を、「荷風自身の生の遠いみなもとへ回帰する試み」とし、「闇の精霊として登場した狐に過酷な懲罰が下される」象徴的な物語であって、崖上の新しい住居と崖下の暗い木立の庭とを「文明と自然、東京空間と江戸空間、男性的世界と女性的世界、という一連の対立項」に分け、崖上の世界が「崖下の世界にわだかまっていた『母なるもの』の原像を殺戮する祝祭劇」で、父親、田崎らが代表する「文明開化の実利的・合理的世界」が、母親や御飯焚きのお悦に代表される「母なるもの」「江戸空間」を抹殺する象徴劇であると分析した。これに付け加えれば、日本の、母性原理に深く根ざした社会では、近代を体現している父は、その場の中では、単に平衡を保つ為の遂行者の役割でしかなく、最後まで父性原理の確立者ではなかった。この物語は「『母なるもの』を殺戮する祝祭劇」ではあるが、それだけに留まらず、場としての「母なるもの」に佇立するしかなく、結局、その大きな器の中でしか演じられない近代の表層性、矮小性を、その作品構造の中に具現化し、滑稽さを伴って描いているものである。こうした小説の構造性自体に荷風の文明批評を読み取ることが出来る。

<3>この作品は、自己の出自の確認作業を、故郷という実に具体的で卑近なところから始めたのであり、『狐』を書くことは、砲兵工廠の雑踏に象徴される近代に蹂躙された故郷小石川を、江戸空間として定置させることで、幼児期の故郷へ遡行する旅立ちの確認作業をしたものである。
<4>荷風は、この時期、『春のおとずれ』など、季節感溢れる短い随筆を発表している。これらは、海外を見た目で、再度見る日本の自然や季節に対する喜びが、耽美派作家らしい新鮮な感覚的把握で表現されている点に意義があり、その根底には帰朝者特有の日本に対する郷愁がある。『狐』の描写の繊細さもこの延長線上に把握される。この、当時として新鮮な感覚こそが、一連の作品と共に読者に歓迎されたのであったことを勘案すると、『狐』は、<淋しさ>の表白や感覚的な描写面で随筆的な要素を持ちつつ、小品ながら物語としての結構を持っており、モチーフの一つとして文明批評が感じられる、こうした諸要素がうまく均衡を保っているところに完成度の高さがある。

 

三 教材研究

 

(一)作者紹介についての留意事項

 年表的な記述は省略するが、彼の文学思想の変遷と、その理由について理解できるような説明をするよう留意する。ここでは、彼の軌跡を五期に分ける。区分については、研究書を幾つか参看したが、定説として決まったものはないようである。ただ、基本的な考え方は共通しており、停滞期、戦後期、晩年等を独立するかしないか等の違いがその相違点であるようだ。都市や現代文明を考える際、彼の存在はますます重要性を増しており、彼の人となりを正確に生徒に伝えておくことが現在必要なのではないだろうか。
[一、自然主義の時代]ー広津柳浪に師事し、硯友社作家として出発するが、落語家を志望するなど、父親の期待する<有用>の人生からの離脱がはっきりとしていく。巌谷小波の主宰する木曜会で活躍、フランス文学に傾倒、特にゾラの影響を受け、自然主義の前駆となる活動にはいる。ゾラに対する彼の印象は「ゾラが旧文芸に対する雄々しい反抗の態度が非常に自分の性情に適したやうに思はれた」という言葉に端的に表れている。現実に対する批評精神と情緒的な認識眼という彼の文学の二特色は既に用意されている。
[二、留学時代]ー彼の留学先はアメリカとフランスだが、憧れのフランス留学は半年にしか過ぎなかったことに留意すべきである。アメリカでモーパッサンに開眼したが、この仏留学はモーパッサン流の視点で実地を確認をしたに過ぎないという弱点があった。このことが、留学先で実務的に地に着いた活躍をした森鴎外と根本的に違う点である。しかし、異国の風物に精力的に触れることで、彼の繊細な感性が各方面に反応し、後の近代主義を急ぐ日本の皮相性の見据える目として育まれたことに間違いはない。
[三、新帰朝者として]ー帰朝した荷風の目に映った当時の日本の進路が、如何に過去の伝統を破壊する蛮勇と感じたか、日露戦争前後の状況の変化を日本史の資料等を使用して説明するのも方法の一つだろう。この時期は、日本の産業革命期と定義される。例えば、明治三十五年の日本の工場総数は七千程度だったものが、明治四十年の段階では、一万五千と倍増している。こうした急激な近代化が『新帰朝者日記』など彼の文明批評の対象となっていったことを理解させる。また、文学史的にも、彼の帰朝した明治四十年代前半が自然主義の全盛期と重なっている点を復習させた上で、『あめりか物語』など<悲哀>をキーワードにすると言ってもよい甘美な作品が、如何に当時の重苦しい文学界に新風を吹き込んだかを理解させ、慶応大学教授就任、「三田文学」創刊など当時の荷風が一躍文壇の雄となったことを押さえさせる。
[四、江戸趣味へ]ー自己の文学のルーツを江戸文学に見定め、大逆事件をきっかけに積極的に戯作者としての立場を標榜し、『腕くらべ』など花柳界を描く名作を発表。文壇的には第一線を退いた形となったが、いわば充実期ともいえる。高校の文学史では流行の文学思潮の紹介に忙しく、内容的な問題も関係してか、この時期以後の荷風についてあまり触れられていないものが多く、強調して置くべきと考える。
[五、停滞期と復活]ー師鴎外の死去、関東大震災、花柳界の変容のよる興味の喪失などが重なり、停滞期を迎えるが、『つゆのあとさき』頃より復活する。彼の戦争に対する批評は『断腸亭日乗』を引用するのが最適だが、偏奇館炎上の項を載せている教科書が多く、これと絡めて説明するとよい。戦後は戦時中に書き貯めた作品に佳品があるが、創作活動は停滞していく。彼の孤独な死については、芸術家としてのひとつの生き方として理解させたい。

