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 近現代文学

 この頁は、耽美派・ベストセラー論以外の、近現代文学についての論文、エッセイ、教育実践例などを掲載しています。
遅々として作業が進まず、過去に書いた論文のアップが遅れていますが、徐々に充実させていくつもりです。申し訳ありません。 

  (授業実践)芥川龍之介「舞踏会」授業例

(授業実践)芥川龍之介『舞踏会』授業例      


 

○はじめに

 

 芥川龍之介の短編『舞踏会』(大九・一)は、所謂「開化もの」のひとつで、高校教科書の配当学年は、第一学年が多い。ただ、ほとんどの教科書は『羅生門』の方を採る。このため、この作品は、一時、採用があったが、最近は見かけないようである。主題的に明確な『羅生門』に較べ、明治維新期の知識が最低限必要で、作品末尾が、些か尻切れ蜻蛉の印象を受けるので、残念ながら、教材として人気があるとは言い難い。また、この時期の単元としては、少々、難しいのではないかという声も聞く。しかし、逆に言えば、近代日本史の造詣や人生経験が深まるにつれ、作者の提示した世界の深さや、「鹿鳴館」という<場>が、学問的に多岐の視点を提供しているという点に気が付き、単線的な『羅生門』の比ではない教育効果が期待できるのではないかと考えている。確かに、一年生前半の段階では、難しいかもしれないが、後半の時期に<小説U>の単元として実施すれば、充分、イメージ的には理解可能だと考え、稿者は、一月以降の教材とすることが多い。また、作者の末尾の改変の問題、下敷きにした作品との検証など、国文学的な意味で知的興味・関心も引きやすいなど、無味乾燥な「読解」のみに偏った授業にはならずにすむ利点も大きい。日本の近代文学に関心がある生徒にとって、興味が広がる点も見逃せない。
 稿者は、この作品に興味を持ち、教材化して約二十年、毎年のようにこの単元を実施している。本稿は、こうした授業の一端を記録することで、個人の覚えとするとともに同業者の参考に資すことを目的とする。オーソドックスな授業の展開例であり、特に目新しい流行の教育方法を取り入れている訳ではないことを事前にお断りしておきたい。

 

○使用テキスト

 

 一年生の場合、採用教科書に採られていない時は、例えば、インターネットHP「青空文庫」所収の本文を、B4版型にアレンジして使用するというのが、現在、最も簡便な方法である。ただ、稿者は、本文に使用されている語句の辞書の説明を下段に書き抜
いた、大修館書店が辞書PR用に作ったパンフレット「名作ライブラリー 高校教科書を大字泉で読む「舞踏会」」(月刊「本の窓」一九九五年 第六号 通巻一四四号)(資料@)を、近年は使用している。本文が現代仮名遣いで、難漢字も平仮名に変更されており、表記面での困難さが少ない。おそらく本文は大修館発行の教科書と同じと思われる。下段に配された国語辞典の抜き書きのため、「注意する語句」調べが大幅に省略でき、漢字調べも最少限で済む。
 三年生で実施する場合、「日本近代文学大系「芥川龍之介」」(角川書店)の本文を使用している。歴史的仮名遣い・正字の使用で、生徒には読みにくい本文である。しかし、上段には解説があり、辞書的意味の他に若干の解釈的解説も入る。稿者は、多くの場合、森鴎外『舞姫』の後に実施している。理由は、明治の文語小説に慣れて自信をつけさせてから、今度は「大正の小説」を、旧仮名・正字の形で触れてもらうという考えからである。生徒にも、その旨告知の上、実施する。歴史的仮名遣いは古典で学習済み故、それほど困難ではないようだが、例えば「尽きた」を「盡きた」と書いてあると、ほとんどの生徒は読めない。但し、本文前半、教師が根気よく読みの手助けすると、後半、徐々に慣れてきて、読みが中断するということは稀になる。
                                                            
○生徒に話したり見せたりしたした資料(教材化に際し有益だった資料)

 

(鹿鳴館・鹿鳴館時代に関するもの)
・「鹿鳴館」飛鳥井雅道 岩波ブックレットシリーズ日本近代史2(一九九二・七)
薄いブックレット形式の冊子で、鹿鳴館とその時代をわかりやすく概説してあり、  生徒にも、時代背景がよく判り、薦められる。

・「鹿鳴館貴婦人考」近藤富枝 講談社(一九八〇・一〇)
鹿鳴館に登場する女性たちを中心に描く。いわば「女たちの鹿鳴館」とでもいうべ  きもの。当時の洋装の苦労話など、読解の合間に生徒に当時をを想像してもらうた  めの興味引きの雑談に利用できる。

・「鹿鳴館 擬西洋化の世界」富田仁 白水社(一九八四・一二)
鹿鳴館誕生の背景、井上馨、建築として、風俗など、鹿鳴館の各側面をトータルに  論じたもの。第五章がロティ『江戸の舞踏会』を使って論じられており、前述、ブックレットを読んだ者が、深く理解を進めたい場合に最適である。

・「明治大正風俗図誌(T)」前田愛他編集(筑摩書房)
明治大正の風俗を写真などで収録した図録。鹿鳴館の外観写真、舞踏会の様子を描  いた浮世絵などを載せる。生徒にその頁を見せて興味関心を持たせるのによい。

・複製「東京地図」(陸軍測量部発行)
具体的に、当時の地図で場所を示すことで、実在の実感をもってもらうのに効果的である。

(芥川龍之介『舞踏会』に関するもの)
・「芥川龍之介 第二号 特集『舞踏会』」洋々社(一九九二・四)             
作家個人の名をそのまま雑誌名とし、各巻作品特集としたシリーズの二冊目。復刻  本文をはじめ、作品論・参考文献目録などを載せたもの。一冊で色々な論を概観で  きる利便性は大である。

・「国語T」「『舞踏会』指導資料」尚学図書(一九九八年度版)
所謂教科書の指導書。標準的な教え方はどうかを概観するために通読。周知のよう  に、語釈などは辞書を使用せずともよいという利点はあるが、総花的で、何を中心  に教えたらよいかは教師にまかされているのは通例の通りである。

 

○作者紹介の留意点

 

 『羅生門』などで、すでに作者のことを学習している場合は、本単元の最後に作者の年譜的事項と重ねるので、その時、思い出させるようにする。
 作者紹介がはじめての場合は、稿者は、以下のように説明している。基本的には「国語便覧」を使用して説明するが、作品名の暗記にならないように、幾つかのポイントを強調することで、作品と作者を結びつける最後の授業(八時間目)の伏線にする。まず、出生、幼児期は詳しく説明する。母の精神病発病なども押さえておく。文壇デビュー以後は、あまり深入りせず、代表的作品を指摘するに留め、前期の古典を材とする芸術至上主義的作品群と、後年の試行錯誤の作品群に大別できる旨を説明。『舞踏会』が曲がり角の時代に位置することを事前に告げる。自殺に至る原因は一つに特定せず、各論併記で複合的にノイローゼが深まっていったことを、人間芥川といったレベルで説明する。
 参考までに、稿者があげる原因は六つである。一、芸術上のいきづまり。二、発狂の恐怖。三、体調不良による心身不調(中国旅行以来の病気、気分転換の金沢旅行などをエピソードを交え説明)。四、「文芸読本」を巡る著作権・金銭問題、五、浮気事件、六、火事にかかる保険金事件、こうした説明で、生徒は人生うまく回らなくなり踏んだり蹴ったりの状態で自殺したのだなというレベルで理解するが、一年生レベルでは、それでよしとする。

 

○構成

 

 <一>の本編に、短い<二>がつく二段構成。<一>を四章に分けて、全五ブロック。(以後、<一の一>などという)(各々、行間があり、ブロック分けに問題はない。)
形式段落は、全二十八段落。

 

○目的・配時・授業の流れ

 

1、目的ー生徒に、小説の読解、種本との比較、改作による主題の変更などを考えさせることで、小説読解における分析的な思考を身につけさせるとともに、小論文を練習する。

2、配時(全八時間)ー 尚学図書「国語T」の指導書では、六時間配当とあるが、種本との比較、小論文が加わっており、長くなりがちである。「内容整理プリント」で能率化をはかり、間延びしないよう配慮する。

3、授業の流れ(配分)ー1、主人公である将校と明子の気持ちの変化と性格を押さえるというオーソドックスな読解中心の授業展開(五時間)の上に、2、種本との比較(一時間)、3、改作問題から主題に行き着き(一時間)、4、小論文を課す(一時間)。

 

○展開例(含[板書例])

 

