(書評)俵万智『かぜのてのひら』(河出書房新社 1000円)
恋を経た女、したたかな芸術家として
俵万智『かぜのてのひら』(河出書房新社 平三・四)は、四年前、歌集としては破格の二百八十万部のベストセラーとなった『サラダ記念日』(河出書房新社)に続く第二歌集である。 あれ以来、俵万智風現代短歌が大流行。その後の風化の中で、彼女がどんな前進を見せているか、興味を持って読んだ。 正直なところ、手垢にまみれた(まみれさせられた)彼女の感性の表現が、われわれに、もはや感動を与えてくれないのではないかという危倶もあった。 しかし、それは杞憂だったようだ。 いつもの語り口の中に新しい彼女が見えてきた。それは、二十四才、初めての大人の恋に揺れる清新な感覚から、二十八才、いくつかの恋を経たひとりの女としての感懐への変化である。例えば、つぎのような歌から、われわれは彼女の人生の歩みを知る。
かつて我が夫に立候補せし人の婚の知らせを聞く十二月 君の子として生まれきしみどりごを花より早く知るこの四月
季節とあわせて語られている、かつての恋人の結婚と子供の誕生。
女なることのむざむざと夕映えのなか芥子のたね握りておりぬ 憎というほどの濃度をもたぬままとろりと胸に何かたまれる
という女としての怨み。あるいは、以下のような、抱かれている自分を冷静に
見つめるもう一人の自分。
地下鉄へ降りゆく階段なかばにて抱かれておりぬ予想通りに 読み終えてしまった推理小説のように男に抱かれておりぬ わたくしにいかなる隙のありてかかく激しき胸に抱かれている
そして、恋の駆け引き。
愛という言葉を三度ほど使い男をだましている雨の中 我が頬の髪を払える余裕見てしまえば寂しいキスと思えり
成熟した女としての自覚、強靭さといえば、批評の言葉として平凡になるかもしれないが、前作では語られ得なかった「女」の感情が表出してくる。 この強さは、職場(高校)を題材にした歌からも窺われる。先生と呼ばれることの初々しさに満ちていた前作に比べ、教師としての自覚が現れている。
特別な愛を求めてくる子あり保健係となりたる我に 許すことのほうがはるかに易しくてパーマかけるな爪をのばす
な
また、「りんどう」の連作など、短歌として一般的な題材を選ぶことで、逆に歌人としてのスタンスを広げようとしている点も注目できる。 「あとがき」ので、彼女は、あのブームの最中、「歌を作ることは、生きている証し。この嵐の中で歌を作れなくなったら、死んだことになる」という気概でふんばっていたと書いている。有名になったために転変した私生活、その「私」の感懐を紡ぎ出し、「公」にせねばならない苦難の循環を、彼女は自覚をもって歩み始めたようだ。 「書くことを生きる真ん中に置きたい」−それはさらりと言っているようではあるが、したたかな、芸術家として生きることへの宣言であるように私には思えた。
(「VISION」一〇九号「話題の本 気になる本C」改変) (1991・7)
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