 

(二)作品の構成

 作品は、<一><二>と分けられており、二段構成となっている。これにプロローグ、エピローグ的にツルゲーネフの挿話が<額縁>にされていると考える。回想部分を分けると、<一>は、古井戸の不気味さを描く九八頁下三行までと、狐の出現の二段に分かれ、<二>も、狐の再出現以前と狐狩りの二段(一〇五頁四行目)に細分されよう(頁数は、昭和三十九年度版岩波「荷風全集」に従う)。 ・第一段落(冒頭〜一〇三頁六行目)
    ・第二段落(一〇三頁七行目〜一一〇頁九行目)

 

(三)出典

 初出は、明治四十一(一九〇九)年一月、博文館発行「中学世界」(第十二巻第一号)に発表。のち、初版本『歓楽』に所収。『歓楽』においてかなりの修訂があり、元版全集でほぼ現行のものとなった(「荷風全集」第四巻(岩波書店)「校異」による)。

 

(四)主題

 こうした作品の場合、あまりに主題追求的なアプローチは無用と判断するが、やはり、文明批評の側面を主題にすると生徒には分かりやすい。しかし、主人公が子供であるという視点は捨象すべきではなく、みずみずしい子供の感性から見た大人批判という面を、文字通り理解すべきではないかと考える。この側面からのアプローチを強調しておきたい。

(要旨)ーツルゲーネフが幼い心に神の慈悲心を疑ったように、狐退治成功の宴のために、可愛がっていた鶏を殺して矛盾を感じない父親ら大人達の、幼い頃の記憶から、私は早い時期から裁判や懲罰の正当性について疑問をもった。
(主題)ー皮相な近代主義が反近代を領掠していくことに対する文明批評を、狐退治の記憶から、幼児期に大人の理不尽さを感じたという形で語ったもの。

(五)語句の研究と学習活動のポイント
  語釈の詳細は、「永井荷風集」(日本近代文学大系 角川書店)の頭註を参照されたい。ここでは最少限にとどめる(重複する内容もある)。

