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書評・北陸の同人誌評
この頁は、「書評」と「北陸の同人誌評」を掲載しています。 「書評」は、文学誌「イミタチオ」誌に掲載された「北陸の本」、教育機関のパンフレットの掲載されたもの、ミニコミ誌に掲載されたものと初出はさまざまです。 「北陸の同人誌評」は、同じく文学誌「イミタチオ」誌に掲載された「北陸の同人誌評」コーナーが初出です。
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(北陸の同人誌評)短歌評 平成9年 |
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(北陸の同人誌評)短歌評 平成9年
久しぶりに「短歌」の担当がまわってきた。 御存知のように、短歌誌は一頁に五十首近くの歌が並ぶ。一首一首が一つの小宇宙を造っており、正直、すぐに理解できるものもあり、立ち止まらねばならぬものもある。あるものは幾つかの状況を想定し、その、どの解釈が妥当かを考えてからでないと次へ進めない。この繰り返しである。莫大なエネルギーに対するには、こちらもかなりのパワーがいる。 今回は、「新雪」6O7〜611号、「柊」820〜825号、「凍原」2O9〜215号、「石川県歌人」l9号を読んだ。余りに冊数が多く、いきおい総論的にならざるを得ない。事前に了承願いたい。 「新雪」は、歌の他に、随筆、論文も配され、歌誌としてのバランスが実にいい。特に歌評が充実していて、単に載せっぱなしではない切磋琢磨ぶりが伺われる。 津川洋三氏は、6O9号「あっとらいと」中で、「恥ずかしいとかプライドとかで出席されぬ方は文法の誤り誤字がいつも多い。(中略)この人、自己流だなとすぐにわかる」と述べ、歌会出席をうながしているが、実際、着想は素晴らしいが表現が今一歩の歌を並べる方の作をよむと、その感を強くする。 三十一文字という字数は、一見すると最少の言葉のブロックのように思えるが、実作の方が全員感じておられるように、上句・下句両方とも一定のテンションを持続させるのは至難の技だ。 例えば、「嫁逝きし女はしみじみ長生きの不幸を言えり顔色冴えず」(辻本慶乃)は末句「顔色冴えず」が如何にも弱い。「花」と題した作中の一首なのだから、ここに何か花の描写を配することで、上が生きるはずである。「亡き母の古き羽織をときゆけばありし日偲ぶ地味な縮緬」(木崎椅子)も同様。「地味な縮緬」は、事実としてはそうなのだろうが、説明的すぎる。 結局、稿者は、昔から言われる「一字一句をゆるがせにしない」という至極当然な結論を述べているに過ぎない訳だが、例えば、「子の夫逝きて七年犬そだち金魚はふとり庭木のびしが」(山口淑子)などを読むと最後の「が」が気になって仕方がない。成長を示す事実を三つぽんぽんと羅列する小気味よさの中に作者の感懐が隠される佳作だと思うが故に、ここは断定して終えたいと感ずるのだ。 作歌の上で、「日常」は切り離せない。多くの歌人が日常生活の中での感懐を中心に素直に詠んでいる。それは大事なことだし、佳作も多い。ただ、何千首と読んでいくと、特に、その中で、これが秀歌だと選別できにくくなるのも事実。同じ生活の行動を詠んだ歌、AよりBの方がいいのはわかるが、それをここに取り立てて論ずるに足るかというと躊躇してしまう。またこの話かという歌が多く続くと、評価はどんどん辛くなる。 逆に、何とかその境地から脱して、新鮮な話題、新鮮な表現に腐心している方の作を見ると、今度は、時に意味不明、時に珍奇で底が浅い。多くの方がこの二つの袋小路で迷っておいでなのではないかと推察する。 正直な話、辛い思いで読んでいたところ、「春浅き珠洲の海辺の朝鳴りを聞きつつ訃報の道を急げり」 (加納嘉津政)の歌に行きあたった。何のてらいのないざっくりとした詠みぶりが逆に新鮮であった。ある意味では、茂吉調というかアララギ調というか、古典的な作風にすぎないとも言える訳だが、逆に、作者の先人研究の教養があればこその詠いぶりとも言える訳で、稿者はしばし、講評せねばという意識から解放されて、近代の名歌のいくつかを想い出して楽しんだ。 伊藤左千夫の有名な歌に「天地の四方の寄合を垣にせる九十九里の浜に玉拾ひ居り」というのがある。実に大柄で雄大な、左千夫の真骨頂が出た歌だ。三十一文字の中で、これだけの自然を封じ込め得る。学生時代、稿者が感動して今でも大好きな歌である。 ところで、現在、同人誌に歌を発表している地元の同好の方々の中で、日常の細かな生活意識から解き放たれた、この種の詠いぶりができる人はどれだけいるだろうか。単純にそれを豪壮雄渾の作と言って片附けてはいけないと思う。創作者たるもの、日常の細やかな気持ちの揺れを見つめる視点とは別の把握のしかたを持って、心の中で育てていくことー複眼的視点の創出と言ってもいいーが必要なのではないだろうか。それが歌境の進展に結びつくと思う。 そのためには、まわり道のようではあるが、一層の古典研究・秀歌研究が必要だと感じた次第である。 結局は、また、きわめて常識的な結論となった。 (「イミタチオ」第30号 平成9年12月)
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(永井龍男宛安岡章太郎自筆サイン入り本 運営者所有)
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