ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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今は大晦日の朝です。恒例で実家で大掃除、年越しと続くのですが、今年は腰痛のため既に戦力外通告されていて、かけ声係といったところ。でも、弟の新妻さんが人手として加わって、賑やかな年の暮れと正月になるのではないでしょうか。配偶者も、最近、婦人科系の体調が思わしくなく、来年、2005年が、家族全員、健康で、よい年でありますよう、こころから願わずにはいられません。さあ、実家に行ってきます。よいお年を。
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一昨日は、今年のジムの納めの日でした。歩いて数十歩のこのジムに今年の後半から本当にお世話になりました。前にも書きましたが、この会社は、12月に隣町に大規模な新店舗を展開し、旧店舗の会員は、別途、回数券を買うことで、新しいジムにもいけるというシステムになっています。大晦日まで、そちらの方はやっているということで、夫婦で、回数券を買い、オープンしたばかりのジムに、昨日、初めて行ってきました。オープンしたてで、不備なところが少しありましたが、いずれ整備されていくでしょう。プールウォーキング、ジャグジー、風呂で二時間半。地元のアクアリゾート「ルネス金沢」のようなスライダーやボートこそないものの、それと似たような雰囲気を感じました。ジム=リゾートなんですね。ところで、眼鏡をかけてジャグジーに入っていて、若い係員に注意されました。でも、はじめての場所。何が何処にあるのか、ド近眼は眼鏡なしではさっぱりわかりません。規則との兼ね合いですが、うまく解決する方法はないものでしょうか。
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昨日は、研修ということで、旧県庁舎内にある「ジョグカフェ」なる役所に行って来ました。ひどいネーミングですが、ここは、若者の仕事斡旋支援所とでもいうべきもので、「ハローワーク(職安)」がその中に入っています。若者に、何故、仕事に就かなければいけないかを教えるところからが仕事のようで、「若者の就労意識の低下」と、「不況による求人不足」という両面性の中で立ち上がったあだ花の役所という印象です。「若者のプライドを崩すところからが出発」「今の仕事が自分に向かないのではといって来訪する若者に、現在の仕事を辞めた場合の現実を知らせる」といった発言から、その仕事の内容が知れます。職員の多さに吃驚。我々が聞いた講話に、何人もの職員が同席し聴講していて、この人達の日常業務は大丈夫なのだろうかと、ちょっと「お役所」仕事がほの見えたりしました。
それにしても、若者就業支援にこれだけの税金を使っているわけで、若者側の心理のほうの問題はともかく、不況脱出が解決の特効薬であることは言うまでもありません。はやく、この役所の存在意義がなくなり、「ハローワーク」で充分という世の中になってほしいなあと思いました。(役所の方には失礼な言い方ですね。多謝。)
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この小松氏の文章を読みながら、思い出していたのが、弟の結婚式です。戦前は自宅で祝言をあげるタイプ、戦後、つい一昔前までは、ホテルや会館でパックの式が主流だったのですが、今は、プライベートな空間を演出できる、あまり大きくない西洋式チャペル風結婚式場があちこちにオープンし、弟もそんなところで式をしました。もちろん、本当の教会ではなく、教会に内部を似せただけです。数人の聖歌隊もつくのですが、勿論、キリスト教の信者ではなく、従業員です。神父さえ、本当の神父か、かなり怪しい。つまり、すべては嘘っぱちの世界です。形だけで、神のいないところで愛を誓っているように思えて、いったい誰に誓っているのだろうと思いました。ブーケを投げる行事など、すべては外国風に進行するのですが、それこそ「聖性の希薄」さを感じたのでした。今はどうなのかは知りませんが、本当の教会では、原則、信者だけ。もし、信者以外のものが式をするときは、キリスト教の勉強に何日か通い、その上で式をしてくれたように聞いてきます。出席者にも、式前に宗教教育のようなお話があり、みんなその気になって、参列したものです。弟のは、本当に雇われ神父といった感じで、適当に聖書を引用しながら、結婚に必要な、必要最小限のことを述べただけでした。このことは、私の配偶者や父親は感じていたようですが、若い二人はまったく感じてないようでした。こじんまりした会場で、何組もお客をとらない(一日一組をうたい文句にしている業者もある)というのも重要なポイントなのでしょう。「二人でディナー」と同じ発想です。洋風結婚式のイベント商品を購入し、それにのってハレを構築したーそんな印象でした。現代日本の神なき時代のハレを実感した出来事でした。 結婚式の風潮に対する批評はともかく、やはり、結婚はおめでたいことです。25日は、その弟の配偶者を交え、実家で3組の夫婦6人の、クリスマス名義の、夕食会兼ケーキ食べ会をしました。メンバーが増えるのは場を明るくします。母親は久しぶりに沢山の米を炊いたので水加減が……と言っていました。7月の結婚に向けて、昨年から実家では色々大騒ぎでしたが、目出度いことが家に起こるというのは家全体を明るくしました。そんな当たり前のことを実感した今年でした。