(一時間目)読み+鹿鳴館時代の予備知識
  鹿鳴館時代が彷彿とするように、当時の女性の洋装の話などをして、イメージが鮮明になるようにする。読みは、原則、指名。難しい単語が並ぶ一部の段落については、教員が読むことでスピードアップをはかる。初読の感想を聞く(多くの生徒が、結末が中途半端であるとの印象を言う)。構成(五ブロック)の確認、段落番号をつけさせる。この単元の最後に「『舞踏会』論」(小論文)を書いてもらう旨、予告をする。

 

(二時間目)作業(重要箇所のライン引き)+内容整理プリントの完成
 小説の場合、どういうところにラインを引くのか説明した上で、作業に入る。この際、ラインの横に、どういう性格か心情かのメモも書いておくように指示する。今時後半、自作の「内容整理プリント」(資料A)を配り、ライン引きの答え合わせのつもりで、空欄を埋め、完成させるように指示。難漢字のチェックも指示。

 

(三時間目)<一の一>の分析
  冒頭、漢字小テスト。その後、プリントの、該当空欄個所の答え合わせをする。<一の一>に関しては、冒頭部なので、この段のみ五W一Hなどを段落順に一段毎押さえていく(特に冒頭段落は心情がないので教師主導で実施)。<一の二>以下は、ラインを引いた箇所を生徒に指摘してもらいながら、後述の板書例のように纏めていく。生徒は、ラインを引いた本文、空欄を埋めてある作業済みの「内容整理プリント」、板書記入用のノートの三つを机上に置く。
  明子の心理が、「愉快なる不安」から余裕のあるものに変化していくことに気づかせる。また、光彩と闇の対比を指摘したり、「開化の日本の少女の美」という記述によって、「明子=日本VS将校=西洋」という対比がここで暗示されることに気づかせる。今後、将校の明子に対する態度は、西洋の日本に対する態度であり、それが、何を比喩しているのか考えると、この物語は重層的に感じられ面白いということも指摘する。ただ、この視点は、詳細には触れない。最後の小論文に生徒が指摘してくることが多く、生徒の思考に任せる部分にしている。

[板書例]
<一の一>(算用数字は形式段落番号)
1、鹿鳴館の階段(場の設定)
    明るいガスの光                        (光)   
                           
  菊の花びら(薄紅・濃い黄色・真っ白)  (色彩)
                          (文明開化の華やかなイメージ)
    陽気な管弦楽の音ー抑え難い幸福の吐息・あふれてくる(音)                                                                                         2、馬車の中(場へつくまでの心情)                                          
    うわのそらの返事                                                        
    愉快なる不安とは?                                                    
       (答)1.自分が華やかな場へ参加できることへの「愉快」               
          2.初体験であることに起因する「不安」           対           
  一種の落ち着かない心持ち                                                
    いらだたしい目                                                          
   ∴(愉快ではあるが大舞台であり不安な感情を抱いていた)                   
                                                                           
                                                                            
    東京の町の乏しいともし火(維新期の東京の現実)    (闇のイメージ)

3、階段での事件(明子の美しさ)
    ・不安
    人物1、支那の大官      あきれたような視線                       
     人物2、若い燕尾服の日本人  あきれたような一瞥                       
          (周りの男が驚くという形で明子の美を暗示)                       
                                                                           
    「開化の日本の少女の美を遺憾なく備えている」                          
      表……明子の容貌が当時の女性として大変美しいということ。            
      裏……明子が、開化期の「日本の象徴」であるということ                
       (理由)・年齢がほぼ明治の年号と重なる                             
              ・仏語と舞踏の教育は受けているだけで、全人的教養を身につ  
          いていない、付け焼き刃的な西洋の教養でしかないこと       
          ・外国との付き合いの経験が圧倒的に不足しているということ  
           (「明子=日本VS将校=西洋」の対比)                 
    ・不安を忘れる

4、階上でのホストとの挨拶
    人物3、伯爵   無邪気な驚嘆の色が去来したのを見逃さない             
                        (観察力)(美しさの補強)     
    ・羞恥と得意
    人物4  伯爵夫人 下品な気があることに気づく                           
        (参)元勲の妻が芸者あがりであったという当時のゴシップを利用       
                                   (観察力)                     
     ・精神的な余裕

5、舞踏室の様子と明子の美しさの補強

6、将校の登場
   かすかながら血の色が頬に上ってくるのを意識 (緊張)
     日本語での踊りの誘い            (意外)

(明子の性格)初体験のことであり、落ち着かない「不安」感を持っていたが、反面、華やかな場へ参加できることへの「愉快」な気持ちも抱いている。周囲の男性が、その美しさに驚嘆することで、心に余裕が生まれている。周囲の様子をしっかり観察していることで観察眼があることがわかる。年令に比べて、大人びている。

 

(四時間目)<一の二>〜<一の三>の分析
  導入として、当時の東京の地図や礼装夫人の浮世絵などを見せてイメージをふくらまさせる。本作品は、各ブロック冒頭毎に、「誰が、どこで、どうした」がしっかり書かれてあるので、ここでも、まず、それを押さえる。そして、心情・性格が出ている記述を生徒に指摘させ、どういう心情か性格かをを自分の言葉で説明させる。その後、「明子の性格と心情」「将校の性格と心情」の項目にまとめる。生徒が受身にならないように、どこに、どういう記述があるからと、論拠を示した上で、だから、どんな性格や心情なのかを自分の言葉で述べさせる。出来るだけ生徒の言葉を板書に反映させる。ほぼ、クラス全員にあてることで、意見を言う雰囲気を作っていく。

[板書例]
<一の二> 明子の華麗な舞踏ぶり 7〜12(「 」ー以下の文章は生徒の意見の例)
 78 将校との踊り 9 将校の明子の生活への想像  10〜12 踊りの休止
<明子>
・「恥ずかしそうな微笑を報いながら」ーお世辞に慣れていない。 
・「互いに愉快そうなうなずきをせわしい中に送り合った」ー初めて舞踏なのに余裕がある。舞踏を楽しんでいる。もう自信が湧いている。           
「明子にはそれがおかしくもあれば誇らしくもあった」ー相手の気持ちに気づいている。観察力がある。それだけ心に余裕がある。そこまでに意識がいくほど気がまわっていて頭がよい。
「子猫のような令嬢」ー将校にはそう見えている。二人は対等な立場ではない。
(明子の性格)初体験で、多少の戸惑いもあるが、余裕がある態度で行動しており、利発で聡明な人物である。 
<将校>
・「場慣れている海軍将校は巧みに彼女をあしらって」「愛想のいいフランス語のお世辞」「恭しく日本風の会釈」ー社交の場に慣れている。女性のあしらいがうまい。こうした場でどういう行動をしなければならないかがよく判っている。
・「彼女の一挙一動に注意している」「快活な舞踏ぶりに興味があった」ー明子を観察している。明子へ興味・関心を示している。
・「人形のごとく住んでいるのであろうか〜こういう疑問が人懐かしい微笑みとともに」「もの珍しそうな」ー日本の女性の生活が、西洋人にとっては物珍しそうである。
(将校の性格)社交の場に慣れた紳士であり明子を「異国情緒(エキゾシズム)」の視点で眺めている。(但し、ここではまだ、将校自身の個性は表出していない。)

<一の三> 食堂での会話 13〜18
 1314 階下への移動と食堂の様子  15 将校の目線 16〜18 将校との会話
<明子>
「相手の目が〜首へ注がれているのに気がついた」「不快なことでもなんでもなかった」ー嫌らしいと思わず、自分のことを、綺麗だとか、好きだからではないかと思っている。
「女らしい疑いもひらめかずにいられなかった〜その疑いをほのめかせるために、こういう感嘆の言葉を発明した。「西洋の女の方は本当にお美しゅうございますこと。」」ー本当に美しいと思っているのかを、うまい言い方で引き出している。十六歳の少女とは思えない言葉である。成熟した男と女のやりとりだ。
「人一倍感じの鋭い彼女」ー感受性が鋭い。
「わずかにもう一つ残っている話題にすがることを忘れなかった」ー話を繋げようと必死である。
「ワットーを知らなかった」ー判っていない。教養がない。
(明子の性格)舞踏と会話以外の西洋の教養がないので、教養あふれる内容のある会話はできないが、感受性が鋭く、頭の回転が早いので、何とか会話を続けようと努力している人物。
<将校> 
・「いえ、パリーの舞踏会も全くこれと同じことです。」「舞踏会はどこでも同じことです。」「半ば独り言のように」「皮肉な微笑」ー投げやり。別に考えごとをしている。舞踏会に飽きている。会話を続けようとしていない。
(将校の性格)紳士的態度を続けているが、心底は会を楽しんでいる様子がなく、どこか投げやりな人物。

 

