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書評・北陸の同人誌評

  この頁は、「書評」と「北陸の同人誌評」を掲載しています。
 「書評」は、文学誌「イミタチオ」誌に掲載された「北陸の本」、教育機関のパンフレットの掲載されたもの、ミニコミ誌に掲載されたものと初出はさまざまです。
  「北陸の同人誌評」は、同じく文学誌「イミタチオ」誌に掲載された「北陸の同人誌評」コーナーが初出です。

  (雑編)「イミタチオ」「編集後記」集成

文学誌「イミタチオ」「編集後記」集成

 

17号

 

 ここに「イミタチオ」第十七号をお届けします。我々、金沢文芸研究会は、月に一度の研究会と、現在、年三回発行の本誌の二本柱で活動を続け、十年を迎えようとしています。
 去る四月の本会総会で、より一層の飛躍を求めて、本誌の内答の検討、例会の運営方法の改善等が討議され、それをうけて、五月のとある土曜日、編集会議を開き、再度検討されました。
 その結果、十周年記念誌号として、特集号を組むこと、今後の紙面作りの企画、シンポジウムの開催などが決定されました。残念ながら、本号はすでに編集作業に入っており、各々の意見が反映されたものにはなりませんでしたが、例えば、活字組みをゆったりしたものにする等、若干の変更をいたしました。今後、各号の編集人の方の努力によって充実したものになっていくのではないかと思います。御期待ください。
 今後も、研究誌としての立場を堅持しつつ、間口を広げ、多くの読者の方に読んでいただけるような紙面作りをしていかなければと思っております。別頁にもありますが、多くの方の御感想等いただければ幸いに存じます。
 本号は、編集主幹はじめての者が担当いたしました。何かと不備も多いのではと心配しております。御寛恕ください。(田辺)
(「イミタチオ」平成三年六月二十五日 第十七号)

 

24号

 

○前号は、担当者の頑張りで一七〇頁近い厚さとなった。今回は、小生、特に厳しい取り立てもせず、集まってくる原稿を待っておった。締切後あわてた。結果、前号の反動の如き薄さとなってしまったが、両号足して二で割ると通常の厚さとなるのではないかと慰めている次第。
○本会代表理事、森英一氏が創作を寄せられた。専門である近代文学研究は勿論のこと、新聞の連載などで随筆の才も周知のことだが、今回、小説にまで活動範囲を拡げられた。今号は奇しくも創作が中心となった。些か新味とするところである。
○去る八月二十七日、一泊二日の日程で、尾口村にある金沢女子大学研修センターにおいて、夏期合宿を実施した。荻野アンナの『私の愛毒書』がテキスト。有名な近代文学の名作を俎上にのせ、パロディ精神で批評していく小説といったところだが、作品が作品だけに、大面目にやっている我々を見たら作者に笑い飛ばされるだろうなという感想しきり。
○今年の夏は記録的な暑さが続いた。暑さがひいた九月、しみじみとすごしやすさの有難味を感じた次第。個人的なことを書かせてもらえば、今年の夏ほど病院へお見舞いに行った年はない。病気の種類は様々だか、病院をうろついて感じたのは、夏を越すということが体力のない病人にとって如何に重大事であるかということだ。顧みて我々はどうだろう。知的活動が停滞した夏。その分、秋深まりゆく今、凝縮した充実が求められよう。自戒をこめて。
○誤字脱字、編集ミス等あるかと思われる。御海容を乞うと共に、御感想、御叱正等、お知らせくだされば幸甚である。(田辺)
(「イミタチオ」 第24号 平成六年十二月)

 

28号

 ここに「イミタチオ」第二十八号をお届けする。ご感想などお寄せいただければ幸いである。 
 県下には多くの文芸誌があるが、同人の多くは、仕事を持ちながらの活動である。仕事と家庭人としての生活の間に、どう創作活動を滑りこませ、位置づけるかが問題になってくる。仕事は金儲けと割り切れば問題は少ないのだが、仕事に創造的な側面が大きいほど、やりがいもある訳で、人に言われなくても残業残業ということになる。
 日本人は勤勉だと言われているが、最近、あれはどうも怪しいと思うようになった。周りから仕事ができない奴と思われるのが片腹痛いから、自分から忙しくして、人に評価してもらいたいという魂胆が見え隠れする。それを観て、周りの人間も、いつの間にか、その仕事量に合わせるようになっていく。内心、不満が渦巻くが、職場でそれを言えば後ろ向きな奴ということになるので黙っている。当然、家に帰れば疲労困憊。パソコンのディスプレイの見すぎで、もう結構。ワープロを前にして文章を紡いでいこうという気力は失われていく。心は散文状態のままだ。ストレス解消は、スポーツや音楽鑑賞など。飲み屋で若い女の子と阿呆話するのも楽しいぞ。カラオケも言わずもがな……。これでは文学の入り込む余地などないではないか。こうした状況は、読者の側もまったく同じはず。
 多くの同人誌で、会員の高齢化、若手不足が問題になってきているようだ。我々の研究会も、若手が今や職場の中堅として忙しく、投稿回数が減り、近号は外部のエネルギーに依存している。自らを棚に上げて言うので何の説得力もないけれど、会員の奮起を切望したい。
 いかん。愚痴になっている。
 最後にめでたい話題を。会員の西田谷洋氏と砂田優子さんが結婚された。おめでとうございます。
 それこそ散文的な編集後記となった。深謝。(峻険法師)
(「イミタチオ」第28号 平成8年11月)

