ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
朝17cmの雪。車の雪下ろしをして通勤、職員朝礼があり、即1限授業。2限空きで、ようやく、一段落、授業の下調べや問題を解いたりするマイペースに戻る。生命力が落ちてきているので、たったこれだけの慌ただしさでも、えらく疲労困憊する。気分的に鬱。科会議、職員会議があり、今日は私にとっては忙しい部類。大車輪で動かなければならないセクションだと、間に合わない感じである。昨日は野々市の方のジムでアクアプログラムをこなしたのだが、無理をしたのか、いつもより腰の調子がよくない。それも鬱気分を倍加。久しぶりに痛み止めを飲む。10時半ごろ少し効いて楽になる。 先日の大病院行きでのこと。立腹したというほどではないが、どうもあんまりいい気分でなかったという出来事があった。 朝、紹介状を持って、大病院の受付に。最近は、大きな病院への患者の集中を避けるため、大病院は町医者の紹介状が必要になってきている。今回も、「かかりつけ医をつくろう」というパンフが渡された。ない場合は、料金が余計に取られる仕組みだ。 私の診察自体はすぐに終わった。医者の説明のほとんどは薬の注意点の話だった。大事だと思い、しっかり聞いた。中央に戻り、会計を終え、薬を待っていると、薬局窓口から名前が呼ばれる。ここの病院は処方箋を出すだけだという。薬剤師から投薬の注意点の説明をまた聞く。薬は町の調剤薬局に行って買ってくれという。最近は、医院の横に、その医院専属のように別建物で小さな薬局がある場合が多く、近所のそんなところでもいいのかと聞くと、処方を見て、「珍しい薬ではないのであるだろう」との返事。結局、何点か疑問点を聞いていると、この病院の前に3軒の専属のような薬局があるからそこにいけばよいという話になる。なんだ、そういうことか。道路を渡って、そこにいく。 多くの人が小さな店の中で待っていた。名前が呼ばれる。白衣を着た人が、「結膜炎ですか」という。薬からの判断らしいが、なんでここまできて、一からまた病気の問診をされなければならないのか、それに、結膜炎程度なら、時間のかかる大病院にいちいちこないでしょう。その上、人がすぐ横に何人もいるところで自分の病気を説明するのは正直イヤである。結局、「ええ」とか「まあ」とか適当に返事をして、またまた、薬の説明を受けて、ようやく薬にありついた。同じ話3回目である。診察終わってからの時間の方がよほど長かった。 薬の説明は薬剤師の役目なのだろうし、その際、病名を聞いておいた方が適切な指示ができるということなのだろう、要するに、製剤薬局として、薬剤師のカウンセリングを行っているということで、そこの正当な営業行為ではあるのだが、病院で薬をくれる従来のやりかたに比べると、えらく手間である。 それにしても、医院の横にその医院専用のような小さな薬局があって、一応、売薬も形ばかりにおいてあるが、その診療科に特化している薬局といった形態が進行しているが、業界はこれを望ましき発展だとおもっているのだろうか。素人目には、医薬分離の正常進化とは到底思えない。 配偶者は、同様に、薬をだされるとき、婦人科系の質問を受けたという。女性の心理として、話したくないと思うのは当然である。いっては悪いが、昔、パチンコ屋さんの近くに、こっそり窓口をもうけていた景品交換所のようなイメージを持ってしまうのは私だけだろうか。
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配偶者が「読むだけで身につく日本語ドリル485」(角川文庫)という文庫本を図書館から借りてきてくれた。病院の待合室でパラパラとめくって頭の体操。 例えば、「袖すり合うもタショウの縁」のタショウはどう書くか、というような問題が載っている。一応、国語の先生なので、「そうそう、よくこれ生徒が間違うよね」というものがおおいのだが、「しまった、間違った。うーん、人には言えないな」というのもある。では、問題。以下のどれが正しいか。 「人にあじわってもらうこと」@味わせる A味あわせる B味わわせる 答えはB。言いにくいのでAで言ってしまうが、楽な発音にあわせた誤用という。 早速、木曜・金曜、1年のクラスで、日本語クイズだといって、この本の中から小テスト。範囲もなく、急なので、出来た人には点をやる、悲惨でも減点はしないという約束で実施した。で、結構、楽しめた。 最近、テレビにやたらとテロップが流れ、それが違っていることが多くて、腹立たしいことが多かった。生放送の言い間違いは仕方がないが、仮にも後からはめ込む文章である。局のチェック機能はどうなっているのだろうか。ひどいときは、一日に1回くらい目につく。 そこで、こんな日本語クイズは、国語科として、かなり有効かもしれないとちらっと思ったりした。ただ、ちゃんと実施するときには、テキストはどうするのかとか、範囲をどうするとか色々あって、楽しさがかなり減ずる。この種の問題を出すと、その子の日本語力がよくわかる。ペーパーではあまり表に出てこない、でも、大人になって、あ、この人は……と、人物評価にダイレクトにつながる部分でもあるような気もする。ちなみに、あるクラスの点。10点満点中最高点7点、最低点2点。平均は2〜4点くらい。
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いつものように、昨夜、新聞屋さんが集金に来た。 「インテリが作ってヤクザが売る」ーこれは、大学時代に聞いた「ことわざ」(?)である。 確かに、東京時代、性悪な販売員さんが横行していた。戸を開けると、足を挟んで閉めさせないようにする。A新聞とれという。内容が嫌いだからと断ったら、では、B新聞ならいいだろとくる。どうやら複数の販売所と契約して、契約報奨金で飯を食っているブローカーのような存在なのだろう。 今とっている新聞の販売店さんは、もう、私が実家から独立してとって以来、20年近くのおつきあいになる。新聞社の行事のチケットなども調達してくれるし、しまいにはお願いしなくても、気を利かして券をくれたりする。本当に良心的な販売所である。 地元には、販売店にノルマの圧力をかけ、裁判沙汰にまでなった別の有力新聞があって、地元のシェアのほとんどを占める。傘下の学校の教員にまで新聞販売を割り当てたり、また、傘下の文化センターの講師に、主宰コンサートのチケットを押しつけ、その金額が月額の講師料より高いなど、この新聞社のことについて色々な人から話を聞くが、よいことをいう人は私の周りには稀である。肝心の記事を読んでも、ひも付きのにおいがしたり、いくら地域密着が使命といっても、麻雀の大会の順位まで載せるその志の低さ。ひどいものだ。コラムの内容に偏向を感じることがある。その点、こちらの新聞はそういう違和感があまりない。シェアが小さいのも、向こうのしゃにむな獲得競争に負けてしまった結果ではないかと想像する。 よく、新聞とれと販売員がくると、最近は、私は、「○○球団の熱烈なファンですから」という嘘っぱちをいうことにしている。これで、ほとんどの人は引き下がってくれます。
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受験シーズンまっただ中。センターが終わったので、ウエイトは長文読解説明問題になってくる。生徒が、大学の過去問をもって質問にやってくる。「現国」はすぐに答えられない。大抵、翌日まで待ってもらう。それがいくつかたまる。無理矢理文章を読まねばならないことが憂鬱である。たった一つの設問がわからなくても、こちらは、問題全文読まねばならない。時間と労力がかかる。それだけかけて、授業として何時間分の予習になるならば納得もするが、たった一人の生徒の、ほんの5分程度の解説のために使われるのだから、なかなか辛い。ただ、土・日を、ぼんやり過ごした者としては、そのときだけは、頭が回転しているのがはっきりわかる。引きこもりぎみの私にとって、こうして、仕事で頭を使うから、呆けをなんとか防いでくれているのだろうなとも思う。 問題文を読むと、色々なことが頭を駆けめぐる。この意見は、誰々の論文と類似しているとか、これは、歴史上のあのことを踏まえて書いてあるなとか。生徒に比べれば、少しは同種の文章を多くは読んでいるので、そんな頭の抽出にいれてあった論理がひきだされ、自分なりの考えがわいてくることも多い。生徒のもってくる問題によって、自分から求めて読まないような文章まで、強制的に読まされる、辛いけれど、そのジャンルのバラエティーさ加減は、ある意味、他の職業にはないことかもしれない。 金大の過去問で、江藤淳の「妻と私」が出ていたのを、生徒がまた今年も持ってきた。2000年入試なので、もう何回も生徒が聞きに来た問題である。妻が癌で余命幾ばくもなくなり、病院に江藤が付き添っている話。健康なときには、テスト問題の文章としてだけ読んでいて、何にも思わなかったが、今回は違った。名うての評論家ではあるが、宗教人間でもない彼が、死について素朴に思ったことを淡々と書いてある。そこにあるのは、インテリ特有の哲学的な思考などではなく、一般人が感じる死の想念と同じレベルの、現代人の死生観だ。実感的によくわかる。妻の死の近いということは、つまりは自己の死が近いということと同じだと気づくところが出題ではとられていて、そんな風に、自己に還っていくところが、文学者らしい文章といえばいえるかもしれない。その後の彼の自殺などを思うと、彼の自殺の行動がインテリとしての矜持というより、もっと一般人と同じレベルで行われたもののように思え、彼の思想と絡めて論じることなど無意味なのではないだろうかもと思える。彼の言説は仕事、妻との時間と死、それに自殺はプライベートなこと。「妻と私」の短い断片を読んだだけの感想だが、そうした実感レベルの書き方がしてあって、これは、彼の「仕事」の領域ではない文章だと感じた次第。 ああ、一度、全文、しっかり読めばいいなと思ったことが昨日の感想の一番。 何冊ももってこられる苦痛は耐え難いが、さすが、生徒に読ませて問題にしようとするだけあって、いい文章を出題しているなと感心する場合も多く、読んでみたいなと思わす文章を見つける快感もまたあるので、何とかこの商売やっているところもあるに違いない。 ただ、正直に告白すれば、だからといって、単行本を買い直し、、全文通読にいたることはあまりない。川田順造の無文字社会論などは、教科書にも出、問題集にも出、入試の文章の中にも引用され、彼の立場は、なんだかよく判っているのだけれど、1冊も読んでないという体たらく。断片的には色々な方面の知識は自然に備わっているのだけれど、深くわかっている訳でもない、そのあたりが、高校教員風情では関の山なのである。