(五時間目)<一の四><二>の分析
  前時と同様の方法で<一の四>を実施したのち、<二>に入る。<一>と<二>との時間差、青年の性格と心情との対比などに留意させる。作者は何を言いたかったか、主題と思われるものをプリントの所定欄に簡単にまとめさせる。次時間に数人の生徒にあてて発表させるが、この段階では、漠然とした質問で、まだ纏め不足の段階でもあり、ここでは意見を聞くだけで、教師側では特に纏めない。

[板書例]
<一の四>  露台での会話 19〜24
  1920 露台の様子  21〜23 将校の様子と会話 2324 花火とそれをめぐる会話
<将校>
「星月夜へ黙然と目を注いでいるように見えた」「なんとなく郷愁でも感じているように見えた」ー考えごとをしている。無口である。ホームシックになっているように見える。
「私は花火のことを〜我々の生のような花火のことを」ー人生は一瞬だということを言っている。明子には何を言っているのか判らないのでは。
「見下ろしながら、教えるような調子で」ー当時の西洋と日本の立場がよく出ている。気付いているのが西洋、まだ知らないのが日本。
(将校の性格)人生について楽しむ風でなく、達観した虚無的な視点を持った人物。
<明子>
「半ば甘えるように」「子供のように首を振ってみせた」ー可愛らしい振る舞いである。女性っぽい。将校との会話を続けるため努力している。年齢が離れているので、父親のように思って甘えたくなるのだろう。
「明子にはなぜかその花火が、ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美しく思われた」ー花火の一瞬に消えていく悲しさを感じている。華やかさの裏にある悲しさを言っている。
(明子の性格)彼女なりの努力を続けているが、将校の真意を理解できていない人物。

(<一>のまとめ)(各段のまとめと、キィワードを使って、生徒にまとめさせる)
(明子)初めての舞踏会で「愉快なる不安」を覚えたが、踊る前から周囲の人物を観察するなど、精神的に「余裕」が出てくる。年令よりも大人びていて聡明な「開化の少女の美」を備えている。明子は自分の与えられた役割をしっかりこなそうと努力しながら、将校と二人だけで、舞踏場ー食堂ー露台と長時間すごし、親密度を増していく。しかし、経験の圧倒的違いや付け焼き刃の教育のため、教養に欠けており努力にもかかわらず、会話はすれ違いのままである。将校の呟いた「生のような花火」という言葉の真意も判らず仕舞いである。
(将校)紳士的人物で、明子をうまくエスコートしているが、舞踏会や社交界の華やかさの陰にある虚しさ、ひいては人生に対する虚しさを実感していている。

<二> 三十二年後の明子 25〜28
  25〜28 明子と小説家との会話
<明子>
「菊の花を見るたびに思い出す話があると言って〜聞かせた」ーあの夜の出来事は一生の思い出になっていることが判る。思い出が大切なタイプの女性だ。
「不思議そうに〜つぶやくばかりであった」ー後で調べれば判りそうなのに、一緒に踊った思い出の人にもかかわらず、相手のことを知らない。長年たっている割には西洋的なことには疎い感じである。歳をとって、年相応に落ち着いている印象だ。
(明子の性格)三十二年前のことを今でも話すように、彼女にとっていい思い出になっているが、事実を知っておらず、利発で聡明さが若い時より少しなくなった人物。
<小説家>
「多大な興味を感ぜずにはおれなかった」「愉快な興奮を感じた」ー鹿鳴館で有名人と踊ったという事実に、興味を示し、興奮している。
(小説家の性格)ロティの眼前にいる女性は、ロティと一緒に踊った「日本の秋」に描かれた踊り手の一人かもしれないと思い、歴史や文学上の出来事が現出したかのような知的興奮を感じている。作者の分身のような人物。

 

(六時間目)種本との照合(一)
  前時で各自考えてきた主題を何人かの生徒に聞く。ただ、ここでは纏めない。これまでは、本文分析という形で主題にアプローチしてきたが、「今度は、外側から調べてみよう」と、種本との比較によって、芥川の意図を検証することを目的とするということをはっきり生徒に提示した上で、ピエール・ロティ作の『江戸の舞踏会』のプリント(村上菊一郎他訳『秋の日本』平凡社 昭36)の抜粋を掲載している「鑑賞日本現代文学「芥川龍之介」海老井英次編(角川書店)より作成)を配布。スピードアップのため、教員読みを交えながら指名読みしていく。些細な違いから、設定上の大きな違い、同じところまで、気のついたことをリストアップさせる。話の順番が前後し、且つ、細部の指摘があるかと思えば、全体印象の意見もあり、バラバラにでてくるが、どんどん羅列して、板書していく。

 

(七時間目)種本との照合(二)・改作について・まとめ(主題)・作者との関連
  前時を受け、教員の方で、最後に幾つかの項目に整理して、まとめる。(本稿では、生徒が指摘した点を一つだけ(例)として載せ、まとめの項目のみ載せる。)次に、末尾の改作について告げ、改作前後で主題が違っていることを比較検討しながら、再度、主題にせまる。最後に、なぜ、作者が末尾の改変をしたのか、芥川の年譜的事項を紹介(作者紹介が初めての場合は、ここで「国語便覧」を利用する)し、作者の心情の変化を考える。

[板書例]
<同じところ>
・舞踏会がおこなわれた鹿鳴館という舞台の状況設定はまったく同じである(史実として変更しては、問題が多いから)。部分的にほとんどそっくりそのまま使われているところも多い。
・使われ方や意味あいは違っても、到着前から始まり最後に花火がくるなど、話の流れ自体は基本的に同じである。
<違うところ>
・登場人物の単純化
   (例)沢山出てくる令嬢を、明子一人に纏めて、主人公化させている。
・登場人物の役割化
      (例j横暴で批判の対象であった中国の大官を、明子の美しさに感嘆する外部の視      点・評価としての役割に代えている。
・明子の美化
      (例)仏語を解せず「まだほんの子供」「お化粧にどことなく欠けているとこ       ろ」がある令嬢を「開化の日本の少女の美」を遺憾なく備える女性として      定義づける。
・鹿鳴館・舞踏会全体の美化(幻想的・実際より美しい舞踏会)
      (例)鹿鳴館をどこにでもあるような「どこかの温泉町の娯楽場」とするのに対し      て、完璧な舞踏会会場であるかのように描写している。
・日本的要素を捨て去る(西洋化)。
      (例)人力車を馬車に変えている
・批判皮肉の視点の捨象。
    (例)「教え込まれたもので、すこしも個性的な自発性がなく、ただ自動人形の      ようにおどるだけ」というような批判的視点の文章を芥川は採用していない。

 

○末尾の改作について

 これらの変更が、作者が主題を明確にさせるための手段であったことを押さえ、ここから作者の意図が見えてこいないかと生徒に投げかける。その上で、再検討する前に、実は、本作は、途中で作者自身が末尾を手直して、二つの結末があったことを告げ、そこから現行の結末の主題が見えてこないか対比することを告知する。一年の場合は、少々難しく、教員主導にならざるを得ないが、三年の場合は、生徒の意見を引き出すことは可能である。なお、どちらが好きかと挙手させると、ここでは圧倒的に改作後を推す生徒が多い。

(参)改作前(初出)では、第27段落、老夫人の会話に続き、以下の文となっていた。  「あなたもご承知でいらっしゃいましょう。これはあの『お菊夫人』をお書きにな   った、ピエール・ロティとおしゃる方のご本名でございますから。」

<改作前>
  将校=ロティであるという前提に支えられ、将校が話の中心の物語となって、主題を語らせている。将校の「我々の生のような花火」は、孤独な想念である「我々の花火のような生」という言葉に置き換えられる。つまり、人生を虚無的に見つめる男(先進国)が、華やかな舞踏会の虚しさ=文明の表層性を、若い人=後進国に諭している構図となる。無論これは、性急に文明開化を展開する日本への警句であり、本作を「日本対西洋」の構図で観る視点が提出されている。<二>は、芥川得意の後日談の一種であり、読者に対するネタばらし、一種のサービスである。『地獄変』などに代表されるように、芥川前半のテーマである「刹那の感動」の流れということもできる。将校は有名な文学者ロティであるということを知っている多くの読者は、この物語の主人公明子がもしかしたらお菊夫人のモデルその人なのかもしれないという興味・関心が涌く。全体として、小説家が感じているのと同種の「知的感動」を与える作品として定位している。

<改作後>(現行テキストの版)
 それに対し、明子がロティだと知らないとする改作後は、テーマそのものが変化する。 将校の言葉は、その後の明子の人生を暗示する伏線の役割となり、主題は明子の人生の対比に移行する。読者は、語られなかったその後の明子の人生に思いを致し、人生の苦難や平凡さを感ずる。明子は、あの時が人生で一番輝いていた時なのであり、あれ以来、特に西洋文化の教養を積んでいったとは思われない、そうした人生を描く、いわば、長編小説の中間部を省略したような作品となり、時代に流されていった女性の人生のむなしさが作品に漂う。主役は明らかに明子であり、将校はいわば予言者でしかない。読者は、こうした人生の虚しさに「情緒的感動」を覚える。