<第一段落>
○「小庭を走る落葉の響き、障子をゆする風の音」ー冒頭の文だが、「七七七五」のリズムを持っている。音楽的導入である。
○「ひとり淋しく火鉢にもたれてツルゲネエフの……」ープロローグ的な段として現在の作者の回想の形をこの作品はとっており、ラストのエピローグと対になって所謂<額縁>になっている。このツルゲネエフの伝記の小話が大事な伏線となっており、「幼心に早くも神の慈悲心を疑つた」という語句がこの作品のモチーフを表現している。伝記の「樹木のおそろしく生茂った父が屋敷の庭」のイメージから小石川の庭の記憶に移るのは幼心に恐ろしいという点で結び付いているのであり、同じツルゲーネフについては、パリに客死したこともあり、親近感が強く、『あめりか物語』中の「夏の海」に「クラシックの雄篇大作よりもツルゲネフ、モーパッサンの小篇に幾多の興を覚ゆる」、『西遊日誌抄』(明治三八、五、一二)に、「ツルゲネフの小説中にて見たるが如き心地せり」等、情緒的な小篇作家として理解しているようだ。洋行帰りという周囲の期待に対し、新しい日本に馴染めない断絶感が彼の心を占めており、この当時の荷風の心情が、「ひとり淋しく」読書をしているという大人の「私」に投影されている。これが幼児の古庭の恐怖感と響きあっているのは諸家の指摘の通りである。
○「もう三十余年の昔……」ーこの年、荷風は三十歳。後述するように虚構であり、荷風の幼時、既に小日向水道は暗渠となっていたことは前田愛論文に指摘されている。作品全体に江戸時代的な雰囲気が出ているために少々時代を前に持っていったか。或は作者に老成した年齢に虚構したい気持ちがあったからか。「丁度西南戦争のすんだ頃」という記述、「其頃出来た鉄道馬車」(鉄道馬車は明治十五年に開設)とともにこの小説の年代設定の根拠となる。
○「邸宅を新築した」ー「考証永井荷風」によると、この新築は明治八、九年頃のことで、荷風の生誕は明治十二年であるから、「私の生まれた時にはこの新しい家の床柱にもつやぶきんの色のややさびて来た頃」と続く記述に虚構はない。
○「蟻、八十手‥‥」ー不気味な昆虫類を羅列し、「ぬるぬる」等の擬態語で古井戸の恐怖を強調する。<一>前半には、この他に、井戸の柳に「云われぬ気味悪さに打たれ」たといい、父に柳に縛りつけるぞと怒鳴られ、「ああ恐ろしい少年の記念」という等、子供心の不気味さ、恐怖感を強調させる記述が目につく。
○「古井戸はこれこそ私がわすれようとしても忘られぬ最も恐ろしい当時の記念である」ー漸層的に恐怖感を語り、ここでようやく本題である井戸の話となる。これから出る狐の住処としての井戸と後ろの森の存在を、神聖で本来侵すべきではない場所としてイメージさせ、「祟りを恐れる神殿の周囲を見るよう」という形容が狐が単に未開が故に出没したことをいうばかりでなく、稲荷神としての存在であることを暗示させる。
○「一方はその中取払いになって呉れればと父が絶えず憎んでいる貧民窟」ー「崖下へ貸長屋でも建てられて(中略)は困る」という父の感想も含め、父の存在が近代合理主義的な発想の人物であることを印象づけている。これは、「父にはどうして、風に吠え、雨に泣き、夜を包む老樹の姿が恐くないのであらう」と、子供の理解出来ない世界の人間であることを強調しているのと同じである。この幼心の疑問は、この父のような合理的価値観の者を作者は批判的に見ていることを読者に伝える文章と言え、小説執筆時点での現実の自分の父親批判ともとれる。
○「暗澹極まる疑念が、何処となしに時代の空気の中に漂って居た頃で。」ー「西南戦争のすんだ頃」を、こうした時代認識で表現したことに注意。後の「同心が首をくくって」と対応している。
○「父は内閣を「太政官」大臣を「卿」と称した頃の官吏であった」ー太政官制は明治四年廃藩置県により発足、明治十八年の内閣制度発足によって廃止。この箇所に削除部分あり。現実の父を念頭においた言い回しと思われ、削除によって、父久一郎への批判色が弱まっている。本文的には、いにしえの事と強調するための言い回しと理解すべきか。
○「田崎と云うのは‥‥‥」ー田崎は十六、七の少年だが、「私には立派な大人に見えた」とあるごとく、この作品では、この記述を見落とすと、二十歳を回った世間慣れした大人のような感じをあたえる。「漢語交じりで話をする」という性格は<二>の狐狩り成功の際に改めて触れられる。「此の人は其の後陸軍士官となり、日清戦争の時血気の戦死を遂げた位であったから天性殺戮には興味を持って居たのだろう」という説明から、最も唾棄すべき人物として造形されていることがわかる。
○「日頃田崎と仲のよくない御飯炊のお悦は田舎出の迷信家」ー「狐つきや狐のたたり、又狐の人を化かす事」を信じ、「殺すのはお家の為に不吉」と反対し、田崎に排斥されると「井戸の水を浴びて、不動様を念じた」ということから、旧来の精神を体現する人物として描かれる。
○「同心が首をくくった」ー明治十年代は不平武士の反乱は鎮静化したが、自由民権運動が台頭してきた時期でもあり、各地で騒動が起こっていた。その中で、江戸の生活を続けていた府内の庶民達は、維新後十年を経て、貧困窮まる状況となっていたと思われる。こうした歴史的な事実をこの芝居的な物語に挿入することで相対化の視点を与えている。