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五木寛之「百寺巡礼第一巻(奈良)」(講談社)を読んだ勢いで、この土・日、巡礼旅をし始めたばかりの時期の、彼のエッセイ集「みみずくの夜メール」(朝日新聞社)を読んだ。朝日新聞(毎週月曜)に連載した、列車などの中で書き飛ばしたと思われる雑文集である。巡礼のこぼれ話的なもの、音楽の話、靴の話、歯垢の話など。彼は、この時、こう思っていたということが、本当にメールのように気軽に発信されている。小説家が、こんなに雑な文章をなぐり書いていいのかと思ったけれど、つまりは、大ベテランではあるが、彼のようなタイプの小説家には、老成した文章などというものを求められていないからなのだろうということが判る。話題は、お年柄、老いや宗教の話も出てくるが、でも、読後の印象は、若いときから書いているスピード感あふれる彼のエッセイと、そうは変わらない。「風に吹かれて」「深夜草紙」など名エッセイを私は若い頃愛読した。彼のエッセイをまとめて読んだのは本当に何十年ぶりだが、達観した老成ぶりでなく、若々しさ、別の言葉で言えば軽さを感じた。もっと、重厚な文章を書いた方が、彼くらいのベテランなら有り難がる人もでてくるだろうに……。でも、彼は、ハードボイルドタッチの小説を書き、ベストセラーを過去に連発した作家。作家というより、ライターといった方が似合う、そんな人種の老い方は、こういう形なのだろう。他の週刊誌に連載中の見開きエッセイを、ラーメン屋でラーメン啜りながら、つい最近読んだことを、今、思い出したが、そういえば、これよりはもう少し、書き殴り感はなかったように思う。金沢の泉鏡花賞の選考委員裏話だったので、面白く読んだのだった。やはり、今回の本には特別にそういう感じを出したのだろう。 読んだ最初は、文章の「味わい」とかがなにもないなと否定的な感想だったが、この書き飛ばす感覚というのは、うんうん言いながら文章を書いている私にとって、もしかしたらかなり羨ましいことなのかもしれないと思い直した。 こういうのでもいいんだ。 でも、それはそれで、難しいことなのかもしれない……。
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このまえ、若者に「なぜ、仕事をしなければならないか」から教えなければならない「ジョグカフェ」なる若者就職支援の県の役所は、因果な商売だと書いた。少々、対岸の火事気分で書いていたのであったが、今日、生徒が持ってきた小論文課題の文章(「教えることの復権」苅谷剛彦)には、「なぜわれわれは子供たちに教えるのか」という問いに十分な答えを用意してきたのか、と問題提起されていた。こっちにも火が回っていた感じである。 大人の理屈には、教育は「社会の使命」として、という大義名分がある。学力が落ちれば、日本社会が沈む、日本丸の乗客として、知識と文化は伝承されなければならない。日本ばかりではない、大げさに言えば、「人類の未来のために」である。 しかし、個人のレベルでは、そうした使命など何の関係もない。個のレベルで学ぶ理由を納得をしてもらわなければならない。そこで、色々理屈を考えるが、結局は、自分のあためになるからという御利益主義の理屈でしかない。そこに、すべては子供のためにという悪しき大義名分がついて回る。大人は正当な理屈を付けられなくて、頑として動じず「当たり前だろ、何言っているんだ」と一蹴できない。自信をなくし、迷走している結果として、子供が勉強を信じられなくなっているという、本末転倒状態を招いてるのが現代なのかもしれない。そういう子供の不信感を見て、大人はなおさらどぎまぎする。その悪循環である。 「子供が何故勉強するのか」と発する問いは、「「何故教えるのか」という自分たち自身に向けるべき問い」を、「子供の側への問いへとスライドさせ、その視点こそが今の教育の要請にかなっているとみてしまう」ところがあると作者はいう。一種のへつらいである。作者のこの分析に私も賛同したい。 なぜ、そうなったか。<ビジョンの消失>ということが大きいと思う。「個のため」にという大儀の結果、現代は統一されたビジョンがファシズムのように毛嫌いされてきた。戦後教育はまさにその道を突き進んできたともいえる。 しかし、「個」至上主義に<連帯>はない、現代起こっている問題は、すべて地球的規模の人類の生をかけた問題である。全世界で統一した見解で統一的に対処していかなければ、どうしようもなくなっている。そして、それは、我々の基本的生活の対処の仕方の総体としてある。ゴミの分別からして、それが世界につながっていることは、今や誰でも気づくことである。ビジョンの創出が急務な今、「なぜ」という入り口で止まっていては、何も動かないことは明白である。 なぜ私は勉強しなければならないかという、個のレベルの疑問は、だから、はやく、個の疑問であることをやめなければならないということの謂いである。個であるかぎり解決しないということを体得しなければならない。 なぜ教えるのかという疑問も、そこから簡単に答えをみちびきだすことができるはずである。
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この土日は家でじっとしていた。ここ1年、ジムにいく以外はほどんどそうである。今流行の言葉で言うと、「引き籠もり」。 横になっている方が楽だ、ヨチヨチ歩きをあまり人に露出させたくない……諸々の理由で、在宅。 今日、芳賀徹の蕪村を論じた文章(「詩歌の森へ」中公新書より)を読んだ。蕪村は「冬ごもりの名人」だという。芭蕉にとっての「冬ごもり」は、旅のための休息にすぎないが、蕪村にとっては夢想を紡ぐ本来の場だという。「冬ごもり壁をこころの山に依る」「桃源の路地の細さよ冬ごもり」の句にみられるように「内面の自由、想像力の自由」を保証してくれる場所だというのである。心の山に寄り添う、何と詩的な表現だろう。桃源郷は、表通りでなく路地の裏という感覚。蕪村の凄さを改めて実感した。 そして、ひいては、家族を忘れ、「居眠りて我に隠れん冬ごもり」と、最終的に「忘我」に至る境地としての「こもり」なのだという。つまり、こもることに積極的な意味を彼は見いだしている訳で、これを読んで、「引き籠もり」を起こしている私は、これまであまりに消極的に認識していたのではないかと思った。 積極的引き籠もり、引き籠もりの愉悦、色々言い方はあるかもしれないが、楽しむ感覚を持たなければ……。
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最近は、お店の場所を確認する時、インターネットで検索をかけます。商店街のHPで店の外観を写真で紹介してあるところも多く、地図サイトとも連動していて、便利です。 学生時代、五年以上、東京目黒区権之助坂商店街下、日の出女学園横の小さな老朽化したアパートに住んでいました。大家さんは大工さんで、その敷地の裏にアパートがあったのです。青春の時期にいたので、思い出が山のようにあります。外食といえば、目黒区権之助坂商店街の店々。商店街は栄枯盛衰、よく行ったあのお店は今でもあるだろうか。町並みも変わっただろうなと、ふと思い立って、権之助坂商店街で検索をかけ、商店街のサイトを見てみました。ここも一軒一軒の店構えが写真で紹介されていて、ああ、この店は覚えているとか、改装して店の雰囲気自体は違っているが、同じ店名なので、繁盛しているのだなとかが判りました。四半世紀たっているので、おそらく代替わりしているお店も多そうです。 では、大学の近くも。九段近くの商店街でも、よく昼飯に利用した食事屋さんが改装もされず生き残っていて、これも、なんとも懐かしい。 こうして、サイトサーフィンをしていくと、頭の中で、どことなく現在のその町の「町並み」が再現できそうな気がしてきました。しかし、それはバーチャルな世界で、現実の商店街とは、またすこし違っているかもしれません。私だけが想像した「今」の町並み。昔の記憶にある過去の町並みでも、今の現実の町並みでもない、インターネット上で想像した、新旧混合され、一部は想像で補完され仮想された、「○○商店街」。 そう思うと、一瞬、変な感覚がよぎりました。 そんな商店街を思い描いても実用的には何の意味がありませんが、でも、もし、再訪する折、単に、へえ、ここがこう変わったのだという感覚だけで眺めるのとは違った別の感慨があるような気もします。どうでしょう。 小説家も、まったく新規に小説の舞台を想像して設定するというより、こうした現実のパーツパーツを組み合わせて、でも、全体として仮想の町並みを組み立て、小説の舞台にしていることが多いのではないしょうか。私たちも、ちらと想像くらいはしますが、実用上の意味のなさに、すぐに捨て去る、いわば空想ですが、小説家にとっては、大事な創造的イメージであるはずです。
