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書評・北陸の同人誌評

  この頁は、「書評」と「北陸の同人誌評」を掲載しています。
 「書評」は、文学誌「イミタチオ」誌に掲載された「北陸の本」、教育機関のパンフレットの掲載されたもの、ミニコミ誌に掲載されたものと初出はさまざまです。
  「北陸の同人誌評」は、同じく文学誌「イミタチオ」誌に掲載された「北陸の同人誌評」コーナーが初出です。

  (北陸の本)2000年「いしかわ詩人 二集」石川詩人会 「エッセー30人集」八集 小松市文芸懇話会

(北陸の本)2000年「いしかわ詩人 第二集」石川詩人会  「エッセー30人集」第八集 発行小松市文芸懇話会

 

「いしかわ詩人 第二集」アンソロジー実行委員会編 石川詩人会(2000円)

 

 石川県の多くの詩人たちが大同団結した中心的組織を希求して、平成九年発足した石川詩人会の、平成10年発行の第一集に続く2年ぶりの第二アンソロジーである。装丁などは前号と同じく、ハードカバー銀の地にタイトルが刻印されているだけのシンプルなもの。今回、参加者一覧の後に「活動記録」が載る。
 参加の詩人たちは、多く県内の詩誌によって活躍されている方ばかり。こうした書評を長年してると、お会いしたことはないものの、伝統ある詩誌で常に作品を拝見し、作風を存じ上げている方も多い。
 読んでいて、抽象的な詩よりも、日常の中で生まれた詩に共感できるものが多かった。無意識に、題名の「いしかわ詩人」にこだわったせいかもしれない。
 大吉ひさし「商店街」は、おそらく小松駅前商店街の廃れを嘆いたもの。郊外大型店進出で中心商店街の地盤沈下は広く市民の憂うるところ。モチーフ自体わかりやすい。酒井一吉の三編は「招き猫」など置物連作。趣向が新鮮。新保美恵子「夢のまた夢」は亡き夫への思いが素直に伝わる。中村伸一郎「かれい」は、食卓で魚を食す父の姿を描写、末尾で、既に父は死んでおり、それは想い出だったことを明かす。小技が効いて詩になった。
 楽しい詩を見つけた。栃折多鶴子「釣り針」。「し」の字は、釣り針のようでもあり、詩であり、死でもある。平仮名で「し」と書くことで、全てを内包できた。上手い。
 ある詩に立ち止まった。地野和弘「秋のダリア」。軍人として中国人を殺戮している父の写真を見つける息子の心情。事実が重い。
 アンソロジーの性質上、統一されたものはないが、その多様性が読んでいて楽しみでもあった。ここに集まった石川を代表する詩人達の近作の集合は、石川詩壇の個性の発露であり、成果でもある。だが、逆に言えば、限界を示すことにもなるわけで、なかなか困難な問題も内包している。数編、レベルが落ちるものがあった。選考の上、作品レベルで、落とすものは落とすという見識が、今後の会の発展のためには必要かと思う。

 

「エッセー30人集」第八集 発行小松市文芸懇話会(2000・3)

 

 小松市生涯学習モデルグループ「エッセーを創る会」が、毎年、発行してるエッセー集も、今年で八集。稿者は、これで三度目の書評担当となる。
 高齢の方が多いのは、語られる話題で推察される。お孫さんの話、お子さんが小さかった頃の話など、どうしても「想い出話」が多いのは、これまで通り。
 ただ、八集目ということで、変化している部分もある。始めの頃は、語るべき人生の重大事、一生に一度のことを、「これだけは自分の人生として書き残して置かねばならない」という想いで書かれた内容が多かったように記憶している。例えば、お子さんの死、つれ合いの死など。
 それが、今回は、現在の生活の一断面を描いたもの、読書感想文、今、新聞で話題になっている事柄についての感想など、より日常的になった。反面、思い詰めたかのような気迫性は希薄になったようである。
 もちろん、それは疵ではない。「書く」をいう営みの永続の当然の流れである。そうした中で、何を書くか。ここに長く参加されている方多くにふりかかった課題があるかと思う。そうした意味で、各人、より個性を発揮しはじめたとも言える。読む立場から言えば、バラエティに富んだと言うべきだろうか。
 玉石混淆もいつものことである。ここでは、表現の上手い下手はあまり関係がない。うまくまとめている文章より、若干、表現は拙いが、その素材が、作者にとって真実かという、自己との密着度こそ文章の命なのだということを改めて実感するのだ。無理に書くべき対象を捻り出した文章は、脆い。
 「あとがき」の中で、この会の会長が、推敲不足をたしなめている。確かに、それを感じるものもある。しかし、引用されている宮沢賢治の「未完成の連続が完成につながる」という言葉が、推敲のことばかりでないのは、如上、明らかである。 
                   ( 「イミタチオ」第36号 平成13年3月)

    [1] 
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(永井龍男宛安岡章太郎自筆サイン入り本 運営者所有)

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