 ただ、各々の結末には、後述の「研究史」の項でも触れるように、それぞれ批判がある。改作前では、明子の性格には統一感はあるが、ロチィを知っている人にだけ楽しめる楽屋落ちにすぎず、<二>の重要度は低く、<一>だけで物語としては終わっているという批判である。反対に、改作後では、確かにしみじみとした感動を味わえるが、あれだけ利発だった明子が、凡庸な女性になっているのは不自然だし、第一、もし、その落差を描くことが主眼ならば、明子を前半あれだけ聡明に描く必要がない。無知な女性に仕立てておいた方が、時代に流された女性を描くという点では正解のはずである。<二>を直した以上、<一>も直すべきで、<一>と<二>には、人物に明らかな分裂があるという意見である。また、主題自体が、あたかも「少女小説」のようで大人の小説として甘いのではないかという批判もある。

 以上のような纏めの解説をし、キイワードとなる単語を黒板に列記し、それらの言葉を使って、自分でノートに纏めよと指示する。ここまで、この作品に真面目についてきた生徒は、「まとめ」ということで、嫌がらず頑張って自分なりにまとめる。最後に、どちらが芸術的に優れていると思うかと、再度問うと、改作前派が増加するのが面白い。

 

○末尾変更の理由(芥川の人生との関連)

 読解自体は終了したが、最後に、なぜ改作したかを芥川の年譜を参考に説明する。伝記的事項を書いたプリント(資料B)と「国語便覧」を利用し、大正八年〜十年における芥川の心情の変化を跡づける。しみじみとした路線で成功した自信作『秋』の「梗概」を紹介、『舞踏会』所収の、第五作品集「夜来の花」(単行本)の冒頭に『秋』を配した意味などを説明し、この単行本の校正の段階で『舞踏会』末尾を変更したことを知らせる。行き詰まりによって転機をむかえつつあった彼の芸術上の考え方の変化の実相が、この改変であったことを理解させる。

 

(八時間目)『舞踏会』論の執筆
 前時で実質的な分析は終わっており、以前から自分なりの論を考えておくように言っておいたので、ここで、小論文執筆の時間をとる。まず、冒頭、「感想文」と「小論文」との違いについての簡単な話をする。自分なりの視点が大事で、授業の基本理解にとらわれて、授業の板書をなぞるような小論文は評価が低いことなどを話す。中途半端な形で提出しないように、今時、提出できなかった者は、次時間に提出しても可とする。

 

○『舞踏会』小論文を書く。

  単なる読書感想文にならないように、感想文と小論文の違いを十分ほどレクチャーした上で書かせる。自分の視点が見つかった場合はいいが、何も思い浮かばず、時間だけが過ぎている生徒には「改作後と改作前とどちらがいいか態度をはっきりさせて、その理由を述べる形の小論文にせよ」と指示する。これで書き始めることができる生徒も多い。程度のよくないものは、授業の流れそのままのもの、ひどいものは、種本と作品とを、改作前と改作後とに混同して書いてある者もいるが、反対に、授業での分析をなぞらす、教員が特に授業で指摘しなかった点を指摘し、それを論の起点をしている素晴らしいものも多い。例えば、「この作品における菊の意味」や表現面での指摘等である。また、改作後支持派から改作前支持派に転じた者の多くは、その理由を列記しており、面白い。

<提出小論文の例>(抜粋・一部要約あり)
・明子が利発で聡明なのは、事実はどうであれ、当時の日本がいかに西洋を取り入れ、近代化したかに自信があったかを示しているのだと思う。
・当時の日本の安易な変化に対する風刺と告発の書なのだと思った。
・青年小説家は「大正の日本」を表している。明子と違う点は知識の量である。
・明子の「明」も「明治」からきているのではないか。
・舞踏会を美化するための手段として、大変ロマンチックな文章表現が沢山示されている。例えば「抑えがたい幸福の吐息」「シャンパニェのようにわき立ってくる」「小鳥のように」といった比喩表現など。
・きらびやかな舞踏会、芥川はその世界の魅力を存分に引き出して見せてくれた。たが、ほんの一瞬だけ彼は夢の世界から現実へと読者を引き戻した。明子の馬車から見える東京の街によって。(中略)東京の乏しい灯火は日本だけにむけられたものではないだろう。フランスにも闇の部分があり、芥川は、その一瞬の灯火に世界の闇をも封じ込めようとしたのだろう。
・国際関係の問題も示唆している。明治期の急速な西洋化の虚しさから、長い年月を経てもなんら成長しない日本。これは現在の日本にもいえることである。他国から表面的な華やかさや発達した科学技術のみ学ぶだけで、うちに秘められたその国の本当の美しさを学ぼうとはしていない。例えば、ドイツの環境保護に対する姿勢は日本のみならず、世界の先進国が学ぶべきことであるのに……。
・明子の人生はどこか芥川の人生と重なる。改作の理由は文学的展開としてだから、まだ自殺までは考えていなかったのだろうが、改作後の悲しい結末は、何か皮肉なものを感ずる。
・どちらの結末も欠点があり、中途半端だ。情緒的にするなら明子が一人で当時のことを思い出すという方がよかったのではないか。情緒的にするにしても、利発さを生かすにしても、<二>が全ての点において作品の完成度に足を引っ張っており、残念である。
・明治期の日本は西洋化にあせるあまり、日本らしさをなくしていたと思う。ロティ作品ではそこを批判している。芥川が舞踏会を美化したのは失敗である。直接当時の日本をロティ以上に批判することの方が最善の方法ではなかったか。

 

○『舞踏会』について(授業で指摘すること)

 

1、研究史 

 この作品の解釈は実に多岐にわたる。前述の「芥川龍之介研究」(明治書院)の「作品事典」の記述が簡にして要を得ているので、少々長尺だが、まず、引用しておきたい。
 
【研究史】『舞踏会』は、「美しい短篇で、開化期物中での佳作である」(吉田精一『芥川龍之介』三省堂)との言葉に代表されるように、芥川の作品中では比較的秀作という評価が定着している。しかし、発表時は、「一種の高等落語だ」と許した田中純(「正月文壇評二」「東京日日新開」大9・1・11)や、「もとの芥川龍之介以上一歩も出てはゐな」くて、そこに「まだるこしさを感ずる」と言った広津和郎(「新春文壇の印象」「新潮」大9・2)など、作品をあまり高くみない傾向がみられた。また、水守亀之助は「外国士官がピエル・ロチであつた事を当年の一少女をして語らせてゐるが、それは唯口を借りた迄であつて、それは作者が読者に向つて自ら代弁してゐるのが見え透いて、折角の思ひ付きも半ば感興を減殺する」と述べた(「新春の創作を評す」「文章世界」大9・2)。おそらく、この批評などが芥川をして初刊本における末尾の改稿をなさしめる因となったのではないか。以後、吉田精一の作品典拠の指摘や、それを受け継いでの大西忠雄の比較考証(『芥川龍之介作「舞踏会」考証』「天理大学学報」10、昭28・3)などの研究が出る。更に、三島由紀夫は「美しい音楽的な短篇小説」と言い、青春の只中に自然に洩れる死の溜息のやうなもの」が感じられるとし、ロティの花火を見て呟く一言に注目した卓見を提示した(『南京の基督』解説、角川文庫、昭31・9)。作品末尾の改稿を問題にした論に、三好行雄「『舞踏会』について」(「立教大学日本文学」8、昭37・6)があり、この後の『舞踏会』論は何らかの形でこの三好論文を踏まえて立論されることになる。改稿によって、今もロティと知ることのない明子が描き出され、彼女の「無償の感動」が、「ロチのエピソードとしてうけとめた」「青年の知的な興奮」の見すぼらしさを浮きぼりにする働きをなすと解する。そして、「小説の最後に用意された明子の不思議そうな呟きは、いわば(知恵のむなしさ)を痛切に語りあかして」おり、花火に託したロティの「生のむなしさの嗟嘆」に通いあうと結論づける。佐藤泰正は、末尾の改訂に『南京の基督』のモチーフとの類縁を見、「醒めたる眼の捉えた無垢なる感動への哀惜」を指摘する(『舞踏会』、現代国語研究シリーズ『芥川龍之介』尚学図書、昭47・5)。また、宮坂覚は改稿が「明子の人間像の破綻」をもたらしたと論じ、従来の作品の主人公論、テーマ論への疑義を呈する(『「舞踏会」試論』「文芸と思想」 昭2)。他に、森本修「芥川龍之介『舞踏会』」(「論究日本文学」31、昭42・10)や佐藤勝『芥川龍之介「舞踏会」』(「国文学」昭44・6)、藤多佐太夫『「舞踏会」論(上)』(「山形大学紀要」6巻3号、昭51・2)などの好論があり、いずれも看過し得ない。
【課題展望】『舞踏会』の研究は、末尾の改稿の問題を中心に論じられてきた観がある。積極的に評価する側と否定的な見方をする側とがあって、まだこの改訂に関しては議論の余地が残されているように思われる。その場合、作者の共感が一章においては明子から士官へ移行し、「生のやうな花火」に収斂され、二章では改稿によって、また明子の「無知」への感動というように動いていくのであるが、この点をめぐって作者の意図をより十分に明らかにする必要があろう。明治の文明開化の華やかさや人生への倦怠を漂わせる士官、無垢な思い出をいとおしむ老夫人を描き、「あやうい平衡を保」った作品(三好行雄)ではあるが、なおテーマに関しての再検討も必要ではないだろうか。                 (木村一信)