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3年生は、受験業者から情報が届いたので、それを元に、昨日今日と担任と面談です。自分の最終志望大学が、一人十分程度で、決まっていくので、人生の一大事です。今年は、全国的にセンター試験では文系が苦戦しているとのこと。でも、これは相対的なものですが、我が勤務校ではどうなのでしょう。 さて、我が家のご近所さんで、中学校教員から、先年、小学校教員に異動になった方がおられます。時々、同業ということでお話をします。先日も玄関先で立ち話をしたのですが、彼女は、最近の小学校教育について、二点、強く挙げていました。どっぷり浸かっていなかった分、客観的な立場での発言です。 まず、こちら側の問題としては、最近の授業が見た目の派手さだけを追求したものになっているということ。じっくり取り組ませることが確実の少なくなっているそうで、何よりも問題なのは、このことを小学校の教員自身、大きな問題として捉えていないというのです。閉じた業界、その中のトレンドを追っかけているだけで、最終的に、子供がどうなっていくかの展望が見えていないということなのでしょう。その傾向が現れはじめた頃に小学生だった今の高校生に、予習の習慣や自学自習が身についていないのも、ある意味、当然です。この分では、今後、もっと振幅がつよくなった生徒がどんどん高校に入ってくると覚悟しておいた方がよさそうです。 二つめ。中学時代に、この児童はここが問題だと思うところは、もう小学校の時からはっきりその傾向が現れていることがよくわかったということでした。中学校でどんなに努力しても、根っこは小学校時代にはっきりあるということ。これも実感としてよく判る気がします。でも、小学校の先生は、問題だと思うような部分を個性的とかなんとか言って逆に褒める傾向があるのだそうです。これでは、本人に問題意識がつくはずがありません。高校でどんなに直そうとしてももはや不可能の近い。(もちろん褒めている人の論理も傾聴すべきものがあるのかもしれません……) 小・中との情報連携がほどんどないので、おそらくこういうことになっているだろうなということは、受け渡された生徒を観ていると薄々わかりますが、こうした生の声は、「やっぱり」ということで、我々にとっては貴重な情報です。 先日、地元小学校の校長がラジオに出てきて話をしていました。最近は、書き初め大会をなくしている学校が多いとのこと。理由として、一生懸命やっているのに優劣をつけるのはよくない、書道塾に通っている子がうまい訳で、それを褒めるのはいかがなものか。という理由だそうです。何という悪しき平等主義。今や成績は絶対評価、優の乱発です。運動会の競技も個人競技では着順を告知しないそうです。その理屈でいくと、学習塾で頑張っている子が成績優秀なのは当たり前だから、勉強出来た子を褒めるのはやめにしましょうということになりそうです。 それに、もう一つの理由として、時間数の削減によって、大会をしている暇がないということもと言っていました。では、宿題にすればとの質問には、宿題にすると、どう見ても親の手がはいっているとしか思えないものがたくさん並び、それで金賞などを決めるのはなおさら問題が多いとのこと。なるほど。小学校も苦慮しているようです。 こうも言っていました。もし、書き初め大会をしたければ、PTAの方で学校に、是非してほしい旨、要望してほしいと。つまりは、親御さんが希望しているのだからという大義名分が出来て実施できるというのです。学校の自主性はどこにいったのでしょう。ラジオ番組ゆえ、司会者は、頑固にはつっこまず、話はさらっと終わってしまいましたが、本当に小学校は親御さんに振り回されている様子が感じられます。書き初め大会、準備も大変そうだし、親御さんのニーズも感じられない、先生も忙しくなっていて、勉強の効率を考えると、真っ先に切られてしまう行事なのでしょう。 でも、「四季の人間の営み」を無視する教育の流れは、殺伐とした自己中心人間しか生まないような気がしてなりません。 この先生、定期的にお話をなされるようで、小学校はこう考えているというような教育委員会のスポークスマンのような立場を感じるほど、そつないのですが、それでも、部外者の我々が聞くと、へえ、小学校はそう考えているんだと驚きの連続です。親御さんはこの話をどう受け取っているのでしょう、そんなものと思っているのか、私と同じように疑問が残る人が多いのか、とても気になりました。
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巨大掲示板2chの話題を昨日アップ(実際に書いたのは10日近くも前)したら、今度のセンター入試で、テスト前に、「遠藤周作」が出るよという書き込みがあって、警察が動く事態になっている。小生、入試に遠藤周作が出たという話もこの日記にしたところなので、2つの話題がくっついて、なんだか吃驚である。公務員の重大な守秘義務違反かもしれず、単なる当てずっぽうかもしれない。もちろん、作者がわかったとしても、国語の場合、ほとんど意味はないことは前述の通り。どの分野がでるのかということとは抜本的に違うのだから……。とはいえ、もし、答えも漏洩しているということが発覚したら大変なことだ。匿名書き込みの、いかにも2ch掲示板で起こりそうな事件である。英語の方でも「ケビン」君が登場することを暗示する書き込みがあったという。単なる予測文章、戯言だ、漏洩はなかったと、当局としては、無視するの一番のような気がするが、そうはいかなかったのだろう。センター事務局の調査と警察が動くことになった以上、ここ一年のうちに事態を暴かないと、来年の今頃、この掲示板は、世間が注目するだろうから、調子に乗った犯人や、愉快犯も含めて、えらくとっ散らかったことになり、センター入試の威信自体も傷つくことになるような予感がする。
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巨大掲示版2chは、その匿名性のため、健全性に欠ける部分があることは事実です。北朝鮮問題のスレッドは、相手国への罵詈雑言がひどく、日本人の抑圧された保守的心理エネルギーが、鬱勃と噴出して、見るに耐えない状況なのだそうです。だから、インターネットの問題点を指摘するときによく持ち出されるくらいです。 しかし、書き込みの中には、なかなか楽しいものもあって、多くの人が「荒らし」と呼ばれる現象や、不愉快な暴言を無視する形で、楽しんでいる部分も多いのです。私もいくつかのスレッドを「お気に入り」に入れて楽しんでいます。 この掲示板、言語的には符丁のような、掲示板特有の言い方があって、最初、慣れるまで、何が書いてあるのか判らないことが多かったです。ただ、長く読んでいくと、だんだん、その言葉の意味が分かってくる。例えば、「厨房」というのは、チュウボウということから、中学生程度の坊やの符丁で、初心者・素人の意味です。この前、ある番組に出ていた留学生が、自分の研究対象はこうしたネット掲示板のようなインターネット内言語の研究だと発言していて、そうか、最早、研究対象なんだと、ちょっと吃驚したおぼえがあります。2ch用語辞典なる用語解説サイトまである始末。関係者だけが判る隠語の使用が、仲間意識形成の第一歩なのは、何もここだけのことではありません。また、時々入る、文字や記号を使った絵も力作で、見ていて楽しい。私は、これまで、購入の参考に、パソコンやデジタルカメラといった電気製品のスレッドしか行かないので、機械の操作方法や欠点を知るとかいった実利的な使い方しかしていなかったのですが、先日、ある2ch掲示板スレッドが話題になって、本にまでなったことを知りました。タイトルは「電車男」(新潮社)。 独身男性が独身を楽しむという些か自虐的なスレッドの住人の一人で、女性と付き合ったことのない奥手の男性が、電車で酔っぱらいに絡まれた女性を助けたことから、その女性付き合うことになる。スレッドの住人たちが、みんなで服装やデートの仕方などを助言して、彼の恋愛を応援していく話です。男はそういう行きがかりから「電車男」と呼ばれ、彼女はお礼にブランドのカップを贈ったことから「エルメス」嬢と呼ばれます。過去ログがアップされており、私は、そちらで、先日、読みました。今や、この本のほうは五十万部をこえるベストセラーだそうで、「純愛もの」に分類されているようです。先日の週刊文春には、「電車男、エルメス嬢と結婚宣言?」という記事まででる始末。漫画化され、朗読劇も企画されていそうで、今や小さな社会現象です。 電車男には彼女の気持ちが全然読めない。そこに集う男達も恋愛のベテランでなし、はっきりしたことは言えない。皆で、今後、どう対応したらいいか一緒になって考える。普通、個人の心理の中で、幾つか場合を想定し、くよくよと考えていくことを、何人ものもてない男達という別個性が色々想定してくれる。そこが大きく違うだけで、結局、住人全体で1人の、持てたい、でも、もてない男の悩みと考えるとすると、読者の立場としては、個人で悩む純愛ものと実は大差ないとも実はいえるのです。ですが、物語としてみて、スレッド全体で応援していくという、その枠組み自体が、やはり、今風で新鮮です。 電車男の今日のデートの首尾の報告を、みんな、首を長くしながら待っている。仕事ほっぽらかしでパソコンに向かって、みんな心配している。そのあたりには、そこに立ち会っているという臨場感があります。相談している電車男自身も、今打ち込んだ内容をオンタイムに一体何人見てくれているのか判らないし、統一された一人が相談にのっているわけでもないことも重々承知している。でも、どことなく、意見が一致していくあたりも面白い。途中から、電車男はどんどんアクティブになり、彼に俺らがしてやれることはなくなったと、端から心配顔に見守っていく路線にはいっていくのも、人間関係の変化と思えば、登場人物の心理の変化を描くのが趣旨の「小説」の本道ともいえるのです。