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クリスマスイブ。日中は出勤。夕方家に帰ってきました。今宵は、ホテルでディナーのカップルも多いでしょう。以前は、12月というと、色々な組織、集まりの忘年会があり、なんだかんだと大勢で集まっていました。行きたくて行くものあり、お義理でいくものあり。職場の一泊忘年会も、5時15分バス職場スタート、慌てて旅館へ、風呂も入れず宴会へ、翌日、仕事の人多数、大騒ぎで朝去っていく、では、盛り上がらないこと必定。単に、夜の宴会だけでいいではないかという声も、若い者から聞かれはじめています。この流れでは、そう遠くない時期にそうなるでしょう。睡眠時間を除いた正味旅館滞在時間が5、6時間では、3万円だす意味があまりないと考えるのは当然です。 クリスマスも、宴会型から家族型になってきたと言われてもうだいぶ経ちます。最近、民俗学でいうハレとケのうち、ハレが変質してきているという指摘の文章(小松和彦「神なき時代の民俗学」)を読んで、なるほどと思いました。「選択し購入する商品としてのハレ」「消費するハレ」の性格が強くなって、ハレの内実が「日常世界からほんの束の間であれ離脱し、別のリアリティの世界に遊」ぶという意味だけになっているというのです。東京ディズニーランドにいくのはそうした意味で、典型的現代版ハレですし、二人でクリスマスディナーも、えらくこじんまりしていますが、この延長です。そして、ハレを行うことは、現代ではえらく散財することを覚悟しなければならない行事になってしまっているようです。近所つきあいや町会行事などが霧消した都市住民は「画一化した日常」を送っており、だからこそ、反面、「神なき時代でもハレを、「祭り」を求めている」。しかし、現代人が手にすることのできるハレは、「聖性が希薄で不安定な、きわめて個人的性格の強い、しかも選択的なハレ(儀礼)である」と。こうしたハレがどこまで「心の奥底にあるケガレを祓い落とし、精神を昂揚させ満足させているだろうか」。この文章の作者はこう結んでいます。(つづく)
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生徒は22日で終わり。でも、教員は27日まで出勤。このことを世の中の人はよく分かっていない。配偶者も、病院で、「次の検査は、お宅の体の空いている冬休みに」と言われて、「違います。生徒は休みでも我々は常時出勤です」と反論したらしい。昔なら、もうちょっと「終わった」感があったんだけど……。 二学期制になって、終業式もなく、何のシメもないまま、生徒は休みに入る。山ほどの宿題が出されているようで、生徒は、夏休みの宿題より多いのではないかとこぼしている。5日制になって、授業が大幅に減って、昔出来ていた単元がいくつか出来なくなった(教えていないのだから、実力が落ちるのは当たり前か)。その分、宿題ということなっているわけだが、監督者のいない休業中の宿題は個人差が大きい。答えべら写しも生徒も増え、それに「見ましたハンコ」を押しているこっちは、もっと虚しい心境になる。とはいえ、授業があさってからなくなる。以前は、小旅行などを入れていたが、腰を痛めて、どこにもいけなくなった。まあ、ゆっくり、職場の机の上の書類の整理を、コーヒーカップ片手にしていこうかと計画中。
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通販ノートパソコン(HP社のNX9030)が昨日到着しました。実は、三ヶ月前に買った仕事場用パソコンと同じ機種、ただし、CPUが若干アップ(ペンm1,5から1,6へ)しています。これは自宅ベッドサイド用。職場のノートは、この6月ごろ、ハードディスクが2カ所損傷し、動作不安定に。それで、新しいのを買ったのでした。今回は、無くもがなだったのですが、(家には据え置き型がすでにある)夫婦で使う場合、1台だと、かぶる場合があり、あったらよいというレベルで注文したのでした。安かったのと、通販マニアになっているということも関係があるかも……(^^;)。これで今すぐにこれをしなければというものがある訳ではないのですが……。 ところが、セットアップ作業の時はなんともなかったのですが、二回目に立ち上げると、画面がかすり模様に。液晶の不良のようです。週明けに、サービスセンターに電話して、返品することになりそうです。トホホホホ。
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近所のスポーツクラブに通い出して、3月半たつ。20年以上前にできた市内最古参の施設だが、途中、一度改装しているので、そんなに古めかしいことはない。今年12月、野々市町に大きなフロアで、もう一店舗新築オープンしたので、少し人がすいたようにも感ずる。敷地は、今のレベルでは、もう狭小だが、それなりに繁盛しているようだ。ジムは全国展開しているところは、よく言えば、クールな対応で、こっちから質問すると答えてくれるといったスタンスだが、地元企業のは、「愛想らしい」のだそうだ。確かにトレーニング機械なんてどこも一緒。あとはソフト面の違いである。なんだか優秀な人材が野々市店に行ってしまったのではないかという噂もないでもないが、(また、人はそんな噂が大好きである。指導員がいないロッカールームや風呂場の話し声が情報源)確かに、よくお声がけしてくれていて、それはそれで大事なことであるように思う。寒くなってのプール通いは覚悟がいる。たかだか50m先に行くだけだが、ぐずぐずしている間に行きそびれることもしばしば。自戒。