 

 稿者自身は、オーソドックスに、吉田精一「芥川龍之介」(「吉田精一著作集T」桜楓社)の基礎的認識を受けつつ、前述の三好行雄「『舞踏会』について」(後「芥川龍之介」三好行雄著作集第三巻 筑摩書房所収)などによって骨子を押さえた。それ以外では、森本修「『舞踏会』」(「芥川龍之介研究」菊池弘他編 明治書院)などのわかりやすい交通整理の論考や、前述の「芥川龍之介 特集「舞踏会」」(洋々社)所収の各論等を、適宜、参考にしつつ認識を深めていった。改作についても、読めば読むほど、改作したことに対して起こった前後の不備が目につき、年齢を重ねる毎に、改作前肯定論に傾く一時期あったが、かといって、初読の印象が、改作前だとそんなに強烈だったかと問われると、情緒的側面に感動したことを認めるにやぶさかでなく、強硬な改作前賛成派という訳でもないという優柔不断なスタンスで、永年、付き合ってきた。
 本稿は『舞踏会』自体を論ずるのが趣旨ではないので、詳細な作品論的論述は避けるが、以下、現在の私なりの見方、教える際に留意している点などを幾つか指摘しておきたい。

 

2、光彩と闇

 

 『舞踏会』は、理知派らしい、極めて構成的な作品である。吟味を尽くした作品であることは、大正九年新年(一月)号に掲載された、同時期に書かれたと思われる五つ作品の中で、最も完成が遅れ、編集者に体調不良で「寄稿の件は不悪ご容赦下さい」と完成できなかった旨の書簡(大正八年十二月十八日付「新潮」編集者水守亀之助宛)が残されているほどである。冒頭、「何時、誰が、どうした」の簡潔な記述から始まり、各段、場所を移動しながら、主人公二人の関係は段階的な深まりをみせる。描写も、リアリティーを持たせるだけのためのものではなく、多くが主題やモチーフに結びつく意図された記述となっている。
 まず、ここでは、冒頭部分から押さえていきたい。
 鹿鳴館の煌びやかさを象徴する「明るいガスの光」と、大輪の菊花、「薄紅」「黄色」「真白」という原色の色彩から、この物語はスタートする。目映い視覚の表現である。ここは日常と遊離した異空間の物語であることを華やかに宣言して始まると言い換えたらよいかも知れない。これに対し、会場までの東京の町並みは、闇に閉ざされており、窓外の「乏しいともし火」は、勿論、そうした華やかな異空間とは無縁の生活空間の光であり、馬車の窓から見えるのは、新橋周辺という帝都の中心部だからこそ、多少は見ることのできる点光に過ぎない。闇との対比は、これから始まる異空間の物語の異空間たる所以を読者に示す序章である。この窓外の光は、現実として、東京の電力普及の状況を考えると、多くは、江戸時代とあまり変わらぬ家々の行灯やランプ、そして、めぼしい通りに設置されたガス灯ということになる。作者は、冒頭の第一段落で、まず、舞踏室に向かって階段を上がる明子の様子を追う。すぐに鹿鳴館の、煌びやかな色彩・光のイメージを読者に植え付けて、第二段落、明子の不安な心情を、闇と並置することで表現していくのである。第一段落に階段を上る明子を、第二段落に到着前の馬車の様子と、時間軸を逆転させているが、その配置は、物語の導入として揺るぎがない。
 こうした色彩の対比は、第三段落も続く。「ばら色の舞踏服、品よく首へ掛けた水色のリボン、それから濃い髪ににおっているたった一輪のばらの花」に身を包んだ明子は、後の段落で「華奢なばら色の踊り靴」(第九段落)を足下に身につけているとも記されており、いわば、深紅色一色のコーデネイトに、一点の冷色系のアクセントをあしらった最も派手で印象深い出で立ちである。生まれて初めての舞踏会において、衣装のコーデネイトに、彼女自身の意見がどれだけ反映されているかははっきりしないが、作者は、彼女の友人には、派手な中にも地味な「水色」の舞踏服を着せているし、後に傍らを通る二人の独逸人らしい若い女性には「黒い天鵞絨の胸に赤い椿の花をつけ」た落ち着いたフォーマルウエアを着させている。明子の美しさは、こうして、スポットライトが当たるが如く際立って描写されている。対して男性陣。冒頭部、明子の「少女の美」を客観的事実として認定する役割を振られた若い日本人は、燕尾服に白いネクタイであるし、或いは、ホスト役の伯爵も「半白の頬髭」のみが色彩として特記される。完全にモノトーンの世界で統一されている。
 深紅の色に象徴される明子の美は、だから、色鮮やかな衣装ばかりが強調されていることになる。例えば顔立ちについての描写がまったく省略されている。読者は顔のイメージを特定できないまま、衣装のみが舞踏会の場に解け合っている印象を受ける。つまり、彼女の存在は肉体性を伴うものではなく、個を特定できる個性化された美ではない。ある種、象徴的存在ということができる。
 闇と光彩との対比は、無論、主題提示部である「花火」のシーンに収斂する。花火は「庭園の針葉樹を圧している夜空」、すなわち闇の中に打ち上がるのであり、「赤と青」の原色の光が「蜘蛛手に闇を弾きながら」闇に消えようとする。まさに闇と光彩の対比である。
 ちなみに、蜘蛛手にひいた花火は、ある意味、菊の花のようであり、<二>において、明子の思い出話のきっかけになる菊の花束も、地味な白菊だけのものであるはずもない。周知のように、白菊は葬儀の際に用いられることから、贈答には不適で、贈らないのが常識であるところから、色彩的にカラフルなものだったことが想像できる。そして最後にだめ押しの如く「お菊夫人」を書いた」と、菊つながりを強調するのである。この小説の、こうした色彩によるイメージの連鎖は強烈で、きわめて効果的である。
 こうした煌びやかな色覚情報だけではなく、聴覚情報も豊富である。管弦楽の音色には、踊る前には「抑え難い幸福の吐息のように溢れてくる」(<一の一>)ものとして定義されていて、社交界デビューを迎えた明子の心情が反映されているが、親密になるプロセスである<一の二>では、「三鞭酒のように沸き立って来る、華々しい」と、二人の世界と、管弦楽に象徴される外界との微妙な乖離を見せはじめ、<一の四>の露台のシーンでは、「調子の高い管弦楽のつむじ風が相変わらずその人間の海の上へ、用捨もなく鞭を加えていた」と、舞踏室での舞踏が、二人の世界にとっては無関係な喧噪の場として対比されるようになる。すなわち、漸層法的に記述されているのである。勿論、露台といえども正確には静寂の世界ではない。「絶えず賑やかな話し声や笑い声」が聞こえるし、花火が打ち上がると「人どよめきに近い音」や「風のようなざわめく音」が洩れている。明子も、最初は、そこに居合わせた懇意の令嬢たちと雑談を交わしている。しかし、将校の沈黙に気づいて二人の会話が始まると、そうした音の世界は、背景に下がり、人々のざわめきの声さえ、それこそ「風のような」自然な音となって、二人の、ぽつぽつとした会話の静寂をより印象深くする小道具となっているのである。こうした意味で、花火の特色である大きな炸裂音が最初から最後までついに描写されることはなく、それを観た人々の反応のみが記述されることになったのも不自然なことではない。
 生徒に、この知覚面での作者の工夫を気づかせることは重要であろう。

 

3、明子の恋愛

 