住人たちの、何とか成就させてあげたいと思う善意は、電車男を自分に重ねて頑張れ気分が盛り上がっている訳で、そこも微笑ましい。しまいには、人の彼女なのに、ついにエルメス嬢に恋しはじめる輩も出てくる始末。そんな臨場感は確かに、一人のライターによる単純路線の恋愛話とは違った、バラエティー感といったような楽しさがあります。 途中から、電車男がエルメス嬢に恋している以上に、エルメス嬢が電車男に恋していることがわかってくる。最後の二人の濃厚なキスシーンでは、彼女は「いとしい」という言い方をして彼女から積極的に求めています。「いとしい」って良い言葉だなと住民の一人は書き込みますが、読者の私も、なんて古風だけど思いのこもった言葉なんだろうと思いました。女性から「いとしい」なんて言い方された男性は幸せものです。最後は、「キター」(この場合は、おめでとう、ヤッターの意)の連発。確かに、今風の純愛ものを読んだ読後感が残りました。 ただ、インターネットでは、その後、この話はフィクションだとする説、後日談として、電車男は彼女に、2CHの過去ログを見せたとか、いや、後日談自体別人の創作だとか、侃々諤々。出版以後、一部の人だけが知っている暖かい逸話だったものが、公になり、裏切られたような気になっている人もいるようです。 私としては、二人の「その後」はあまり興味がありません。(彼女がこの事実を知ったら確かに戸惑うだあろうな、もしかしたら、そのことで冷めるかも、とは思いますが……)物語はここで終わりなのですから。後の「事実」の詮索は「俗」の世界、詮索です。そこからは、現実であって、もう「物語」ではないのです。 なんだか、私は、この話を読んで、昔の筒井康隆の作品「俺に関する噂」の世界が、今、現実に起こっているように思えました。筒井の作品は、ある日、自分の行動が毎日新聞の一面記事になっていて、彼女に振られるとか、どうしたって誰も知らないはずの個人の事実が、世間の誰でも知っている事実になって広まっている。主人公はどこにそんな眼があるのだろうとびくびくし始め……というSFです。 2chの巨大にあるスレッドの一つで報告されていた小さな小さな「個人の恋愛」が、その世界の中だけで完結するのではなく、公にされ、ついには世の中の多くの人の知るところとなる。形の違った現代版「俺に関する噂」ではないかと思ったのです。公になった後の「電車男」の気分はどんなものなのでしょう(もちろん、自分から情報を掲示板に書いている訳ですから、抜本的な部分では違うのですが)。 私がもうひとつ興味を惹かれるのが、書籍のほうの意義です 符丁語はそのまま、絵もそのまま印刷されている。おそらく、初めての2ch語の活字化です。特殊な表現手段や、2ch特有のノリと表現が、隠語レベルの世界をはみだし、日常化しはじめた端緒となるかもしれません。そうした意味で、ことば的に興味深いものがあり、言語研究対象というのも、あながち変ともいえないような気がしてきました。もちろん、そのもっと前の端緒は、顔文字やケータイ語です。2ch語にも、ルーツはケータイと思われる表現が沢山ある。いわばケータイ語の増幅バージョンとも言えます。また、ケータイルーツの顔文字などは、今や「一太郎」にも載っており、市民権を得ています。もしかしたら、「エルメスタソからメールキタ━━━━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━━━━!!!! 」「今すぐ電話すんの?えdrftgyふじこlp@」 (後は言葉にならない混乱した心境の意)「もちつけ」(落ち着けの意)なんていうのが、まず、大人のパソコンメールあたりから浸食しはじめて、どんどん日常語に侵入してくるのも時間の問題のような気がします。実際、私宛に来たメールの文章を読んでいて、この人は2チャンネラーだと判る表現の人がいました。浸食はすでに始まっているかも?「(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」。 最後に、もう一つのキーワード「もてない男」について。新書にその名もズバリ「持てない男」というタイトルの研究書(?)があります。(私はタイトルを見られるのが恥ずかしいので、カバーをかけて本棚にしまってある)。今度は、そっちのほうの分析をしてみるのも面白いかもしれません。でも、自己嫌悪に陥るだけかも……。
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この土・日で、センター入試が終わりました。今年は3年は現代文担当。センター入試前最後の授業で遠藤周作の小説の問題をしました。作者紹介の解説つきで。今年の小説が遠藤さんだったので、こちらとしては「してやったり」という感じです。彼のテーマも解説しましたし、何と言っても同じ作者で、舞台がヨーロッパという点はまったく同じ。タッチ、文章の息づかいは一緒なので、生徒は戸惑わなかったのではないかと思います。評論のほうは最後は文化論をしましたが、これは映像論だったので、こちらの読みとは違っていましたが、同じような映像論は以前にやっています。あとは、実力がだしきれたかという問題。 他の教科と違って何処が出るというのは、勉強の範囲のことではないので、あまり意味をなさないのですが、それでも、ごまんといる小説家のなかで、やった小説家の作品がでたというだけで大当たりの世界です。設問のほうは、えらく簡単で、現代文、特に小説はやらなくてもなんとかなるという風潮を助長するのではと少し心配。
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阪神淡路大震災から今日で十年目。あの朝、金沢でもかなり揺れたので、目が覚めました。すぐにラジオをつける。すると名古屋も揺れたとのこと、全国に切り替わると、東京も少し揺れたとアナウンサーの声、その時、配偶者は、布団の中から大地震だと叫んだのでした。文系の私はその意味がよくわかりません。どうしてわかるのだと聞くと、北陸も揺れる関東も揺れるということは、大変な広域である。東海かどこかで、大揺れになっているはずだというのです。ご存じのように、大被害のため、最初、神戸の情報が入らず、神戸が大変なことになっているということは、後になってわかってきたのです。さすが理系。震災十年の特集番組がNHKを中心にいくつか流されましたが、本当に多くの人の人生を変えました。建物は復興しましたが、ソフトである人間に「復旧」ということはないのです。特に、今、被害者の老齢化が大きな問題になっているようでした。 日曜日の「噂の東京マガジン」(TBS系)では、今度は多摩ニュータウンの高齢化を取り上げていました。1971年できた、当時、計画都市として有名になった新しい団地も、30年以上たち、住人の高齢化が目立つそうです。学校は児童不足でどんどん閉鎖、その建物の利用法や、今後の老人福祉による町財政の逼迫化など、いびつな年齢分布の弊害が一挙に吹き出しているようなのです。人工的に同世代を一度に住まわせた、当時思いもよらなかったツケが回ってきているのです。団地というのは、若い者の仮の住処。いずれ一軒家を建て出て行く、その後にまた別若い者がきて……という循環の構図は、建物が古くなっては、うまく回りません。団地で年を取り、団地で要介護になり、団地で死んでいく。そんな時代の到来です。ある老人は、「俺たちは別のところにふるさとがあるけど、子供たちにとってはここがふるさとなんだから」という発言をしていましたが、なるほどと思いました。出て行った若者にとって、帰るべき場所として団地があるのですから。老人にとっては死に場所、子供たちにとってはふるさと。古くなったら建物を取り壊し、町を閉じるーそんな単純なことはできなくなっているのです。団地の問題ももっと開設時に、長期的展望がなかったのかという気します。 今、私はマンションに住んでいますが、マンションという制度が日本に本格的に導入されてまだそんなにたっていません。ぼつぼつ老朽化に伴う住民同士や設置会社とのトラブルが都会ではでてきて、番組でも取り上げられ、一般の人の意識も多少高まってきたーそんな段階です。ここのところ、金沢はマンションラッシュ。何十年もたつと、ここでも一気に問題が噴出してくるでしょう。住人は老人ばかり、立て替えが話題になっても、経済力がないし、余命から考えて、立て替えてほしくない。立て替えによって追い出される人もでてくる。これも結局同じ問題です。幕引きのはっきりしたシステムなんて、そうそういいアイデアが浮かぶ訳でもない。でも、一度、起こったり動いてしまっている。そんな先送りの構図が見えてきます。 私自身、体が傷んで、先行きに不安があります。地震で思いもよらなかった老後を迎えざるを得ない方々の無念さ、この10年の思いを考えると、その重さに心沈みます。
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コンドロイチン、グルコサミン、クロレラ、カルシウム、鉄、ブルーベリー、ビタミン剤。これ、今飲んでいるサプリメント。これに、胆石を溶かすための、これは本当にお薬である錠剤を一緒に食後に。 食前と就寝時には養命酒。あと、親戚にもらったコラーゲン粉末をみそ汁に。腰の痛みにいいというもの、骨にいいというもの、体質改善、食生活補助など、ひとつひとつには一応飲んでいる意味があるのだけれど、お互い悪干渉しないのだろうかとちょっと心配。サプリメントに頼るのは逆によくないという話も聞いたことがある。 若いときに肝臓をやられた知人に、私の現状を話すと、俺も同じようなもんだと言っていた。食卓に瓶が乱立しない? と聞くと、やっぱり、そうなっているとの返事。私の場合、食卓を台所との間のカウンターに密着させているので、カウンター下の物入れに籠をおいて、そこに瓶をいれて見た目の乱雑さを防いでいる。おそらく、まともに並べたのを見たら、サプリメントって薬瓶に入っているから、薬漬け人間に見えてびっくりするだろう……。 で、それぞれがちょっとずつなくなり、エンドレスに買い足していかねばならない。売り出しをチェックし、なくなり具合を計算し、間が空かないように補充する。これはこれで「継続は力なり」状態である。1ヶ月で1本無くなる養命酒など、薬剤師の父親から言わせれば、「体に悪いもんでもなし、飲まないよりはいい程度、まあ、温まるのは体にいいから」とのこと。十年飲んで若干の体質改善くらいはあるというスパンが必要なのだろう。この努力、目に見えて報われてほしいのだけれど、そんなうまい話はないか。病人は、朝起きたらさっぱり病気直っているなんて、儚い夢を抱いて就寝するんです。
