(北陸の本)平成10年
「エッセー30人集」(一九九八)小松市生涯学習モデルグループエッセーを創る会
エッセーを創る会の作品集が今年度六集目ということで発刊された。評者は以前にも批評をした覚えがあるが、一人見開き一枚程度の短文の中に、長い人生をすごされた方々ならではの感慨や出来事が綴られていて、心動かされる。今回も、まっ先に読ませていただいた。 例えば、身内の死が語られる。その折の心情は同じ人間、そんなに大きな違いはない。しかし、それをどう文章としてまとめるかによって、読み手への伝わり方は大きく違ってくる。ここに収められた文章は、派手でもなければ、技巧が表に出てくるものでもない。しかし、読んでいて、つっかかることがない自然な流れを感じさせるものばかりだ。だからこそ、その時々の感慨が我々読み手にすんなり入ってくる。書くという行為によって、自分のものにする。ーそんな営為なのだということを改めて感ずる作品集であった。 評者には、特に、廃業を決めた感慨を述べる野口奈美子「決心」、毎週土曜日にやってくる孫のためにおもちゃを抽き出しに入れておく中田保子「魔法の引き出し」が印象に残った。 「あとがき」で作品の集まりの悪さを残念がっておられるが、今後の会の発展を心より祈りたい。
「花いちもんめー方言あそび歌とエッセイ」徳沢愛子 (一五〇〇円)
「笛」同人として、積極的な活動を続けている氏が、近年こだわっている方言詩の集大成とも言える「詩+随筆」というスタイルの作品集である。子供の顔がいっぱいのカラー表紙も楽しいし、手作り感あふれるイラストも心なごむ。小難しい顔をした大人ではなくて、子供たちにこそ、この作品を読んでほしいという願いが充分に伝わってくる編集である。 詩を読み進めていくと、懐かしい数え歌形式のもの、擬態語・擬声語をたっぷり使った詩などが多く、谷川俊太郎の「ことば遊びうた」を想起せずにはいられなかった。 一時、詩壇の話題となった谷川の試みについて、後に書かれた随筆の中で、次のように述べていて、評者は、以前 ひどく納得した覚えがある。明治期翻訳という形で入ってきた「詩」は、音楽性を無視する等、制限された形でしか定着しなかった。詩は芸術家の心情の吐露、思想の開示という面ばかり強調された。それに対して、ことば遊びうたは、リズムを出すための音韻上の制限と、音で聞いて、意味のわからない漢語系の言葉が使えないボキャブラリィの制約があって作りにくいが、その分、できた作品は個人の作品というより日本人の作品とでも言うべき匿名性を持ち、精神的にはかえって楽であったという。自分をさらけ出して骨身をそいでいく苦しみから解放されて、ことばをこねて、皆が口づさめる「歌」を作る。詩人にとって、それは何と楽しい作業だろうと思う。おそらく徳沢さんにとっても事情は同じなのではないだろうか。例えば「ねんころ ねんころ ねんころろ/ねないねんねは猫になる」と始まる「『ね』 の字の子守歌」などを読むと、それを強く感じる。『ね』の字で使えるいいことばはないかしらと、ことばを捜す作業を作者は楽しんだと思う。それも金沢方言を使ってという括りを自ら課すことで、方言を発見する喜びも味わえる。楽しさが伝わってくる詩たちである。唯一、苦言を呈するとすれば、詩とエッセイが順に置かれているのだが、どうも混ざり具合が今一歩という感じがする点である。
「いしかわ詩人 一集」石川詩人会アソロジー実行委員会(二〇〇〇円)
石川詩人会発足一周年と歩を合わせて発行された、一詩人一詩、見開き一枚のスペースで、石川県内で活躍中の七十一人の作品を集めたアンソロジーである。御存知のように、この会は、各々詩誌に拠って活動していることの多い詩人達の世界を広げ、情報発信の母体となるようにと、平成九年、発足した組織である。現在会員は八十四人ということで、その多くが近作を発表したこの作品集は、現在の石川県の詩人の鳥轍図ともなっている。巻末の「参加者一覧」は、ある種、石川県在住詩人の住所録とも言えよう。 作品は、新たに書きおろされたものあり、既に詩誌に発表されたものから作者自身が選んだものありと様々だが、力作揃いである。各々の個性が、こうして並ぶとはっきり見えてくる。そこを楽しむのがよい読み方かもしれない。 この会の意義、この作品集の発刊の意義、共に充分に認めつつ、多くの詩人が、自分の所属する会の維持に努力している中、この組織への負担も加わることになった訳で、そのあたり、運営的にも仲々難しい問題もあるかと思う。第二集については未定と聞くが、無理せず発展していかれることを期待したい。
「詩集まだまだ」千葉龍 詩画工房(一七〇〇円)
今年、長年勤務した新聞社を退職され、「物書き・筆一本の地獄道」(「あとがきに代えて」)に入られた作者の十冊目の詩集、タイトルはまさに、今の心境であろう。作品は、最近作から、古いものでは十七年前のものも収める。詩には各々に年月が書かれているが、それは重要である。作者は多くの詩で「年令」にこだわっていて、それが詩のテーマともなっているからだ。詩の中には 「昨秋わたくし第七詩集「玄」を出しました」といったような個人的な人生の歴史をはっきりと書く。おそらく、作者にとっては、抽象化・普遍化というフィルターをかけることは無用と考えているのだろう。家持の歌日記とは違うのかもしれないが、今、その時の感慨を形象化して封じ込めたい、その営為が彼にとっての作詩だという気がする。骨太で力強い反面、発酵不足と感じられる詩も多々あるが、それはそれでいさぎよい。
「随想集 虹にむかって走っていたら」西口嘉昌 北国新聞社出版局(一二〇〇円)
小松在住の作者が、これまで各誌に発表してきたエッセイを還暦を一区切りにとまとめたもの。作者の文章は、前述のエッセイを創る会の文集や、「小松文芸」等に掲載されており、評者にとっても初めてではない。会話文は方言たっぷり、地の文にも嫌味のない程度に使われていて、県内在住の我々にとって親近感が湧く。文章も手慣れたもので、特に会話を文の中に入れこむのがうまい。評者は「TARONの涙」が気に入った。 (「イミタチオ」第32号 平成10年12月)
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