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先週金曜日は職場の忘年会だった。欠席。座椅子に長時間座ることが出来ないから。腰を痛めたのが、去年の忘年会の次の日だったので、ちょうどこれで1年になる。職場の忘年会を欠席したのは初めてだった。当夜は漫然と家にいた。毎夕、家にいることが多くなったので、買い物はインターネット利用が多くなった。CDはHMVやアマゾン、ふるさと郵便、パソコンも通販パソコンを注文、などなど。当然、宅配便業者が、夜、荷物を運んでくる。他にお歳暮シーズンということで、それ関係もくる。先日、知人にお蕎麦とかを送ったので、このお返しがやってきたりする。こちらは、腰のことを心配してくれたりした友人に感謝の意を込めて、好きで勝手に送っているのだが、時期が時期だけに、どーんと豪華なお返しがくると、なんだか手間をかけさせただけになっているのではと思い、気がひける。しなければよかったかもと思ってしまう。なかなかそのあたりの案配が難しい。でも、気がひける反面、何が送られてきたのだろうと開けるときの楽しみは少しある。今は、今週送られてくる予定の、自宅使い用のノートパソコン(ヒューレット・パッカート・ダイレクト)がくるのが人生の楽しみ。パソコンが来たからと言って特に幸福になるほど期待している訳ではないのだけれど、パソコンはちょっと魔法の箱みたいなところがあり、結構それで慰められているところもあって、不思議な電化製品である。通販パソコンは相場みたいに、時期時期で、お得感が違ったりするので、良いときに頼んだか、間が悪かったかなんてことが往々にしてあって、そこを楽しんでいたという面もなきにしもあらず。
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(つづき)その昔、「期待される人間像」というのを文部省が出して物議をかもしたことがある。では、今の期待される人間像、いわば、文科省がどんな人間像を雛型として描いているか。
まず、ITと叫んでいたので、パソコンが使える人間、英語がしゃべれる人間、自分を主張することができる人間、プレゼンテーション能力のある人間などである。
これらを総合して浮かぶ人間は、海外でも活躍できる企業人で、人前で颯爽とパワーポイントなどを使い、自分の企画を上司居並ぶ会議室でプレゼンしているビジネスマンあたりある。少々薄暗い会議室で、大画面にたたずむ姿が目に浮かぶ。なんだか、CMにでも出てきそうなシーンである。
でも、これらの能力って、全日本人に必要なものなのだろうか。大企業のごく一部の人の世界のような気がする。その一部の人の能力を高めるために、全日本人がそれにあわせる必要などないような気がするのだが。日本語がしっかりしている。聞く耳を持ち、読解力がある。常識や教養がある。といった基礎的な部分がしっかりした良識ある日本人育成こそ重要なことぐらいわかりそうなものなのに。
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今日は開戦記念日。
新聞によると、OECDの全世界の学力調査で、日本が一挙に学力低下した事実が公表された。03年高一生の調査ということで、今の高校二年生である。YAHOOの記事には、3つの項目があった。1,数学が1位から6位に落ちた。2,学校を当てにしない生徒が増加した。3,先生の質の低下。1は事実だから除くと、つまりは、悪いのは、学校と先生という結論である。なんでも学校側の責任にして事足れりとするステレオタイプの論評。
他の新聞などを総合して、問題だと思った分析は、
1,学力が二極分化しているということ。学力のない生徒の一群がはっきりと出てきたということである。日本社会がいずれ階層社会になるということであるし、政府が推し進めてきた「ゆとり教育」の負の成果である。
2,勉強は出来るが、興味はない生徒の増加。暗記だけで何とかして、本質的に好きで勉強している訳ではない上位の生徒ばかりになっているということで、学問の本質が伝承されない、つまりは、学問の衰退が懸念される。詩を教えていて、結局、この子達にとって、詩なんてどうでもいいや、でも、授業だからノートを取っているだけという雰囲気を感じないでもない。
3,読解力の低下。数学の低下も、このせいではないかという分析。何を聞かれているか分からないでは解きようもない。
近年、文章を読ませると、内容を何も考えずに、字だけを読んですましている生徒が時々いる。ある生徒は、「橋にもたれて泣いて居り」を「橋にも、たれて泣いていり」と読んでいる。意味を考えながらという作業が頭の中で出来ていないのだ。誰が悪いのか。ゆとりゆとりと叫んだ関係者がまず責められるべきだろう。特に、新カリは問題だ。新カリ一年目の生徒達への調査である。カリキュラムに従って動いているのが我々なのだから、現場目標を見誤った上層部の責任は重い。(次回に続く)
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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