(発問例)
○ツルゲネエフの話は以下に続く部分とどのような関係があるか説明せよ。
○こうした井戸の話は狐退治の話とどういう関係にあるか説明せよ。
○この話はいつごろのものか。推量せよ。また、その理由を本文の記述をあげて述べよ。
○第一段落における「私」の性格はどういうものか説明せよ。
○第一段落における、その他の登場人物(父、お悦、田崎)の性格はどういうものか、説明せよ。

<第二段落>
○「自分は幼心に父の無情を憎く思つた」ー「私」の視点が母親側についていることをはっきりさせ、次の「僕だのお母さまなどには悪い事をする奴」として田崎に対する対立を明確にしていく。
○「信田の森ァ直ぐと突止めまさあ。」ー鳶の言葉として現れるが、ここにこの狐がそうした伝説世界の表徴であることを表現していると考えられる。
「大弓提げた肥満の父を真先に……隊伍正しく崖の上に現れた」ー歌舞伎のごとく様式化され、滑稽さがでている箇所である。
○「私は毎日学校の帰り、餌を投げ菜をやりして可愛がったが……」ー『監獄署の裏』には日本人の動物虐待について言及している。荷風には小禽類を従順な、女性的なものとして把握しているが、その自分が属する世界への侵犯、犠牲者として受け止めている。
○「あの人達はどうしてあんなに狐を憎んだのであろう」ー狐一匹の退治に大人五人が大騒ぎの、その意味を幼心に理解できなかったことをいっている訳だが、作品として読者にその近代的な行動の無意味性、滑稽さを強調した展開の後に素朴な発問という形でおかれることで作者の意図が明確となる。近代主義に対する批判となっている訳ではあるが、こうした表面に出た文明批評性をのみ抽出、強調しなくとも、幼児の視点による大人社会への素朴な疑問という視点をこの作品は描き得ているという点で、言い換えれば、世の殺伐さによっても、溢れる叙情性、浪漫性を失っていない作者の心情が表出されているという点で見直すことができる。
○「世に裁判と云い懲罰と云うものの意味を疑うようになった」ーキリスト教社会ではツルゲーネフのように神の問題に帰納できるが、荷風にはこうした意識はなく、文明批評としての問題に置き換えたと角川大系本に説明がある。荷風の受け止め方は宗教的哲学的な深みに欠けるが、因習社会への反抗者として、直接社会の変革に寄与する可能性が強い方向に発露されていく。ツルゲーネフの神の問題が自分にないからという消極的な理由ではなく、はじめに文明批評があり、その額縁として使用したという方向性において理解すべきだろう。

(発問例)
○人物が戯画化されているが、それはどういうところか、説明せよ。
○狐を殺す場面が、この作品の中で、どういう意味を持つのか考えよ。
○狐が何を象徴しているのかを考えよ。
○この小説におけるエピローグはどういう意味を持つか説明せよ。

(六)学習指導計画(案)   (配時四時間)
<一時限>
[指導上の重点目標]
1,明治後期の時代の作品に触れ、生徒一人一人に感想を持たせる。 
2,作者について理解を深める。
[学習活動]
1,文学潮流の中での反自然主義の位置等について、これまでの知識の確認をする。 
2,文章を範読し、読後、どんな感想を持ったか聞く。 
3,作者について詳細に紹介し、この作品が彼のどの時期のものなのか確認する。
[留意点]
1,生徒にとって馴染みの薄い明治期の文体であるが、話の内容がわかるように気を配りなが  らも、滋味のある文体に興味を持たせる。 
2,作者については、単に暗記的な説明にならぬように思想の変化という面に留意する。

