(小論)長男としてのー郎−夏目漱石『行人』を読む−
「総領の甚六」という言葉がある。手元の辞書には「長男長女はその弟妹に比べておっとりしてのろまである」とある。「おっとり」まではいい。しかし「のろま」はひどい。誹謗の言葉だ。いま流行の<差別用語>ではないか。もう少し、違った言い方はなかったのだろうかとケチをつけたくなる。 若いふたりが長男を出産するころは、まだ親の親が健在で、大抵、長男は「ばあちゃん子」になる。これには「ばあちゃん子は三文安」ということわざがあって、もちろん、評価が低い。 だから、どちらにも当てはまっているわたしは、<長男>という言葉を聞くと、意味もなく、暗澹たる気持ちになる。 我々は、よく「あの人は長男だから」「次男だから」という視点で人間を類型化することがある。その人その人の個性を考慮に入れない大雑把な分類にすぎないが、周りからの期待、役割分担など社会的な要請がのしかかる構図ははっきりしている。それが人間の性格や精神に影響を与えているのだという大前提を否定しない限り、精神分析学者ならずとも、日本人なら誰でも一度や二度はこうしたくくり方で人を評したことがあるはずだ。 ただ、素人分析の場合、その人間の把握自体が人それぞれに違っていたりして、そこが違えば、その後どれだけ「にわかフロイト」になって分析しても、結論はバラバラになってしまう。まあ、そこが、話のタネとしては面白いのだけれども……。 ところが、文学の場合を考えてみると、人物を観察して帰納しなくても、事例がはっきり書いてあるのだから共通理解がしやすく、結論の妥当性は高くなる。人を評する時、「何々という作品の主人公のような」と重ね合わせて、自分が抱いたイメージに了解を求めることが有効なのはこうした理由からだ。
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夏目漱石『行人』には、一郎、二郎を<長男・次男>の視点で観る分析がある。例えば、土居健郎氏に『漱石の心的世界』(至文堂 昭四四)八章「『行人』について」がある。土居氏の登場人物の精神分析の当否は、素人のわたしの判断のつくことではないが、以後の『行人』論に多かれ少なかれ影響を与えている。 例えば、最新の研究である山田晃氏の「『行人』異議」(三好行雄、平岡敏夫、平川祐弘、江藤淳編「講座 夏目漱石」(有斐閣)第三巻「漱石の作品(下)」)などは、大変有益な分析で、この小文の執筆にも参考にさせていただいたが、それでも土居氏の提出した範疇からはでていないように思われた。 確かに、この小説の場合、主人公の一郎が長男であったということは重要な要素のひとつだ。家夫長的伝統の残る時代の長男は、夫である一方で、家の管理者であらねばならない。当然、一郎も幼少より家督相続者として教育されて育っている。 彼の母の、
長男といふ訳か(中略)何処かの遠慮があるらしかつた。一寸の事を注意するにしても、成る可く気に障らないやうに、始めから気を置いて掛かつた。 (「兄」七)
という一郎に対する態度も、そのあたりの事情がからんでいるのだろう。母親の真の愛情は弟の二郎の方にとられ、内心、母の愛を希求しつつも、家夫長的な冷静さを装わなければならない長男としての不幸が、この『行人』の、妻への懐疑という悲劇を生んだといえるのである。 成長した一郎は、感情を露わにさせない、気むずかしく正義感の強い、典型的な長男の性格となって小説に現れている。 一般的に、長男は、初めての子ということで溢れる愛情のなかで育てられるように考えられている。なるほど、長男には写真がいっぱいあるが、次の子供からはぐっと減るという話はよく耳にする。しかし、その愛情のなかに老後の面倒をみてもらうためという、当時は常識だった打算が混ざっているところに率直に親に甘えられない弱みがある。 そうした一郎の女性観は、当然というべきか、長男に多いエディプスコンプレックス的な様相を呈している。
母をめぐっての弟との三角関係が、彼の妻との関係の中に転移され反復された。
という土居氏の指摘は、この事情を端的に説明しているものとして分かりやすい。結婚前の母親への愛情を、そのままダイレクトに妻に転移させることは、エディプスコンプレックスの最もポピュラーなパターンのひとつである。 では、一郎の恋愛観はどうであろうか。一郎に次の発言がある。
