池田満寿夫 略歴
昭和9年 (1934)、旧満州奉天市に生まれる。
昭和32年 (1957)、第1回 東京国際版画ビエンナーレ展入選、昭和35年 (1960)、第2回 東京国際版画ビエンナーレ展文部大臣賞受賞と、若くして国内の国際版画展で入賞、注目される。
昭和36年 (1961)、第2回 パリ・ビエンナーレ展優秀賞受賞し、国際的にも注目をあびる。
昭和40年 (1965)に渡米、ニューヨーク近代美術館で日本人として最初の個展を開く。
昭和41年 (1966)、第33回ヴェネチア・ビエンナーレ展版画部門大賞受賞を受ける。これは、日本人として棟方志功以来2人目のことであった。その後も、昭和42年 (1967) 第17回芸術選奨賞などを受賞。
昭和52年 (1977)発表した小説「エーゲ海に捧ぐ」で第77回芥川賞を受賞、文芸の世界にも進出する。これによって、池田の名は、美術界だけでなく、広く世間一般にも知れ渡る。映画にも挑戦。映画「エーゲ海に捧ぐ」を制作。
昭和56年 (1981)、『池田満寿夫25年の歩み展』が開かれ、大盛況。このころ陶芸も始める。
昭和59年 (1984)、初の陶芸展を開催。以後、ブロンズ作品(花器・モニュメント)なども多く制作する。
平成2年 (1990)には新たな表現手段として「書」に挑戦、作品として発表する。
平成3年 (1991)に『池田満寿夫のライフアート展』。
平成8年 (1996) 『池田満寿夫展』(長野県信濃美術館)などの開催。 長野市オリンピック メインスタジアム前にシンボルモニュメント「オリンピック讃歌」の設置など。
平成9年 (1997) 熱海の自宅にて急逝する。
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