 

32号

 

◎今年、編集子の職場は行事の目白押しで、十月中旬まではヨレヨレであった。今号の原稿締切は九月末だから、実質的な作業の時には体もあいているから何とかなるだろうと思ってはいた。何とかはなった。但し、原稿集めが愛情不足であった。少々厚みの足りない号となったが、責任の一端は私にある。反省。会の活性化を目ざし、新しく会員を募集したところ、新しく二名の方が入会された。例会と共に、イミタチオ誌への投稿も切に願う次第。(既会員は勿論のこと。)
◎今年の夏は、梅雨明けもなく、夏らしくない夏であった。秋になると、ここ北陸は、ストンと冷秋となるのだが、だらだらと暑い。紅葉も今年は茶けたくすんだ色のまま枯れていて、折角、一眼レフ片手に白山のふもとまで行ったのにがっかりであった。感動の少ない年。今年の私の総括である。俳句など創作をされる方の苦労をお察しする。(T・T)
(「イミタチオ」第32号 平成10年12月)

 

36号

 

◎若者の読書離れが叫ばれて久しい。高校三年十二月の段階で、「志賀直哉は何派か」という質問をして、三人「わかりません」と言われて、続けて指名するのを断念した。このまま、誰も答えられなかったらどうしようと恐懼したからである。無論、学校の教科書以外で、読んだ志賀作品は皆無。次にくるのは、「何故、読んだこともない作品のタイトルと作者を覚えなければならないのか」という至極尤もな疑問である。センター入試に文学史は出題されない。(追記ー今年初めて文学史が出たが、古典範囲であった。)県教委からも、通史的な文学史は不要、作者紹介の中で触れる程度で充分との指導を受けた。「文学の専門家を作るのではないですから。「現国」は「言語」の授業で「文学」の授業ではありません。」と。
 反面、読書の機会の確保など、教育現場での試みは、かってないほどされている。大人の努力と生徒の意識の虚しい乖離。読解中心の試験が続く限り、広く読書をする中で読解力をつけようなどというのは遠回りの極致。二頁程の限られた範囲の中で、アンダーラインを如何にうまく引くかの練習に明け暮れるのが合格の最短距離である。ただ、それはそれでシステマチックで面白い面がある。機械的に答えが導き出され、現代文も1+1=2的な世界であると勘違いさせるのには有効である。特に理系生徒には威力大。教育がこうした「システマチック読解」に終始している以上、「味わう」授業は、生徒にとって息抜き時間となる。こちらが大事だと思ってする授業で、感想を聞いて、すっと退かれて「わかりません」が連発すると教員はつらい。
 ここで逆提案。国語科教員は、志賀、芥川、谷崎などと呼びまくるのだ。定期テストも文学史ばかり。知識ばかりでなく、文学潮流変化の理由まで細に入り微に入り考察する。作品読んでいないと徹底的に罵倒する。無論、センター入試に文学史は必須。どんな筋かなどとマイナーな作品まで聞く。これで、まず、高校生に一大「近代文学」読書ブームが起こること必定。
 本誌「北陸の同人誌評」を担当し、多くの頑張っておられる様子を知る身にとって、この無関心世代が成長して、地域の文学を支えていってくれる人材が一握りでも出るだろうかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
 なにやら、教育雑誌のような「あとがき」となった。深謝。
◎前号、今号と発行が遅延している。原稿の集まりがよくない。会員の奮起を促したい。勿論、これは自戒の言葉でもある。(峻険法師)
(「イミタチオ」第36号 平成13年3月)

 

40号

 

 商売柄、高校生の読書感想文を毎年大量に読む。大半は所謂「感動もの」である。障害者もの、老人福祉ものなど、内容は違えど、事実を元にしたドキュメンタリーばかり。「感動した」という似たり寄ったりの感想が並ぶ。確かに、それ以上、どう感想を綴れというのだろう。作り話は、ほんの二、三人である。高校生の進路希望も、女子ならば、管理栄養士、福祉医療関係、環境関係とまったくもって実利主義だ。
 その昔、空想科学小説(なんと懐かしいことば)を読み耽って、「よし、ロボットを俺の手で作ろう。」と子供の頃思ったことが、今、ロボット博士になった端緒だったというような話はよく聞く。そんな直截的でなくても、何らかの影響を受けたということは多いだろう。作り話は理想や理念を内包する。現実の報告は、目先の具体的な目標にはなるだろうが、それ以上のものではない。実話ものに感動したから看護士になるといった選択では、人間関係が錯綜する現実に嫌気がさしたら、それでお仕舞いである。
 国際紛争の中で、日本の外交的立場は、国際社会の中で取るに足りないものだ。古い言い方だが、国家百年の計を考えねばならぬ今、作り話の復権を今、声高に叫びたい。
 と、力んでみても、まずは足下。原稿の集まりが悪く、厚みのない号となった。編集子は前号で紀行文を掲載したが、合評会では、「随筆作品が入ると読んでいてほっとするね」という感想があった。軽い読み物でも、やはり、「書くことは、思考すること」。日々に流されず、棹さすためにも、是非。(墓地研究家)
(「イミタチオ」第40号 平成十五年七月十日) 

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