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2004年は、体を悪くして、私にとって最悪の年でしたが、後になって、あの年はどんな年だったかと思い出しても、すぐ思い出す年でもあったような気がします。世の中、災いばかりでした。年の漢字も「災」。福井豪雨、記録的な台風上陸10回、新潟南部地震。年末の最後の最後にインドネシア沖の津波被害。2週間近くたった今も、マスコミは、再三、津波の映像を流しています。当初少なかった映像ですが、時間がたつにつれて、悲惨度の強いものが何十種類もマスコミにのりはじめました。本当に多くの人が身近にビデオカメラがあり、とっさに回す態勢をとっているということがわかります。映像の時代ですね。津波警報システムが完備され先進国だとされている日本国民も、実際に押し流される映像をこうも繰り返し見たのは初めてです。15万人死亡、内半数子供という観測も…。TUNAMIという言葉が国際語だということは知っていましたが、外国の放送で確かにそう言っているのを聞いて、改めて納得したという変な確認ができたりもしました。 今朝は今朝で、自宅で寝ていると、マンション斜め下に見える大通りから、「ガン」という音。車同士がぶつかっていました。人身事故ではなかったようですが、人間は本当にいつ何時、不幸が襲いかかるかわからないものだと思います。 今日からセンター試験。雪ではなく、ここ金沢は3年連続天候に恵まれています。太平洋側の方が悪天のようです。最近は、その日の夕刻には予備校サイトで問題や解答もアップされるのですが、国語の問題だけでPDFファイル何十頁にもなって俯瞰性がえらく悪い。月曜日に、新聞に載った問題を朝の食卓で解きながら職場へ向かう、いつもの行動になりそうです。
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もちろん、素晴らしい生活のことではなく、毎日、スーパーマーケットに行くというだけの意味。(そういえば、昔、香港に行った時、スーパーマーケットが「超級市場」と漢字になっていて、そのまんまなのに驚きました。よくビルの名前にある「○○センター」も、向こうの表記は「○○中心」。あまりの直訳。笑ってしまったのが、地図です。町の至る所に「中心」がある……。どこが本当の「中心」なのやら?) それはともかく、私は、一番近くのスーパーで買い物をヨチヨチとしている訳で、でも、毎日行くもんだから、そうそう買うものがない。本当は、その日に使う野菜、生鮮食品数点だけで充分なのだけれど、せっかくきたのだからと、買ってもダブらないようなものをこまごまと見つけ出そうとキョロキョロする。買い物自体が大事なのではなく、あまりに家と職場の往復以外どこもいけないから、せめて、軽運動であるスーパーをさまよい歩くという行動になっているように自分でも感じる。 でも、もう少し別の意味もあるのかもしれない。いるものを買うという以外に、買い物には、新しいものを見つける、珍しいものに驚きたい、という心理があって、その心理で、主婦などは毎日通うというころがあるのではないか。なにかいつもと違っているところがないか。「間違い捜し」ゲームの感覚。その心理に応える店の品がまえの変化というのは、主婦のお店選びの大きな要因であるにちがいない。クリスマスディスプレーになり、正月飾りが売り出され……。そうした変化に、我々都会人は季節や人の営みを感じる。「スーパーで知る、生きている実感」。腰を悪くして、健やかに生きることの有難味と大変さを実感している私が、やたらといくようになったスーパー通いの理屈を、こうつけてみたのだが、違うかな? 自分の行動ながら本当のところはよくわからない。死んでゾンビとなった以後も、生きていた記憶がかすかに残っていて、訳もなくスーパーに集まってくる恐怖映画の一シーンがあったけれど、それに近い、なにか潜在的な意識が、やはり、あるのかも……。 最近は、職場の近くの大型ドラッグストアの食品コーナーが、スーパー的な品揃いになってきて、ドラッグストアなのかスーパーなのかわからにような状態になっている。ドラッグなら毎日行かないけど、スーパーなら毎日行って不思議ではない。ついでに客単価が高い医療品にも金を落としてもらえば……。つまりはお店のある種の囲い込み戦術。すぐ隣にもう一軒、ドラッグストアがあるけど、そちらには行かず、食品が沢山あるほうの店にいくことが多いのは、しっかり私が戦略にはまっているからかもしれない。でも、先日も、仕事帰りによって買ったのは、原価割れ目玉商品の食品だけ。
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昨夜、HP社のノートパソコンがようやく届きました。初期不良の手元にあるパソコンを運送会社に渡し、交換の形での受け渡しです。なるほど、これが返品の最も確実な方法かもしれません。これで、4年前に買った98マシン(NECラビ)は完全にお役ご免となりました。注文が12月1日、実際に来たのが12月17日、結局、返品騒ぎで、再度、手元に来るまでに1ヶ月半かかったことになります。(噂では、明日、HP社のノートの新製品がでるそうで、この待ち時間は、商売上、問題です)ライバルの通販パソ会社エプソンダイレクトは、最近、注文後3日中のお届け保証を打ち出しました。自分の思うようなスペックにBTOできるのが、通販パソコンのメリット、同スペックでカスタマイズすると全く同じ値段になるあたり、本当に、激烈な競争という感じがします。 昨年から、「ベストPC+デジタル」というデジタル製品買い物ガイド的な月刊誌を購読しています。元々、機械ものは嫌いじゃない性格で、そうどんどん買うものでもないのだけれど、今はこれがベストバイという知識は常にキープしています。私は「文学中年」っぽく思われていて、あんまり、そういう方面詳しくなさそうなのですが、実は、意外に、今風の言い方で言うと「秋葉系オタク」(?)なのです。ただ、LANの設定とか実際の中身の話はさっぱり。あくまでも「物欲」レベルです。 「パソコン・デジカメ、どれがいいのか、私に聞いて下さい」(^_-)
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「若葉して御目の雫拭はばや」ー唐招提寺で松尾芭蕉が詠んだ句です。 芭蕉は、有名な鑑真和上の木像と対座している。天平人と江戸元禄の人が、時空を超えて、同時代人として会話しているという詩人の意識がこの句の眼目です。痛めた目の泪の雫を、そっと若葉で拭ってあげたい。そこに、同じ漂泊びととしてのいたわりと尊敬の念が感じられる句なのです。 この俳句との出会いは、「大和古寺風物誌」(亀井勝一郎)の唐招提寺の項に紹介されていて、それで知ったのが最初です。十年近く前、実際に唐招提寺を訪れた時、この句の石碑があることを知っていたので、探そうと思っていたのですが、実に目立つところに、且つ、実に大きな石に句が彫られていて、ちょっと興ざめではありました。私はこの時、亀井の文章を念頭に置いて寺内を散策した覚えがあります。亀井は、この本の中で、唐招提寺を観る視点として、「復原力」ということを言います。当時を思い描く力とでも言えば判りやすいかもしれません。天平の創建当時、ここは煌びやかな色彩に溢れていたのであり、百人の読経が聞こえる活気のあった場所であった。そこには信仰ばかりでなく、当時の思想や技術の集まる最先端であった。また、それは、どんどん色々なものを吸収する、日本民族の青春期でもあったのだというのが趣旨でした。そんなに難しいことを言っている訳ではないのですが、「大和古寺風物誌」に語られる各寺全部に、こうした評論としての犀利な分析がなされていて、似たような古い寺々に理屈をつける評論家とは大変だなあという思いがよぎったものでした。 同様の古寺紀行に、和辻哲郎の名著「古寺巡礼」(岩波書店)があります。勿論、こちらのほうが先行文献。大正期の作物です。こちらは、古色蒼然たる当時のままの装幀の本を持っていて、それまでは積ん読だったのですが、亀井の著作に関連して、つまみ読みはしました。今、覚えているのは、大正期、有名な大和の古寺たちは、ほとんど打ち捨てられ、顧みるものもないくらい荒れ果てていたということ。文化財保護が当たり前の今の世からは考えられないことですが、明治の廃仏毀釈の影響が大正期も続いていた訳です。 ところで、今、五木寛之の「百寺巡礼」(講談社)というエッセイが、順次、発売されて売れています。『蓮如』以来、仏教に造詣を深めつつある彼の作物として、実にうまい企画です。本人が考えたのでしょうか。平成版「古寺巡礼」といったところを狙った訳です。大正、昭和、平成。顰みに習うとはこのこと。出版的に特に唸ったのは、連動して「百寺巡礼ガイド版(トラベルブック)」(講談社)という観光ガイドも各巻発売されていること。エッセイ読んで、実際に行きたくなったら、このガイドもどうぞという相乗商法。