 スポットライトを浴びている主人公明子の性格が凡庸なはずもない。周知のように、明子は、聡明で利発な性格が与えられている。それは、冒頭<一の一>の部分からすでに明らかである。階段を上がりきった舞踏室の入り口に出迎える「権高な伯爵夫人の顔だちに一点下品な気があるを感づくだけの余裕」があったことは、まだ、うまく踊れるか、うまく立ち振る舞えるか、不安で、普通なら緊張のピークに近いのが、この時であることを考えると、驚異的な落ち着きぶりである。授業で、明子の性格を答えさせる時、内容分析授業が始まったばかりのため、どう言えばいいのか、際立った性格を見つけられない生徒に、「同じ年齢だから、自分のことと思って考えよう。貴方ならこんな時、明子のようにできるかな?」と問いかけることで、この落ち着きぶりを見つけさせることができる。
 <一の二>では、既に踊りながら「友達の一人と目を合わすと、互いに愉快そうな頷きを忙しい中に送り合っ」てさえいる。舞踏のステップが自家薬籠中になっている訳で、場慣れた振る舞いである。自らの体を預けている将校が日本式の生活を物珍しげに想像するのを「可笑しく、また誇らしく」思う余裕も、数え十七歳の女性とは思えないほど大人の女性を感じる。
 こうした性格設定は、<一の三>で、自分が本当に将校に美しく映っているのかという疑いの回答を得るために発明した一種の誘導尋問「西洋の女の方はほんとうにお美しうございますこと」という発言で、より強化される。そこには、利発な女性という以上に、自分の美しさを男に評価させる、手練手管の女性といったら少々言い過ぎになるが、大人の女の発想が見て取れる。いわば、男の評価を受けることで、男の好意度を知り、その後の親密の度合いをコントロールしようとするのである。
 彼女は、男の答えで、より心を寄せてもいいと判断したようである。将校の会話が、悉く会話の流れを中断させるような素っ気ないものであっても、彼女は、会話を続けようと必死になるのがその証左である。これまでにもたびたび指摘されていることだが、通常、社交場でのダンスは、相手を変えながら踊りを続け、多くの人と交わり、交際を広げることを目的としている。最初に声をかけた異性と、最後まで専属に付き合わなければならない義理もないし、そもそも、それは本来の社交の目的とは違っている。最後まで二人だけの世界だったのは、常識的には異例の展開である。舞踏の教育を受けていた明子には、そうしたことは充分判っていることであり、意識されたものでなくても、二人が望まなければ、起こり得なかったことである。つまり、明子は、この大勢の人だかりの中で、彼を放さなかった、言い換えれば、二人きりでいることを望んだのである。
 明子は、最初に将校に声をかけられた時、「血の色が、頬に上って」いる。もちろん、それは、いよいよ始まる初めての舞踏の誘いに対する初々しい気持ちでもあろうし、こともあろうに日本人でなく外国人だったからでもあろう。しかし、おそらく、頬に血の色が上った気持ちの中心は、多くいる若い女性たちの中で、特に、この自分を選んでくれたことに対する、思春期の女性の「羞恥心」の気持ちだったのであり、それは、初めて男性にデートに誘われた時の女性の心情とほぼ同じものだったのであろう。明治という時代を考えれば、人生で初めて、男に声をかけられたと考えても速了とはいえないだろう。
 その後、二人の関係は、各ブロック毎に、「舞踏室での踊り」「階下の食堂での飲食」「星月夜の露台」と場所を移す。それは、徐々に、周囲の人を排除する方向であり、つまりは交際の深まりとも言える。
 露台の二人には、無論、大きな意識のズレがある。場慣れた将校が囚われているのは、孤独な生の想念であり、小娘とも言える明子を、対等なレディ、今後、恋愛に発展する可能性がある対象として見てはいない。それに対して、明子は、男女交際厳しきこの時代、ここ鹿鳴館自体が、特例的に許された男と女の出会いの場なのであり、花火を見ながら露台で「腕を組ん」でいるシュチュエーションは、いわば、甘美な初めての男と女のシーンなのである。相手の想念はどうであろうと、明子は、その聡明さで、その場を演出しようとする。弾まない会話は、明子の「人一倍感じの鋭」い感受性によって、少しでも繋がる話題にすがろうとすることを忘れなかったし、男の顔を「そっと下から覗きこんで(中略)甘えるように」尋ねたりする。つまり、好きな男に見せる、気に入られたいという意識から来る、女の媚態とでもいうべき行動である。そこにあるのは、彼女にとって、独りよがりとも言える、そして、この年齢では、それは当たり前のことなのだが、ある種の「疑似恋愛」の形をとっているように見える。そうした意味で、この小説を、明子の「一夜の淡い恋愛の物語」(関口安義「一夜の淡い恋愛の物語」「芥川龍之介」洋々社)だと読み解くことは十分可能であるように思われる。無論、それは、どちらかというと、明子側からだけの一方通行の片思いのようなものではあるが……。
 いわば、この物語は、大人の女性への成長の物語なのであり、旧弊な明治の日常では、徐々に成長していくはずの大人の階段を、彼女は、非日常空間の中、舞踏室への階段を上がることで、この時、一気に駆け上がったともいえるのである。
 授業では、こうした明子の恋愛感覚を指摘すると、通常の同年齢の異性との恋愛とは異質なため、この話で「恋愛?」と、少々驚くようだが、同世代の女子の感覚としてすぐに納得するようである。
  「恋愛」と受け取ると、<二>で、踊りの相手は、ロティではなくヴィオだと主張するラストは、単に、事実を知らない、無知を表明させることで、明子の、その後の人生の虚しさを暗示させる以上に、そんな文学者などではなく、ヴィオという名の、私が愛した「一人の男」なのだという否定の意識、拒絶の意識が見て取れると読み解くことができよう。例えば、この台詞を役者が演じた場合、繰り言の如く発声するか、ある程度、きっぱりとした部分を匂わせて発声するかの違いとも言えよう。呆然とした様子でいえば、それを知らなかった明子の無知がクローズアップされるが、確認するように言えば、青年小説家が提出した相手の男性に対する付加情報を拒絶し、自己の思い出を思い出の中だけで完璧なものとし、それ以外の猥雑物を排除し守ろうとする、意志を含んだ発言ということになる。
 勿論、ここでの言い方は、本文によれば「不思議そうに青年の顔を見ながら何度もこう呟くばかりであった」とある。決して断言している訳ではない。だが、それは急に自分の知らない名前を断定的に言われた青年小説家に対する戸惑いと疑問、逡巡の態度という面が大きいのではないか。その前の明子の発言「存じておりますともJulien Viaudと仰有る方でございました」という高らかな発言までは、おそらく明子は、少々得意げに話していたはずである。その勢いと明るさ、老夫人の外交的言動の流れから見ると、ここで急に、惚けたように呟く女性の姿が突出するのは、余りに違和感が残る(「存じておりますとも〜」の台詞は、改作されなかった部分なので、知っていたとする改作前の結論に至る流れの名残りを感じさせるものである。改作前では、自分が踊ったのは有名人であることを、一面識ある程度の知人に吹聴した自慢話というニュアンスがでる記述である)。
 ただ、我々は現行テキスト(改作後)で読み解かねばならない。小説家は、一面識のある程度の、年齢の離れた青年である。それも、菊という日常のありふれた花束を話のきっかけにして「詳細に」語るのである。その意欲的な態度、きっぱりとした態度。そこから末尾の会話を解釈すれば、「不思議そう」に「呟く」のは、決して凡庸に変化し「俗人としての生涯に埋もれてしまった」(角川書店「近代文学大系」注釈)明子などではなく、青年が何を言っているのか一瞬理解不能だったが、それを、面と向かって大きく否定するような 軽率な行動をしない、「老」夫人らしい、年齢相応の、落ち着きのある奥ゆかしさが表出しているものであって、強固、且つ反芻されて、完成されている自己完結の物語に対し、疑問を差し挟まれたことで、不意をつかれた格好になり、再度、心の検証作業をしている心の間(ま)の時間であると読み解くことはできないだろうか。全体として、明子は積極的な印象で、お話が嫌いではなく、人に話を聞いて貰いたいタイプの人間であり、「不思議そうに」「呟いた」たとしても、充分に、聡明さを維持している人物なのである。末尾の改変に異議を述べる論拠に、<一>の聡明な明子に比べ、この<二>の老夫人は余りに凡庸である、そこに明子の性格の分裂を見、改作を不完全なものとするものがある(宮坂説など)。ただ、これは、正確に言えば、改変の最後の部分、「H老夫人は〜」以下が、特に<二>の前半と分裂しているといえるのではないだろうか。
 繰り返す。明子にとって、彼は著名人であってはならず、自分だけの「私人」でなければならない。これに対し、著名人と踊った、そして、モデルに擬せられるかもしれぬ女性が目の前にいるという小説家の「興奮」は、知的な興味を重視するインテリらしいもので、そこに三好行雄の指摘する「知のむなしさ」を対比として見る見方も出てくる訳だが、ただ、それは、無知と知の対比によってより鮮明になるはずのものである。明子の無知が、その後、単に西洋教養の摂取が行われなかったという意味だけで、人生に流され、平凡な人生を送ったのだととるのは早急で、十六歳の時から利発・聡明で、踊る前から余裕を見せていた当時の明子の片鱗は、四十九歳となった今でも、十分伺うに足るという見方ができる。明子の外交的な性格が<一><二>とも統一されていると考えると、明子の様子を対比的にとって、この小説の重要な結構と受け取るのは、少々過大解釈のように思われる。