自分には女の容貌に満足する人を見ると羨ましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分は何うあつても女の霊といふか魂といふか所謂スピリツトを獲まえなければ満足が出来ない。それだから何うしても自分には恋愛事件が起こらない。 (「兄」二〇)
恋愛が肉欲だけでなく精神の交わりとして成立しているのは言うまでもないが、このように「自分には恋愛事件が起こらない」とはじめから諦念したうえで、ダイレクトに女性の精神を求めても、それは得られるはずのものではない。男の身勝手というものだろう。この精神偏重の愛情を妻の直に向けたとしても、夫婦仲が円満に続くわけがないのである。直は結婚後、当時の通念通り、家長である夫を支える妻としての立場を、一応、彼女なりにわきまえて自己を律しているわけで、そこに夫から一方的に天真な愛情を注いでくれる女性像を求められても所詮無理というべきである。 この一郎を見て、思い出したエピソードがある。 私が高校生のころ、女性心理の不可解さに困惑した友人が、「現在自分の眼前に居て、最も親しかるべき筈の人、其人の心を研究しなければ、居ても立つても居られないといふやうな必要」(「兄」二〇)を感じて、遊び人の別の友人にいろいろ分析してみせたところ、それを黙って聞いていた友人は「そんなこといちいち考えていたら恋愛などできるものではないよ」と一喝したという。 さすがは遊び人である。 一郎もこれと同じ迷路に陥っているようである。自然発生的な、人間として当たり前の感情を相手に率直に投げかけるのではなく、自己の感情を分析し、的確に把握しようとつとめ、そのうえで、自己の感情を論理として相手に伝達させる。そして、相手の心理も完全に論理的に把握しないと気が済まない。こうした頭でっかちな心理行為を無意識におこなってもがいているのである。これでは自慰と変わりがない。 妻の直が、こうした屈折した愛情を理解できるはずもなく、ただただ一郎は自分の問題を棚に上げ、妻に問題を押しつけて心の平静を保とうとする。これが、この小説の前半部の彼の心理の実態ではなかったろうか。 あるいは、そこによく言われているように、大学の教師という職業を彼に与えた作者の意図も関係しているかもしれない。漱石自身もかつては教師であり、彼の授業は高度すぎて一部の学生には不人気であった。高浜虚子宛書簡にも「とにかくやめたきは教師」(明三八・九)と、この職業に嫌悪感を表明している。 一郎の感情の分裂も、職業病ともいえる分析癖からきているのだと漱石はいいたげである。もちろん、自虐的な皮肉としてであろうが……。
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遂に一郎は心を安定させたままでいることができなかった。妻の貞操を試すという異常な発案は、すでに精神病の症状が現れていて、そのひとつとして発せられたものではなく、いわば、精神の分裂を避け、安定をはかるための、最後の切り札としての意味があったのであろうと思われる。 いずれにしろ、妻への懐疑という事態は、彼の唯一のよりどころである家夫長的(長男的)自信を揺るがせる元凶となった。
己は自分の子供を綾成す事が出来ないばかりぢやない。自分の父や母でさへ綾成す技巧を持つてゐない。それ所か肝心のわが妻さへ何うしたら綾成せるか未だに分別が付かないんだ。 (「帰ってから」五)
という発言は、心を基にした人間関係の破壊のほかに、制度的な意味での人間関係の把握にも自信を喪失している彼の心境が表出されていると見ていいだろう。 漱石の作品というと、近代エゴイズムの崩壊の物語という視点から論じられることが多いが、長男ならではの苦悩という視点に限定すると、日本文学としては伝統的な「家長」の問題と同根のテーマをも持っていると感じた次第である。 (鷺ゼミ編「雪客」創刊号 (1982・4)改)
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