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金沢・石川の文学(郷土の文学)

 この頁は、郷土の文学である「石川の文学(石川近代文学)」「金沢文学」についての論文、エッセイなどを掲載しています。
遅々として作業が進まず、過去に書いた論文のアップが遅れていますが、徐々に充実させていくつもりです。申し訳ありません。 

  (資料紹介)「金子鶴村日記」について

資料紹介)「金子鶴村日記」について

 

 金子鶴村といっても御存知の方は少ないだろう。鶴村は、加賀藩重臣今枝家に仕えた儒学者。金沢近郊の関村、鶴来に生まれ、幼にして学才を現し、京都皆川淇園に学んだ。帰郷後、小松に集義堂なる郷校を創設、教授を務めた後、儒臣として藩政に関与した人物。北陸きっての硯学で、著書に「詩経訓解」「中庸解」等の注釈書、「能登遊紀」「白山遊覧紀」等の紀行文がある。
 彼の日記「坐右日録」(全28巻 鶴来町立博物館蔵)は、文化四年から天保九年までの三十一年間の世相を写しており、その資料的価値から、昭和五十三年、石川県図書館協会の手で「鶴村日記」(全六巻)として上梓されている。唯、残念ながら、その利用は、例えば 「石川県災異誌」編集に際し、天候や災害の記録として用いられた等、郷土資料の一端としての価値しか認められていないようである。鶴来町立歴史博物館の御教示でも、本格的な歴史学としての研究は皆無という。
 今回、通読する機会を得、その文学的価値を痛感した。日本漢文の書体の上、近代的自我の苦悩を赤裸々に綴った明治以降の日記のような劇的な要素はないが、一地方の儒臣としての生活や立場、思想、供された料理の内容を詳細に書き留める食通ぶり、時に催される詩会での格調高い漢詩等、当時の時代の様子が偲ばれ、日記文学として読んでも仲々興味深いものであった。近世のこのような日記は数多くあると聞いている。平安貴族の漢文の日記が文学としての評価を得ている今日、今後、文学面からの評価が急務なのではないだろうか。
                                     (「解釈」昭和63年4月号)

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 (野田山の室生犀星墓)

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