こちらは写真満載の実用本。お寺自体の紹介よりも、近隣の観光スポットやうまいもの屋情報の方により多く頁を割いている。 ただ、この企画、大和だけだった先輩作品に比べ、お寺のチョイスが全国域なので、地元北陸のお寺も入っていて、興味も湧きます。金沢では、私の住居にほど近い「大乗寺」も入っていて、どう書かれあるのか、地元民としてはちょっと気になる。網羅的なのは勿論作戦なのでしょう。「百寺巡礼(北陸の巻)」は、金沢に住んだことがあり、真宗を勉強した彼にとっては、書くことに苦労がない手中の寺々という印象です。 このA休、今度は「百寺巡礼(奈良の巻)」を読みました。 「唐招提寺」の文章は、冒頭、自分とこの寺との関わりを述べ、ちょうど解体修理の最中故、修理の苦労話を採取、紹介する。次に、鑑真の話になり、「鑑真は宗教とともに国際色豊かな唐の文化を日本に運んだのだ」との見解を示す。そして、芭蕉の例の俳句の話に移っていく。五木はここで、北原白秋を紹介し、「故郷を離れた人」と「失明」をキーワードにして二人を重ねていく。最後は「引き揚げ者」として、自分自身をも重ねていきます。 つまり、この文章は、「大和古寺風物誌」の五木流バリエーションだということです。「最も新しい思想と技術の殿堂」「信仰は新しい技術や医療とともにあった」という亀井の認識が「国際色豊かな唐の文化を日本に運んだ」という言い方のパラフレーズされ、次の「漂泊者」同士という括りが「故郷を離れた人」同士となっただけなのでした。誰でも思いつく先行作品から論旨を換骨奪胎する。ちょっとどうなのでしょうか? 勿論、五木さん自身、あちこちにたびたびも引用し、参考文献としてもしっかり掲げてはいますが、ネタがあまりにバレバレではあります。 ですが、私が印象的だったのは、うまく自分流に置き換えて、読者に判りやすく説明していく手際です。文章は張り合いがないほど難しい言葉がなく、滋味不足でパサパサですが、逆に言うとスラスラ読めていく。そして、思ったよりしっかりと取材がなされていて、雑感的なお茶濁しは少ないように思えました。五木さんは五木さんなりに努力されているという印象です。ただ、これも、室生寺では写真家土門拳のエピソード、薬師寺では宮大工西岡常一さんの「木に学べ」(小学館)の紹介と、あまりに定番すぎますが、入門としては、これでいいかもしれません。黴くさくて読む気にさえならない和辻、手に入れることから努力せねばならない亀井。そんな中で、良くも悪くも「現代的」「実利的」な古寺巡礼になっているのでした。 いずれにしろ、数寺ならともかく、お寺という、どれもこれもよく似たものに、百も理屈をつけていく作業は、やはり、大変なことのように思えます。例えば、和辻の美の認識の裡には、ギリシャ的「美」観があって、アジア的「美」観がないという五木の指摘は、オリジナルな意見だとすると、なかなかの卓見です。 さて、もし我々が努力してできることは、お近くのお寺、「一寺お百度参り」くらい?でしょうか。これなら金と暇がなくてもできます。私は、体を悪くしていない時分に、四季の大乗寺を撮ろうと思って、仕事の帰り、残照目映いこの寺に通いました。あれで、二十や三十回になっているはず。ただ、どんなに寺内をうろついても気の利いた理屈が出てこないのが、凡人の悲しさです。 今年、唐招提寺の修理は、佳境。いよいよ組みあげにはいるのだそうです。この連休(2005.1.9)、民放(北陸放送)で、解体によって明らかになったことなどを特集番組「金堂復元・唐招提寺1200年目の真実」(TBS系)でやっていて、私にとってはグッドタイミングでした。唐招提寺に思いを馳せているその時、唐招提寺の番組がある。この種の偶然は意外に多いように思うのですが、どうでしょう。
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大橋さん、藤田さん、小川さんに共通しているのは、3人ともmyHPを持っていること。うち二人は番組と連動していて、大橋さんのところでは、時々公開放送の様子を流したり、ラジオの旅番組をやっているもこさんのところは、旅の映像を流していたりします。この、番組連動というのは、今や多くの番組でやっていて、放送局のHPから番組別のHPにいけます。常に映像はいらない、声だけで充分、でも、時には映像や画像で伝えたい、見たい時もある、そんな時はHPでどうぞ、ということなのでしょう。「垂れ流しに聞く」というのは、ラジオの特質です。テレビはどうしても眼や手が止まって、仕事にならない。我々に「強いる」メディアです。流すという行動ができる良所に、でも、ここのところは映像があったらというところだけ、HPで補完する。HPに行くということは、受け手の積極的参加です。つまり、今、インターネットは番組とリスナーの結びつきを強固にする強力な「補完機能」だと言えるでしょう。 もう一つの性格。大抵の放送局には、アナウンサー、DJの個別の日記や掲示板があって、そのパーソナリティーの日々の感想が記されています。これは、ある種の囲い込みみたいなところがあります。ちょっと気になるパーソナリティーの個人的嗜好などを知ることで、より親近感を抱いてもらう、自分だけ個人のお家に訪問し、その方のお話を伺う。そうした「個」対「個」の絆を深める、家族的・人間的な「ケ」の要素があると思います。 そうした二つの意味で、ラジオにおけるHPの果たす役割は今や強大です。ただ、これを強化していけばいくほど、今後、HPがメインになり、そこに集う輩(?)を繋ぎ止め、関係性を強固にする手段の一つとしてのラジオという、主従逆転現象がおこりつつあるような予感がします。「WEBサイトの補完としてのラジオ」といいったらいいでしょうか。あるいは、「ラジオのウインドウズメディアプレーヤー化」といった方が適当かもしれません。ラジオが危ない?!
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DJ話題第三弾です。毎週楽しみに聞いているNHKーFMのジャズライブ番組「セッション505」の司会をなさっているので、小川もこさんというパーソナリティーがいるということは知っていました。てっきりNHKのアナウンサーだと思っていたのですが、インターネットでジャズのサイトを何気なく調べていて、彼女のWEBサイトを見つけました。フリーのDJというのが正しい肩書きのようです。ジャズに強いというのが彼女の強みで、ジャズの番組を幾つかもたれています。驚いたのが、JFNネットワーク局で十年以上、平日午後の長時間番組をもたれていたことで、放送が流れている地域の方にとっては、結構メジャーな存在なんだということを今回知りました。彼女のファンは「もこリスト」と言うらしい。お隣富山県のFM局製作の番組もあって、これは、オンデマンド配信されており、先日、4回の放送を纏めて聞いてみました。NHKの番組は、あくまでも音楽中心、司会業に徹していてますが、自分名義のDJでは、軽妙なおしゃべりで印象が全然違いました。ジャズに詳しいので、音楽家がゲストにきても、頓珍漢なおしゃべりにならないところが、「専門」を持っている(?)DJの強みみたいなところがあると思いました。声色はちょっと低めの大人の女性風(?)で、今回、話題にした3人のDJそれぞれ、どこか男心の琴線に触れる声のトーンを持っています。HPには有名ジャズマンと一緒に写っている写真が沢山載っていましたが、ラジオの人なのに美人さんで驚きました(お歳はお若く見えますが、彼女の昔話からみて、私のちょっと下あたりかも?)。さっそく、定期的に発信されるメール通信に申し込んだりして、最近、ラジオ少年逆戻り中。というか、ミーハー全開中。
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大橋照子さんの話をしたので、ラジオつながりということで、今度は、藤田みささんの話をします。田辺は、高校時代、放送部に属していて、ミキサーをしておりました。アナウンスはやったことなかったけれど、アクセントにダメ出ししたりすることもあって、ちょっと、DJやアナウンサーにはウルサイ(?)のです。彼女は、金沢のFM石川で、長年DJをなさっていた方。平日の午後、毎日一人で番組「アーバンハローファイブ」を切り盛りすること十年。しっとりとした中にちょっとアニメ風の声色が魅力的な方で、相手を不快にさせない配慮がトークのはしばしに感じられて、言いたい放題でない、かといって妙にすれた大人の会話路線でもない、小生のようなうるさがた(?)も太鼓判の名ジョッキーでした。仕事柄、平日にラジオを聞くことは実はそんなになかったのですが、ラジオ人間に舞い戻った昨年春、何気なくラジオをつけたら、別の人がやっていて、辞められたことを知りました。彼女の声が聞けないと思うと、残念さがどっと出てきて、インターネットなどで探したところ、彼女のHPが立ち上がっているのを見つけました。毎日放送に縛られていた分、今は自由に日々をすごされていらしゃるようで、時々、プライベートで各地を旅した写真くらいはアップされているのですが、そんなにHPはアクティビティーがない。今、お仕事はどうなさっているのでしょう。せめて、週一回くらいは、石川で番組を持つくらいはしてほしいと思っているのですが……。でも、そんな充電期間を持てる自由な職業をすこし羨ましくも思います。 先日、地元の北陸放送ラジオ(AM)の番組のイベント紹介の中で、チラリとインタビューされる側で出ていらっしゃって、北陸放送の若い女子アナから「いつも聞いていました」と憧れの眼差しで言われていました。この女性は、別の中堅男性アナから、「おいおい、お前は、昼、自分の局は聞いていないのかい」と、つっこみを入れられていましたが、同業者に憧れを与えるというのはプロとして素晴らしいことだと思ったことでした。 東京での活躍を期されているようですので、いつかまた、お声を聞くこともあるのでは思っています。頑張れモードで見守っています。
