(書評)「目利きのヒミツ」 赤瀬川原平著
(岩波書店 1600円)
真の「目利き」になるために
世は「お宝」ブームである。人気テレビ番組『開運! 何でも鑑定団』を見て、あんなものがあんな値段もするのかと、押入の奥にしまってある不用品を思い出したりする。とっておこうとは思うけど、だからといって、探し出してきて、売り飛ばそうとする元気までは湧かない。多くの人はそんな感じでテレビを観ているのではないだろうか。 いかにも高価そうな書画骨董の類は、そんな値段かなと思うけれど、あの番組を観て初めて、私たちが子供の頃よく遊んだブリキの玩具が、えらく高価になっているのには驚かされた。実際、家の物置に捨ててあった薄汚れたものを見つけた子供に、「これ、すごく高いの?」と聞かれたという話も伝わってくる。 なんだか世紀末的な現象という気もするが、もしかしたら、新しいものこそ一番と思って突き進んできた日本人の価値観を大きく変えた画期的な番組なのかもしれない。 番組では、鑑定人と呼ばれている「目利き」がお茶の間の人気者なって、「いい仕事してますね」なんて流行語が生まれたのも、ご存じ通りである。
ところで、「目が利く」とは、どんなことだろう。 需要と供給の関係によって価格が決まってくる訳だから、今、マニア価格でいくらになっているか、つまり、市場に精通していることが第一条件だ。 それに、なんといっても、お宝が本物かどうか見分けられなければならない。これには制作時期や作者の持つ特徴など、専門家としての深い教養が必要だ。
では、こうした知識さえあれば判断できるのかといえば、それだけではないらしい。 作者は、ユトリロが晩年、自分の絵を手本に作品を描いていたことを例にあげ、本人が描いたからといって、その作品が、本当の意味の<本物>ということにはならないという。 辞書によると、「目利き」とは「もののよしあしや真偽などをよく見分けること、あるいは人。」とある。単に真贋がわかるだけでは駄目なのだ。真の目利きとは、知識に振り回されて判断するのではなく、芸術として一級であるかどうかということを、虚心に「見ることの集積」の結果身についた「直感力」が備わっていることをいう。この時、知識は逆に邪魔になるだけだ。 言い換えれば、これまでの常識的価値観で見ていたものを、別の角度から見てみる、つまり、新しい価値をあぶりだしてくれる存在なのである。作者は、自分が体験した土地選びの顛末、お得意の中古カメラの選び方、イチロー現象やオウム事件など身近な話題を通して、ごく私的に、かつ実感的に語ってくれる。
赤瀬川原平(尾辻克彦)は、ご存じのように、これまで芸術とは呼ばなかった、町の何気ない文物や風景に芸術性を見い出す路上観察学会の会員で「トマソン(超芸術)」の提唱者のひとり。「目利きのヒミツ」を語るには適任だ。
「ビジョン」 書評欄「話題の本気になる本」 (1996.9)
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