 

4、将校の態度

 

 では、甘えるような媚態をも見せる彼女のことを将校は、どう思っていたか。彼が思う「舞踏会はどこでも同じこと」という意識は、勿論、文明の持つ虚無性に対する倦怠の表明であり、「花火」の発言に繋がる重要な一連の彼の態度なのだが、それ以上に、注目したいのは、あながち将校は沈んでばかりではないということである。明子が疲れたらしいのを見て取った将校は、彼女を壁に導く、その鮮やかな手際、軍服の胸を張って「前のように恭しく日本風の会釈」する行動は、少々お茶目で、舞踏を楽しんでいる風が見えるし、彼女を気を引く行動のようにも思える。また、「愛想の好い仏蘭西語の御世辞」も囁いている。この<一の二>は、まだ、小説の作法上、将校の孤独な想念を提示すべきときでなく、社交のマナーに添った行動をしているのを描くのが趣旨の段なので差し引いて考えなければならないが、少なくとも投げやりな態度ではない。将校が将校らしい個性を表出するのは、<一の三>の終盤部からで、心から楽しんでいる訳ではないと、そこで初めて知れるのだが、<一の四>の露台での会話でさえ、彼は、実は明子をそんなに置き去りにはしていない。「子供のように首を振って見せた」りして積極的に答えないという点では、多少の物憂げさ、投げやりさはあるものの、「何だが当ててご覧なさい」と彼女を会話の上から救っている。彼女は考えて答えるという暇が与えられている訳で、結局、すぐに花火があがり、それ以上の推測を続行することはなかったが、会話自体は少しく進行しているのである。
 従来、二人の意識の差のみ強調されてきたきらいがあるが、既に知ってしまったものとしてのアンニュイ、文明の退廃を見つめる虚無的視点としての将校の役割以外に、最後まで付き合ってくれた、思い出づくりに協力してくれた、心優しき存在という方面も明子の思い出の人という面を強調して考えると重要で、人物像として授業で押さえて置かなければならない部分であることを確認しておきたい。

 

5、明子にとっての花火

 

 明子は、この「花火」の台詞をどう受け取ったのだろうか。この話では何も書いていない。将校の花火の台詞のきっかけになった、その時の特定の花火が、その日初めて打ち上ったものであったら、将校の発言は矛盾したものとなり、明子も、その言葉が文字通り受け取ってはいけないということに気づいただろう。しかし、花火自体は、その前から「暗い針葉樹の空に」美しく何発もあがっており、額面通り受け取ってもいい状況ではある。しかし、利発な彼女のことである、ある程度の推測はしたであろう。彼女は将校が「郷愁」を感じているように見えた。それは遠い東洋の地で、喧噪を背後の舞踏室に感じながら、テラスに出ているというシュチュエーションで考えられるオーソドックスな分析である。明子は、前に、お国の女性はさぞお綺麗でしょうと鎌をかけている。比べられている意識のあった明子にとっての、彼の「郷愁」とは、この異国の地の舞踏会がどう映っているのか、巴里の舞踏会と本当ところどうなのか、やはり本場と比べて劣っており、向こうを懐かしがっているのではないだろうか、先程の私への賛辞は、外国女性と比べてお世辞抜きでどうなのかなど、つまりは、最終的にすべて自分に収斂するものと、比較の対象としての「お国のこと」なのであろう。勿論、彼が囚われている内実を彼女は深くは判らない。故に、茶目っ気を出して「甘えるように」会話を続けるのである。
 明子は、考える暇なく、花火に対して次の想念を描く。「なぜかその花火が、殆ど悲しい気を起こさせる程それ程美しく思われた」と。明子が悲しいと思ったのは、まず、言うまでもなく、花火自体が持っている瞬間の美と闇の狭間に漂う<無常観>が大きい。それに祝祭が終わりに近づいていることがつながってくる。デビューの舞踏が、異国の将校という思いがけない相手となり、且つ、ほとんどデートと化している。この恋愛は一回きりが保証されているからこそ、美しさが身に染みるし、終わりに近づくデートへの名残惜しさ。それに「将に消えようとする」名残の様子を重ねているからである。
 それだけではない。明子自身は「なぜか」と、その理由がよく判らないように書かれているが、それは、すなわち「予感」とでも言うべきものがあったと考えられよう。人生にはこうした理由の定かでない予感の想念がいつもあるものだし、その多くは、そうなるとは限らない未来の漠たる想像の一片にすぎない。人生に敷衍しての定かでない予感は何ら形を帯びたものにはならない。そうした人の淡い感情を作者は提示しているのであろう。 そして、この予感に現実の方がすり寄ってくることもあり、その後の人生で実感的に気づいていくものだという作者のメッセージが、ここに含まれていると考えることに無理はない。言い換えれば、人生は短いが、人生のどこかには必ず一瞬の輝きがあるものだということをを知っている多くの大人の読者にとっては、物語がここに到ると、作者の主張はほぼ予測されるものとなる。その後の明子の人生の描写につなげる言葉として、作者が明子の心情を借りたのだと理解するのである。
 明子が「花火」の寓意にまったく無知であったのかというとそうでもないだろう。「生のような」と花火に形容がつくことで、おそらく、比重がそちらにかかっていることは、年若であっても聡明な明子には、どことなく理解できたことであろう。花火は一瞬の美しさの象徴、それが人生のようだと、発言を逆にして理解することも、そんな難題ではないはずだ。明子の質問に対して、今起こった花火を例に出して、「花火のような生」と暗に言ったことくらいはわかる。特にそれが、「見下ろしながら、教える調子」では、なおさらである。言葉として理解はした。文明人であり、数々の舞踏会出席によって実感的に体得させられていた将校の気持ちのレベルには及ぶべくもないが、意味不明とは思わなかったはずであるというのが、何度も繰り返すが、稿者の考え方である。
 明子は、将校から人生の含意を投げかけられた。その時ははっきりと理解出来なかったにしろ、高邁難解な哲学を説かれた訳でもない。人生の真実として、ある程度の年齢を経れば、実感レベルで感得できる命題である。明子は省略された人生の中で、「老」夫人として、老いの実感とともに当然感得したことであろう。だからこそ、その意識で老夫人は小説家に語るのである。明子の語りが「花火のような生」の実感を若者に教えることを趣旨として含んでいたとすれば、彼女は、三十二年後に立ち現れた将校の精神の代弁者なのであり、小説家は若い明子の方に擬せられよう。その所期の目的が、小説家の知識の横暴によって打ち壊されたことが、明子にとって「つぶやくばかり」の戸惑いであったと考えることもできるだろう。別の言葉で言えば、<二>の前半部は、短い<一>なのである。
 明子は利発だった。改作後でもそれは変わりない。齢五十近く生きていると、将校の感じていたような人生の虚しさを感じない人間の方が逆に稀ではないか。ただ、それが、西洋流の教養・哲学で理解したニヒリズムとしての理解にまでこの段階でいっていないというだけである。
 だが、そんなところまで感得する日本人は当時も今も稀である。明子は、正確には何を言っているのかわからない将校の会話をしっかり覚えていた。それを思い出話の最後にした。これは重要ではある。それ以降、実際は大事な別れの場面があるはずである、何らかの会話がなされたであろうし、常識的にはこちらのシーンの方がデートの最後の思い出として重要なはずである。それをオミットしてる。明子には、おそらく常套句でなされたお別れの言葉よりも、将校の個性がはっきりでている露台での台詞のほうが、印象的だったのだのだろう。こう考えてくると、この印象的な台詞こそ、明子の中で三十二年間熟成され、反復された思い出の中心であるに違い。(勿論、先程もいったように、客観的には、小説技術としての構成上の問題でもあるが。)
 明子は、今は風俗として完全に消えて忘れ去られてしまった舞踏会を語ることで、物珍しさに対する反応が返ってくることは、予測していたであろう。ただ、小説家たるインテリは、もう一つの重要なメッセージにも反応してくれると思ったはずである。しかし、彼は、気づかない。それどころか、自分にはわからない頓珍漢な名前を言う。彼女に軽い失望があったことは推測にかたくない。三十二年後の大正の今、それにもかかわらず、かつての自分と同じではないかと。なにも変わっていないという感慨。つまり、彼女のラストの呟きは、そうしたニュアンスが入っているように思われる。

 

6、鹿鳴館時代について

 

