(北陸の本)平成6年 「防風林」第6輯 「古井由吉初期作品研究」
「防風林」 第六輯 (防風林短歌会)(平成六年三月)
この美川町の短歌会の活動歴は長い。「あとがき」 に、その概略と出版の経緯が記されているが、昭和二十五年頃、子規門下生であった岡本大無に万葉集等を聴講する数名が短歌の添削をお願いしたことに端を発するという。後、昭和三十八年頃より金沢大学藤田福夫氏に指導をあおぎ、五冊の合同歌集を上梓、平成元年からは現在の今村充夫氏の指導のもと、今回、六冊日の出版となったということである。県内には多くの短歌の会があり、毎月短歌の雑誌が発行されているが、この会のような着実な取り組みの中で、長いスパンをおいて発行された本合同歌集を読むと、即席ではない時の重みとでも言うべきものを、本の厚み以上に感じる。事実、ここに載せられた十六人の方の作品は、一人一人の作品数こそ少ないが、長年の間、数多く作った中でよいものだけを精選して載せたということがひしひしと伝わってくる。奥田恵子氏の作品は、冒頭、初春のおみくじを読む娘の姿を詠むところからはじまり、門限を破る娘、嫁いだ娘、そして孫の寝顔を詠んだ歌と、数首のうちにかなりの年月がたっているようだ。行間に、取られなかった歌々の存在を意識せずにはいられなかった。 歌はアララギ調とくくれば余りに大雑把となるが、全体的に非常にオーソドックズである。会では単に歌の創作ばかりではなく、文語文法、古典の勉強等も行なわれているという。伝統的な語法を確実に身につけて語っている、そんな感じである。 集中、大杉幸子氏の作品には自由な思考の飛翔があって魅かれた。
「崑崙のかなたよりわが春野来てたてがみ靡け篆書の馬よ」
書道の馬の字を見ての発想だろうが、崑崙にまでイメージが遡っていく感受性は非凡なものを感じた。前集発刊よりかなり間をおいての出版によって、期日に追われて玉石混淆というような弊がなく、重厚な作品集が出来上がったことを心から喜びたい。
「古井由吉初期作品研究」 金沢大学大学院文学研究科上田研究室 (平成六年四月)
金沢大学の大学院国文学演習に古井由吉の作品を一年間取り上げ、その成果を各人レポートの形で整理しまとめたのが本論文集である。上田正行氏の論考「『妻隠−<新開地>という異和」を含め、十人の論文が収録されている。ゼミでは、十作品が姐上にのせられたそうだが、論考は、こうしたゼミ員同士の討議の成果が充分に反映されたものになっている印象を持った。すなわち、おそらく論者一人だけの視点では見えていなかったであろう部分が掘りおこされ、それが行論に幅をあたえているように感じられた。「ゼミ」の美点であろう。 稿者は、吉井のよい読者ではないので、全体的な研究の成果の評価はできかねるが、二、三、気のついたことを述べたい。各々の論文に上手下手があるのは仕方が無いが、妙に記号化したものは、余程、事前説明がしっかりされていないと真意を掴みにくい。かと思うと、随筆風というか評論家風の書き出しのものもどうかと思う。無論、論者の個性の部分もあるだろうが、内容は充実しているのだから、そのあたり、もう少しストイックに、オーソドックスに徹する厳しさも必要ではなかったかと思うのだ。方法論の基礎を固めるためにも……。また、装丁にももう少し心くばりをお願いしたい。おそらく、各人ワープロで打ったものを原版にしたと思われるが、字のつぶれの目立つものがあった。レイアウトも、せめて、一頁の行数×字数くらいは、打合わせておいてしかるべきではなかろうか。 少々辛口になってしまったが、こうした形で論集を世に問うことができること自体、ゼミの討議の充実ぶりが伺われるのであり、決して充実しているとは言えない北陸の近代文学研究の世界で、ここに名を載せた諸氏が、今後、大いに活躍されんことを祈りたい。 ( 「イミタチオ」 第24号 平成6年12月)
|