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高校生だったころ、BCLが流行りました。放送を傍受して、受信カードを送ると、放送局からカードが送られてくるというもので、短波放送も聴けるごついラジオで世界の放送をガーガー雑音の中聞いていました。深夜放送が全盛でもあり、我々の世代は、だから完全な「ラジオ世代」なのです。そんな中、日本短波放送のバラエティ番組「ヤロメロ」が大ブレーク。ご多分に漏れず、私もDJの大橋照子さんの大ファンになりました。ちょうど高三、浪人時代と重なっていて、私の青春の大事な思い出の一つになりました。東京在住時代には、時折、短波放送のスタジオにも行って、公開放送にも参加しました。彼女の本も買ったし、サインも貰ったし、はい、それを人はミーハーといいます。 彼女自身、昔を振り返って言っていたことですが、当時、内輪放送は絶対してはいけないことだと先輩から聞かされていたけれど、私は、リスナー全員が家族のように思えばいいと思って放送をしていたというのです。毎週、しっかり聞いていないと、内輪受け話題についていけない、だから、一生懸命に聞く。そんな形で、ファンはどんどん膨れていきました。あの番組のリスナー程、リスナーの連帯が強かった番組はないと思います。もう、それは四半世紀前のこと。 去年、腰を痛めた私は、終日寝ていることを余儀なくされ、後ろ向きの気分で、インターネット検索で彼女の名を入れてみて、彼女が、今、短波で番組を持っていることを知りました。番組名は「テルネットイン」。今はオンデマンドで、いつでもインターネット上で放送が聴けます。彼女は、未だにあの当時のリスナーを大事にしていて、ずっと四半世紀、取り巻きであり続けた人、ほとんど、私と同じようなルートで再発見した人たち、それに若干の新人の投稿で番組がなりたっています。以前のような大きなうねりというわけではないけれど、以前と同じような内輪受け話題で盛り上がっていて、当時の放送を知る私は懐かしく仕方がない。番組内のコーナーには「紙相撲コーナー」というまったく同じものまでありました。 以前と違い、好きな時に放送が聞けますし、番組HPを楽しんだりと、週一回の放送なのに毎日楽しめるしかけです。今は、こうした形で以前にも増してリスナーと密着している訳で、世の移り変わりを実感してもいます。大きく変わった部分と四半世紀まったく変わらない部分。いい中年にもなって、くだらないギャグを考えて、ネットで投稿する、退行現象のような気もしますが、でも、そんな振り返りの年齢にさしかかったのかもしれません。いいのかなこんなことしてて、と、チラリと思いつつ、でも、いいじゃないか、周りを気にして大人げないなんて考えるのはもう止めよう、いったい誰に憚っているのだろう、好きだ、楽しいと思うのだったら、自分に正直にすればいいじゃん、てな気持ちなのです。あの頃買えなかったギブソンの高価なギターを、今、中年が買っていくという話をどこかで聞いたことがあります。それと同じようなところがあるのでしょう。右肩上がりが望めない今、世の中全体が昔を振り返って楽しみを見いだしている、この番組は、その小さな小さな実例のひとつのような気もします。もう彼女は五十代半ばのはず。でも、二十代だった昔と変わらぬ声で我々を元気づけてくれています。アイラブ照子さん。 (四半世紀前の照子さん。公開放送にて。ワンピース姿が懐かしい。右に若い男の子が沢山写っているけど、おそらく私もその頃、そのぐらいの歳。)
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昨日は、冬休みの宿題をやっつけねばならないためでしょう。部活で登校している生徒も心なしかすくなく、職場は閑散としていました。今日から生徒が学校に出てきて、通常運転です。 さずがに一月、冷える日が多くなってきました。今日は、暖房の話をします。ボロアパートに住んでいた頃、風呂が沸きにくかったりと、いろいろ不便なところがありました。しかし、部屋が狭いので、暖房は石油ストーブ1台で充分という良い点もありました。でも、今のマンションは、そういう訳にはいきません。リビング13畳に、いつも襖をあけて、いけいけにしている和室が6畳、計19畳を暖めなければなりません。昨秋、まだ元気な頃に、手間がかかる石油ストーブから電気の遠赤パネルヒーター(フォトン)に換えました。今夏、弟の結婚式の引き出物がカタログギフトだったので、箱型電気ストーブを頼みました。これで、今年の冬は万全と思っていたところ、妻が、先だって、忘年会の景品に、パーソナルタイプの扇風機型ヒーターを当ててきて、一気に我が家に暖房器が増えました。時折り、帰宅当初だけ、すぐに暖まるエアコン暖房スイッチもいれていますし、以前使っていた箱型電気ストーブと石油ストーブも数えると、3室しかない小さなマンションに6台も暖房器があることになります。今は、19畳で4つの暖房器で運用しているので、寒くて温度が上がらないなんてことは完全になくなりました。 でも、今度は、大問題があります。それは、火の用心を確かめるのが、なかなか大変なのです。つけ忘れて小外出ということが、すでに一回ありました。 ところで、マンションに引っ越して、アパートとの一番の違いを感じたのは、不在時の室温です。日中、家を空けていると外気温と家の中が同じ温度になっていて、帰宅時、冷え冷えとしていた前に比べると、室内温度がぐっと高いのが判ります。逆に、先般、年末年始で古い木造の実家に行っていて、窓からの隙間風に閉口、風邪をひきにかかりました。便利なマンション生活。でも、その分、季節感がなくなり、いつもぬくぬくしていて、強くない体になり、外に出るのが億劫で、ごろごろばかりし、四十歳過ぎて、しっかり運動しなければならない時期にさしかかっているにも拘わらず、そんな生活をしてしまい、ついに腰を痛めてしまったようにも感ずるのです。直接の原因では勿論ありませんが、そうしたことも病気への一直線の一つだったように思います。
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今使用しているデジカメのメディアは、スマートメディアという薄い1,5cm程度の板状のものですが、もうこのメディア対応の新製品は出ていません。つまり滅び行くメディアなのです。パソコンの世界はもっとひどい。フロッピーディスクも今や教育界に生き残っているだけらしいですし、身近なところでも、アナログレコードの例があります。テープもMDに変わったし、VHSもDVDに取って代わられつつある。でも、これらは未だに再生機器が生産されているからまだいい(アナログレコードプレーヤーでさえ、趣味の機械として新製品がでています)。先日も、あの大きなレーザーディスクで映画をコレクションしていた人はどうしているのだろうと、知人との間でちょっと話題になりました。 小生も、音楽用CD-Rの機械を買った時、アナログレコード盤を移行させようと思ったのですが、大変な労力であることが判り、即、断念しました。今の心境は、そのメディアで買ったものはその再生機が生きているうちはその機械で聞く。機械がだめになった時はその時、新たに再生機を購入するか考える。もう再生機が売られていない時は、諦める。というものです。 父親は全盲で、私が生まれた頃、必要に迫られて、当時、新採の三ヶ月分の給料ほどもしたオープンテープのテープレコーダーを買いました。私の赤ちゃんの時の写真には、私と一緒に、その機械がよく写っています。子供の頃は判らなかったのですが、今となってみれば、本当に家宝のような存在だったのでしょう。それが、カセットテープに移行し、父は苦労してダビングしていたようでした。今はMDの時代ですが、さすがに、もうダビングしようとはしません。父の話によると盲界自体が、MD移行に取り組んでいないようです。(MD自体の操作性が盲人に不向きというのも原因のようで、点字図書館では、CD−Rの移行を進めています) 映像の世界は、規格の乱立です。DVDには±があり、二層式に進化したかと思ったら、互換性が著しく悪く問題になっているようです。こうした昨今のデジタルメディアの「規格」競争は、結局、「メディアは再生機とともに滅ぶ」と達観した方が、振り回されずに生きていかれるという意識を我々消費者に与え、ひいては、高いお金だしてソフトを買っても、どうせその規格自体いつまで保つのやらと、いつまでたっても「コレクター意識」が育たず、レンタルや違法ダビングで済ましてしまい、結局、ソフト業界全体が疲弊してしまうという悪循環に陥っていくような気がします。ちょっと違うかも知れませんが、、「船頭多くして船山に上る」というのが、デジタル業界の現状ではないでしょうか。
