金沢大学文芸部より依頼があり、同部より発行している文芸誌「焔」の論評をした。そのメモを以下に掲載する。(2011.9.5)
「焰」第56号(金沢大学文芸部 2011.3)寸評 珠樹政樹「ミカさんのさみしいこいびとたち」 冒頭の部分はよく考えて練られている魅力的な出だし。文章表現と雰囲気作りがうまい。ただ、後半、大事な核心部の話がそう面白いものでないので、なんだかミカさんの謎めいた雰囲気が少しはがれてしまった感じに映る。それだけが残念。誤字…p6 以外に→意外に(ワープロでよくやるミス)
平片英数記「ホームシックハウス症候群」 私が人間でないことは最初から暗示されていて、どう正体を我々読者に出すかが興味の中心となる。消えた女(孤独死)の神に代わって彼が新しい神社の住人になる、つまりは、彼は神であるという「気づきオチ」に仕立てている。そこは面白かったが、掃除を頼んだ 時のこの女と消え入る時では少々イメージが違うように感じる。集まった人間たちも、近所以外も混じっていてちょっと拡散ぎみに描かれているが、それでよかったか。また、冒頭頁の文末は「〜た」「〜のだ」が多いが、ちょっと耳障り。ペンネームのセンスはイマイチ。ヒラカタエズキと読むのだろうか?
詠月秤「青の意志」 中で長い部類。長期育成型の生体システムが人格を形成しはじめているのに、完全自立型の、生命と繋がっていない生体システムが、うまく機能していないという前半あたりでは、プログラミングにおける人格付与がテーマかと思っていたら、それは、全力でウイルスと戦っていたから人格面まで作動していなかったからにすぎないという話になり、そのあたりで、読者は、現在、協力関係にある宇宙人(天来人)による密かな人類壊滅プログラムなのだろうと予測できる。 それで終わったら類型的SFということになるが、彼らに依頼したのは、実は「青の意志」=地球の意志によると話は転換する。幾度となく「青の意志」が働き、種が途絶え、また繁栄する生命サイクルは地球の意志なのであり、今、地球に住む人類は失敗作として途絶えさせられる。話は、生き残った育成型生体システム「アスカ」に宿るDNAからのクローン化によって、再度の人類再生を提示し、希望を託すところで終わる。 つまり、これは人類に対する地球側からの制裁の話ということになり、環境保護の現代的テーマとニア・リンクして、ある意味、安心な、判りやすいテーマとなる。 他に「知の原点」「知性」は、生命の上位概念で、知あるところ生命が生まれるとするユニークな視点を提出しているところも面白い。話は、過去のSF小説や映画の面白い部分を基底にしているようなところもあり、結構、その種の設定は熟知している作者ではないかと思われる。概念をうまく使うのも、通俗に堕せず効果的。 前半に重要な天来人が、最終盤にいたると、地球人側につく者も出て、多少、分裂気味で、ストーリーの動きとして終結していないのが気にかかる。
辰巳智比呂「(宛名無し)」 「貴君(きくん)」は普通男に使う。女性につかうのは、私のような年齢の読者にはちょっと違和感がある。 谷崎や乱歩、近くは赤江獏あたりの耽美派の作品が好きな作者であろうか。鍵がかかっているであろう土蔵の出入りはどうなっていたのか等の微細な疑問が残るが、それも狂女の妄想の手紙とすれば、齟齬があってもすべて許されてしまう。便利な設定である。この最後の記述は、おそらく谷崎「瘋癲老人日記」の結末などを参考にしたものだろう。谷崎の場合、作品世界に水をかける蛇足であるとも評価されて、評価的には微妙である。 他に、最後、名前が同音という説明は余計。読者はすでに気がついていると思う。もう少し長くゆったり書いて膨らませたらもっと妖しさがましてよかったのではないか。