 鹿鳴館時代は、周知のように、仮面舞踏会の開催などが、直接的には当時のジャーナリズムから非難をあびて、急速に終息する。日本史の上では、欧化政策から日本主義への思想上の大転換がはかられていく時代で、鹿鳴館の思想は、それこそ花火のような短い思想であったということがある。
 また、特に、それが、ニッパー(ウエスト拘束下着)などで体を締め付けることに対する婦女子の健康面での批判という非常に具体的な事柄によって非難されていたという文化史的事実も興味深い。西洋の前近代的服装であるローブデコルテ(社交の礼装)を日本人が身につけたのは、この鹿鳴館時代だけであり、再び洋装が流行る後年には、ココシャネル(一八八三〜一九七一)が女子の近代的服装の改革をなしえており、黄色人種がヨーロッパの古典的服飾を纏った鹿鳴館風俗全体が一瞬の非実用の美を表徴していることも、指摘すると、特に女子には興味深いようである。こうした副次的なものも「花火」の構造を下支えしているように思える。
 
7、改変の意識

 

 「展開例(七時間目)」のところでも触れたが、芸術上の行き詰まりから、芥川は『秋』を書いて自ら転回をはかる。世評は好評で、友人に「『秋』は三十枚なれど近々三百枚で感服させることもあるべし御用心御用心実際僕は一つ難関を透過したよ。これからは悟後の修行だ」(大九・四・十三)と、自信あふれる書簡を送っている。通常、『秋』をもって彼の転機が語られることが多いが、当然、一つの作品だけをもってそれとするのは、幅を狭めた解釈というべきだろう。『舞踏会』が載る彼の第五作品集「夜来の花」を作っていた時期は、芥川がこの転回に自信を持っていた時期であり、この自信を持って、末尾を改変したのであるから、広くいえば、『舞踏会』の執筆と、その「夜来の花」の校正筆入れの時期に大きな流れとして、芥川の意識の変化があったというべきだろう。そうした芸術家の、自己の芸術の進み方として、改変したのだという点を生徒に告げると、特に一年生などは、そうした作者固有の問題として作品を眺めるという視点がまだ養われていないだけに、こうした点に感心したと小論文に記す生徒もいる。
 
8、<一>は誰が語ったか

 

 問題なのは、明子が小説家に話した内容である。「詳しく」話したという内容は、どのようなものだったのか。まず、考えられるのは、<一>が彼女の話した内容そのままであるという考え方である。とすれば、会話や意識の行き違いも含めてすべて客観的に認識していたことになるが、<一>に出てくる管弦楽の比喩表現や第三者的な視点など、当事者である明子自身がおこなえるはずもなく、また、その場合、三人称ではなく、一人称で記述するのが普通である、などの問題が残る。
 また、「「多大な興味」を持って聞いた青年小説家が、それを<一>として整理し、しかる後に自分をも登場させて<二>を付け加えた。そういう体裁になる」(梶木剛「秋の花火の物語ー芥川龍之介「舞踏会」考ー」「芥川龍之介」洋々社)という考え方もある。これは、シニカルな描写が入る必然性に妥当性を与えるが、その確たる証拠はこの小説では与えられていない。この解釈は、青年小説家を作者の分身と見る見方を前提にし、作品内に敷衍させて解釈したものだ。確かに、青年小説家は作者自身の陰が濃いし、知的感動の脆さを匂わすことで、皮肉の刃を自分に向けた芥川らしい韜晦の匂いもあるが、<一>の記述者とするのにはやはり無理があろう。体験したことない者が、鹿鳴館の建物の様子や舞踏会や模様をこれほど細部にわたって詳叙できるはずはないからである(もし、後に調べて書いたとしたらそれは、明子に体験とは似て非なる別の何ものかになってしまうはずである)。
 他に、「青年小説家のわきで、明子の「思い出」話を聞いている」(遠藤祐「「舞踏会」は如何に語られたか」「芥川龍之介」洋々社)人物が語り手という見解もある。これは、青年小説家の横で、この話を客観的に聞いて、老夫人や小説家の様子を見つめたもう一人別の第三者がいるという説である。<一><二>ともに描写でき得るのはそうした存在以外考えられないからという理由である。ただ、描き得るのは作者以外にはないわけで、架空の第三者創出の必然性は何もない。
 先行論文を通覧すると、こうした基礎的認識がまず違っているので、百花繚乱、少々混乱している面が大きいように思われる。常識的に考えれば、そこは、芥川が小説として三人称の<一>を書いただけのものととり、その細部の描写やシニカルな視点は、当然、作者・芥川の視点(あるいは、ロティの視点を代弁したもの)ととって、小説としての客観的描写であると割り切り、その総体を受けて、<二>で、彼女は、小説家に、自分の思いを含めて、自分なりの纏めで「詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思い出を話して聞かせた」ととるより他にあるまい。つまり、「こういうような内容の話を」程度のニュアンスで、このセンテンスを理解すればいいことのように思われる。つまり、<一>の内容は、事実として明子が語った内容とは違うということである。これは、いわば、小説のお約束であり、我々読者は暗黙の了解として理解していることのように思えるのだが、論が細に入り微にいるに至って、踏み外した<深読み>が横行しているように思える。
 この物語の錯綜する視線のによって織りなされている。小埜裕二は「本作には多くの視線が交錯する」と指摘し、「冒頭で鹿鳴館に向かう馬車の窓から東京の町を「いら立たしい眼」で見つめた明子の視線は、舞踏会の露台から放たれる明子の視線と対照されているし、また「二」において鹿鳴館の思い出を語る老夫人の過去に向けられた視線は、本作の物語を語る語り手の視線と対照されている。物語内部に関していうと、支那の大官の視線、伯爵の視線、父親の視線、若い燕尾服の日本人の視線、明子と同年配の少女達の視線、そして明子の視線、海軍将校の視線などが交錯する」との認識を示した上で、「アイロニカルに舞踏会の模様を語る語り手の視線は「ピエル・ロティ」の視線であって、明子を優しく見る海軍将校の視線は「ジュリアン・ヴィオ」の視線であった。「ピエル・ロティ」の視線を「お菊夫人」から読み知り、「ジュリアン・ヴィオ」の視線を老夫人から聞き知った青年が、両者の視線を語りの視線と海軍将校の視線として語っていったものが「一」の物語であった」(web site「近代小説千夜一夜」第三五九夜)としているが、この腑分けは明快できわめて妥当なものと言えるだろう。
 こうした視線や語り手の問題は、多くの生徒にとって考えてもみなかったものだけに、簡単に指摘するに留めているが、興味をひくようである。
 
○成果と問題点

 

1、成果……単に内容の読解で終わらず、種本との比較をするということで、小説家の創作の秘密の一端に触れた思いを持つものも多く、より深い読みができた生徒が多くなる。与えられた主題をまる覚えするだけでなく、改作前後ともに考えることで、その比較から、自分なりに主題を積極的に考えることができ、「自ら考え自ら学ぶ」姿勢が醸成される。小論文も、自分なりの思索の跡を纏める作業として有効で、生徒にとって印象的な作品として心に残るようである。

2、問題点……ここまで詳細に分析することから、定期テストで聞く内容をどうするか困る。結局、小論文をもって内容をどこまで深く理解しているかは判るので、定期テストは語句や漢字など基本的事項中心となることが多い。対策として、この次に、再度、別の小説教材を実施し、これは、定期テストを念頭においた授業をする。また、受験対策を考慮し、最後に、センター型小説問題などを実施することで、受験対策と文学的授業のバランスをとるようにしている。前述のように、クラスの雰囲気によって、細かいところまでどんどん意見の出るクラスと、始めてすぐに「わかりません」が連発して盛り上がらないクラスとがはっきりとある。種本との比較などは、ある意味、生徒が面白がってくれないと、「何でこんな面倒なことをするんだ。もっと受験に直結することをせよ」といった発想に陥ってしまう。クラスの個々人の知的好奇心の総体の差によって、この授業は成功もするし辛いだけの授業にもなるようである。

 

○おわりに

 

  学生時代にこの作品と出会って、先行論文調査など詳細に検討して以来、四半世紀、毎年といっていいほど、この教材を実施してきた。実施後、授業を検討、取捨選択し、その結果、自分なりにある程度の授業の進め方の型ができてきたので、ここに纏めてみたのが本稿である。新見が披瀝されている訳でもないが、生徒の小論文に「最初、先生は『これは芥川の作品の中で一番良いものひとつだと思う」と言った。それを聞いた時、私は信じられなかったが、今は同意することができる」というものがあって、それなりに生徒の印象に残ったのではないかと思う。一見、取っつきにくい教材のように見えるが、稿者は、冒頭に述べたように、高校小説教材として向くと思っている。牽強付会も多いかと思われる。御海容を乞次第である。
        (平成十五年二月稿 平成十六年八月一部加筆)

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