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お正月の実家での、恒例、家族集合乾杯写真は、一眼レフを出してきて、力を入れて撮りました。おせちだけを記録用に撮そうということになり、これはデジカメで充分ということで、デジカメで。夜、なんと、親戚からフグ刺しが送られてきて、これも滅多に食べられないから撮っておこうということになったのですが、この時はカメラを自宅に持って帰った後だったので、仕方なく、父のAPSで。ということで、元旦だけで、三台のカメラを使ったことになり、結局、整理や記録性を考えると、えらく面倒なことになってしまいました。 今使っているデジカメ(オリンパスc-40)は、2001年10月に買いましたから、3年以上がたちます。当時としては高画質な400万画素で、7万円ほどしました。デジカメがひどく不完全な電気製品であることは、使いだしてからすぐ気がづきました。スイッチを入れてからの立ち上がりが遅い。シャッターラグがひどく、動く被写体はからきし駄目。バッファ時間が長く、直ぐに次のシャッターが切れない。電池がすぐなくなるなどなど。よい点は、その場で画像を確認できる、いちいちフイルムで現像するほどのことでもないものをパシャパシャ撮れるということ。特に、後者は、カメラの新しい使い方の可能性が考えられて、購入の動機となりました。でも、この3年間、どうだったか。「せっかくデジカメ買ったのだから、今回はデジカメを持っていこう」といった程度の出動の仕方をしているだけのような気がします。美点であるはずのスナップ性は、カメラ自体の動作のフットワークの致命的な遅さで、そういう使い方が実にしにくい。目的に一番の欠点がかぶっている訳ですから、使いづらいですよね。それに何と言っても、パシャパシャ撮りの発想が撮影者の身についてないというのが、致命的。有効に使っているとは言い難い状況です。 ただ、最近、このデジカメ、一時期ほど、我々夫婦の間で、冷たい評価はされなくなりました。「馬鹿な子ほど可愛い」といった面もなくはないのですが、インターネットのデジカメ掲示板をよく読むようになり、最新式の高画素数のデジカメが必ずしも高画質ではないということが判ったからです。どうも、メーカーは画素数競争にあけくれ、その弊害を置き去りにしているようなのです。画素数は低くても、数年前の一部のカメラの方が写りは綺麗というのが、マニアのなかでは常識のようです。このカメラもデジタル臭くない描写で、写り自体は高評価でした。という訳で、すぐ古びてしまうデジタル製品。愛着をもって、できるだけ長く使ってやろうというのが、現在の夫婦の心境です。どうやら、元旦のような混在現象は今後も当分続くようです。
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定時に職場へ行きました。特に新年の職員朝礼があるわけでもないので、職場の小部屋のストーブをつけて、ポットのお湯をしかけて、と、いつもの通りの朝でした。6日まで授業がないので、そのまま、ゆっくりと新年の始動となりました。プリント作ったり、7日から始まる授業の用意をしたりというのが、今日の予定です。
恒例の部活の新年会も予定されていて、朝早くから弓道場は電気がついていました。ぜんざい・お雑煮を作る用意をしているのでしょう。
これには、年末、ちょっとしたドタバタがありました。昨年までの顧問が、知り合いの餅屋さんからつきたて餅を買っていたのですが、転勤され、今年は、スーパーの切り餅ですませればいいと指示していたのです。しかし、どうしても美味しいのでないと嫌だと一部の生徒が言いだし、結局、前顧問に電話をかけ、彼からその店にに注文してもらうことになりました。今朝、もう一人の顧問の先生が、前顧問の車に積んである餅を取りに彼の職場まで行っています。(部活の運営もなかなか大変!) 私は、今年、担任ではないので、1限がはじまるまで、ゆっくりコーヒーを飲みながら今日一日の授業の用意をするというのが、朝の行動です。まず、パソコンを立ち上げ、サーバー内の掲示板で、時間割変更など本日の連絡がないか調べます。大職員室いない人にとっては、この情報は生命線です。(今年度から、こうした掲示板が本格的に動き出し、学校というITが遅れた業界も、ようやく、少しは今風になってきました。)小部屋は、こうしたもろもろ、一日部屋を使うための準備をしなければ立ち上がりません。この朝のゆっくりペースが、大部屋と大きく違っているところです。
欠点は、何と言っても、情報が行き渡らないこと。印刷などにいちいち出向かなければならないことなどです。でも、国語ということで、理科のように準備室が与えられることもなく、ほとんど大部屋ばかりでしたので、久しぶりのこんな年もあっていいかなと思っています。
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正月の分厚い新聞に、暇つぶし用の計算問題が出ていました。兎と雉が全部で35羽います。足の数は全部で94本です。さて、各々何羽いるでしょうという問題。今の算数では、二元一次の連立方程式で簡単に解いてしまうような問題です。でも、私は、「ああ、懐かしい。鶴亀算だ」と思ってしまう世代の人間なのです。正月の炬燵で、家族と話していて思い出したのですが、どうも、私も学校では方程式のほうで習ったようです。でも、当時通っていた家庭的な塾のお婆ちゃん先生から、昔ながらの和算である鶴亀算を習ったのでした。この解法、もし、すべて兎だとすると、と仮定するのがミソ。35頭×4本=140本 でも、実際は94本なので、140本ー94本=46本 この誤差は足の数の差なのだから、46本÷(4本ー2本)=23羽(雉の数) 35羽ー23羽=12羽 故に、(答)雉23羽・兎12羽となります。 その昔、xyを使う計算式を習った時、つまり、判らない数字をそのままブラックボックスのままにして、式をたて、後で式の変形で解いてすます訳ですから、なんだかインチキ臭いやり方だなと思ったのでした。数学嫌いの端緒は、実にここら辺りにあるような気がします。 数学で思い出すのは、その昔、ある図形の証明を解こうとして、2時間かかって、独自に補助線を2本も引いて、大学ノート2頁使って、証明を完成させたことがありました。先生の所に持っていったところ、私の説明を途中で遮り、「なんでそんな面倒くさいことするんだ、こうすれば直ぐ解ける」でしょと、たった5行で解いてしまわれたことがありました。確かにそのほうが、能率ということから言えば間違いないのでしょう。でも、子供心に、最後まで、私の証明が間違っていないかどうかくらい聞いてほしかったような気がするのです。誰も認めてはくれませんでしたが、今でも、あの証明は正しかったと信じています。大人になって、教師という職業に就いて以来、このエピソードは、教員の態度について教訓的だと、いつも肝に銘じています。 先だって、「論理」とは何かについての書かれた、初学者向きの文章を読みました。その中で印象的だったのは、論理とは、実は、言い換えの作業であって、特に新たなものは何も増えていないのだという指摘でした。論理が進展しないものというのは、文章の論理展開がどうのこうのと生徒に教えている私にとって、新鮮な驚きでした。その文章の作者は、例として、数学の式の展開をあげていました。確かに、上の式と移行させた下の式とはイコールの関係です。答えには向かってはいます。ですが、上下がイコールでなければそれは計算が間違っていることになります。計算は、いわば、そうした世界なのです。なるほど、田辺少年は、どうも、そうした閉じた世界の作業にあまり楽しみを覚えない人のようでした。鶴亀算に出会うと、何だか嬉しくなって、懐かしい思いがするのは、古の記憶の懐かしさばかりでなく、仮定し足の本数の差から見つけていくという、昔の人の「智恵」のようなものを感じとって、そちらの方がクリエイティブなように感じていたからのような気がします。なんだか、数学嫌いの自己弁護のようになってきました。
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インターネットで、サイモンとガーファンクルの最近のコンサートの模様を収めたDVDを見つけて、正月の楽しみにしようと注文、その時、過去の5枚のオリジナルアルバムをボックスセットにしたものも併せて注文しました。こちらのほうはLP時代に擦り切れるほど聞いた我が青春の懐かしソングたちです。いまでも幾つかは怪し英語で歌えるほど。保存用といった意味合いで購入。中でも、アルバム「ブックエンド」の完成度は芸術的といえるほど高く、フォークソングが持つメッセージ性と、ポピュラーミュージックがもつサウンドの新しさが、うまくバランスされていて、ロックンロール的な大衆性と一線を画した高尚さが感じられます。DVDのほうは、2人ともお歳を召しているのに感慨深いものがありました。1970年に解散して30年以上がたっているわけでずから当たり前です。ガーファンクルの声に少々の衰えがあるのが悲しかったし、臨時の再結成ですから、ハーモニーも鉄壁というわけにはいきませんが、でも、バックバンド共々、昔と少し違ったアレンジが施されていたりして、飽きさせません。大観衆も、年齢層が高いせいもあってか、大騒ぎということもなく、静かに楽しんでいる様子が伝わります。近年、JAZZのインスト物ばかり聞いていた耳に、アコーステックギター中心のシンプルな音づくりは新鮮で、音楽における「歌詞」の大切さをあらためて実感した一時でした。国語教員のお目で改めて英語の歌詞を見ると、韻をしっかり踏んでいて、実に熟考された詩であることが判ります。英語の歌詞カードとにらめっこししたのも久しぶりでした。
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明けましておめでとうございます。 さて、私の賀状は、近年、「絵はがき消化年」とか勝手に言って、絵はがきと年賀葉書を混合して書いています。人によって、オーソドックスな印刷ものがいく人と、何でこの絵柄の絵はがきなのか説明できないようなもの(仏像の写真だったりします)がいく人もいます。今年の一筆手書き追加の文面は、「腰痛になりました。健康の大切さを実感した昨年でした。お互い健やかな一年でありますように」というのが定型でした。本当にこれに尽きると思います。このHPでも、この「健やかに」という言葉を年頭の所感として、新しい年の「ものぐさ」を始めたいと思います。今年も宜しくお願いします。
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
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