風合文吾「熱病」 この雑誌の中では少数派の、大学生を主人公にした「死」を見つめる青春小説の類。前半の母の死による帰郷と福島の彼女との長距離恋愛あたりまではよく書けていて、今後の展開が期待できた。途中、「二人の最後の夜は更けていった」とあったので、彼女の死がそこで暗示され、以後、その後の彼女の動きを直接知らせる記述はないまま、最後に、「彼女はもういない」と終わる。ただ、その後半部分、「三 熱病」の章が、叙情的・自己陶酔すぎて少々面白くない。ちょっと尻つぼみ。
小川千春「雪の香り」 高校受験を控えた女の子が、いなくなった姉との会話の中で気持ちを落ち着かせていく一人称小説。作者は、女性として主人公と同じ心情を経験したのだろうか、気持ちが微細に語られる。対父とのやりとりはリアリティがあるが、姉との会話部分は、気持ちを表す言葉が、ワンセンテンス一段落で、繋がりがよく判らないところもあるまま、プツプツと羅列されている箇所も多く、そのあたり、小説というより日記・作文的な匂いがちょっとして、未熟にみえてしまう。
里龍太「共和国への侵入者」 「やばい」は、江戸時代よりある言葉だそうだが、よく使われ出したのは近年。若者言葉である。船が沈む時に、未開人に言わせているが、急にイマドキ若者になったみたいになって違和感あり。「まずい」あたりが適切か。彼が履こうと思いついたサンダルも、サンダルという言い方でよいか。この言葉には、ファッショナブル、女性向けのイメージあり、未開人の履いた履き物の言い方として、年寄りには違和感がある。言葉の吟味に注意。ストーリー自体は面白い。
原村理性「沼と寝袋」 描写は、これ以上長くてもいけないし、短いと説明不足となる。過不足なく好ましい。特に比喩表現が適切でイメージしやすい。死体と思われる寝袋を埋める仕事を請け負っている人間の、妻との幸福な平生生活が額縁にあって、それが効いている。仕事と生活の乖離は現代人が常々漠然と感じている現象でそれが判りやすく寓意されている。長編のイントロ的な感じもする。せっかくだから、これからの展開も考えてみたらどうだろう。
同「私達が旧人類ならば新人類とはきゅうりなのか、そして深刻なヒトデ不足はどういった解決を見るのか」 タイトルが長くて、上余白頁ごとのタイトルが二段にもなって、上の方をずらずらと占める。最初は驚いたが、狙った効果だとしたら面白い。表現に遊びがあり、それで結構読ませる。キュウリのカリカチャアは、もっとあくどくしても面白かったかも。非現実の発想が秀逸。
同「老人と眼鏡」 文章がこなれていて、この作者の作品はどれも読みやすい。美点。人の目玉を刳り取って目玉焼きというのは発想としてそう奇抜なものではないし、すでに作品一頁目に人間の目だと事実上明かされているので、前のキュウリの話より判りやすい。防御がきつく目玉採りに失敗するこの話を通じて、読者としてどんな寓意を読み取ればいいのか。現実社会に当てはめて見ていろいろ言えるように思うが、作者は何を念頭においたのか、聞いてみたいものである。三作とも、奇妙な非現実を扱って、成功している。
巻頭詩・短歌 風合玄衣「孤独」 韻文は省略
(総評) 作品は、非現実的・SF的な枠組みのものが多く、傾向が似ていて雑誌全体として単調に見えた。今の中年以前の年齢の若い実作者は、皆、得意なパターンである。実際、大学生も、多くそんな小説を読んでいることだと思う。 それはそれで面白いが、ライバルは多い。他の小説のパターンも、サークル全員で追究していくことが上達の近道ではないか。例えば、毎回、テーマを決めて、今回は、早稲田派的に、今回は白樺派的に、今日は芥川的にと課題を出して作品をつくり、合評会をしたらどうだろう。いろいろな引き出しを作っておくのは大事なことだ。 総じて、思った以上に、各自、穴がなく平均的レベルが高い。 (2011・8・22)
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