<二時限>
[指導上の重点目標]
  <一>について読解する。
[学習活動]
1,<一>が<二>のための序段的な役割があることを理解させる。また、描かれた話がいつ  頃のことかを考えさせる。 
2、登場人物がおのおの<近代>と<反近代>とを体現していることに気付かせる。 
3,登場人物の人物造型の特色を考えさせる。
[留意点]
1,時代を表す言葉を見つけ、推定させる。 
2,登場人物をリストアップし、それぞれの言動から作者がどういう位置を与えたか考えさせる。特に主人公の位置についてはその感情の変化も含め重点的に見たい。 
3,人物造型が極端に戯画化されたものであることをこうした視点に馴れていない生徒に気付  かせる。

<三時限>
[指導上の重点目標]
  <二>について読解する。
[学習活動]
1,登場人物の動きをまとめる。 
2,狐がこの場合、何を象徴しているのか考えさせる。 
3,狐を殺す場面がどういう意味を持つのか考えさせる。
[留意点]
1,登場人物は全て作者の分身であるという人物造型の原則を再確認して進める。表化して、  主人公の位置を考えさせるのもよい。
2,単に抽象的な概念の押売りにならないように注意する。
3,この構図がなにを意味するのか、前問と関連させると正解が早く出るかと思われる。

<四時限>
[指導上の重点目標]
1,作品の技巧面を理解させる。 
2,作品の主題をまとめる。 
3,作品の背景や作者の思想から、細部が何を念頭においてのものか、理解させる。
[学習活動]
1,自然描写に優れた箇所を見つけ、その描写がどういう効果を上げているのか考えさせる。2,狐の話の部分と額縁部分との対応関係を考えさせ、主題を導き出す。 
3,時代背景や作者の思想を要領よく説明し、細部の一文にも文明批評が漲っている点を理解  させる。
[留意点]
1,描写や的確な言葉を選ぶこと、また、当時の小説家は日本の文学的伝統を踏まえた様式的  表現を大変重要視し、腐心していたことが伝わるよう指導したい。 
2,単に額縁部分のみを利用した解答ではいけない。そうした文章に表れた部分のみでは真の  まとめとなっていないことに注意させる。 
3,生徒の知識のみでまとめるには限界があるので、指導者が要領よくヒントをまとめ、見つ  け易いようにする。こうした社会との関係については理解の進んだ所では有効だが、読解  がおぼつかない所では短時間の単元設定でもあり、深入りせず読解に回すべきだろう。

 

四 終わりに

 本稿は、指導の参考資料の形態をしているが、練られたものではなく、こうした傾向の作品を教材化することの提唱に些か意義があるのではないかと思い例示したものと御理解願いたい。荷風について高校生に気軽に薦められるテキストとしては、ちくま日本文学全集「永井荷風」がある(『狐』は未収録)。文庫版で、ルビ、注釈の仕方に工夫があり、大変読みやすい。収録作品もよく吟味してあり、手頃である。
 なお、本稿は、「石川県教育委員会 平成四年度 教職員研究奨励」に提出した研究報告のうち<教材研究篇>を中心に改稿したものである。稿者の全体的な『狐』理解については、「永井荷風『狐』検証(上)ー故郷小石川の変容ー」(「イミタチオ」21号 金沢近代文芸研究会 平成五年五月)、「同(中)ー母性空間と狐伝説ー」(同22号 平成五年十一月)、「同(下)ー作品の評価ー」(同23号 平成六年五月)の連載を参看されたい。

 

<参考資料>

・吉田精一著作集 第五巻『永井荷風』桜楓社(昭五四・一二)
・磯田光一『永井荷風』講談社(昭五四・一〇)
・坂上博一「永井荷風における東京ー荷風文学の原点ー」(『国文学解釈と鑑賞』昭五五・六 「特集 文学空間としての都市」
・参謀本部陸軍部測量局作成 明治一七年測量 二〇年出版「東京五千分之一地図」(復刻版) ・「荷風生誕の屋敷図面」(『荷風全集』第一巻 口絵)
・藤森照信『明治の都市計画』(岩波書店)
・磯田光一『思想としての東京』(国文社)      他

    [1] 
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